第95話:神域の攻防(1)――バグの排除者と、創造主のおつかい
はざま村の朝は、今日も『神域のこたつ』が放つ絶対的な温もりと平和に支配されていた。
カマドさんが焼き上げる絶品の『白玉大福スライム餅』の虜となった住人たちは、連日のようにお餅を焼いては食べ、こたつの中でとろけるという極上の無限ループを満喫していた。
しかし、平和な日常に一つの小さな枯渇が訪れる。
「あ、お醤油がもうなくなっちゃいましたね。お餅に合いすぎたからなぁ……」
ソラが、空っぽになった黄金色の醤油差しを傾けながら呟いた。
「……ま、いっか。みんなももっとお餅食べたいでしょうし、ちょっと隣町のカザルまで、お醤油の樽を買いに行ってきますね」
ソラは、はんてんを脱いでいつものシャツと防寒着を羽織ると、玄関へと向かった。
「おいソラさん、俺が行くよ。外は猛吹雪だぞ。それにカザルまで歩くって……『創世のサンダル』はどうするんだ?」
アレンがこたつから這い出そうとするが、ソラはニコッと笑って制止した。
「アレンさんはゆっくり休んでてください。サンダルは置いていきますね。雪道をザクザク歩くの、結構好きなんです。ベアトリクスさんがお洗濯で使うかもしれないし」
「いや、でも……」
「大丈夫ですよ。道玄坂(ブラック企業時代の通勤路)の冬のビル風に比べたら、この世界の吹雪なんてそよ風みたいなものですから。それじゃ、お留守番よろしくお願いしますね!」
バタン、と。
ソラは麦わら帽子を被り、ただの村人のような軽やかな足取りで、猛吹雪が吹き荒れる結界の外へと歩き出していった。
……この時、アレンたちも、そして世界を監視する天界の神々すらも気づいていなかった。
「世界から最も寵愛を受ける特異点」が村という座標から一時的に離れたことで、はざま村を覆っていた理不尽なほどの因果律の保護に、ほんのわずかな隙間が生じたことに。
ソラが出かけてから三十分後。
こたつの中でポチ(ケルベロス)の首を撫でていたアレンは、ふと、背筋に強烈な悪寒を感じた。
「(……なんだ? 今の、氷を直接心臓に押し当てられたような感覚は……)」
アレンだけではない。
こたつの中でうたた寝をしていたチッチさん(元魔王ゼノン)が鋭く目を開き、クロさん(冥界王ハデス)が全身の毛を逆立てて立ち上がる。
「……チチッ!(アレン、外だ。……空が、泣いておる)」
「……ニャアッ!(ただの魔力ではない。これは……世界そのものの軋みだ)」
アレンが窓の外を見た瞬間、はざま村の上空、その分厚い雪雲が、まるで硬質なガラスのように「パキンッ!」と音を立てて砕け散った。
ひび割れた空の向こうから現れたのは、神でも魔族でもない。
無機質な幾何学模様の魔法陣と、黄金の歯車を背負った、巨大で無表情な天使のような存在だった。感情の欠片もないその双眸が、はざま村のログハウスを真っ直ぐに見下ろしている。
『……座標X-00、Y-99。特異領域【指定呼称:はざま村】。……深刻な次元のバグ、および因果律の不正書き換えを検知』
その声は、空気を震わせるのではなく、世界に存在するすべての生命の脳内に直接響くシステム音声だった。
「な、なんだあいつは……!? 天界の神か!?」
ガストンが大剣を掴みながら叫ぶが、リビングにいたユウナ(女神)とエリエル(天使)が、顔面を蒼白にして首を振った。
「違うわ……。あれは神じゃない。世界が創世された時に組み込まれた、防衛・修正プログラム……『原初の裁定者』よ! 神々ですら手を出せない、絶対的な法則の執行者……!」
「……秩序の守り手である私が言うのもなんですが、あれは融通が一切利きません。世界のバグと判定されたものは、神界ごと消滅させられます……!」
『……解析完了。
対象:10円で提供される神聖飲料。
対象:宇宙の法則を無視したコタツ型次元拡張装置。
対象:終焉龍の火力を制御する調理器具。
これらすべて、世界構造の維持に致命的な負荷を与える【エラー】と判定。……よって、当領域を、時空間ごと完全初期化する』
裁定者が手をかざすと、上空の歯車が回転し、はざま村の周囲の空間そのものが削り取られるように白く変色し始めた。
圧倒的なプレッシャー。それはかつてアレンが戦った魔王軍の幹部など比較にならない、世界という舞台そのものから退場を命じられる根源的な恐怖だった。
だが、そんな絶望的な空気の中。
「ガコンッ!!」
部屋の隅で、ジハンキさんが重厚な音を立ててペットボトルを排出した。
