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3.中庭-柱の裏

 3.中庭-柱の裏

 

 

 『次のコマ、同じでしたよね』

 

 『教室の前で待っています』

 

 とメッセージを打つと、宮舞天音は一度だけ画面を見直し、そのまま送信ボタンを押した。

 その様子を物陰から見ていた。


 いったい自分は何をしているのだろうか思う、本当に。

 

 昨日の空模様とは打って変わって、今日は見事なまでの快晴だった。

 雲一つない青空からは燦燦と日光が降り注ぎ、一足早く春の陽気を感じさせる。

 過ごしやすい天気だが自分の様な日陰者には堪え、柱の裏のベンチに身を任せていた。

 

 ……先日はつい「はい」と頷いてしまった、まるで普通の友人のような約束事をしてしまった。

 今のこの姿を見られたら、一体どう思われることだろうか。

 

 中庭のテラスは昼休みの学生達で散らばっていた。2月ももう終わりの時期だというのに人通りで溢れていた。

 芝生の広場にはいくつかのソファやビーチチェア、パラソル付きのテーブルが点々と配置されており、まるで一等地のレジャー施設のような装いをしている。

 弊学はどこかの魔界貴族も出資する伝統のある学び舎で、このような設備が充実していた。

 だが喫煙者の肩身は狭かった。

 

 行儀よく雑談する生徒達、その中でもひときわ目立つ集団の中に宮舞天音はいた。

 いつも通りの黒のタートルネックに橙色のカーディガンを羽織っている。

 周囲からの視線がちらちらと覗かれていたが、当人たちは一切気にしていないようだった。

 

 「じゃあ私、講義行ってくるね」

 

 「はい」

 

 「いってらー」

 

 快活な声とやる気のない声の返事が聞こえてくる。

 宮舞天音と話していたのは彼女と同じバンドメンバーの二人だった。

 赤茶色の髪を揺らしながら手を振っているのはギター担当の時津凛華、宮舞天音とは対照的に太陽のようによく笑う。

 ドラム担当の篠崎結月はストローを咥えたままぼんやりとスマホの画面を眺めていた。

 二人は午後一番の講義は入っていないらしく、中庭のテラスでのんびりとしている。

 

 柱の陰に名残惜しさを感じながら、講義棟へ向かい始める宮舞天音の後を追い始める。

 ……もう行くしかない、ここまでくれば逃げるほうが不自然だろう。

 立ち上がり、日陰からでるとまた眩暈がした、今日は本当に熱い日差しだ。

 

 

 

 

 

 

 彼女の後方を一定の距離を保ちながら歩く。

 最早癖になっており、自然に足がこの距離を選んでいた。

 

 待ち合わせをしていて、嫌でもこの後鉢合わせることになるというのに、自分から声をかける勇気は持ち合わせていなかった。

 推しと言葉を交わせるということは、恐れ多いという気持ちが半分と、純粋な喜びが半分だった。

 元々接触の少ない応援の仕方をしていた。連絡先の交換に舞い上がってしまったが、流される他に道を見出すこともできなかった。

 

 階段を上るといつもどおりの軋む音が鳴る、踊り場から差し込む日差しが彼女の銀髪を淡く透かしていた。

 なるべく平常心を保ちながら、少し遅れて階段を上る。

 時間が経って思ったことは、もうこんなことは辞めようという決心のはずだったが、長く続いた習慣を今更変えることはできなかった。

 

 階段を上り終えた先には少しもせずに教室にたどり着く。

 宮舞天音は教室の前で足を止めた。

 なんて声をかければよいか、と考える暇もなく、彼女はまっすぐにこちらを振り返る。

 

 碧眼と目があった。

 

 逃げ場のない視線に捕まえられたようで、喉の奥がひくりと鳴る。

 反射的に視線を逸らしそうになったがなんとか堪え、口を開く。

 

 「……お待たせしました」

 

 「全然、私も今来たところです」

 

 宮舞天音は気にした様子もなく、ふっと小さく目を細めた

 柔らかい、落ち着いた声だった。

 人生において、このやり取りをする日が来るとは露にも思えず、今現在も幻覚を見ているのではないかと思う。

 しかし隣から聞こえてくる宮舞天音の声は、普段ステージで聞くものよりも、昨日会話した時よりも、ずっと近くてやけに生々しかった。

 

