表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/14

2.卒煙支援ブース-室内

 2.卒煙支援ブース-室内

 

 

 

 かちりとライターに火をつけ、煙草の先に近づける。

 じりじりと音が鳴り、紙が赤く光る。

 息を吸い、空気の通り道にある火に酸素が供給されて一層強く光る。

 雨で少し湿っていたが、その分味がしっとりと強く感じられた。

 

 隣を見ると、同じように宮舞天音が煙草に火をつけていた。

 流行りの蛍光色のライターに、ピース。俺のよく吸う銘柄と同じだ。

 銀色の長い睫毛がぱちぱちと瞬いているのを覗いていると、じっと目が合ってしまった。

 

 「ライブ、よく来てくれていますよね」

 

 目線はそのままに宮舞天音が問いかけてくるので、心臓が嫌な跳ね方をした。

 まさか顔を覚えられているとは露にも思わなかった。

 

 「ファンなんですよ」

 

 本当になんでもないかのように返答したが、胸が高鳴る。

 声を交わすことはこれが初めてという訳ではない。ライブ後の物販などで一言二言交わすことはあった。だが、こうして二人きりになるなんて予想すらしていなかった。

 

 「いつもありがとうございます」

 

 鼓動がまた一段と激しくなる。

 推しとの遭遇だ、緊張もするだろう。

 

 なにか話しかけるべきだろうか、煙草の煤を落としながら考える。

 少しの間沈黙が場を支配したが、口火を切ったのは宮舞天音だった。

 

 「……雨、強くなりそうですね」

 

 「あー、そうですね」

 

 窓の外を見ると、雨脚が少し強くなっているのが分かる。

 壁の隙間から雨水が滲みており、少し肌寒い。

 

 「その、助かりました」

 

 なんとか口に出す。

 平静を装ったつもりだったが、声は少し裏返っていた

 

 宮舞天音はそんなこちらを見て、微笑みながら小さく首をかしげる。

 

 「……何がですか?」

 

 「傘です、濡れるところだったので」

 

 「ああ」

 

 彼女は納得したように頷くと、手に持っていた傘をくるりと回した。

 

 「困った時はお互い様ですよ」

 

 宮舞天音はにこりと微笑んだ。

 

 「大切なファンの方に、風邪をひいてほしくありませんから」

 

 余りにも眩しい笑顔だった。

 自分だけに向けられた微笑みに、思わず頬が熱くなる。

 

 雨音は先ほどよりもいっそう強くなっていた。

 雨粒が薄い屋根をたたく音が、一定のリズムを奏でている。

 

 湿った空気の中、彼女の香水だろうか、甘く落ち着いた香りが微かに漂っていた。

 煙草の匂いに混ざってなお分かるぐらいには近い。

 

 「でも、少し驚きでした」

 

 「え?」

 

 「こういうの、慣れてなさそうだったので」

 

 図星だった。

 そもそも女性と並んで歩くこと自体身内を除いて殆どない。

 ましてや推しと同じ傘に入るなど。

 

 「……まあ、はい」

 

 宮舞天音はどこか楽しそうに目を細める。 

 

 「相合傘、しちゃいましたね」

 

 さらりと自然に言われてしまう。

 一瞬思考が止まった、相合傘か。

 単語として認識した瞬間、耳まで熱くなるような、相反して底冷えするような恐ろしさを感じた。

 

 「いや、その、あれは……」

 

 「ふふ」

 

 知る限り珍しく、彼女が声を漏らして笑った。

 

 「冗談ですよ」

 

 そう言いながらも、少しだけこちらへ身体を寄せる。

 肩が触れるか触れないか。

 種族差も相まって不自然な距離で、まともに呼吸ができなくなった。

 

 「私、初めてですよ」

 

 「……何がですか」

 

 恐る恐る聞き返す。

 

 「男性の方との相合傘」

 

 しとしとと降る雨音の中。

 彼女は前を向いたまま、ぽつりとそう言った。

 

 冗談なのか、本気なのかわからない声色だった。

 

 「……意外ですね」

 

 やっとそれだけ返す。

 

 宮舞天音は、少しだけ考えるようにして視線を上げた。

 

 「そうですか?」

 

 「宮舞さんはその、……人気がありますし」

 

 「ふーん」

 

 興味深そうに返事をしながら、彼女はこちらを見る。

 宝石のような碧色の瞳がこちらを覗く。

 煙草の煙を反射しているせいか、少し澱んで見えたのは気のせいか。

 

 「じゃあ、貴方はどうなんですか?」

 

