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1.真溟館第3大講義室-最後列



 最近視線を感じることがある。気のせいなのはわかっている。

 

 夜の11号棟、地下二階。大学でも比較的新しい校舎を歩いていると、妙な気配を感じた。

 他にも、図書棟で講義をサボっている時や、バイト終わりの誰もいない廊下を一人で歩いている時。

 外出して飲みに行った時や、家の中の風呂場でさえも。

 

 物も最近失くしていることが多い、些細なものだが。

 でも全て気のせいだろう。

 これは俺にやましい気持ちがあるから。

 結論から言うと、俺がストーカーだからだ。











 1.真溟館第3大講義室-最後列




 広い教室は段々状になっており、これまた巨大な黒板の前で若い教授が教鞭をとっている。

 熱心な教授の話を聞き流しつつ、数百人程度は入りそうな広い講義室の中の最後列で講義を受けていた。

 理由はもちろん、彼女を視界に留めながら講義を受けるという幸せを享受するためだ。

 単純な話だった、俺には推しがいて、その推しを後ろから見ていた。

 

 定期的に誰かの欠伸や、居眠り声が聞こえてくる午後の教室の中でも、彼女は凛と姿勢を正して板書を取っていた。

 長い銀髪をポニーテールにまとめ、その頭上には狐耳が生えていた。人で言うところの尾骶骨の位置からは四本の大きな尻尾が見える。

 

 弊学はこのような生徒でも快適に講義を受けられるように教室に工夫がなされている。尻尾がデカくて後ろから前が見えないようなことが無いように……等々。

 

 彼女も確か身長180cm近いが、それで教室前方にいても問題が無いようになっている。2m台以上に乗る巨人種や蛇人にもなるとそうはいかないが。

 黒のタートルネックを好んで着用しており、縁の薄い眼鏡の奥にはきらめくような碧眼が今日も輝いていることだろう。

 

 彼女の名前は宮舞天音(みやまいあまね)、所属サークルは軽音、学内屈指の有名人の一人だ。

 

 

 

 

 すらりとした長身に切り揃えられた前髪、凛とした目つきをしている。

 担当はベース、リードボーカル。彼女の所属しているバンドは急上昇中、近頃はメジャーデビューも待ったなしと噂されている。

 扱う曲はオルタナティブロックで、先日のライブも満員御礼だった。チケット完売につき入場も叶わなかった。

 メンバーも仲の良い幼馴染で構成されており、半ばアイドルのような扱い。

 そして絶世の美人だ。

 

 俺自身はなんてことはない、彼女と同じ空間にいられる喜びに震えつつ、ファンクラブに入ったりして推しているファンの一人だ。

 

 きっかけは単純な話だった。

 よくある文化祭のメインステージで歌う彼女を見て一目ぼれしたというだけの話。

 学祭のTwitterを見れば軽音サークルのアカウントにつながり、サークルのアカウントから彼女の所属するバンドのアカウントにつながり、そこから彼女個人のアカウントにつながった。

 最初は一方的にいいねを飛ばすだけだったが、今では中毒患者のようなもので。

 俺のアカウントは同じ大学ということはわかっても個人に特定されるような情報は載せていないし、彼女もそれなりの人気があるので、有象無象のファンの一人として認識されていることだろう。

 

 ライブには可能な限り通い詰めた。これはシンプルに自分の好きな曲のジャンルだったという話でもある。最終的にはTwitterの動向から昼食の時間帯や場所を割り出し、同じメニューを頼んでみるなど……

 

 講義も、彼女が取る可能性の高いものを選んで取っている。

 ただ一つ言い訳をするとすれば、俺は限りなく無害であろうとしていること。

 

 家まで押しかけたり、得体の知れないプレゼントを贈ったり等、そういった直接迷惑をかけることは一切しない。

 あくまでも近くにいるだけで、彼女の存在を視界の一遍に捉えられさえすればそれで充分だ。

 話しかけるなどもってのほか、ストーカーの存在など知られるべきではない。

 

 

 

 

 

 古い鐘のチャイムの音が鳴り、講義が終わる。

 彼女が席を立つのを見てから、ゆっくりとレジュメなんかを片付けて席を立つ。

 来週は小テストだと先生が言う、これが毎週の事だった。

 

 ぐっと背伸びをした、今日の講義はこれで終わりだ、残るは教授からのアルバイトが一件だけ。

 教室から大半の生徒が出たぐらいのタイミングで席を立つ。

 なるべく彼女の視界には入らないようにしている。あくまでも偶然を装う。

 ストーキングはしているが、あからさまに後ろは着けない。

 

 偶然同じ講義だったり、偶然昼食の時間と場所が被っていたりするだけだ。本音を言えば、写真など幾らでも撮りたいがぐっと堪えている。

 万が一それを誰かに咎められでもすれば、一番迷惑を被るのは彼女なのだ。

 

 



 

 

 ぎしぎしとなる木造の階段を下って、一階に降りて北に向かう。

 

 冷たい廊下はどこか湿っていて、水にぬれた靴の跡が点々としていた。彼女に夢中で気が付かなかったが、ドアを抜けて外に出ようとすると予報にない雨がぽつぽつと降り始めている。

 

 北の出口から、目と鼻の先の距離に目的の建物があった。

 今立っている扉から外を挟んで数メートル先、見た目は安っぽいプレハブ風であり、周辺は雑草だらけで手入れがされていない。さらによく見ると紫や黄色の薬草がまだらに生えているのは薬学部による無断栽培だろう。

 

 建物は小さく、縦長だ。横に狭い。

 一階建ての平屋、というと聞こえがよすぎるだろう。中を覗いてみると腰より少し高い程度のテーブルのような物と、その上に何やら大型の機械が小さな音を立てている。

 それ以外にはベンチも何もなく、そもそもが人ひとりすれ違えるかどうかの幅しかなかった。

 

 名を卒煙支援ブースと呼んだ。

 

 小綺麗だが寂れた小屋だ。

 夏は蒸し暑く、冬は木枯らしが吹き荒ぶ、どうしようもない無常を感じさせる建物だった。

 

 講義棟の真横、学区内の最果ての喫煙所がここだ。

 天気は雨、喫煙所まで外を挟んで数メートル。傘はない。

 電気は消えていて、中に人がいる様子はなかった。

 もともとこの喫煙所は狭く、隙間風が吹き、ベンチも無ければ自販機もないのでたいへん不人気だった。時刻も微妙である。よっぽどの物好きか、人間強度を気にする偏屈でなければ存在を知ることもない。俺は後者だった。

 

 濡れてもいいかと心をよぎったが、一応まだ2月である。

 三寒四温であり、今は寒い。エアコンどころかヒーターすらない小屋で、煙草の為だけに濡鼠になるのは少し気が引けた。

 

 悩みどころであった。

 後少しもすればバイトの時間なので、仕事前にゆっくりとする時間があってもよかった。とはいえしかし、モラトリアムにかかるストレスですっかりニコチン中毒者になってしまった。

 

 うーんうーんと悩んでいると、後ろから声がかかった。

 

 「行かないんですか?」

 

 はい?と後ろを振り向いてみると、銀髪狐耳タートルネックにダッフルコート、おまけに眼鏡をかけた宮舞天音が傘を胸元で揺らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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