第19話 秦士官長、元気
その時、彼女は寝台の傍らに膝をつき、 ほとんど万里に覆いかぶさるような体勢で、寝台の端を強く掴み、泣き叫び、声を枯らしていた。
「死ぬなって言ってるだろ!!!」
「聞こえてるのか!!!」
「お前が死んだら、絶対に許さないからな!!!」
数名の官医が額に汗を滲ませながら、彼女の肩や腕を掴んで必死に引き止めている。
「秦士官長、どうか落ち着いてください……」
「今は安静が必要です……」
「どうか手をお放しください……」
それでも彼女は、微動だにしなかった。
華奢な体なのに、まるで動かなかった。
官医たちは思わず顔を見合わせる。
秦士官長……
見かけによらず、怪力だ。
喧騒の中で、万里の意識がゆるやかに戻っていく。
耳に届くのは、途切れ途切れの泣き声。
頭が鈍く痛む。
意識はまだはっきりしない。
ったく……
一番いいところだったのに、そこで目が覚めるとか……
しゃーない。
世界線が現代に戻ったら、《前進の大人》でももう一回見るか。
万里はゆっくりと目を開けた。
まだ焦点の定まらない視界の中、
涙で真っ赤に腫れた顔が、すぐ目の前にあった。
秦祢は一瞬固まり、
次の瞬間には目を見開いていた。
「目が覚めたのか?!」
その直後――
彼女はそのまま勢いよく飛びつき、両腕で万里の頭をがっしり抱え込むと、力任せに胸元へ押しつけた。
「よかった……生きてた……!!!」
柔らかな感触が、万里の頬に押し当てられる。
呼吸が、少し苦しい。
万里はなんとも言えない顔になった。
彼は横目で周囲を見た。
「彼女、普段から……いつもこんな感じなのか?」
その場にいた者たちは、
一度だけ視線を交わし――
静かに、揃って頷いた。
万里は落ち着いた声音で言った。
「離してくれ」
それを聞いた秦祢は、びくっと手を離し、
慌てて一歩後ろへ下がる。
行儀よく背中の後ろへ回し、視線をわずかに泳がせながら、小さな声で言った。
「す、すみません……少し取り乱しました……」
彼女は小さく俯き、耳まで赤くなっていた。
万里はそこで、ようやく彼女の今の姿をはっきりと見た。
栗色のセミロングの髪が自然に肩へ落ち、
身につけているのは簡素な普段着。
戦場で見せていた鋭さは薄れ、
どこにでもいそうな、柔らかな清楚さがある。
化粧をしていなくとも、整った顔立ちは変わらず、
表情も戦場にいた時より、ずっと穏やかだった。
万里は小さく頷き、
いつもの冷静な調子に戻る。
「甄俨はどこだ。会わせてくれ」
「他の者は、席を外してくれ」
秦祢は即座に身を翻し、勢いよく部屋を飛び出した。
その声は庭中に響き渡るほどに大きい。
「甄俨――様――!!!」
「甄俨――様――!!!」
「甄俨――様――!!!」
一同は顔を見合わせ、やがて次々と静かに部屋を後にした。
それからほどなくして、秦祢に半ば無理やり引きずられる形で、甄俨が入口まで連れて来られる。
どうやら騒ぎ立てられていたせいで、あからさまに不機嫌そうだった。
甄俨は万里の寝台の前まで引っ張られ、万里と視線を交わす。
二人はわずかに頷いた。
そして同時に、傍らで期待に満ちた顔をした、妙に元気そうな秦祢へと目を向け――
声を揃えて言った。
「出ていけ」
秦祢は頬をぷくっと膨らませ、不満げな顔をしながらも、どこか気のない声で
「はーーーーーい」
と返し、後頭部に手を当てたまま、不機嫌そうに外へ歩いていった。
だが戸口まで辿り着いたところで、数本の髪が扉の脇でゆらゆらと揺れていた。
どう見ても、まだ盗み聞きする気満々だ。
甄俨と万里は、再び視線を交わす。
そして――
再び同時に言った。
「戸を閉めろ」
扉の外が、二秒ほど静まり返る。
やがて、いかにも不満げな声が聞こえてきた。
「ちぇー……」
扉の隙間から手だけがひょいと伸びてきて、拗ねたように戸をバタンと閉めた。




