第93話:こたつ布団の下の迷宮(ダンジョン)――消失した魔王と無限のぬくもり
はざま村の朝は、完全に停止していた。
リビングの中央に鎮座する『神域のこたつ(ブラックホール仕様)』は、今日も強力な絶対怠惰の引力を放ち、村の最高戦力たちを一歩も外へ出そうとしない。
全員がソラお手製の紺色のはんてんに身を包み、首まで布団に潜らせて、完全に幸福な植物生命体と化していた。
「……あふ。ソラくん、このジハンキさんから出てきたみかん、美味しいわね。皮を剥くのすら女神の権能が必要なレベルで贅沢な果汁だわ」
ユウナが、おはぎの次のターゲットとしてみかんを頬張りながら、信者を惑わすような美貌でだらしなく呟く。
「そうですね、ユウナさん。ジハンキさんも冬の味覚にはこだわっているみたいです。……あ、ユウナさん、皮をこたつの上に置きっぱなしにしちゃダメですよ」
ソラはみかんオレを啜りながら穏やかに注意したが、時すでに遅し。
ユウナの指先から滑り落ちた一枚のみかんの皮が、天衣無縫の布団の隙間をすり抜けて、こたつの内部へとポトリと落下してしまった。
その瞬間、こたつ布団の端から、ミニサイズのハチマキを締めた黄金のハムスターが、鋭い眼光を光らせて立ち上がった。村の清掃部隊・総責任者、チッチさんである。
「……チチチッ!?(……おのれ、神聖なる我が清掃領域を汚すとは何事か! 畳の上の埃すら許さぬ我が掃除道、こたつの内部とて例外ではない! ソラ殿が配合した『特製重曹水』の浸透圧をもって、内部の不浄を根こそぎ消滅させてくれるわ!!)」
チッチさんは、自身の体長ほどもある特製のミニ竹箒を脇に抱え、決然とした態度でこたつ布団の隙間へとシュタッと飛び込んでいった。
「あ、チッチさん、中はお掃除しなくても大丈夫ですよー」というソラののんびりした声が見送る。
……しかし、これがすべての始まりだった。
チッチさんがこたつの中に潜り込んでから、優に一時間が経過していた。
「……おかしい」
アレンが、みかんの白い筋を取りながら、眉をひそめて呟いた。
「いくらゼノンが念入りに掃除するからって、あの狭い1280px四方のこたつの中で、一時間も戻ってこないなんてあり得るか?」
「(ガウッ?)」と、こたつの下から三つの首を覗かせていたポチも、不思議そうに首を傾げている。
「そういえば、カマドさんを作った時のハクさんの『次元変質回路』、出力を『ま、いっか』で最大にしたままでしたね。……ちょっと中を覗いてみましょうか」
ソラがいつもの調子でこたつ布団を大きく捲り上げた。
「うわっ、なんだこれ!?」
アレンが思わず腰を抜かした。
こたつ布団を捲ったその先には、暗闇の空間があるわけでも、住人たちの足がギューギューに詰まっているわけでもなかった。
そこに広がっていたのは、【どこまでも続く、フカフカの毛足の長い絨毯の大地】と、遥か彼方の空(天板)で、アカさんの聖火が太陽のように赤々と燃え盛る、【無限の温もりを湛えた大迷宮】の光景だったのだ。
「……やっぱりこうなったよ!! ソラさんの『ま、いっか』のせいで、こたつの中が世界樹と次元の繭のエネルギーで完全に別次元の超巨大ダンジョンに拡張されてんじゃねえか!!」
アレンの胃痛の実況がリビングに響き渡る。
このままでは、村の筆頭掃除係であるチッチさんが、こたつの温もりの中で遭難してしまう(あるいは、心地よすぎて野生のハムスターになってしまう)。
事態を重く見たアレンは、新入りのガストンとリーナを呼び寄せ、臨時のこたつ内救出部隊を結成した。
「良いか、二人とも。これから俺たちは、このこたつの下に入る。……だが、決して油断するな。外の世界のAランクの常識なんて、この布団の下では1ミリも通用しない!」
「お、おう、アレン……。しかし、こたつの下に潜るだけなのに、なぜ俺たちは大剣を構えているんだ?」
ガストンが困惑するが、リーナはすでに魔導書を握りしめて震えていた。
「ダメよガストン……。このこたつ布団の隙間から漏れ出る魔力……天界の羽と世界樹の繊維が混ざり合って、完全に神話級の結界が内部に構築されているわ……!」
「あ、アレンさん、これ僕の作った『特製みかんの籠(四次元収納)』です。チッチさんを見つけたら、これでおやつでもあげてください。じゃあ、いってらっしゃい!」
ソラが、はんてんを着たまま、ニコニコとみかんの籠を差し出す。
「……行ってくる。……おいお前ら、絶対に布団の温もりに魂を売るなよ! 戻ってこれなくなるぞ!」
アレンを先頭に、三人(と、心配そうについてきたポチ)は、こたつ布団の隙間へと、決死の覚悟でダイブした。
一歩足を踏み入れた内部は、まさに異世界の楽園だった。
床はどこまでも柔らかい超極細マイクロファイバーの絨毯。