 彼女は教室の中へ視線を向け、自然な仕草で促す。

 

 「じゃあ、とりあえず座りましょうか」

 

 「はい」

 

 講義室にはすでに大半の学生が集まっていた。ざわめきはあるのに不思議と空気は落ち着いている。席もある程度、毎回のように定位置ができるもので、宮舞天音のいつもの席も当然のように空いていた。

 

 彼女に案内されるまま、後方の窓際に近い席へ並んで座る。背中側には壁際の空気、横には少し冷えた窓の気配があり安心感を感じる。

 

 

 「後ろの方、いつも貴方が座っているあたりにしましょうか」

 

 そう言いながら彼女は椅子を引いた。

 

 「あまり前の方だと、目立ってしまうかもしれませんから」

 

 「……そうですね」

 

 うなずきながら、こちらも鞄を脇に置く。彼女の言葉には妙な気遣いがあった。

 彼女が自分の教科書を取り出すしばらくの間、彼女の手元の動きばかりを見ていた。紙が擦れる音、ペンケースの小さなファスナー音、彼女の整然とした所作はライブの上で見せる姿とは違って見えた。

 

 やがて、宮舞天音がふいに口を開いた。

 

 「……なんだか不思議ですね」

 

 「え?」

 

 思わず聞き返す。彼女は教科書を整えながら、少しだけ視線を落とした。

 

 「ライブハウス以外で会うの、です」

 

 短く相槌を打ちながら、胸の内で言葉の真意を探す。

 だが彼女は特に深い意味もなさそうに続けた。

 

 「大学だと、ファンの人とちゃんと話す機会ってあんまりないので。なんだかまだ実感が湧かなくて」

 

 その言葉にほんの少しだけ安心した。

 少なくとも今の自分は、ファンとして認識されている。それ以上でも、それ以下でもない。いや、そうであってほしい、と願っているのだが。

 余計なことを考えずに済む、暫くはその呼び名の中にひとまず身を置いていられるだろう。

 

 「……そう、ですよね。大学内で会える機会って、あまりないですし」

 

 ぎこちなく返すと、彼女は小さく頷いた。

 

 「それに」

 

 そこで一度言葉を切り、宮舞天音は鞄の中からノートを取り出しながら、こちらをちらりと見た。

 

 

 「ちょっと安心しました」

 

 「安心、ですか?」

 

 「はい」

 

 彼女は小さく頷いた。

 

 「ちゃんと実在したんだなって」

 

 「……はい?」

 

 意味が分からず聞き返す。顔に出ていたせいか、宮舞天音はくすっと小さく笑った。

 

 「ライブだと、照明もありますし」

 

 教科書を開きながら、何でもないことのように続ける。

 

 「後ろの方って結構暗くて、顔ちゃんと見えないんですよね」

 

 「こうして近くで会うと、ああ、本当にいたんだなって思えて」

 

 

 唯の一般論だ。それだけのはずなのに、言葉の端々に妙な温度が混じっている気がした。いや、気のせいだ。考えすぎだと、自分に言い聞かせる。そう結論づけようとしたその瞬間に、講義開始を告げるチャイムが鳴った。

 その音に背中を押されるように、二人とも自然と前を向く

 けれど、さっきまでの会話の余韻はそう簡単には消えそうにはなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 講義が始まってから三十分ほどが経過した頃だった、教授がリモコンを手に取ると、術式の展開図や理論式で埋め尽くされていたスライドが切り替わり、白い画面いっぱいに演習問題が映し出された。

 

「それでは、ここから演習です。他の生徒と相談しながらでも構いませんので、二十分ほど取ります。各自解いてみてください」

 

 教授がそう告げると、厳かだった講義室の空気が少しだけ緩む。

 椅子を引く音やノートを見返す音が重なる、友人同士で履修している学生たちは早々に顔を寄せ合っている。前列では既に問題の解法について話し始めている声が聞こえていた。

 

 そんな中、プリントを手に取った宮舞天音が少しだけ身を寄せてくる。

 