 「はい?」

 

 「相合傘、今まで一度もしたことなかったんですか?」

 

 「全然ですよ」

 

 即答だった。

 宮舞天音はまた小さく笑い、狐耳が嬉しそうにぴこ、と揺れた。

 

 「なんだか安心しました」

 

 「安心……?」 

 

 「はい」

 

 彼女はそう言うと、満足そうに微笑むだけだった。

 

 

 

 

 

 雨脚はさらに強くなっていた。

 薄いプレハブの屋根を叩く音が、喫煙ブース全体を細かく震わせている。

 外は灰色に煙っていて、人影もない。

 大学構内とは思えないほど静かだった。

 

 宮舞天音は傘を壁際に立てかけると、煙草をもう一度咥え直した。

 

 長い指先でライターを弾くと、かちり、と乾いた音が鳴る。

 オレンジ色の火が一瞬だけ彼女の横顔を照らした。

 

 伏せられた銀色の睫毛は雨に湿ったせいか僅かに束になっており、小さな影を白い頬へ落としていた。

 ライブハウスの照明越しでは分からなかった細かな質感まで、今では手を伸ばせば届きそうな距離で見えてしまいそうだった。

 

 慣れた手つきで煙を口へ運び、煙草の熱のせいか頬の辺りだけがほんのりと赤く染まっている。

 蛍光灯に照らされた姿は驚くほど白く幻想的で、アンティークの陶磁器の様な印象を受ける。

 

 いつもライブのステージで見る活動的な彼女とは違う、静的で、温度が低い仕草だった。

 じり、と煙草の先端が赤く灯り、彼女が息を吸うたびにその火が小さく明滅した。

 

 「……宮舞さんも煙草、吸うんですね」

 

 知らない情報だった。

 

 今まで喫煙所で彼女を見かけたことはなかった。

 SNSにも、それらしい気配は一切ない。

 酒の写真は時々上がるが、煙草だけは見たことがない。

 宮舞天音は細く煙を吐き出しながら、小さく頷いた。

 

 「最近吸い始めたんです」

 

 紫煙が銀髪の隙間をゆっくり漂っていく。

 宮舞天音がこちらをちらりと覗いてからぽつりと呟く。

 

 「その、人の……影響で」

 


 

 誰だ、と真っ先に思い悩んだ。

 

 彼女はもちろん、彼女のバンドメンバーも、友好関係の深い人物の誰も喫煙者ではなかったはずだ。少なくとも自分の知る範囲では。

 

 軽音サークルのメンバーか、交流のある他バンドか、よく写真に写る友人か、

 そこまで考えて、自身の思考のあまりの醜悪さに気づくが、止まることはなかった。

 

 彼氏、だったりするのだろうか。

 今まで意識して考えないようにしてきたことだ。

 

 当然のことだ、寧ろ居ないほうが不自然ではある。

 だがいつも彼女の近くをうろついている限りでは、誰か特定の男と親密そうにしている姿を見たことはない。……見えていなかっただけかもしれないが。

 

 息を吸い、受容体に脳を預ける感覚に浸る。

 宮舞天音との邂逅は本来なら喜ばしいことだが、気分は憂鬱だった。

 

 はっきりとファンだと認識されていたことが分かった以上、これまで通りの過ごし方とは行かないだろう。

 取ってしまった講義はともかく、休み時間や休日の身の振る舞い方を考える必要がある。

 

 万が一にでもストーキングを見咎められ、ライブにも出禁となるのが最悪だ。

 それももう手遅れなのかもしれないのだが……。

 

 どうして宮舞天音がただのファンに語り掛けてくるだろうか? 

 身に覚えのある理由は後ろ暗いものしか持ち合わせていなかった。

 

 自然と目をそらしてしまった自分とは反対に、宮舞天音の視線はこちらを覗いていた。

 ジーっと音を立てる換気扇に、二人の呼吸の音と、雨の音色が聞こえてくる。

 真横の、自分の少し頭上から、宮舞天音の視線が降り注いでいるのがはっきりと感じられた。

 

 煙草の先端がじり、と赤く灯る。

 狭い喫煙ブースの中では逃げ場がないように感じ、妙に落ち着かなかった。

 

 認識されていたという事実が、今さらじわじわと重くのしかかってくる。

 考えれば考えるほど胃が痛くなる。

 

 

 

 

 

 じっと観察されているような感覚を覚えていると、宮舞天音が口を開いた。

 

 「……同じ講義、でしたよね」

 

 「ほら、さっきの社会魔術倫理」

 

