第17話 万里VS最強2
呂布の視線が、腰から上だけとなりながらも、なおその場に立ち続ける万里の躯へと落ちた。
その姿勢は、先ほどまで対峙していた時の気迫を、そのまま残していた。
最期まで、退くつもりなどなかったのだろう。
呂布は微かに首を傾ける。
「……ふむ、惜しいな」
「久しく見ぬ、骨のある相手だ」
そう言い残すと、もはや歩みを止めることもない。
方天画戟を斜に携え、重い足取りが瓦礫を踏み砕く。
呂布は万里の半身を横目に、そのまま甄家の屋敷へと歩を向けた。
遠巻きに様子を窺っていた人々は、その姿を認めた瞬間、恐怖に駆られて後ずさる。
足をもつれさせながら逃げ出す者もいる。振り返る余裕すらない。
呂布は意にも介さぬ。
歩みが止まることもない。重い足音が響く。
甄家の屋敷まで――
距離は、確実に縮まっていた。
その時――
ぷつり。
土埃が落ちる微かな音に、ほとんど紛れてしまうほど小さな音だった。
呂布の足が、ふっと止まる。
ゆっくりと視線を落とした。
血に濡れた槍の穂先が、いつの間にか腹を貫き、前へと突き出ていた。
長槍は甲冑を穿ち、肉を深く抉っている。
血が槍身を伝い落ちる。
砕けた石畳へ、たらり、たらりと滴り落ちた。
呂布の眼差しが、静かに沈む。
直後。
呂布は振り向きざま、背後を睨み据えた。
反応する暇すら与えぬ速度で――
すでに導火線へ火が走った爆薬が、真正面から呂布の顔面へと迫る!
呂布は戟を振るい、迫る爆薬を一閃のもとに断ち割った!
轟――!!
爆薬内部の油分が、一気に高温高圧を生み出す!
火光が眼前で激しく弾けた。
灼熱の油が爆風に巻き上げられ、面頬と両目へと一気に浴びせかけられた。
耳障りな焼ける音が弾け、白煙が激しく噴き上がる。
「ぐああっ!」
猛烈な灼痛が眼窩の奥で爆ぜる。
呂布が怒号を放つ。
「誰だ!卑劣な手段……!」
「武を志す者の戦いを、愚弄するか――ッ!」
直後――
万里の姿は、すでに限界まで迫っていた。
「なに……?」
――その身体は、すでに完全に元通りだった。
両腕が大きく開かれる。
全身の筋肉が膨れ上がる、力が一気に解き放たれた。
足下の石畳が激しくひび割れ、無数の亀裂が周囲へと走った。
槍が、手を離れる。
槍刃が気流を引き裂き――
雷鳴のごとき轟音!
銀色の残影が空間を貫き、肉眼では捉えきれぬ速度で、呂布の喉元へ一直線に斬り込む!
呂布の双眸が、禍々しい殺意を迸らせた。
凄まじい殺気だった、周囲の空気さえ凍りつかせる。
呂布は退かぬ。
むしろ踏み込む。
大きく一歩、前へ。
獣の牙を思わせる白歯が、槍刃へ噛み砕かんばかりに食らいついた!
がきん――!!
耳を裂く金属の軋みが、激しく弾ける。
彼の右拳が、強く握り込まれた。
筋肉が一気に膨れ上がる。
圧縮された力が、瞬時に解き放たれた!
衝撃が爆ぜる。
万里の身体が砲弾のごとく叩き飛ばされた!
そのまま長い街路を一直線に吹き飛ばされ、遠くの石壁へ激突する!
壁は一瞬で崩壊し、砕けた石と土煙が激しい崩落音とともに崩れ落ちた!
立ちこめる粉塵の中、瓦礫が次々と落下していく。
呂布はゆっくりと口を開き、槍の穂先を吐き出した。
唇の端から血が糸を引き、静かに滴り落ちる。
わずかな優位を味わう暇もない。
土煙の奥で――異変が起こった。
黒い影が、霧を切り裂くように飛び出す。
耳障りな風切り音を伴い、豪雨のように呂布へ降り注いだ!
呂布の眉が、ぴくりと動く。
足下の地面が激震とともに陥没した!
凄まじい力が両脚から噴き上がり、青石が一気に粉砕される。
亀裂が四方へ奔った。
呂布の姿が、一瞬で影のように掻き消えた
ドン!ドン!ドン!ドゴォン!!
爆薬が立て続けに背後で炸裂し、火柱が噴き上がる。
砕石と炎が狂ったように渦巻いた。
呂布はすでに爆発の中心を突き抜けている。
手にした方天画戟が大きく振り上げられ、殺意が一気に膨れ上がった!
