表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/14

4.喫茶猫時雨

 4.喫茶猫時雨

 

 二人で教室を出る。

 廊下は講義終わりの学生で混んでいて、その流れに乗って歩いた。宮舞天音は人の間を自然な歩幅で進んでいく。その隣を並んで歩きながら、何から聞けばいいか悩んでいた。

 

 階段を下りると、日差しが差し込む渡り廊下に出た。

 午後の光は柔らかく、床に伸びた窓枠の影が細長く揺れていた。外では今日は強い風が吹いているらしく、中庭の木の梢が緩やかに揺れている。

 

 人の流れが薄くなり、二人の足音だけが廊下に響くようになると、隣を歩く宮舞天音の存在がより鮮明になった。背が高いせいか、歩幅が広いせいか、こちらが少し早足になってようやく並べる程度の歩調だった。彼女は特に気にした様子もなく、前を向いたまま歩いている。

 

 「こちらです」

 

 宮舞天音が廊下を曲がる。

 その先には、学内でも比較的人目につかない小さな建物があった。

 もともとは研究棟の附属施設として建てられたもので、何処かの企業が実験設備のついでに併設したとも、あるいは単に余った区画を転用したとも噂されている。

 外壁は年季が入っていて、看板も小さく、わざわざ探しに来なければ気づかない場所にあった。

 

 「少しだけお待ちいただけますか」

 

 「どうかしましたか」

 

 「……不埒者がいます」

 

 宮舞天音はふと立ち止まり、ポケットから携帯を取り出す。

 画面を開くその横顔はわずかに引き締まっていた。眉根がほんの少し寄り、視線が細くなる。怒っているわけではない、何かを確かめているような、あるいは測っているような表情だった。長い指が画面を滑り、数回操作する。その間、唇はかすかに結ばれたままだった。

 電話をかけているようだった。操作を終えると、ふぅとため息をつく。

 

 直後、後方の席から着信音が聞こえてくる。

 

 宮舞天音が振り返ると、そこにはつい先程の見覚えのある姿があった。

 篠崎結月と、時津凛華、昼に中庭で見た宮舞天音と同じバンドのメンバーの内の二人だ。

 

 「──あちゃ、見つかっちゃったか」

 

 「だから言ったじゃないですか、絶対ばれるって」

 

 篠崎結月は悪びれた様子もなく肩をすくめ、時津凛華は眉を八の字にしながらも口元に笑みを浮かべていた。

 

 宮舞天音はにこりと微笑みを浮かべたまま口を開かず、じっと二人を見る。

 

 しばらくの沈黙に堪え切れず、時津凛華が「えーっと」と口を開く。

 

 「いつから気付いてましたか」

 

 「最初からです。ついてきていたのに、気づかなかったと思いました?」

 

 「……思ってた」

 

 「正直ですね」

 

 宮舞天音は短く笑うと、視線だけをこちらへ向けた。

 

 「せっかくなので、一緒にどうですか」

 

 勘弁したかったが、こちらから断れる雰囲気でもなかった。

 

 

 

 

 


 引き戸を開けると、温かな空気が流れ出てくる。

 豆を挽く低い音と、珈琲の匂いが混ざり合っている。

 店内は狭く、窓際にテーブルがいくつか並ぶだけだった。昼の混雑はとうに過ぎていて静かだったが、意外にも数名の客が席についていた。

 

 カウンターの奥では、猫耳のアンドロイドの店員が一人、音もなく立っていた。

 動作に無駄がなく、表情も声も均一で、ただ仕事だけがそこにあるような佇まいだった。人間の店員のように愛想を作ることもなく、それでいて不快でもなく。この店の空気に馴染んでいた。

 

 

 店員に窓側のテーブルに案内されると、宮舞天音が隣に並び、向かいに時津凛華と篠崎結月が座った。宮舞天音はカーディガンを脱いで椅子の背にかけ、鞄を机の下にしまう。メニューを手に取る仕草は静かで、ページをめくる指先にも無駄がない。ここへ来るのは初めてではないのだろう、慣れた落ち着きがあった。

 その様子を横目に見ながら、どこかまだ状況についていけていなかった。

 

 「……この人が、例のファンの人?」

 

