第79話:聖女と精霊王――至高のふんわりを求めて
【AM 10:00:庭園のランドリー・バトル】
はざま村の朝は、相変わらず世界の理不尽を清潔感というオブラートで包み込んだような輝きに満ちていた。
特に今日、ログハウスの裏庭は、まるで天界の最奥にある『霧の聖域』と見紛うほどの神々しい湿気に包まれている。
「……エリュシオン様。今日も、素晴らしい『ナノミスト』の出力をありがとうございます。ですが……少し、右側のバスタオルへの加湿が足りないように見受けられますわ。これではふんわりが片寄ってしまいます」
洗濯係のエルナが、ソラの『至高のパジャマ』を『神の洗濯板』で洗い上げ、物干し竿(元・絶望の鎌)に干し終えたその時、鋭い指摘を飛ばした。
彼女が手に持っているのは、撫でるだけで因果の汚れを消し飛ばす『因果消滅の雑巾』。
それを指揮棒のように振り、庭の中央で最高級加湿器として鎮座する精霊王エリュシオンを、姑のような厳しさで見つめている。
銀色の髪を朝露と自らの湿気でフワッフワに膨らませた精霊王は、尊大な態度を崩さぬまま、四枚の羽からダイヤモンドの粉のような霧を放出した。
「……フン、愚かなエルフの娘よ。……この我、全精霊の頂点に立つエリュシオンが放つミストは、全宇宙の水分バランスを司る神の雫。……それが貴様の干した綿の塊ごときに不足するなど、物理法則のほうが間違っておるのだ。不満があるなら、この空間の湿度を1000%に固定して、村ごと水中都市に変えてやっても良いのだぞ?」
「……おい、エリュシオン。お前、さっきから洗濯物の乾き具合でエルフの娘とガチで討論してるけど、精霊界の玉座はどうしたんだよ……」
縁側で、ジハンキさんから出てきた『魂を洗浄する麦茶』を飲んでいたアレンが、胃を抑えてツッコミを入れる。
アレンの『万能翻訳』は、二人が纏う圧倒的な神気のぶつかり合いを「……このバスタオルのパイルの立ち上がりが甘い! もっと魔力をナノ粒子化して叩き込め!」という、極めて次元の低いこだわりとして正確に受信していた。
【PM 1:00:聖女のこだわり、精霊王の意地】
エルナにとって、ソラのパジャマを世界で一番ふんわり仕上げることは、もはや信仰を超えた全宇宙的な責務であった。
彼女はエリュシオンのミストを浴びたタオルの感触を、一枚一枚、指先の神経を研ぎ澄ませて確認していく。
「……ダメですわ。これでは、ソラ様が袖を通した瞬間に『あ、今日は少し静電気が起きるな』と、コンマ一秒だけ、思考を乱してしまうかもしれません。……精霊王様、本気を出してください。貴方のその膨大な魔力を、もっとこう、柔軟剤のような愛の波動に変質させるのです! できないとは仰いませんわよね?」
「……愛の波動だと? ……この我に、世界の理を書き換えるほどの魔力を、化学繊維の軟化に費やせというのか……。……クッ、よかろう。マスターに『今日のタオルは、雲を掴むような心地良さだ』と言わせるためならば、我が魔力の根源すらも、このふんわり仕上げに注ぎ込んでやろうではないか! これぞ、全精霊の頂点が贈る、究極のホスピタリティよ!」
エリュシオンの全身が、直視すれば眼球が浄化されてしまうほどの眩い聖光を放ち始めた。
その光は、周囲の気温をソラが最も好む初夏の昼下がり、木漏れ日の下の24.5度に完全に固定。あまりの神々しさに、庭の隅で昼寝をしていた黒猫のクロさん(元冥界王)が、眩しそうに前足で目を覆った。
「……ニャア。(……ククッ。ポチよ、見ろ。あやつ、ついに自分の魔力特性を『静電気防止属性』に書き換えおったぞ。……ま、いっか。あの光、見ておるだけで毛並みがツヤツヤになるからな)」
クロさんが、ポチ(ケルベロス)の背中の上でとろけるように丸くなる。
一方で、掃除係のミナは、この光景を見て「また掃除の手間が!」と発狂しそうになりながらも、そのミストが村中の埃を重力ごと地面に押さえつけていることに気づき、複雑な表情でモップを握りしめていた。