その巨体が赤き残像と化し、煙に包まれた瓦礫へ一直線に襲いかかる!
「同じ手が、この呂奉先に二度も通じると思うな!」
長戟が空気を裂き、すべてを押し潰す勢いで瓦礫の奥へと叩き込まれる。
――だが。
瓦礫へ踏み込んだ、その瞬間――
地面が横薙ぎに払われた。
万里の姿が土煙の中から低く滑り出る。
鋭い掃腿が、呂布の足元へと炸裂した!
呂布の重心がかすかに崩れる。
足下で砕石が滑った。
ほんの一瞬、体勢が崩れた。
――それで十分だった。
地を這うような姿勢から、万里の身体が跳ね上がる。
手が鉄の鉤のごとく伸び、呂布の面頬を強引に掴んだ!
そのまま、容赦なく前へ引きずり込む!
同時に――
膝が、鉄槌のように跳ね上がる!
轟!!
鈍い衝撃音が炸裂した!
膝撃が呂布の胸部へ叩き込まれ、胸甲の甲片が一気に弾け飛ぶ。
砕けた金属片が四方へ激しく飛散した!
呂布の喉から低い呻きが漏れ、口元から血が噴き出す。
その身体が数歩弾き飛ばされ、片膝をついて地に伏した!
万里は瓦礫の中に立つ。
足元では砕石がなお転がり続けていた。
立ちこめていた煙が、ゆっくりと晴れていく。
呂布は片膝で地面を支え、身体を起こした。
砕けた胸甲の隙間から血が滲み、真紅の滴が断ち割れた甲片の縁を伝い落ちていく。
やがて、ゆっくりと立ち上がった。
破損した甲冑の下で筋肉が低く脈動する。
まるで先ほどの一撃など、まるで効いていない。
「うむ」
「認めよう」
「貴様には、名を覚える価値がある」
「名乗れ」
「死した後も、この呂奉先がその名を記しておこう」
万里は、わずかに眉をひそめた。
「……ずいぶん偉そうだな」
「前前前世じゃ、一回も勝てなかったくせに――今回はやけに調子いいじゃないか」
「……ま、いいか」
肩の力を抜き、両腕を軽く広げる。
「俺の名は万里だ!」
「不老不死――このつまらん銀河を滅ぼす男だ!」
狂風が唸りを上げた。
「銀河とやらは知らんが……ずいぶんと、俺を軽く見ているようだな……」
呂布は、すっと目を閉じる。
そして、静かに息を吐いた。
数秒の沈黙。
やがて、不意に笑いが漏れる。
「むははははははははッ!!」
「いい度胸だ」
「この俺にそんな口を利いた者は、これまで一人もいなかった」
「いい……気に入った、万里ー」
万里は頬をかき、どこか困ったような声を漏らした。
「じゃあさ、戦わなくてもよくない?」
「こっちも用事あるんだけど」
呂布の笑みが、ゆっくりと消えていく。
頬を伝う血が、顎先からぽたりと滴り落ちた。
「……いや」
「ここで斬る」
「名は、俺が覚えておく」
「……なんでやねん!!」
万里は思わず口にした。
次の瞬間。
空気が、見えぬ巨手に握り潰されたかのように軋んだ。
「な、……」
万里の瞳が、ぐっと見開かれる。
全身の血が、一気に駆け巡った。
殺気が――
狂風のように荒れ狂い、容赦なく解き放たれていた。
呂布を中心に、目には見えぬ圧が怒涛のように周囲へと押し広がった。
空気が重く沈み込む。
呼吸が、急激に苦しくなる。
数丈離れた住民たちの身体が、不意に硬直した。
声を上げる間もなく、口元から血を吐き散らす者もいる。
どさり。
どさり。
次々と地に崩れ落ちた。
白目を剥き、目や鼻、口から血を溢れさせる者。
悲鳴を上げることすら叶わず、そのまま崩れ落ち、動かなくなる者もいた。
呂布がゆっくりと歩みを進める。
足下の石畳が、踏みしめるごとに粉砕された。
遠くの残壁に突き立っていた方天画戟が、低く唸るように震えた。
見えざる力に引かれるかのごとく跳ね上がり、空気を裂いて弧を描き――