 注文が終わると、篠崎結月が口を開いた。声に特別な含みはなかったが、視線はこちらと宮舞天音の間を静かに往復している。

 

 「うん。いつもライブ来てくれてる」

 

 宮舞天音がさらりと答える。

 

 「応援ありがとね」

 

 篠崎結月はぱっと笑った。続けて「ごめんね、最近ほんとチケット取れないでしょ」と気軽な調子で言う。

 

 「いや、こちらこそ……」

 

 ぎこちないながらも返事を返した。それよりも隣に座っている宮舞天音の反応を窺えないことが気がかりだった。

 

 「……貴方、どこかで会ったことがありませんでしたか」

 

 不意に時津凛華が口を開いた。

 

 「凛華」

 

 宮舞天音が静かに名前を呼ぶ。

 

 「う、すみません。でもなんか、見覚えがあって」

 

 「ライブ、来てくれていますから」

 

 「あ、そっか。そうだよね」

 

 時津凛華はあっさりと頷いたが、その目はまだどこか納得しきっていなかった。何かを手繰り寄せようとするような、宙を泳ぐような目つきで、しばらく黙ったまま考えている。

 思い出されては困る、と直感的に感じたが、どうする手段も持ち合わせていなかった。

 

 「すみません、変なこと聞いてしまって」

 

 「全然、とんでもないです」

 

 「なんか引っかかる感じがして……まあ、いっか」

 

 結論が出ないまま、時津凛華はそう呟いてメニューを眺め始めた。

 

 「そんなことより、天音ちゃん。今日ほんとに一緒に講義受けたの?」

 

 篠崎結月が頬杖をつきながら問いかける。

 

 「本当ですよ」

 

 「へえ。珍しいね、そういうの」

 

 「そうですか?」

 

 宮舞天音は何でもないように答えるが、篠崎結月の目は値踏みするかの如くそのままこちらを向いていた。特に何も言わなかったが、その沈黙が居心地悪く感じた。

 

 飲み物が運ばれてくる。

 アンドロイドの店員がトレーを傾け、カップをテーブルに置いていく。その間もひとことも喋らず、表情ひとつ動かさない。人間ならば愛想のひとつも作る場面だろうが、それがないせいで全く静かだった。

 

 「ま、天音ちゃんが仲良くしてるなら、こっちも仲良くしないとね」

 

 時津凛華がにこっと笑う。

 

 「そういうことです」

 

 宮舞天音は静かに笑った。

 

 そこからしばらくは、他愛のない話が続いた。

 近々のライブのスケジュール、会場の規模が前回よりさらに大きくなるという話、篠崎結月が今学期すでにいくつも講義を切り捨てているという話。時津凛華が「さすがにまずいです」と突っ込み、篠崎結月が「なんとかなる」と涼しい顔で返す。宮舞天音はそのやり取りを聞きながら、時折小さく相槌を打っていた。

 自分もほとんど相槌を打つだけだった。

 

 「ねえ、君ってどのくらい前からのファンなの?」

 

 飲み物に口をつけたところで、篠崎結月から声がかかる。特に深い意図のなさそうな、純粋な好奇心の声だった。

 

 「……一年半、ぐらいですかね」

 

 「へえ、結構前じゃん」

 

 「文化祭がきっかけで」

 

 「ああ、あのときか」

 

 篠崎結月は合点がいったようにストローを咥え直した。時津凛華がうんうんと頷く。

 

 「あのライブ、本当に評判よかったですよね」

 

 「あの日の天音ちゃん、バチバチに可愛かったからなー」

 

 「そうだっけ」

 

 宮舞天音は少し意外そうな顔をした。どうやら自分ではそこまで意識していなかったらしい。

 

 「……君、ステージ全部来てくれてるんだっけ」

 

 篠崎結月がこちらへ視線を戻す。

 

 「できる限りは」

 

 「できる限り、ね」

 

 結月はそれだけ言って、ストローでカップの中をゆっくりとかき回した。その目がまたこちらと宮舞天音の間をゆっくりと往復する。

 

 「てことは、チケット取れないときは結構つらかったんじゃない?」

 

 「……まあ」

 

