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三千界戦:起源  作者: 天上天下天地無双刀
1章 無極城編
31/35

第31話 選択の果て

  ちょうはくの瞳が、激しく揺れる。


 断ち落とされた ちょうえんの右手――

 それが、何かを決定的に壊した。


 呼吸が乱れる。

 喉の奥から、嗚咽が漏れた。


 涙が、雨に混じって溢れ落ちる。

 視界が滲む。


「やめて……」

 かすれた声。


「お願い……やめて……」

 雨音にほとんど掻き消される。


「何でもするから……」

「お願い……助けて……」


 額を、打ちつける。

 濡れた刑台の石に。


 一度。

 もう一度。

 何度も。


 雨が跳ねる。

 すぐに血が滲んだ。


 それでも――止まらない。


 痛みなど、もう届いていない。


「お願い……」

「お願い……」

「お願いだから……!」


 えんは、玉座に座ったまま、それを見ていた。

 静かに。じっと。


 やがて、口元がわずかに歪む。


「……いいな」


 小さく呟く。


 手を、ゆっくりと上げた。


「そいつの拘束を外せ」


 兵たちは、一瞬だけ動きを止めた。

 だが、躊躇はない。


 すぐに前へ出て、拘束を解く。


 鎖が外れ――

 鉄の音を立てて、地面に落ちた。


 その瞬間。


  ちょうはくの身体から、力が抜ける。


 一瞬だけ止まり――

 次の瞬間、崩れるように額を石へ叩きつけた。


 何度も。

 何度も。


 鈍い音。

 血と雨が混ざり合う。


「ありがとうございます……!」

えん様……ありがとうございます……!!」


 声が震えている。


 よろめきながら立ち上がり、 ちょうえんへ駆け寄る。

 震える手で、その身体を抱き起こす。


 断たれた手首から溢れる血が、彼女の袖を、指を、胸元を染めていく。


 雨の中、その赤だけがやけに鮮やかだった。

 まるで狂ったように咲いた赤い花。


「大丈夫……?」

「大丈夫……?」


 もはや言葉になっていない。


  ちょうえん蒼白はくな顔で息をつく。

 今にも途切れそうな呼吸。


 それでも――

 わずかに口元を持ち上げた。


「――カラン」


 短刀が、一振り投げ落とされる。


 刃が雨を切り、地面に落ちる。

 回転し、止まる。


 その静けさの中で。


 えんの声だけが、落ちてくる。


しんふくを――殺せ」


 わずかに間。


「そうすれば、 ちょうえんは生かしてやる」


 視線が ちょうはくを捉える。


 逃げ場はない。


「あるいは」


 声がわずかに柔らぐ。


ちょうえんを殺せば」


しんふくは助けてやる」


 短く告げる。


「選べ」


 唇が、歪む。


 楽しんでいる。


 空気が凍る。


  ちょうはくの呼吸が止まる。

 胸が締めつけられる。


「どうして……」

 声が崩れる。


「……どうして、こんなことを……」


 えんは、その崩れゆく姿を見下ろしていた。


 ふっと息を吐く。


「……くだらん」


 ゆっくりと立ち上がる。


 階段を一段ずつ降りてくる。

 足音だけが響く。


「愚かな下郎め」

「やはり――理解できぬか」


 彼は、二人の前まで歩み寄った。  

 身をかがめ、地に落ちていた短刀を拾い上げる。


 もう片方の手が――

 しんふくの長い髪を乱暴に掴み、後ろへ引き上げた。

 はくい首が、強引に晒される。

 刃が、その幼い喉元にぴたりと当てられた。


 細い血の筋が、ゆっくりとにじみ出る。

 彼は、 ちょうはく姬を見た。


 その眼差しは、ただ静かだった。


「お前らは、いつもそうだ」

「こういう状況になってから――ようやく問う」


「なぜ、とな」


 彼は身をかがめ、短刀を拾い上げた。


 もう一方の手で、しんふくの長い髪を乱暴に引き上げる。


 はくく幼い首筋に、刃がぴたりと当てられた。


「思わないか」


「人間の一生で――」


「最も“真実”に近い瞬間は」


「生きている時じゃない」


「――むしろ」


「死の淵に立った、その時だ」


「――その一瞬こそが」


「人間の、本当の姿だ」


「……違うか?」


 彼は、ふっと静かに笑った。


 雨音が、静かに降りしきる。


 刃先を伝い、血が一滴ずつ滑り落ちていった。


「いずれ分かるさ――」


「俺と同じ高さに辿り着けばな」


「生も、死も……大した違いはないと」


 彼は、ゆっくりと目を細めた。


「まー」


「お前たちのような卑しい下民には――」


「一生、理解できまいな」


 くつくつと、喉の奥で笑う。


「はは……はははは……」


 そのまま、手を離した。


 しんふくの髪が、ふわりと崩れ落ちる。


 短刀が、軽く放られた。


「サッ――」


 弧を描き、

  ちょうはく姬の前に落ちる。


 彼はそのまま踵を返し、

 ゆったりと玉座へ戻った。


 衣の裾が静かに揺れ、

 脚を組む。


「――さあ」

「やれ」


 唇の端には、わずかな笑みすら浮かんでいた。


  ちょうはく姬は、ゆっくりと視線を落とす。


 地に転がる短刀へ。


 雨粒が刃に当たり、冷たい光がかすかに揺れた。


 彼女の指先が、わずかに動く。

 だが――止まる。


 震えている。

 掴もうとして、

 最後の瞬間で、引き戻されたように。


「……生と死……」


「……違いが、ない……?」


 喉が、かすかに上下する。


 ……


 どれほどの時間が過ぎたのか。


 ――あるいは、ほんの一瞬だったのか。


 彼女は、ゆっくりと手を伸ばす。


 指先が、刀の柄に触れた瞬間――

 ぎゅっと、強く掴んだ。


 血に濡れた蒼白はくな指が、

 少しずつ力を込めていく。


 短刀は、確かにその手の中に収まった。


 彼女は、まだ顔を上げない。


 ただ俯いたまま、

 乱れた呼吸を繰り返す。


 そして――


 ゆっくりと。


 首を巡らせた。


 しんふくへと、視線を向ける。


 雨音が――さらに強くなる。

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