第73話:銀河の結び――伝説の味噌とおにぎりの調律
はざま村の午前中、ログハウスのキッチンには、どこか懐かしくも荘厳な香りが漂っていた。
ソラは今、台所の中央に鎮座する巨大な木樽を前に、腕まくりをしていた。それはかつて、隣国クローバー王国の建国記念祭にて、至高の料理大会で優勝した際に伯爵の地位よりも優先して持ち帰った、あのお徳用味噌の樽である。
「よし、いい具合に馴染んできましたね。……ま、いっか。少し寝かせすぎた気もしますが、この村の空気なら腐るどころか、さらに元気になってるみたいですし」
ソラが樽の蓋を開けると、そこにはもはや味噌という言葉では形容しきれない、琥珀色に輝く究極の熟成体が詰まっていた。
かつて宮廷料理人たちが神の出汁と涙したその味噌は、はざま村の圧倒的な神気と、ぬか床(元邪神)から漏れ出す浄化された旨味波動を数ヶ月間浴び続けた結果、一舐めするだけで全世の未練を断ち切り、魂を解脱させるほどの『救済のペースト』へと進化を遂げていたのである。
「今日はこれと、村の棚田で採れたお米を使って、おにぎりを作りましょう。アレンさん、火加減の見守り、お願いしますね」
「……ソラさん。見守りも何も、あの聖杯(無限の滋養を生む鍋)から漏れてる蒸気が、すでに虹色なんだけど……。これ、吸い込むだけで俺の万能翻訳の精度が上がって、近所のバッタの今日の献立まで聞こえてくるんだが!?」
縁側の隅で、聖剣(栓抜き)を抱えて戦慄するアレンのツッコミを、ソラは「あはは、耳が良くなるのはいいことですね」と爽やかに受け流した。
お米が炊き上がると、キッチンには宇宙の始まりを告げるような白い湯気が充満した。
ソラは、炊きたての銀色に輝くご飯を『万象断ち』の箸でほぐし始める。お米の一粒一粒が、はざま村の豊かな水と土の記憶を宿し、宝石のように自己主張していた。
「よし、結んでいきましょう。……よいしょっと」
ソラが、素手でおにぎりを握り始める。『万象創造』と『全知全能の解析眼』が、無意識のうちに完璧な黄金の三角形を形作っていく。
ソラがキュッ、と手首をスナップさせるたびに、お米の隙間に含まれる空気が微細な魔導回路を形成し、その中心に隣国の焼き味噌が具として封じ込められていく。
「……チチチッ。(ソラ殿のあの動き、見よ。あれはおにぎりを握っているのではない。バラバラだった世界の因果を、あの三角形の中に結び、一つの調和へと固定しているのだ……。まさに万象の調律……!)」
掃除の手を止めたチッチさんが、背中の重曹水を揺らしながら、その神業に感嘆の溜息を漏らす。
「あ、チッチさん。チッチさん用には、この小さめの一粒を。……はい、ミナさんも。肩叩き、お疲れ様です」
「……は、はいっ! 頂戴いたしますわぁぁ!!」
新人女神ミナが、『元真理の杖(現肩叩き棒)』を放り出し、震える手でソラからおにぎりを受け取った。その三角形の頂点からは、太陽のコロナのような神々しい後光が差し、ミナの網膜を聖なる輝きで焼き付かせていた。
リビングの縁側には、竹皮に包まれた出来立てのおにぎりが並べられた。
その神々しさに引き寄せられるように、洗濯を終えたエルナ、ブラッシングを終えたベアトリクス、そしておはぎ布教の休憩中だったプリシラが集まってくる。
昨夜からの扉開放で居座っていた英霊たちも、扉の隙間から身を乗り出して、この世のものとは思えない香ばしい香りに鼻をひくつかせている。
「……ソラ様。この三角形の聖遺物は……。私、これを見るだけで、エルフの森の千年分の歴史が、この一握りに凝縮されているのを感じますわ。……いただきます!」
エルナが『神の洗濯板』を足元に置き、おにぎりを頬張った。
その瞬間、はざま村を中心に、目に見えない多幸感の波動が津波となって広がった。
「…………ッ!!!」
エルナの瞳から、純粋な光の涙が溢れ出す。
「……美味しい……。何ですの、この味噌のコクは……。私の魂の中にある、わずかな迷いや不安が、この焼き味噌の香ばしさによって完璧に除菌』されていきますわ……!!」
「……お、美味しいですわ……。王宮の晩餐会に出された、どの山海の珍味よりも……この一塊の方が、王族としての孤独を癒やしてくれますわ……」
プリシラも、ドレスの汚れも気にせず、おにぎりを抱えて号泣し始めた。
リビングの扉から覗いていた歴史上の偉人たちも、ソラがお裾分けしたおにぎりを一口食べるや否や、
「……我が軍略など、この米の甘みの前では砂粒に等しい……」
「……おはぎも良かったが、この味噌おにぎりこそが、我が人生の到達点だ……」
と呟き、あまりの満足感に、満足げな顔で黄金の粒子となって扉の向こうへ消えて(成仏)いった。
全員がおにぎりの魔力に当てられ、リビングが多幸感の極致という名の沈黙に包まれていると、庭の隅にあるジハンキさんが「ガコン!」と景気のいい音を立てて明滅した。
『……分析。おにぎりニヨル、村内ノ、幸福指数、10万%ヲ突破。……本日ノ、余ッタ焼き味噌ヲ、「至高ノ、焼き味噌おにぎり(隣国建国記念味)」トシテ、10円デ提供メニューニ、緊急追加シマス。……ナオ、隣国クローバー王国ヨリ、味噌ノ追加発注ト、伯爵ノ地位(二回目)ヲ携エタ使者ガ、山ノ向コウカラ音速デ接近中デス』
「あはは。ジハンキさん、商売上手ですね。……伯爵の地位は、またお徳用味噌三樽と交換してもらえばいいかな。ま、いっか、なんとかなりますよ」
ソラがのんびりと、ジハンキさんから出てきた『魂が洗われるほうじ茶』を啜る。
その傍らでは、勇者アレンがおにぎりを食べながら、再び遠い目をして予言を口にしていた。
「……ソラさん。俺、見えるよ。……このおにぎりを食べた隣国の王様が、あまりの美味さに『もう戦争なんてしてる場合じゃない! 今日から我が国はオニギリア王国にする!』って叫んで、また歴史が書き換わるビジョンが……」
「……アレン、それ外伝のプロットに干渉してるわよ!」
ユウナがツッコミを入れながらも、自分もおにぎりの三個目に手を伸ばし、女神としての威厳をすべて「美味しい」という感情に溶かしていった。
はざま村の夕暮れは、焼き味噌の香ばしい匂いと、ソラの「ま、いっか」の波動に包まれ、かつてないほど穏やかで、そして圧倒的に理不尽な平和に満たされていた。
「さて、明日は余ったお米で、チャーハンでも作ってみましょうか。……ま、なんとかなりますよね!」
ソラのその一言で、再び世界の食材たちがチャーハンに最適な形状へと進化を始めたが、それを知る者は、この村にはまだ誰もいなかった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