 「それで天音ちゃんがこないだチケット渡してたんだ」

 

 驚きの発言に横に座る宮舞天音を見る。

 

 宮舞天音は表情を変えなかったが、ただほんの一瞬だけ、視線が左右に揺れた。口元へカップを運ぶ手が一瞬止まる程度の、ほとんど誰も気づかない小さな間だった。

 

 だが篠崎結月はそれを見ていた。

 口元にゆっくりと笑みが広がる。 

 

 「ちょっと結月」

 

 時津凛華が小声で咎める。

 

 「あれ、やっぱり?そうなんじゃないかとは思ってたけど」

 

 篠崎結月は悪びれる様子もなく続ける。

 

 「ねえ、もらった?」

 

 「……はい」

 

 「でしょ」

 

 篠崎結月は意地悪な笑みを浮かべ、宮舞天音へ目を向けた。

 

 「天音ちゃんさあ、あのチケットってそんな気軽に渡すものだっけ?」

 

 「気軽ではないですよ」

 

 宮舞天音は涼しい顔で返す。

 

 「じゃあなんで」

 

 「来てほしかったので」

 

 一切迷わない答え方だった。

 篠崎結月は「ふうん」と言って、また視線をこちらへ戻した。既に全て分かった上で黙っているような、そういう目だった。

 

 「……よかったね」

 

 結月は最終的にそれだけ言って、カップに口をつけた。

 

 時津凛華はその隣で、どこかばつの悪そうな顔をしていた。

 

 しばらくの間、誰も口を開かなかった。

 カップを置く音、風で窓が微かに鳴る音。店内の静けさがテーブルの上に戻ってくる。

 

 「……貴方は」

 

 沈黙を破ったのは時津凛華だった。

 にこにこしているが、目は笑っていない。

 

 「天音ちゃんの、どこが好きなんですか?」

 

 思わず咽た。

 

 「だ、大丈夫ですか?」

 

 「大丈夫です。……好きというか、ファンではありますけど」

 

 「私も気になります」

 

 宮舞天音を窺うと、彼女はカップを両手で包んだまま、こちらへ視線を向けていた。助け舟を出す気はないらしかった。

 

 「聞かせてくれませんか?」

 

 逃げ場はないみたいだ。

 

 「……声、ですかね」

 

 「声?」

 

 時津凛華が首をかしげる。

 

 「珍しいね。だいたいウチのファンの子って、姫ちゃんの歌が大好きなのに」

 

 姫ちゃん、というのはメインボーカルのことだろう。姫凪・リンドヴルム・ラスターシャ。

 ファンの入り口になることが多いと聞いたことがある。学内で顔を見ることはほとんどない。

 

 「宮舞さんの声は、聞いていて特別……聞き心地がいいというか」

 

 「へ、へぇ……」

 

 時津凛華の頬がじわりと赤くなった。

 

 「顔真っ赤じゃん」

 

 篠崎結月が時津凛華の頬をつついた。

 

 「つつかないでください」

 

 「照れてる照れてる」

 

 「照れてないです」

 

 「絶対照れてる。ね、天音ちゃん」

 

 篠崎結月が今度は宮舞天音へ水を向ける。

 

 「天音ちゃんはこの人のどこが気に入ったの?」

 

 「そうですね……」

 

 宮舞天音は少しの間、言葉を選ぶように視線を落とした。

 銀色の睫毛が伏せられて、また上がる。

 

 「いじらしいところ……とか」

 

 コホン、と小さく咳払いをする。

 

 「まあ、私の大切なファンの一人なので」

 

 「ファンサですよ、ファンサ」

 

 そう言って、宮舞天音はカップに口をつけた。

 その横顔は涼しかったが、彼女の耳の先もほんのわずか赤かった。気のせいかもしれなかった。

 

 篠崎結月はしばらくこちらと宮舞天音を交互に眺めていたが、やがてふうと息をついて背もたれに体を預けた。

 

 「……ま、いっか」

 

 「何がですか」

 

 「なんでも」

 

 結月はそれだけ言って、残っていた飲み物を一気に飲み干した。

 

 時津凛華はまだ少し頬が赤いまま、こちらをじっと見ていた。何かを言いかけて、やめる。また口を開きかけて、また閉じる。

 