 「これ、解けそうですか?」

 

 問いかけられて、配布された演習プリントに視線を落とす、並んでいる文字列を追っただけで思わずしかめ面になる。

 教授は何かにつけて、これは基本的だ、基礎的な内容だと口にする。けれど自分には到底そうは思えなかった。少なくとも今この場で胸を張って解ける自信はひとかけらもない。

 

 「正直なところ、かなり怪しいです」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔で答える、宮舞天音は「そうですか」と小さく頷いた。その様子はがっかりしたというより、むしろ安心したようにも見えた。

 名目上は講義に出れない宮舞天音をサポートするための時間だったはずだが、元来真面目な生徒ではない自分はその役目をきちんと果たせている自信が全くない。

 講義中は専ら、宮舞天音の後姿を眺めるか、そうでない日はSNSで彼女の動向を検索するだけの日々に落ち着いていた。

 

 宮舞天音は机の上にプリントを広げると、静かにペンを取り上げた。

 

 「……一回、やってみましょうか」

 

 宮舞天音は薄く微笑むと、ペンを手に取り問題に取り組む。

 彼女はごく自然に姿勢を正す。背筋を伸ばし、視線を文字列に落としたその横顔は、先ほどまで会話していたときの柔らかさとは少し違っていて真剣だった。

 

 昨日まで、遠く離れた席に座っていた彼女が数メートルもない真横に座っていることに現実味がなく、彼女に倣い、姿勢を伸ばして問題に取り組んでみるも全く集中が続かない。

 ノートを見返しながら頭を捻ってみると、解けないこともない、といったところだった。数行進めてはノートと資料を見返し術式の解読を進める。

 

 耳の意識だけを彼女のほうへ向けると、宮舞天音は淀みなく解き進めているようだった。ペン先が紙を滑る音が一定のリズムで静かに続いている。迷いなく進むその手つきに、やはり自分とは出来が違うのだと妙に納得してしまう。

 

 手が止まったところでちらりと彼女の方を見てみると、再び碧眼と目が合う。

 

 彼女はこちらの動揺を気にした様子もなく、ペンをそっと置くと、にこりと笑った。

 

 「どこまで分かりますか?」

 

 どこまでも柔らかな声だった。

 問いかけそのものは何気ないのに、なぜか妙に距離を縮められた気がして、返事をするまでのわずかな沈黙がやけに長く感じられた。

 

 「ええと、最後の式変形までは、なんとか」

 

 「なるほど」

 

 宮舞天音はこちらの答案を眺めしばらく黙って眺めていたが、やがて彼女のノートをこちらへ向けた。

 

 「ここですね」

 

 細い指先が赤字で示された公式を指さす。

 

 「詰まっているのはこの変換の部分ですよね」

 

 「あー。多分それです」

 

 「なら、一緒に見てみましょうか」

 

 そう言って、宮舞天音は当然のように身を乗り出した。近づいたことで、髪の先がわずかに肩へ触れそうになる。その気配で思考が一拍遅れる。

 

 「この条件式を先に整理して、そこから代入すると……」

 

 彼女は丁寧に順序を追って説明してくれる。声は落ち着いていて、聞いているだけで問題の形が少しずつほどけていくようだった。自分では見落としていた箇所も、彼女が指摘すると不思議なくらいすんなり理解できた。

 そのまま二人でプリントに目を落とし、問題の続きへと取りかかる。さっきまでの緊張が少しだけ和らいで、同じ紙面を覗き込んでいるという事実だけが、静かに胸を満たしていた。

 

 演習プリントに向き合う宮舞天音の横顔を見ていると、先ほどまでの会話が不意に遠のいていくようだった。

 問題文を追う目は真剣で、手元の動きには無駄がない。ペンを持つ指先にまで、迷いの少なさが滲んでいる。さっきまでの柔らかな受け答えからは想像しづらいほど、彼女は几帳面で、そして実直だった。

 

 ……その様子を眺めながら、こちらは内心でため息をつく。

 

 あまりにも当たり前のことのようでいて、こうして隣で見ると、改めて実感してしまう。ステージの上で見せる華やかさや、画面越しに知っていた印象だけでは掴みきれない、もっと地に足のついた性質。こうして同じ講義を受けていること自体、彼女にとってはごく自然なことなのだろう。

