第82話:黒き森の誇り――ダークエルフ、家事の深淵に触れる
【AM 10:00:誇り高き侵入者と、家事の鉄人たち】
はざま村の境界線に、漆黒の装束を纏い、月光を宿した銀髪をなびかせる一団が現れた。
彼らは大陸北方の魔森を統べる『月影のダークエルフ』。その族長であるヴォルガは、村全体から漏れ出す、眩暈がするほどの高濃度な神聖魔力に眉をひそめていた。
「……何という不敬な光景だ。この『はざまの地』を、あのような軟弱な家屋で汚し、あろうことか元魔王や聖女を家畜のごとく侍らせているとは。……我ら一族が、この歪んだ聖域を正してくれよう」
ヴォルガが背負った『星砕きの弓』に手をかけた、その瞬間である。
「……あら。森の奥に引きこもっていたはずの日陰者の方々が、一体何の御用かしら?」
庭の物干し場にいたエルナが、冷徹な視線を向けた。彼女の背後には、ベアトリクスの『絶望の鎌』が、もはや完全に物干しスタンドとしての自意識を確立し、ソラのパジャマを神々しく支えて地面に突き刺さっている。
「……エルナか。洗濯聖女などと浮かれていると聞いたが、まさかここまで毒されているとはな。……それに、あそこにあるのは魔王軍の至宝『絶望の鎌』ではないか! なぜ、パジャマを干す竿に使われているのだ!」
「あら、羨ましいのかしら? ヴォルガ。この鎌はね、ベアトリクスさんが『ソラ様の洗濯物を干すのに最適ですわ!』と、自ら庭に突き刺した、由緒正しき家事道具ですのよ。貴方のような、落ち葉一つ満足に掃けない野蛮な弓使いには、触れることすら許されませんわ」
一触即発。エルフとダークエルフの数千年の因縁が、今まさに「家事のプライド」を懸けて爆発しようとしていた。
【PM 1:00:ソラの「ま、いっか」と、落ち葉掃除の「理」】
「あはは。二人とも、朝から熱心に打ち合わせですか。賑やかでいいですね」
そこへ、新しい麦わら帽子を被ったソラが、一輪車に山盛りのサツマイモを載せて現れた。
「ヴォルガさんでしたっけ? ちょうど良かったです。今から庭の落ち葉を集めて『焼き芋』を作ろうと思ってたんですよ。……あ、ハクさん。ヴォルガさんたちに、作業用の『神速・竹箒』を貸してあげてください」
『……了解。マスター。……「月影ノ一族」用ニ、闇属性ノ、魔力吸収効率ヲ、高メタ、特製竹箒(漆黒・モデル)ヲ、ビーム転送シマス』
「……なっ!? 我らに掃除をしろというのか……! ……う、動けぬ。この男の放つ『ま、いっか』という波動……、我らの攻撃意思をすべて、強制的に労働意欲へと変換してきおる……!」
ヴォルガの本能が「逆らうな、掃除しろ」と絶叫した。数分後、誇り高きダークエルフの一団は、一族秘伝の精霊魔法を駆使して、庭の落ち葉を分子レベルで完璧な幾何学模様に積み上げさせられていた。
「……エルナ! 見ろ、この落ち葉の配置を! 我らダークエルフの影魔法による、一切の隙のない清掃だ! 貴様のパジャマ干しなど、これに比べれば雑作も同然!」
「何を仰るのかしら。その程度の幾何学、私のパジャマのふんわり仕上げに比べれば、ただの塵も同然ですわ」
その光景を、縁側で胃薬を飲みながら眺めていたアレンが、隣で熱心に床を磨くチッチさんにボソリと呟いた。
「……おい、チッチさん。あいつら見てみろよ。数千年の種族の誇りを、いま完全にゴミの集め方とシワの伸ばし方の優劣にすり替えて戦ってるぞ」
「チチチッ(まったくだ。……だが、あの落ち葉の集積密度、なかなか筋が良いな。我の清掃理論に照らし合わせても、及第点だ)」
「……あんたも鑑定士みたいな顔で評価してんじゃねーよ! 元魔王だろ! ……くそっ、どいつもこいつも、ソラさんの役に立ちたい自慢ばっかりしやがって。……胃が、胃が痛い……!」
【PM 3:00:10円の「森の静寂」と、魂のデフラグ】
焼き上がったサツマイモ――それはソラが無意識に豊穣の加護を与えすぎた結果、一口食べれば全魔力がカンストし、ついでに性格が丸くなるという恐るべき代物だった。
ヴォルガが、皮を剥いた瞬間に溢れ出した黄金の蜜を見て、戦慄した。
「……バカな。……この芋……。我ら一族が数千年守り続けてきた『世界樹の果実』よりも、魔力の純度が高いだと……?」
一口、頬張った瞬間。ヴォルガの脳内に、宇宙の真理が「……ま、いっか」という文字と共に駆け巡った。
「…………美味しい。……ああ、我らは何を争っていたのだ。月光の守護も、一族の再興も……このホクホク感の前では、あまりに些細なことではないか……」
ヴォルガが涙を流しながら、ジハンキさんの前で膝をつく。
『……毎度。……月影ノ族長殿。……焼キ芋ノ、後ハ、10円ノ「神聖月光ソーダ」デ、喉ヲ、潤スノガ、推奨サレマス』
「……意志を持つ神殿よ。……謹んで、我ら一族の全財産(10円玉)を奉納しよう」
エリエルが「あーあ、また一人、10円の軍門に降ったわね」と温泉上がりの格好で通り過ぎる横で、エルナはフンと鼻を鳴らした。
【PM 5:00:多種族掃除体制の確立】
夕暮れ時。ヴォルガ率いるダークエルフたちは、ソラから「お土産」として持たされた『概念固定の洗濯バサミ(予備)』を宝物のように抱え、再び魔森へと戻る……ことはなかった。
「……ソラ殿。我らは、村の裏手の森に拠点を構えることにした。……夜間の警備と、早朝のゴミ出しは、我ら一族に任せてもらおう」
「あはは。賑やかでいいですね。……あ、ヴォルガさん。明日はみんなでお庭の池の泥さらいをしましょうか。ピピさんも喜ぶと思います。ま、なんとかなりますよね!」
ソラののんびりした声が響く中、はざま村には「聖女エルフエルナ」、「元軍団長ベアトリクス」、そして「ダークエルフ族長ヴォルガ」という、絶対に混ざり合わないはずの三翼による、最強の家事・清掃体制が構築された。
「……なぁ、ゼノン。これで村の落ち葉の一枚すら、因果律から抹消されるほど綺麗に掃除されるわけだけど……。これ、攻めてきた軍勢がいたら、戦う前に『靴が汚れてますわ!』って全員除菌されるよな?」
「チチチッ(……それがソラ殿の望む平和というやつなのだろうよ。……さて、我も仕上げの床磨きに戻るとするか)」
アレンの予言通り、翌朝から村には、漆黒の精霊魔法で完璧に地面を磨き上げるダークエルフと、それをチェックする女性陣の怒鳴り声が、平和に響き渡るのであった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