 「……天音ちゃん」

 

 やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

 「二人は本当に、推しとファンの関係、なんですか?」

 

 宮舞天音は短く頷いた。

 

 「はい、今のところは」

 

 時津凛華はそれを聞いてから、こちらへ目を向けた。

 応援しているのか、牽制しているのか、その目からはどちらとも読み取れなかった。

 

 「……貴方も、天音ちゃんのこと、よろしくお願いしますね」

 

 「はい」

 

 「本当に、よろしくお願いします」

 

 繰り出された言葉に、先ほどとは少し違う重さがあった。

 答える前に、篠崎結月が「はいはい凛ちゃん」と時津凛華の肩を軽く叩く。

 

 「そろそろ行かないと講義始まるよ」

 

 「あ、そうでした」

 

 時津凛華はさっと立ち上がり、鞄を手に取った。それから、もう一度だけこちらを見る。

 

 「すみません、色々と」

 

 「全然です」

 

 「……また」

 

 時津凛華は短くそれだけ言うと、篠崎結月に背中を押されるようにして出ていった。

 その際「これ持ってくね」と篠崎結月がテーブルの伝票をさっと手に取り、返事を待たずに二人の足音が遠ざかっていく。

 

 残ったのは宮舞天音とこちらの二人だった。

 さっきまでの四人分の気配が一気に抜けて、急に席が広くなった気がした。

 

 「すみません、突然こんなことになってしまって」

 

 「いえ、その、こちらとしては……」

 

 言葉が続かなかった。こちらとしては、何なのか。楽しかったとも言い切れず、困ったとも言い切れない、そういう時間だった。





 

 宮舞天音に問い質すタイミングを見計らっていたが、四人の場ではどうしても切り出すことはできなかった。

 なぜ講義のスケジュールを知っていたのか。アカウントをどこで特定したのか。昨日の喫煙所は偶然だったのか。聞きたいことはまだ全部、喉の奥に仕舞ったままだった。

 

 「今日はもうお開きにしましょうか」

 

 宮舞天音は静かに立ち上がり、上着を手に取った。

 

 アンドロイドの静かなお辞儀に見送られながら外に出ると、空はまだ青かった。

 昼間の強い風は収まっていて、空気だけが冷たく澄んでいた。ただ光の角度がわずかに傾いていて、建物の影が午前中よりずっと長く伸びている。西の空の端だけが、ほんのりと色づき始めていた。

 

 並んで歩き出してから、口を開いた。

 

 「一つ、聞いていいですか」

 

 「どうぞ」

 

 宮舞天音は前を向いたまま、短く返す。

 

 「なぜ俺のことを、そんなに知っているんですか」

 

 少しの沈黙があった、長くはなかったが密度のある間だった。

 

 「……同じ講義を取っている学生ですから」

 

 「それだけじゃ、ないですよね」

 

 宮舞天音は少しだけ足を緩めた。

 

 「気になりますか」

 

 「……当然」

 

 そう返すと、彼女は少しの間黙ったまま前を向いていた。

 やがて、ゆっくりと口を開く。

 

 「貴方と同じ理由ですよ」

 

 宮舞天音は前を向いたまま、静かに微笑んだ。

 

 「……同じ、理由?」

 

 「はい」

 

 言葉が夕風の中に溶けていく。問い返す言葉を探しているうちに、宮舞天音が足を止めた。

 

 道が緩やかに分かれる場所だった。

 

 「また明日、講義一緒に受けましょうね」

 

 振り返った宮舞天音の背後に、色づき始めた西の空があった。

 まだ青の残る空の中で、銀髪が斜めになった光を受けて昏く煌々と輝いて見えた。碧眼がまっすぐにこちらを見ている。その目に捕まえられると、とても断ることなどできなかった。

 

 「……はい、また明日」

 

 「はい、約束ですよ」

 

 宮舞天音は小さく微笑んだ。

 それから踵を返し、歩き出す。長い尻尾がカーディガンの裾から覗き、斜めの光の中をゆったりと揺れていた。

 西の空の色がじわじわと濃くなっていて、地面に伸びた影の端がゆっくりと滲んでいた。

 

 

 













 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