吸い込まれるように主の手へ収まる。
紅と黒の闘気が、呂布の周囲にゆらりと立ち上る
それは音もなく揺らめく炎のようだった。
肌に触れようとした瓦礫の欠片が、接触する前に焦げ崩れ、灰となって散った。
頭上の二条の赤い翎羽が、渦巻く血気の中で静かに揺れる。
露わな胸を伝い、鮮血が絶え間なく流れ落ちていた。
凄絶な戦場から歩み出てきたかのような、その姿。
濃密な殺意を宿した双眸が、万里を逃さず捉える。
「仏とて斬る。神とて屠る」
万里の喉が、こくりと鳴った。
息を呑む。
幾度となく繰り返してきた中で――ここまでの殺気は、見たことがない。
……やはり、この世界は異常だ
万里のつま先が、軽く地を叩いた。
地に落ちていた長槍が軽く跳ね上がる。
槍身は空中で真っ直ぐな軌跡を描き、そのまま寸分の狂いもなく掌へと収まった。
呂布は片足を静かに前へ出し、重心を極端に低く落とす。
戟を握る両腕が静かに外へ開かれ、方天画戟は背後へ斜めに引かれた。
刃先は低く沈み、ほとんど地面を舐める位置にある。
足下の石畳が、音もなく砕け続ける。
紅と黒の闘気が肌の表面へと絡みつき、闇の炎のように静かに収束していった。
その一方で――
万里もまた重心を深く落とす。
片足をわずかに前へ踏み出し、つま先が静かに地面へ触れた。
長槍は逆手に構えられ、そのまま背後へと引かれる。
穂先は低く垂れ、低く沈んでいた。
周囲に散らばる瓦礫や石片が、宙でかすかに震え始める。
まるで空間そのものが、二つの力によって強引に引き裂かれているかのようだった。
数メートルの内側の空気が押し潰されるように圧縮され、歯の奥を軋ませる不快な異音が滲み出す。
ぎ……ぎ……ぎ……
崩れかけた壁が、その圧力に耐えきれず、表面から静かに亀裂を走らせていく。
細かな破片が、音もなく剥がれ落ちた。
空気が、張り詰める。
凍りついたかのように動かない。
二人の呼吸だけが、ほとんど同じ間隔で上下していた。
まるで、落ちる塵さえも――
重く、遅くなったかのように。
一息。
二息。
三息。
次の瞬間――
呂布の瞳が、鋭く収縮した。
「喝ぁッ!!!」
咆哮が雷鳴のごとく炸裂する!
足下の大地が、一瞬で崩落した!
方天画戟が空気を引き裂き、凶暴な轟音を巻き起こす。
その巨体が、崩れ落ちる山岳のような威圧を伴い、万里へと叩きつけられる!
あまりにも速い。
肉眼ではほとんど捉えきれない。
ただ、紅と黒が絡み合う残像だけが空間を切り裂き、通過した軌跡にあった瓦礫が衝圧で粉砕されていく。
刃が届くよりも先に――
圧そのものが、すでに襲いかかっていた。
――だが。
万里は即座に身を翻し、甄家の屋敷の方向へ全力で駆け出した。
その速度もまた尋常ではない。
身体はたちまち残像と化し、走りながら大声で喚き散らす。
「誰が戦うかよ!バーカ!バーカ!!」
呂布の動きが、不意に止まった。
「……は?」
ゆっくりと首を巡らせ、遠ざかっていく背中を見据える。
こめかみの青筋が、じわりと浮かび上がった。
空気が、さらに重く沈み込む。
歯が、ぎり、と噛み締められる。
表情が、少しずつ歪んでいった。
「貴様……」
低く、凍てつくような声音。
「よくも……」
戟を握る手に、力がこもる。
骨が軋むような嫌な音が鳴った。
「武を愚弄するかァッ!!!」
殺意が爆発的に膨れ上がる!
足下の地面が轟然と弾け飛んだ!
呂布の全身が、赤い閃光となって万里を猛追する!
踏み込むたびに石畳が粉砕され、軒先が激しく揺れた。
街路が、次々と崩壊していく。
荒れ狂う気迫が、長い街そのものを引き裂かんばかりに暴れ狂った!