『……戦闘前ノ、水分補給ニ。10円・神格化スポーツドリンク。……マスターノ帰還マデ、当機ハ平常運転ヲ継続シマス』
「ポポポッ!(……我の火種は消えんぞ! 勇者よ、戦いが終わったらすぐ食べられるように、カマドで餅を焼いておいてやる!)」
世界の終わりが迫ろうとも、ソラが生み出し、ソラに忠誠を誓うインフラたちは、1ミリもブレなかった。カマドさんの上では、アカさん(古龍)が「ポポポ」と呑気に餅の焼き加減を見ている。
その光景を見て、アレンの体から、スッと恐怖が抜け落ちた。
「……おい、嘘だろ」
アレンは、口角を少しだけ上げながら、ソラから肩叩き棒として使われていた聖剣エクスカリバーをゆっくりと引き抜いた。ほんのりお醤油と湿布の匂いがするその剣から、かつて世界を救った勇者としての、純白の聖気が爆発的に溢れ出す。
「相手が魔王だろうが、世界のシステムだろうが、知ったことかよ。……俺は今、猛烈に美味い餅が食いたいんだ。あいつのおかげで、冷えちゃいそうじゃねえか」
「おいアレン! 俺たちも行くぞ!」
ガストンとリーナが、こたつ布団を蹴り飛ばしてアレンの隣に並び立つ。
「……チチチッ!(ふん、世界のバグだと? 笑わせるな)」
チッチさんが、ハムスターの姿のまま、愛用のミニ竹箒を肩に担いで前に出た。その背後に、巨大で禍々しい『真の魔王ゼノン』の幻影が、空間を歪めながら顕現する。
「我が愛する『掃除道』を、そして我が玉座をバグと呼ぶ罪……万死に値する。深淵の闇をもって、その歯車ごと塵一つ残さず消滅させてくれるわ!」
「ええ、ゼノン様の仰る通りですわね」
ベアトリクスが、ソラが置いていった『創世のサンダル』を履き、庭に突き刺さっていた『絶望の鎌(物干し竿)』を軽々と引き抜く。
「ソラ様がせっかくお醤油を買いに行ってくださったのに。……お帰りの際に、ログハウスが消滅していました、なんて……家事担当の私の名折れですわ!」
「……愚かなシステムよ。我が至高のナノミストが充満するこの村を、乾燥した無の空間にしようというのか? ……身の程を知れ」
エリュシオン(精霊王)が、加湿モードを解除し、周囲の水分を『絶対零度の氷槍』へと変換させる。
エルナ(聖女)が祈りを捧げ、ヴォルガ(ダークエルフ)が双剣を構え、プリシラ姫が凛とした声で「皆様、わたくしに続きなさい!」と号令をかける。
ポチが三つの首で地獄の業火をまとって咆哮し、クロさんが静かに冥界の門を開きかけた。
全員の想いは、ただ一つだった。
「(……ソラさんの帰る場所を、無くさせるわけにはいかないな!)」
『……抵抗は無意味。対象の排除プロセスを開始する』
裁定者の背後にある黄金の歯車から、村を丸ごと消し飛ばす極太の『初期化レーザー』が放たれた。空間が悲鳴を上げ、光がすべてを飲み込もうとする。
「させるかよっ!!」
先陣を切ったのは、人間の意地を背負った勇者アレン。
ジハンキさんから排出された10円スポーツドリンクを一気飲みしたアレンの身体能力は、限界のさらに先へと突破していた。
「エクスカリバー・フルリリース!!」
アレンの放った光の斬撃が、裁定者の極太レーザーと正面から激突する。
世界が揺れ、天が割れる。
平和で怠惰だったはざま村の庭で、かつてない規模の、神話をも超える『究極のお留守番バトル(防衛戦)』の火蓋が切って落とされた。
一方その頃。
村から数キロ離れた雪道を歩いていたソラは、空の向こうでピカッと光った閃光を見て、のんきに首を傾げていた。
「おや、冬なのに雷ですか? 珍しいですね。……ま、いっか。急いでお醤油買って帰らないと、お餅が冷めちゃいますからね」
世界の存亡をかけた戦いが始まっていることなど露知らず、創造主は麦わら帽子を押さえながら、今日もマイペースに雪道を歩き続けるのであった。
読んでいただきありがとうございます!
ついに第95話。100話の大台を前にして、はざま村に過去最大の危機(?)が訪れました。
ソラくんがお醤油を買いにお出かけした隙を突いて現れたのは、世界のバグを消去する『原初の裁定者』。
世界のシステムを相手に、お餅の温もりとソラくんの帰る場所を守るため、アレンさんたちがかつてないガチの防衛戦(究極のお留守番)を開始します!
一方、当のソラくんは「冬の雷かな?」とのんきに雪道を歩いていますが……(笑)。
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次回以降の究極のお留守番バトルもお見逃しなく!