 

 では自分はどうなのかと、ふとそんな考えが頭をよぎった。

 

 そもそも、彼女と一緒に講義を受ける必要は本当にあったのだろうか。少なくとも自分には、最初から最後までその答えが曖昧だった。サポートのつもりだったのに、実際には役に立っている実感がほとんどない。むしろ、隣に座っているだけで落ち着かなくなっている分、足を引っ張っていると言われても反論できない。

 

 そんなことを考えているうちに、宮舞天音がペンを置いた。

 

 「……できました」

 

 その一言に顔を上げる。

 

 彼女はさらりとプリントを裏返し、書き込んだノートをこちらへ少しだけ向けた。そこには、こちらがまだ半分も埋められていない問題の解答が、すっきりと整理された形で並んでいた。式の展開も、条件整理も、結論までの流れも、まるで最初からそこに答えが印刷されていたかのように整っている。

 

 「……全部、合ってるんじゃないですか? これ」

 

 思わず呟くと、宮舞天音は小さく首を傾げた。

 

 「たぶん、大丈夫だと思います。講義で触れた範囲を、そのまま少し整理しただけなので」

 

 少し整理しただけ、と言うには、あまりにも綺麗なノートだった。

 

 「……すごいですね」

 

 素直にそう言うと、彼女はほんのわずかに目を伏せたあと、控えめに笑った。

 

 「ちょっと張り切ったので」

 

 「張り切った、ですか」

 

 「はい。ちょっとだけですよ」

 

 そう言って笑う表情は、どこか照れたようでいて、それでもどこか誇らしげだった。たいしたことではないと自分に言い聞かせているような、あるいは、褒められるほどではないと慎ましく受け流そうとしているような、そんな温度だった

 

 その笑みに、こちらは逆に言葉を失う。

 

 彼女は視線を少しだけ外し、机の上でノートを揃えながら続けた。

 

 「……苦手だとおっしゃっていたので」

 

 「え?」

 

 「だから、少しでも分かりやすいほうがいいかなと思って。貴方に見てもらうときに、すぐ追えるようにしてみました」

 

 淡々とした説明だった。けれどこちらはその内容を理解できずにいた。

 

 少なくとも、はっきりと言葉にした覚えはなかった。いや、そもそも、彼女に自分の不得手なことを詳しく話したことなど、ただの一度でもあっただろうか。頭の中を探っても曖昧な断片しか出てこない。いつそんな話をしただろうか。どこで、どういう流れで、そんな情報が彼女のもとに届いたのか。

 

 その困惑がそのまま顔に出ていたらしい。

 宮舞天音は、こちらの様子を見て、少しだけ首を傾げた。

 

 「……違いましたか?」

 

 「い、いえ、違うというか……」

 

 口を紡ぎ、言い淀む。

 

 自分の方こそ何を言えばいいのか分からない。苦手だと伝えた覚えがないのに、彼女はそれを前提にノートを仕上げたと言う。十分に胸のあたりがざわついていた。

 

 そのとき、宮舞天音は「あ」と小さく声を漏らした。

 

 「ほら、これです」

 

 そう言って、机の下からスマートフォンを取り出す。

 

 彼女の細い指が画面を起こし、こちらに向けたそこには見慣れたSNSの画面が写っていた、ブックマーク欄の中に他でもない自分のアカウントのツイートが表示されている。

 

 ……視界に入った瞬間、見るべきではなかったと後悔した。

 

 そのアカウントは間違いなく自分のものだった。ただ問題なのはそのアカウントの持ち主は、自分自身につながる情報を一つも投稿していない自負があったということだった。

 確かに講義に関する投稿をすることはある。日常のちょっとした投稿もする。だがそれもかなり濁している。

 ……彼女のブックマーク欄にはそんな俺のツイートがびっしりと並んでいた。

 

 宮舞天音は、そんなこちらの様子に気づいているのかいないのか、首をかしげたまま小さく眉を寄せる。

 

 「……? このアカウントは、貴方のものですよね?」

 

 問いかけはあくまで静かで淡々としていて、ただの事実を述べているようだった。だからこそ逃げ場がなかった。

 

 「それはそう、ですけど……」

 

 ようやく絞り出した声は情けないほど弱々しかった。

 認めるしかない。画面の中のアカウント名も、アイコンも、投稿内容も、間違いなく自分のものだった。だが、だからといって彼女がそれを当たり前のようにブックマークしている理由が全く分からなかった。

 

 宮舞天音は、こちらの反応を見てようやく何かを察したのか、わずかに目を見開いた。

 

 「……あ」

 

 その短い声のあと、まるで親に怒られることを怖がる幼子のように視線を逸らす。

 

 「もしかして、あまり見られたくないもの、でしたか」

 

 「い、いえ、そういうわけでは」

 

 否定はしたものの、言葉が続かない。続けようとしても、喉の奥が妙に乾いていて、うまく音にならなかった。

 

 宮舞天音はそれをひどく気にした様子で、どこか申し訳なさそうに小さく笑った。

 

 「前に、授業が少し難しいって投稿されていたので。念のため、ブックマークしておいたんです」

 

 「……念のため?」

 

 「はい。どこが苦手なのか分かったほうが、説明しやすいかなと思って」

 

 彼女はそう言いながら画面をこちらに向けたままにしていたので、ブックマーク欄に並ぶ自分のツイートを改めて眺める羽目になった。

 

 講義に関するもの、食堂のメニューへの文句、深夜に投稿した他愛のない独り言。どれもこれもが一つ一つは取るに足らない内容だったが、知らないうちに彼女の手元に積みあがっていたということになる。

 

 何か言わなければと思っていると、宮舞天音の持つスマートフォンの画面上部に、細い通知バーが滑り込んできた。

 

  結月 ─ てかとなり座れた?笑

 

 メッセージアプリのアイコン。

 送信者の名前と、文面の頭だけが表示される。

 

 一瞬のうちに宮舞天音の指が素早く画面を叩き、通知が消える。

 何も言い出せない沈黙があった。

 

 宮舞天音はスマートフォンをゆっくりと伏せる。

 それから、何事もなかったような顔でこちらを見た。

 

 「……見ました?」

 

 「いや」

 

 反射的に否定する。

 

 宮舞天音はこちらを見ずに、小さく笑った。

 

 「ならいいです」

 

 …………結月。おそらく先ほどまで一緒にいた二人の内の片方、篠崎結月だろう。

 一緒に講義を受けることまで既に話していたのだろうか。

 

 胃がきりきりと音を立てていた、これ以上深く考えたくもなかった。

 願いが通じたのか、教授がマイクを手に取る。

 

 「はい、そこまでで解説を始めます」

 

 宮舞天音の答案に間違いはなく、やがて鐘がなりつつがなく講義は終わった。




 

 椅子を引く音や鞄を持つ音、がやがやと談笑する生徒の声にあふれ、教室の空気が一気に解れる。

 窓の外では午後の日差しが傾き始めており、教室を出る生徒たちの背を逆光が差していた。

 

「今日の講義はこれで終わり、ですよね?」

 

 隣から声がかかる。宮舞天音はノートを閉じながら、こちらへ顔を向けていた。

 

「何か予定はありますか?」

 

 特にはない。

 普段ならここで宮舞天音を後ろから見送り、サークル棟へ向かう背中が廊下の角に消えるのを見届けてから、図書館へ向かう。時間を潰して、人通りの落ち着いた頃合いに帰る。それだけの夕方だ。

 

「よければ今から、お茶でも……どうですか?」

 

 宮舞天音は鞄の持ち手を握り直しながら、わずかに首を傾けた。

 問いかけの声はいつも通り落ち着いていたが、その目が少しだけ期待しているような色をしていた。

 

 宮舞天音に問いただしたいことがあった。

 

 なぜ俺の講義のスケジュールを知っているのか

 なぜアカウントを特定できたのか……大量のブックマークも

 なぜ昨日、あの喫煙所に現れたのか

 

 聞きたいことは山ほどあったが、だがそれを並べれば並べるほど、問い返せる程の立場にない自分自身のことを思い返し、言葉を出せなかった。

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