万里は振り返らない。
踏み込むたびに石畳が砕け、矢のような速度で街路を駆け抜ける。
背後から迫る殺気は、まるで実体を持つかのように執拗に食らいついてくる。
呂布の足が落ちるたび、大地が轟然と陥没し、砕石が水飛沫のように四方へ弾け飛んだ。
距離が、猛烈な勢いで縮まっていく。
やがて視界の先に、甄家の高い塀が現れた。
重厚な朱塗りの門は固く閉ざされている。
だが塀の上には、すでに無数の人影が並んでいた。
甄俨は正門前の石段に立つ。
長袍が激しい風に翻り、その表情は冷静そのものだった。
その背後――
二百の弩手がすでに布陣を終えている。
前後二列に交差する形で整列し、弩は水平に構えられ、弦は限界まで張り詰めている。
甄俨の視線が万里を捉える。
さらに、その背後に迫る呂布の、肉眼でも感じ取れるほど濃密な圧迫の気配を目にした瞬間――
瞳が、わずかに収縮した。
「放て――!!放て――ッ!!」
万里は両腕で頭部を庇い、そのまま前方へ飛び込む。
身体を地面すれすれに伏せ、滑るように前進した。
衣服が石畳と擦れ合い、耳障りな摩擦音が響く。
勢いのまま、数丈先まで一気に滑り抜けた。
ほぼ同時に――
機括が一斉に鳴動した!
二百張の強弩が、同時に震える!
轟!!!
弦の解き放たれる音が重なり合い、雷鳴のような轟音となって炸裂した!
密集した矢の雨が空気を引き裂き、鋭い風切り音を響かせながら、一瞬で長い通りを覆い尽くす!
無数の矢が視界を覆う、豪雨のごとく降り注いだ!
呂布の瞳が鋭く収縮する。
方天画戟が、即座に躍動した!
戟の軌跡が円を描く。
まるで回転する輪のように――
甲高い衝突音が連続して炸裂した。
ガガガガガガガ――!!!
火花が狂ったように散り乱れる!
矢は戟の刃に触れた瞬間、次々と叩き折られた。
鏃さえ強引に砕き割られ、破片が四方へ飛び散る!
その動きは極限の速さ。
振るわれる戟の残像は、ほとんど隙間のない鉄壁と化していた。
――だが。
矢の数が、多すぎる。あまりにも密だ。
呂布は強く踏み込み、一歩前へ出る!
矢の幕を力ずくで突破しようとした!
足下の地面が炸裂する!
紅と黒の闘気が一気に膨れ上がった!
数本の矢が衝圧に弾き逸らされる。
だが、それでもなお――
別角度から放たれた矢が次々と突き刺さる!
どすっ!どすっ!どすっ!どすっ!
数本の重い矢が同時に肉体へ深々と突き込まれる!
呂布が低く唸る。
強引に戟を振るい、さらに一閃!
迫る矢の一群が、再び叩き砕かれる!
――しかし次の瞬間。
第三波の一斉射が、すでに到達していた!
ほとんど間隙はない!
四方八方から、矢が覆い被さるように降り注ぐ!
回避は――不可能!
轟!!!
無数の重い矢が、同時に突き刺さった!
鉄の鏃が身体を貫き、肩、腹、脚へと深々と突き刺さる!
戟を振るう呂布の動きが、ついにわずかに鈍った。
わずかな隙――
甄俨が声の限りに叫ぶ。
「万里!!!」
ほぼ同時に。
万里の長槍が下方から一気に薙ぎ払われた!
技巧も何もない。
ただひたすらに重い。
凄まじい力が叩き込まれる。
槍身が空気を圧し潰し、鈍い破裂音を伴って呂布の足元へと激突した!
「がんッ!」
重い衝突音が炸裂する。
「ぐ――!!」
呂布の身体が、わずかに止まった。
呼吸が乱れた。
踏み込みかけた足が、半寸ほど後ろへずれる。
――そのまま、動きが止まった。
――だが、次の瞬間。
冷たい閃光が走った。
方天画戟が、ためらいなく逆刺に放たれる!
戟刃が正面から万里の右胸を貫き、そのまま胴をなぞるように引き裂いた。
「がはっ……」
万里は血を吐きながら、それでもなお呂布を睨み据えている。
鮮血が激しく飛び散る。
身体は右側から強引に抉り裂かれ、右半身がほとんど斬り離された。
「卑劣……極まりない……」
だが、その瞬間。
呂布はまだ気づいていなかった。
自らの後頸が――
別の軌跡の中に、すでに捉えられていることを。
秦祢が、両手で剣を握りしめたまま、宙から跳びかかる。
申し訳ありません――
士官長として、どうなろうと構わない。
その眼は、すでに迷いがなかった。
瞳に、もはや一片の怯えもない。
全身の力を刃へと集中させ――
後頸めがけ、振り下ろす!