上空を見上げると、巨大な木製の天板が世界の天井として広がり、カマドさんと同期したアカさんの火(一兆分の一圧縮)が、心地よい遠赤外線となって降り注いでいる。室温は常にこれ以上ない最適な26度。
「……くっ、なんて恐ろしい罠だ……。歩くたびに、足の裏から『もう冒険なんかやめて、ここに寝転がれ』という絶対的な怠惰の呪いが伝わってきやがる……!」
ガストンが、大剣を杖代わりにしながら、必死に膝の震えを抑える。重戦士の強靭な精神力をもってしても、世界樹のフカフカ感には抗えない。
その時、前方の起毛の丘の向こうから、ポン、ポンと奇妙な生物が跳ねてやってきた。
それは、溶けたチーズのような輝きを持つ、半透明の黄金色の生物だった。
「魔獣よ! ガストン、構えて!」
リーナが叫ぶが、アレンは即座に『全知の解析眼』を発動させ、その詳細に絶句した。
【種族:ホカホカスライム(神域こたつ固有種)】
【特性:触れるだけで、あらゆるストレス、肩こり、冷え性が完治する。実害はゼロ。むしろ抱き枕に最適】
「ピキィ?」と鳴いたスライムが、リーナの足元に擦り寄る。
「……ん、え? ……あったかい……。何これ、すっごく弾力があって、抱きしめると全身の魔力の巡りが最高に良くなっていくわ……。……私、もうここでこの子と暮らす……」
「リーナ! しっかりしろ! 魔法使いが最初の接敵で洗礼を受けてどうする!!」
アレンがリーナを引き剥がそうとするが、彼女の目はすでに完全にトロンとしていた。
スライムたちの誘惑を(アレンの胃痛の力で)なんとか乗り越え、一行はこたつダンジョンの最深部――【ヒーターユニットの真下】へと辿り着いた。
そこは、村のジハンキさんから漏れ出た10円の理が結晶化し、周囲に『神聖みかんの木』が自生する、最も温かく神聖なオアシスだった。
その中央で、彼らは目的の人物を発見した。
「……チチチッ!(ふん、遅かったな、新入りども。我がこの『最深部の不浄(落としたおはぎ)』を浄化(回収)してから、すでに三十分が経過しておるぞ)」
チッチさんは、回収したおはぎを大事そうに頬袋に詰め込みながら、神聖みかんの木の下で、完全に極楽の表情で横たわっていた。
その背後には、彼を神と崇めるように、数十匹のホカホカスライムたちが綺麗に整列し、ミニ竹箒で自分たちの体を掃除してもらっている。
「チ、チッチさん……! 無事だったのか……。っていうか、完全にここの生態系の王になってるじゃないか!」
ガストンが呆然と呟くと、チッチさんはハチマキをキリッと締め直した。
「……チチチッ!(何を言うか。我が清掃道の真髄は、この世界の裏側(こたつの下)をも統べることにある。見よ、我が教育により、このスライムたちは自動床拭き機能を獲得した。……明日からの村の掃除効率は、さらに百倍となるであろう!)」
「(……もうダメだ。このハムスター、遭難するどころか、ソラさんのDIYを私物化して清掃ロボット軍団を結成してやがる……!!)」
アレンは、その場に膝を突いた。
なんとかチッチさんを(というか、チッチさんが従えるスライム軍団ごと)引き連れて、アレンたちはリビングの外界へと生還した。
こたつ布団から這い出てきた一同を、ソラが温かい目でお出迎えする。
「お帰りなさい、皆さん! チッチさんも見つかって良かったです。……おや、可愛いお友達も一緒ですね」
「ピキィ!」と、ガストンのはんてんのポケットに潜り込んでいたスライムが顔を出す。
「……ソラさん。……このこたつ、もう家具じゃないぞ。……下に一つの広大な世界が出来上がってるよ」
アレンが魂の抜けた声で報告すると、ソラは少し首を傾げてから、にこっと笑った。
「へえ、中がそんな風に。……でも、冬の間はお掃除する場所が広くなって、チッチさんたちも退屈しなくて良さそうですね。……ま、いっか!」
『……ガガッ……。……カマドサンヨリ、報告。……コタツ内部ノ、「神聖みかん」ノ収穫、成功。……本日ヨリ、「10円・プレミアム生搾りみかんジュース」、ジハンキ殿ノメニューニ、追加サレマス……』
隣で静かに聞いていたカマドさんが、重厚なバリトンボイスで村の新しい特産品の誕生を告げた。
「ガコンッ!!」
ジハンキさんが、最高のタイミングで、その搾りたての黄金色のジュースを排出した。それをはんてん姿の天使エリエルが、当然のように回収して、再びこたつの中へと足を滑り込ませていく。
はざま村の冬は、ソラが作ったこたつという名の無限の迷宮を内包しながら、今日という一日を、宇宙で最も温かく、そしてどこまでもデタラメに深めていくのであった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




