第90話:天使の休息と温泉の鉄則――エリエルの保安指導
【PM 6:00:神域の湯気と秩序の番人】
はざま村の夕暮れは、温泉から立ち上る入るだけで寿命が三桁延びると言われる神聖な湯気に包まれていた。
新人掃除係としての初仕事を終え、ボロボロになったガストンとリーナを、アレンが村自慢の露天風呂へと案内する。
「……アレン、本当にいいのか? こんな、見るからに銀河の源流が湧き出しているようなお風呂に、俺たちみたいな人間が入っても……」
「……気にするな。ソラさんが『疲れにはお風呂が一番ですよ、ま、いっか!』って言ってるんだから」
二人が脱衣所に足を踏み入れたその時、奥から凄まじい神々しいプレッシャーと共に、一人の女性が姿を現した。
背中には純白の翼(現在は湯気で少ししっとりしている)、頭上には黄金の光輪(現在は少し傾いている)。
温泉保安官、天使エリエルである。
「……止まりなさい、新入りの人間たち。……この温泉の『秩序』を乱す不逞な輩は、私が許しません!」
「ひっ!? て、天使様!? 本物の天使が、なぜタオル一枚で……!?」
ガストンとリーナがその場に平伏する。
【PM 6:30:天使による入浴マナー講座】
「いいですか。……この温泉は、あまりの神聖さに、精神が未熟な者が入れば一瞬で悟りを開いて蒸発しかねません。……それを防ぐのが、私、温泉保安官エリエルの使命なのです」
エリエルは、ソラ特製の『至高のバスローブ』の襟を正しながら、厳粛な面持ちで語る。だが、その手にはジハンキさんから出てきた『神聖フルーツオレ(10円)』が握られている。
「まずは、かけ湯です。……ソラ殿が用意したこの『聖水100%の汲み湯』で、外界の汚れ――特にその、Aランクだのなんだのという世俗のプライドを洗い流しなさい。……次に、湯船に入る際は、決してバタついてはいけません。……宇宙の調和を乱さぬよう、静かに沈むのです」
「は、はい! 天使様!」
ガストンとリーナは、もはや教会の礼拝以上の敬虔さで、エリエルの指示に従い湯船に浸かった。
【PM 7:00:極楽の崩壊と天使の誘惑】
お湯に浸かった瞬間、ガストンの筋力は黄金色に輝き、リーナの魔力は青白い炎となって噴き出した。
「……うおおお……!! 温かい、温かすぎる……!! 全身の細胞が、一つ残らず『ま、いっか』と叫んでいる……!!」
「……リーナ、私……もう天界に帰らなくてもいい気がしてきたわ……。ここが、こここそが真の天界よ……」
その様子を見て、エリエルは満足げに頷いた。
「……ふふん、分かれば良いのです。……私も最初は、この温泉を封印するために天界から派遣されました。……ですが、ソラ殿の『お風呂上がりにはこれが一番ですよね』という笑顔と、この10円で買える極上の飲料の前では、封印などという野蛮な行為は秩序に反すると悟ったのです(ゴクゴク)」
天使様、完全に私物化……もとい、適応している。
【PM 8:00:お風呂上がりの「天使の休息」】
湯上がり。ログハウスの縁側では、ソラがカマドさんで焼いた『至高の焼きトウモロコシ』を振る舞っていた。
「あ、皆さん、いいお湯でしたか? エリエルさんにマナーを教えてもらったみたいで、良かったです」
「ソラ殿。……本日の湯加減、そしてこのトウモロコシの焼き加減……。……秩序は保たれています。……非常に、非常に素晴らしいです(ムシャムシャ)」
エリエルは、天使としての威厳をどこかに置き忘れたまま、トウモロコシを頬張っている。
隣では、ベアトリクスが「エリエル様、そのバスローブの着方は秩序を欠いていますわ。もっと美しく着こなすべきです」と、天使相手にファッションチェックを始めている。
「……アレン。……俺、もう一生この村の掃除係でいいわ」
「……私も。……天使様があんなに幸せそうにトウモロコシ食べてるのを見たら、外の世界の悩みなんてどうでもよくなったわ」
ガストンとリーナの目は、すでに完全にはざま村の住人のそれへと変わっていた。
【PM 9:30:静かな夜と「ま、いっか」】
夜、村の広場ではジハンキさんが静かに駆動音を響かせ、エリュシオンが夜の帳に合わせた落ち着いたミストを撒いている。
エリエルは、温泉の入り口に『本日ノ治安、異常ナシ』と書かれた看板を立てると、自分の翼を枕にして、満足げな寝息を立て始めた。
ソラは、そんな村の様子を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「天使さんも、元勇者さんも、みんなで一緒にお風呂に入れる。……やっぱり、平和が一番ですね。……ま、いっか!」
ソラの言葉と共に、村の温泉からはさらに一層、優しく温かな湯気が立ち上り、はざま村の夜を神域以上の安らぎで包み込むのであった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