「キィン――!」
重い斬撃が叩き込まれた瞬間、呂布の身体が大きく沈み込む。
両膝が激しく地面へめり込み、砕石が弾け飛んだ。
それでもなお、呂布は戟を逆手に振り上げる。
襲いかかる者ごと、まとめて斬り伏せんとするかのように。
同時に――
万里の、残された左手が激しく動いた。
槍の柄を、力の限り戟の柄へ押し当てる。
槍身が軋み、耐えきれぬ低い悲鳴を上げた。
凄まじい力が、二人の間で正面から衝突する。
振り下ろされるはずだった刃が――
強引に食い止められた。
まさにその時――
遠方から、一斉に機括の作動音が響く。
甄俨が手を掲げ、鋭く命じた。
「第五列、射て――ッ! 照準を外すな!」
弩弦が一斉に震える。
二百の冷たい光が空気を引き裂き、異なる角度から同時に呂布へと襲いかかった!
矢は豪雨のように降り注ぎ、鋭い風切り音が一つに重なる。
万里と秦祢の位置を正確に避け――
すべてが、呂布へ命中した。
鋼の鏃が深々と肉へ食い込み、強烈な衝撃がその巨体をさらに地へ押し付ける。
秦祢が歯を食いしばる。
両腕が激しく震える中、剣を呂布の後頸へと押し込み続けた。
刃が、じわじわと肉へ食い込んでいく
呂布が、限界まで力を振り絞り――
咆哮した。
猛獣の怒号にも似た絶叫が、空気そのものを激しく震わせる。
音の衝撃が街中へ爆発的に広がり、周囲の窓枠が一斉に砕け散った。
通りにいた人々は耳を押さえ、指の隙間から血を滲ませる。
街そのものが、この一声に揺らいだ。
喉を引き裂くような声が、迸る。
「赤――兎――ッ!!!」
直後――
遠方の地面が轟然と炸裂した。
真紅の巨影が、爆ぜるように宙へ躍り出る!
その戦馬は、常の名馬を遥かに上回る巨躯を持っていた。
鋼を思わせる筋肉の隆起。
鬣は炎のように逆巻き、
双眼には、不気味なほど濃い猩紅が灯っていた。
着地と同時に、大地が再び震動した。
石畳が砕け、土煙が激しく噴き上がる。
衝撃波が周囲を薙ぎ払い、秦祢と万里の身体を同時に弾き飛ばした。
赤兎が低く嘶く。
巨大な口が呂布の肩甲へと食らいつき、そのまま強引に身体を引き上げる。
振り上げる勢いのまま、呂布を背へと乗せた。
呂布はまだまともに動けない。
赤兎の背に伏せるようにしながら、なお万里を睨み続けている。
だが瞳は熱油に焼かれ、焦点すら定まらぬ様子だった。
「万里……」
「貴様……」
赤兎の四蹄が地を打つ。
踏み込むたび、石畳が次々と崩れ砕けた。
赤き残像となったその巨体が、凄まじい速度で城門外へ駆け抜けた。
秦祢は眩暈を堪え、すぐさま追撃しようと足を踏み出した。
不意に、かすかな力に引き止められる。
右半身を失った万里が、その場に崩れ落ちていた。
残された左手で、彼女の衣の端を強く掴んでいる。
目を閉じ、呼吸は乱れている。
それでも指先だけは、残る力を振り絞るように――
小さく、首を振るように動いた。
その時、甄俨が足早に歩み寄ってくる。
瓦礫と血に覆われた光景を見渡し、その表情はいっそう険しさを増していった。
「官医!」
数名の医師が慌てて駆け寄る。
「二人を屋敷へ運べ。全力で治療しろ」
甄俨の声は低く、冷たい。
「持てる限りの手を尽くせ」
「もし死なせたなら――」
「貴様らの命で償え」
官医たちの顔色が一変し、慌てて応じた。
医官が担架を運び込み、万里と秦祢の身体を慎重に乗せる。
二人はそのまま甄家の屋敷へと運び込まれていった。
甄俨は視線を巡らせ、別側に整列する部隊へと目を向ける。
一人の士官長がすぐさま進み出て、拳を抱いて礼を取った。
「兵を五十、率いよ」
甄俨の声音に揺らぎはない。
「城内に残る董卓の残党を掃討せよ」
「一人残らず、討て」
「はっ!」
士官長は即座に命を受け、部隊を率いて足早に去っていく。
その時だった。
数名の斥候が、気配を殺して戻ってくる。
そのうちの一人が一歩進み出て、甄俨の耳元へ口を寄せた。
声を極限まで落とし、密かに報告する。
「旦那様……甄お嬢様が……」
囁きを聞いた瞬間。
甄俨の視線が、すっと鋭さを帯びる。
眉間に、深い皺が刻まれた。