 「あー……はい」

 

 平静を装う。確信を持てていなかったが、彼女は本当に自分の事を知っているらしい。

 宮舞天音は煙を細く吐き出しながら、目線を外して続けた。

 

 「他にも色々、被っていますよね」

 

 どくり、と嫌な音が胸の奥で鳴る。

 

 「現代魔術理論とか、幻想生物学概論とか」

 

 つらつらと名前が挙がるたびに胃が縮む。

 その全てが全部、彼女を追って選んだ講義だった。

 

 偶然と、そう言い張れる範囲だと思っていたが。

 本人の口から並べられると急に、訳が変わってくるように思う。

 

 「まあ、学部同じですし」

 

 苦し紛れに返す。

 

 「そうですね」

 

 宮舞天音はあっさりと頷いた。

 

 否定も、深掘りもせずに、宮舞天音はただ佇んでいた。

 そのことが逆に落ち着かなかった、何かが起こるという直感だけが冴えていた。本能が今すぐ逃げろと叫んでいた。

 

 彼女の細い指先が煙草を灰皿へ軽く打ち付けると、白い灰が崩れ落ちる。

 彼女は意を決したように顔を上げた。

 

 「私って、バンドしてるじゃないですか」

 

 「はい」

 

 「最近、結構忙しくて」

 

 少し困ったように笑う。

 

 「講義、たまに出れなかったりするんですよね」

 

 知っている話だった。

 ライブ前後やレコーディング期間になると、彼女の出席率は目に見えて下がる。

 SNSの投稿時間やサークル棟の出入りから、なんとなく把握していた。

 

 「だから、その」

 

 宮舞天音は言葉を選ぶように視線を落とす。

 

 長い銀の睫毛が伏せられる。

 濡れた髪先が肩口に張り付いていた。

 

 「貴方さえよければ……なんですけど」

 

 「一緒に講義受けたりとか、しませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 「……はい?」

 

 間抜けな声だ

 

 予想していた最悪とは程遠い話だった。

 

 通報だのなんだのと、そういう話になるのだとばかり思っていた。

 当の宮舞天音はどこかぎこちなさそうにしている。

 

 「いえ、その、無理にという話ではないんです」

 

 少し早口になる。

 珍しく焦ったような声音だった。

 

 「ノートとか、課題とか、たまに分からなくなる時があって……」

 

 「いや、全然」

 

 口に出してすぐにしまったかもしれないと思ったが、考えるよりも先に反射的に答えてしまった。

 吐き出した言葉は飲み込めず、開いた口も止まらなかった。

 

 「力になれるなら」

 

 宮舞天音はぱっと顔を上げた。

 

 「……本当ですか?」

 

 その声音は本当に嬉しそうだった。

 

 「ありがとうございます、じゃあ!」

 

 彼女はコートのポケットからスマートフォンを取り出す。

 白いケースには見覚えがあった。

 彼女がSNSに上げていた鏡越しの写真に映っていたものと同じだ。

 

 「連絡先、交換しましょうか」

 

 震えそうになる手をどうにか抑えながらスマホを取り出す。

 QRコードを表示するだけなのに、指が思うように動かない。

 スマホをかざすと、読み取り音が鳴った。

 たったそれだけのことで、まるでとんでもないような、取り返しのつかないことをしたかのような錯覚に陥る。




 

 

 『宮舞天音』 

 

 と表示された名前を見て血の気が引く、くらくらと眩暈がした。

 

 「送りますね」

 

 その直後にキャッチーな通知音が鳴る。

 

 『よろしくお願いします』

 

 シンプルなメッセージの後に、狐のスタンプが送られてきた。

 スタンプを返すと『OK!』と表示されるが、全くそんなことは無かった。

 

 「……テスト範囲とか、そんなのであれば、いくらでも力になるので」

 

 「助かります」

 

 妙に喉が乾いていた。

 煙草を吸って深呼吸をしているのに、全く落ち着きがない。

 むしろニコチンのせいで余計に脈拍が速くなっている気がした。

 

 宮舞天音はそんなこちらをじっと見ている、表情が柔らかい。

 狐耳がぴくりと揺れた。

 

 外では雨音がさらに強くなっていて、本格的に降り始めていた。

 風に煽られた雨粒が薄い壁を叩き、冷たい空気が足元に入り込んでくる。

 

 ……時間を確認すると、バイトの時間までそこまで余裕もなく、それにこれ以上ここにいると本当に心臓が持たない気がしていた。

 

