第10話:マイクの前の狂犬と歌姫
「はい、みあちゃん、まずはテイクワンいってみようか〜」
防音ブースの外側で、神代弦がヘッドホンの位置をずらしながら軽快にマイクへ呼びかける。
「ひ、ひゃいっ……! あ、あの、よろしくおねがいしまっ……!」
簡易レコーディングブースの中に突っ立っている白雪みあは、まるで蛇に睨まれた蛙のように直立不動になっていた。
手元に握りしめた小さな台本用紙は、汗と震えでクシャクシャになっている。
「……おい、テメェ。紙が破けるぞ」
ブースのすぐ隣、パイプ椅子に深く腰掛けたあかぎ蓮が、あきれたようにジト目を向けた。
「ひっ……! す、すみません……! で、でも、緊張して……声が、裏返っちゃって……」
「台本通り読もうとするからだろ。だいたいなんだよそのセリフ。『みなさんの心を癒やすお歌を届けます♪』……けっ、吐き気がするね。腹の底から声出てねぇんだよ」
「うぐっ……! ぶ、暴言……! で、でも私……人前で普通に喋るの……本当に苦手で……」
みあは萌え袖の先でキュッと目元を拭い、今にも泣き出しそうな顔で身を縮こませる。
その情けない姿に蓮は「チッ」と盛大に舌打ちを鳴らすと、乱暴に頭を掻きむしった。
「たくっ……おい駆! こいつダメだ! 歌う時はバケモノのくせに、喋らせたらただの泣き虫チビじゃねえか!」
ブースの外でPC画面を凝視していた織田駆が、静かにマイクのスイッチを入れた。
「みあ。台本を見るのをやめろ」
「え……? で、でも、これを見ないと何を喋っていいか……」
「俺を見ろ」
駆の低く落ち着いた声が、ヘッドホン越しにみあの耳へと届く。
みあはハッとして顔を上げ、ブースのアクリルガラス越しに駆の姿を追った。駆はいつもの無表情だが、その瞳には強い信頼が宿っている。
「俺に語りかけろ。配信の画面の向こうにいるファンに語りかけるな。まずは、お前をここまで連れてきたプロデューサーの俺に、お前の言葉で喋ればいい」
「織田さんに……」
みあの頬が、ぽっと赤く染まる。
握りしめていた台本からすっと力を抜き、胸の前で小さな拳を握りしめた。
「……ふぅ。……はい。織田さん……私、がんばります」
「よし。神代、録音再開だ」
「はいよ〜。いやぁ、相変わらず人使いと殺し文句が上手いねぇ、駆プロデューサーは」
弦が楽しそうにキーボードを叩く横で、蓮は腕を組んだまま、駆の言葉一つでガラリと顔つきが変わったみあを、なんとも言えない不快そうな目で見つめていた。
「(……けっ。なんだよアイツ、プロデューサーの顔見ただけで速攻で持ち直してんじゃねえよ……気味悪ぃ)」
「オッケー、みあちゃん最高! ギャップ萌えの宝箱だな! ——じゃあ次は、お待ちかねの『狂犬ちゃん』いってみようか!」
弦の声で、みあが「ありがとうございました……!」とペコペコ頭を下げながらブースから出てくる。すれ違いざま、みあはどこか誇らしげにチラリと蓮を見た。
「な、何見てんだよ」
「ふ、ふふん……あかぎさんも、がんばってくださいね……?」
「テメェ、煽ってんのか!?」
蓮はイラつきを隠さずにマイクの前へと躍り出た。
赤ジャージの袖を捲り上げ、大型マイクに向かって仁王立ちになる。
「さあ蓮ちゃん、どんなセリフでいく? スーパースターっぽく気取ってみる? それともアイドルっぽく可愛く言ってみる?」
「ハァ!? 戯けたことぬかしてんじゃねえぞ、チャラ男!」
蓮はマイクを睨みつけ、威嚇するように舌を鳴らした。
「アタシにそんな甘っちょろいもん求めるな! 歌だの癒やしだの、おままごとが見てぇなら隣のチビのチャンネルに行ってろ!」
「おお、いいねぇ、殺気立ってる!」
弦がニヤニヤしながら録音レベルを調整する。
「アタシが欲しいのは歯ごたえのある奴だけだ。画面の向こうで調子こいてる荒らしも、アンチも、雑魚ゲーマーも全員かかって来い! アタシの格ゲーの踏み台にしてやるよ!!」
怒号に近い煽り文句。
だが、その声には一切の迷いがなく、鋭利な刃物のような熱量がこもっていた。
「……ふぅ。これで満足かよ」
吐き捨てるように言って蓮がブースの外を見ると、弦は「最高の素材が撮れたよ!」と親指を立てていた。
そして駆は、手元のノートPCに何かを打ち込みながら、フッと口角を上げた。
「合格だ、蓮。その凶暴さこそが、お前の最大の武器だ」
「……当たり前だろ。アタシを誰だと思ってんだ」
蓮はぷいっと横を向いたが、駆に認められたことで、ジャージのポケットの中の手が少しだけ誇らしげに握りしめられていた。
「よし」
駆が立ち上がり、二人を見渡した。
「素材は揃った。神代、編集に入ってくれ。——二人とも、覚悟しておけよ。このPVが出たら、お前たちの日常は完全に終わる」




