第9話:ボロアパートの天才たち
「ここが……『Vスタ』の事務所……?」
池袋の路地裏にひっそりと佇む、築年数不詳のボロアパートを見上げ、あかぎ蓮——もとい赤城蓮は、呆れたように眉をひそめた。
自分のボロアパートの一室を、プロ自らの手で完璧な防音室に変えられたあの衝撃の契約劇から一夜。指定された住所へとやってきたのだが、どう見ても「今をときめくVTuber事務所」には見えない。ただの年季の入ったアパートだ。
ギシギシと音を立てる外階段を上り、指定された二階の一室のドアを叩く。
「入れ。鍵は開いている」
落ち着いた声に応えてドアを押し開けると、そこには殺風景な室内に二台のPCデスクが並んでいた。
片方には、いつものトレンチコート姿で画面に向かう織田駆。
探るような鋭い視線でタイピングを続ける駆の横で、もう片方のデスクには、高級なヘッドホンを首にかけ、足組みをしながら軽快にキーボードを叩いている長身の男がいた。
「おい駆、本当に来たぞ。例の『狂犬ちゃん』だ」
男がニッと軽薄な笑みを浮かべて振り返る。
整った顔立ちに、どこか人を食ったような余裕のある雰囲気。
「ようこそ『Vスタ』へ、蓮。紹介しよう」
駆が立ち上がり、男を示した。
「神代弦。俺の大学時代からの悪友であり、Vスタの楽曲・音響全般を統括するプロデューサーだ」
「よろしくな、蓮ちゃん。駆から聞いてるよ。防音室の中で暴れる準備は万全だって?」
「……フン。誰だか知らねえが、アタシをちゃん付けで呼ぶんじゃねえよ」
蓮がジャージのポケットに手を突っ込んだままギロリと睨みつけるが、弦は「おー、こわ」と可笑しそうに眉を下げて肩をすくめるだけだった。
——その軽口を遮るように、カチャリ、と事務所のドアが静かに開いた。
「お、織田さん……! すみません、途中で道に迷っちゃって……!」
入ってきたのは、小柄で華奢な少女——白雪みあだった。
萌え袖の先でギュッと書類を抱え、清楚でおどおどした視線を泳がせていたみあは、ジャージ姿で目つきの鋭い蓮と目が合った瞬間、ヒッと短い悲鳴を上げてピクッと肩を跳ねさせた。
「ひっ……! ぼ、暴力はやめてください……!」
「振るわねえよ! なんだよその目は!」
怯えきったみあは、小走りで駆の元へ寄ると、彼のトレンチコートの裾を両手でギュッと掴み、背中にすっぽりと隠れた。そのまま震える手で駆の服を握りしめ、上目遣いに蓮を盗み見る。
「だって……すごく怒ってるみたいだし……! 織田さん、この人、誰ですか……? 怖いです……」
「おいテメェ、何サラッとプロデューサーの背中に隠れてんだよ! ぶりっ子かコラ!」
「ぶ、ぶりっ子じゃないです……! 織田さんは私のプロデューサーさんで、命の恩人なんです……!」
みあは駆の背中に隠れながらも、眉をハの字にして小さく口を尖らせ、駆の服を握る手だけは頑なに離そうとしない。その露骨に駆に頼りきっている態度に、蓮は額に青筋を浮かべ、いら立ちを隠すように腕を組んでジト目を向けた。
「相変わらず駆はモテるねぇ」
「弦、茶化すな。——二人とも、そこまでだ」
駆は苦笑しながら、身を縮こまらせるみあの頭に大きめの手をポンと置いた。
その瞬間、みあは「ふえっ……」と耳まで真っ赤にし、ぽかんと口を開けたまま急におとなしくなる。
「みあ、彼女が二人目のタレント、あかぎ蓮だ。そして蓮、彼女が『音無すず』の中の人、みあだ。さて、全員揃ったところで、次なる作戦の話をしよう」
駆がそう言うと、弦がニヤリと口角を上げてPCの再生ボタンを押した。
室内スピーカーから流れ出したのは、重厚な重低音と、繊細で美しく張り詰めた旋律が融合した、圧倒的なクオリティのBGMだった。一瞬で空気が変わり、蓮の目線がハッとスピーカーへと向かう。
「安易なコラボ配信はやらない」
駆はハッキリと告げた。
「お前たち二人は、生きてきた世界も武器も違いすぎる。変に仲良しこよしで並べるより、それぞれのソロの凄みを極限まで突きつける方が、ネットには刺さる」
「じゃあ、何をするんですか……?」
みあが駆の背中からチラリと顔を出し、不思議そうに首をかしげる。
「『Vスタ所属VTuber紹介PV』の作成だ」
弦がデスクに肘をつき、二人にウインクしてみせた。
「俺が作ったこの最強の楽曲に乗せて、短く、だが圧倒的なPVを作る。——すずちゃんは、あの華奢な体のどこから出ているのか分からない、聴く者全員の肌を泡立たせる『神がかった歌声』。マイクの前で一瞬でスイッチが入る、あのギャップを映像に乗せる」
弦の言葉に、みあは少し照れくさそうに頬を緩め、萌え袖で顔の下半分を隠しながらコクリと深く頷く。
「そして蓮ちゃんは、細い指先から繰り出されるフレーム単位の精密動作——画面狭しと相手をボコボコに叩きのめす『格ゲーの圧倒的なプレイ映像』だ。あの殺気立った目つきと神業をそのまま見せる」
「アタシの……ゲームプレイ……」
蓮は自分の右手を一度固く握りしめ、ゆっくりと解いた。
先ほどまでのイラつきは消え去り、その瞳には格闘ゲーマー特有のギラついた肉食獣のような光が宿る。唇の端を吊り上げ、ニッと不敵に笑ってみせた。
「いいじゃねえか。アタシのコマ投げとコンボの精度、世の中のクソゲーマーどもに見せつけてやるよ」
「私も……弦さんの素敵な曲で、織田さんのために……精一杯歌います……!」
みあも小さく拳を握りしめ、胸の前でキュッと固めて駆の顔を見上げた。不安げだった瞳には、確かな熱と意思が宿っている。
満足そうに二人の表情の変化を見届けた駆は、手元の資料を引き寄せると、至極当然といった平然とした口調で付け加えた。
「——あぁ、それと歌ったりゲームするだけじゃダメだぞ。あくまで自己紹介だからな。PVが基本一人三分として、少なくとも一分半くらいのセリフを何個か用意しとけよ」
「「えっ……」」
さっきまでの凛とした表情は一瞬で崩壊した。
みあは「セリフ……!?」と目を丸くして顔を蒼白にし、蓮は「はぁ!? 喋るのかよ!?」と口を半開きにしたまま固まる。
二人の声が、今度は綺麗にハモって凍りついた。




