第72話:囲碁とタンポポと、新人女神の焦燥
はざま村の朝は、今日も世界の理が「ま、いっか」の音色に合わせて調律されることから始まった。
リビングの厨子の扉は、ソラが風通しを良くするために開け放ったままだ。
その扉から漏れ出した、あの世とこの世を繋ぐ桃色の神気と、ミナが良かれと思って撒き散らした『高圧聖水(副作用:生命活性)』。
この二つが庭で混ざり合った結果、庭のタンポポ自警団は、もはや植物の範疇を完全に逸脱していた。
「……タンポポォ。(……そこだ。北斗の理、いまここに断つ……)」
巨大化したタンポポが、筋肉質な茎を器用に動かして、白黒の石――実際にはソラが『お漬物の重石の予備」』として削り出したオリハルコンの小石――を盤上に置いた。
対局相手は、扉の向こうから遊びに来ていた伝説の軍師、諸葛亮の霊である。
「……むう。この植物、一手ごとに宇宙の因果を動かしてきおる。……はざま村のタンポポとは、これほどまでに奥深いものだったのか……」
伝説の軍師が、霊体でありながら冷や汗を流し、一手に一時間をかける。その周囲には、扉の向こうから集まった英雄や賢者たちが人だかりを作り、「おお……!」「そこは概念的に王手だ!」と野次を飛ばしている。
そこへ、新調した麦わら帽子を被ったソラが、お盆を持って現れた。
「あはは。皆さん、朝から囲碁大会ですか。楽しそうですね。……あ、ハクさん。皆さんの喉が渇かないように、いつものほうじ茶、お願いします」
『……了解。マスター。……霊体用「おもてなし給茶機」、庭園ニ、ビーム転送シマス。……ツイデニ、囲碁盤ノ座標ヲ、宇宙ノ均衡ガ崩レナイ程度ニ補正シマス』
「いつも助かります、ハクさん。……はい、皆さん。差し入れの『銀河チーズおはぎ』ですよ。食べながらゆっくり対局してください。ま、いっか、時間はたっぷりありますから」
ソラがおはぎを置くと、対局中の軍師も、それを見守っていた英雄たちも、一瞬でおはぎの芳醇なチーズの香りに「……ま、いっか。勝負なんて、おはぎの前では無意味だ」と悟りを開き、仲良く頬張り始めた。
そんな穏やかな(?)光景を、ログハウスの影から震える目で見つめる少女がいた。新人女神ミナである。
彼女は現在、掃除係見習いとしてチッチさんに師事しているが、今の光景を見て、かつてない焦燥に駆られていた。
「(……信じられませんわ! 掃除係としての私の立場が、あの『おしゃべりタンポポ』たちに脅かされていますわ! あの子たち、囲碁を打ちながら、隙を見て根っこで地面の除霊掃除まで終わらせていますもの!!)」
ミナは、自分の『ルミナス・モップ』を握りしめ、チッチさんに詰め寄った。
「チッチ様! 見てください! 掃除係としての私たちの誇りが、あの自警団タンポポに奪われようとしていますわ! このままでは、私はソラ様に掃除もできない置物女神として天界へ着払いで返送されてしまいますぅぅ!!」
「チチチッ!(……ミナ殿。落ち着け。掃除とは、誰かと競うものではない。己がどれだけ、ソラ殿の平穏のために塵になれるかだ)」
チッチさんは、ソラ特製の重曹水を背負い、鼻先をヒクヒクさせながら冷静に答える。
「……くっ! 悟りきった顔をして! 私は……私はソラ様に、もっとお掃除のスペシャリスとして認められたいのですわ! エルナ様のように、神器を私物化してまで洗濯聖女と呼ばれるような、圧倒的な居場所が欲しいのです!!」
ミナは叫ぶと、天界から密かに持ち込んでいた最高位宝具『真理の杖』を取り出した。
「これですわ! これを……これをお掃除用に改造すれば!!」
『……警告。ミナ。……ソノ杖ノ、改造ハ、危険デス。……ソラ様ノ「ま、いっか」波動ト、天界ノ厳格ナ魔力ガ、衝突シテ、爆発スル、可能性ガ、98%デス』
ジハンキさんのモニターからハクさんの冷静な警告が飛ぶが、焦ったミナの耳には届かない。彼女は、宝具の先端に古い布(天衣無縫の端切れ)を無理やり巻き付け、『概念消滅・超音波布団叩き』へと改造し始めた。
「見てなさい! これで村中の布団を叩けば、不浄の概念をすべて灰にして差し上げますわぁぁ!!」
その頃、庭の囲碁大会は、いよいよ佳境に入っていた。
軍師・諸葛亮が、最後の一手を打とうとした瞬間、盤面が天界の怒りのような紫色の雷光に包まれた。
「……むう。もはやこれまでか。我が知略を尽くしても、このタンポポの理には届かぬというのか。……さらばだ、我がプライドよ……」
軍師が絶望して消滅(成仏)しかけた、その時だった。
「あ、そこ。石の置き方を少しだけ変えると、もっと綺麗に見えますよ。……よいしょっと」
ソラが、急須を持ったまま、『神器:万象断ち』で、盤面の隅に落ちていたアブラムシの死骸を、さらっと一手の場所に動かした。
その瞬間、庭全体が、目も眩むような黄金の波紋に包まれた。
ソラが箸で指した場所から、黄金のひまわりが音速で急成長し、盤面全体が勝利や敗北を超越した、一枚の完璧な美しい風景へと再定義された。
「…………なっ!!!」
軍師も、英雄たちも、そして巨大タンポポまでもが、その一手に込められた「ま、いっか(全肯定の理)」の深さに、魂を射抜かれたように硬直した。
「……そうか。勝負など……石の並びなど……どうでも良かったのだ。……このお茶と、おはぎ。そして、この穏やかな日差し。……これこそが、我が求めていた真理……。……ああ、満足だ……」
軍師たちが一斉に、後光を背負いながら「参りました……」と呟き、満足げな顔で扉の向こうへと消えていった。
「……出たよ、ソラさんの無意識の調律だ! 箸一本で、歴史上の偉人たちの執着をすべて洗浄して、ハッピーエンドで成仏させやがった!!」
アレンの叫びが響く中、ミナが完成させた『超音波布団叩き』が、ソラの放った黄金の波紋と共鳴し、ポフンッ、という情けない音と共に、ただの『よくしなる棒』に変化した。
「……え。私の真理の杖が……ただの、肩叩き棒に……?」
「あ、ミナさん。ちょうどいいところに。アレンさんが肩が凝ってるみたいなので、その棒でトントンしてあげてください。ま、いっか、お掃除は明日もできますから」
ソラがニコニコと微笑むと、ミナの瞳から涙が溢れ出した。
「……はい。……トントン、しますわぁぁ!! 掃除係なんて、もうどうでもいいですわ! 私は、ソラ様の肩叩き係になりますぅぅ!!」
「……おい、俺の肩をその『元・真理の杖』で叩くな! 神気が強すぎて、俺の肩が神格化して翼が生えそうなんだよぉぉ!!」
はざま村の夕暮れは、今日も一人の新人女神のプライドが肩叩き棒に溶けていく音と共に、穏やかに更けていった。
リビングでは、エルナが『神の洗濯板』でパジャマを磨き上げ、ベアトリクスがチッチさんをブラッシングし、プリシラがおはぎの在庫をチェックしている。
「ま、なんとかなりますよね!」
ソラののんびりした一言が、神域と化した村を優しく包み込み、明日への新しい混沌(と10円)を約束していた。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