 「それじゃあ、俺はその、そろそろ時間なので……」

 

 煙草の火を押し潰し、鞄を手に取った。

 

 「……また連絡します」

 

 立ち去ろうとすると、宮舞天音は僅かに目を見開いた。

 

 「え、あ、ちょっと待ってください」

 

 焦ったような声音に、思わず足を止める。

 宮舞天音は何か言い淀むように視線を揺らした。

 

 「…………あの」

 

 「……貴方は、何か悩み事とか、あったりしませんか?」

 

 「悩み事、ですか」

 

 こくりと宮舞天音がうなずく。

 悩み事、悩み事か。強いて言うならば今この状況が一番の悩みではあるのだが。

 

 「何でもいいんです、私に力になれることがあれば」

 

 「……特にはない、ですけど」

 

 自身の頭上をみれば間違いなくクエスチョンマークが浮かんでいるだろう。それ程には彼女の問いかけは不可解だった。

 

 「何でもいいですよ」

 

 圧を感じた。この至近距離だと、より一層彼女との存在感を感じる。

 

 「……まあ金がないとか、チケットが取れない、とかですかね」

 

 半分冗談ではあるが、これは事実だった。

 一目見て好きになったあの日から可能な限りのすべてのライブに足を運んでいたが、最近は人気が爆発しチケット戦争が熾烈化、先月から今日に至るまではライブへ行くことができなかった。

 宮舞天音の表情を窺ってみると、納得は得られていないようだった。

 

 「……なにかトラブルに巻き込まれていたりとかは?」

 

 「ないですよ、そんなのは」

 

 平凡な人生である

 

 「ならよかったです。最近ライブに来てくれていなかったので」

 

 「少し心配になって」

 

 こちらとしては少しどころではない気まずさを感じていた。

 真っ当なファンではないという自覚があるというのに、こんな心配を受け取れる資格があるのだろうか

 

 「良ければこれ、受け取ってください」

 

 「絶対来てくださいね?」

 

 そう言って差し出されたチケットは、まだ印刷の匂いが残っていそうなほど新しい物だった。

 黒を基調としたデザインの中央に、彼女たちのバンドロゴが銀箔で押されている。

 

 「……これ、かなり良いチケットじゃ」

 

 「用意してもらいました」

 

 それがどれほど特別なものなのか想像もできない、普通目にすることもない、自分には余りにも縁のないアイテムだった。

 喉が急速に、からからと乾いていくのを感じた、うまく声が出せず、雨の湿気で咽そうになる。

 

 「いやでもこれ、貰っていいんですか?」

 

 「はい」

 

 即答だった。

 

 「いつも来てくれてますから、いいんです」

 

 「お世話になっていますから」

 

 理解不能という言葉で頭の中が埋め尽くされる。

 宮舞天音はそんな俺を静かに見下ろしていた。

 

 「来て、くれますよね?」

 

 念を押すような声音だった。

 断れるわけがなく、断る理由も存在しないように錯覚した。

 

 「…………行きます」

 

 「よかった」

 

 今度の笑みは今日のどの表情よりも柔らかかったが、その笑顔を見た瞬間に背筋に寒気が走ったような気がした。

 

 「じゃあ、また連絡しますね」

 

 宮舞天音はそう言って微笑み、傘を手に取る。

 

 「またしましょうか、相合傘」

 

 「……ほんの数メートルですよ」

 

 彼女は悪戯な眼をする。上機嫌なのか尻尾が揺れていた。

 卒煙支援ブースから校舎までほんの数メートル、だが雨が止む気配はまだ見えなかった。

 

 少しの距離を一緒に歩いた。横に並び立って歩くと彼女の長身がはっきり認識できる。

 

 「講義のこととか、色々、お願いしますね」

 

 「はい」

 

 返事をした声は、自分でも分かるくらい掠れていた。

 

 彼女は小さく会釈すると、そのまま雨の中へ歩き出す。

 長い尻尾がコートの裾から覗き、濡れたアスファルトの上をゆったりと揺れているのを見送った。

 

 アルバイト先の講義棟の地下へと歩く途中、ポケットの中のスマートフォンが小さく震えた。

 メッセージアプリの通知が赤く灯り、恐る恐る画面を開く。

 

 『これでいつでも連絡できますね』

 

 宮舞天音からだった。

 その一文の下には、笑顔の狐のスタンプ。

 そして続けて送られてきたメッセージを見る。

 

 『アルバイト、頑張ってください』

 

 元気が湧いてくると同時に、どうしたものかと陰鬱な悩みが尽きなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