【PM 3:00:ソラの無自覚な調律】
「あはは。二人とも、朝から仲良くお洗濯ですか。賑やかでいいですね」
そこへ、作業小屋で『神速・アイロン箸』の改良を終えたソラが、新しい麦わら帽子を被って現れた。盆の上には、ジハンキさんが「加湿お疲れ様」と言わんばかりに排出した『銀河チーズおはぎ・ナノミスト冷却版』が載っている。
「ソラ様! 見てください、今日の仕上がりを! エリュシオン様の、プライドを捨てた……いえ、プライドを込めた加湿により、このパジャマは今、実体を持たない癒やしそのものへと昇華いたしましたわ!」
「……マスター。……礼には及ばぬ。……これは、このエルフの娘が、我が至高のミストに慈愛が足りないなどと、神話級の不敬な注文をつけるものだから、つい……つい、本気を出してしまっただけだ。……決して、貴殿に褒められたいわけではないぞ」
ソラは、エリュシオンが全身全霊を込めて加湿し、エルナが魂を込めて干し上げたタオルを、そっと手に取った。そして、幸せそうにその白布に頬を埋める。
「わぁ、本当にフワフワ。……まるで、天界の雲の上で、焼きたてのパンに包まれているみたいです。……エリュシオンさん、ありがとうございます。おかげで、今夜はぐっすり眠れそうです。……あ、ハクさん。エリュシオンさんの頑張りに応えて、ジハンキさんの『特選・潤い潤いイチゴオレ』を一本、10円で転送しておいてください」
『……了解。マスター。……加湿器・エリュシオン殿ノ、潤い指数ガ、計測不能ニ、達シマシタ。……「全精霊ノ羨望・イチゴオレ(大容量版)」ヲ、庭園ニ、ビーム転送シマス』
「……フン。……10円か。……だが、マスターが認めたふんわりの代価と思えば、悪くない。……不本意ながら、この勝利の味を噛み締めるとしよう」
エリュシオンは、髪を湿気でポワポワさせたまま、尊大な口調でイチゴオレを受け取り、美味しそうに喉を鳴らした。その光景は、もはや精霊王というよりは仕事終わりの現場監督のそれであった。
【PM 5:00:はざま村の「ふんわり」は世界を救う】
夕暮れ時。村には、エリュシオンのミストが夕日に反射して作り出した、幾重にも重なる虹のアーチが架かっていた。
エルナは完璧に仕上げられたソラのパジャマを、聖遺物を扱うような手つきで抱え、勝利の微笑みを浮かべている。
「……エリュシオン様。本日は、良い仕事ができましたわね。……次は、ソラ様のシーツのハリについて、相談に乗っていただけます?」
「……あ、ああ。……エルフの娘よ。……我がミストを糊付けモードに調整するのは骨が折れるが……よかろう。マスターの安眠のためならば、我は全自動・糊付け機に成り下がっても構わぬ……」
かつての精霊王と聖女。
二人は今、はざま村の家事という名の過酷な修行を通じて、種族を超えた奇妙な戦友としての絆を育んでいた。
「……終わったな。エリュシオンの頂点が、完全にエルナの洗濯助手として定着しやがった。……アトラス帝国の魔法使いがこの光景を見たら、卒倒してそのまま伝説の彼方へ消えるぞ……」
アレンが絶望の淵でツッコミを入れていると、ハクさんのシステムボイスがさらに追い打ちをかける。
『……アレン。……マスターノ、安眠ノタメナラ、ハクサンハ、明日ノ日照時間ヲ、30分延長シテ、乾燥効率ヲ、高メル、予定デス。……太陽ノ、座標計算、完了シマシタ』
「……もう、ま、いっか……。太陽が動こうが、精霊王が加湿器になろうが、おはぎが美味いなら……それでいいよ……」
アレンは、ジハンキさんから出てきた『胃薬・ふんわり仕上げ(飲むと胃壁が世界樹の綿のようになり、全ストレスを吸収する)』を飲み干し、今日もまた、はざま村の圧倒的な平和(と家事の暴走)を全身で受け入れるのであった。
ソラは縁側で、エリュシオンが作り出した洗濯物の上で踊る精霊たちを眺めながら、のんびりと笑っていた。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




