第65話:聖域の名付け親(ネーミング・ライツ)――あるいは、最強たちの戦慄
はざま村の朝は、ソラが目覚まし時計として作業小屋で作った『因果律振動ベル』の、穏やかすぎる音色で始まった。
庭では、今日という記念すべきパジャマ試着式のために、村のファミリーが総出で集まっていた。
「アレンさん、皆さん、おはようございます。……あ、ハクさん。おもてなし床のワックスがけ、バッチリですね」
ソラは新調した麦わら帽子を被り、手には星の塵でキラキラと輝く特製パジャマを抱えて現れた。帽子の『最高神の羽』が朝日を浴びて、全次元に「おはよう」と宣告するような神光を放つ。
「……あ、ああ。ソラさん、おはよう。……なんだろうな。今日のソラさん、妙に存在感の解像度が高い気がするんだけど……俺の解析眼の故障か?」
アレンが胃を押さえながら呟く。その予感は、ソラの次の一言で戦慄へと変わった。
「あ、ゼノンさん。そこ、綿埃が残ってますよ」
……静寂。
一瞬、はざま村を流れる時間が物理的に停止した。
ハムスターの姿で箒を動かしていたチッチさんが、石のように固まった。
「……チ、チチッ!?(ソ、ソラ殿……!? 今、我を……『ゼノン』と呼んだか!? 我が、魔界を統べ、神々を屠った頃の忌まわしき真名を……!?)」
チッチさんの小さな体から、かつて世界を絶望させたドス黒い魔力が溢れ出そうになるが、ソラが「はい、どうぞ」とヒマワリの種を差し出した瞬間、その魔力は香ばしい匂いへと強制変換された。
「あ、次はケルベロスくん。パジャマ、着てみましょうか」
「ガウッ!?(えっ!? 俺、ポチじゃないの!? 冥界の番犬としての本名を、そんな『ポチ』と同じトーンで呼ばれるの!?)」
ポチの三つの首が同時に硬直する。ソラがケルベロスと呼んだ瞬間、彼の三つの魂が因果律の鎖で一本に束ねられ、逃げ場のない飼い犬として再定義(上書き)されていく感覚に襲われたのだ。
さらにソラは、足元で『創世のサンダル』を枕に二度寝しようとしていた黒猫を見下ろした。
「ハデスさんも、いつまでも寝てちゃダメですよ。ほら、起きて」
「……ッ!? ニャ、ニャアァァ!?(何を言うのだソラ! 我の真名を……! 呼ばれた瞬間、我の威厳が、朝のラジオ体操レベルまで矮小化されていくぞ!!)」
クロが尻尾をピーンと立てて飛び上がり、その瞳には「飼い猫としての完全敗北」が入り混じっていた。
「……っ!! ソラくん、あんた今、何をしたの!?」
ユウナが叫びながら詰め寄る。
「え? 何って、呼び方を変えてみただけですよ。ユウナさんが昨日『本名って大事だよ』って言ってたじゃないですか。だから僕も、皆さんのそれっぽい名前を解析眼で……あ、老眼鏡ですね。えーっと、老眼鏡で読み取ってみたんです」
「(……やっぱり! あの『老眼鏡』、ついに魂の深淵まで覗き始めやがった!!)」
アレンの叫びを無視して、ソラは肩に乗ったアカさんを指先で突いた。
「イグニールさん。チーズおはぎの食べ過ぎはダメですよ」
「ポポポォッ!?(……ひっ! 終焉龍としての我が真名が、チーズの咀嚼音と共に呼ばれただと!? 殺される……逆鱗に触れられたどころか、魂の根っこを素手で掴まれた気分だ!!)」
「あ、それから池のリヴァイアサンさんも。今日は水飛沫を控えめに」
「ピピピッ!?(……は、はいぃっ! 蛇に睨まれたカエルというか、ソラ様に名前を呼ばれただけで、私の属性が『水』から『ソラ様専用の飲料水』に書き換えられた気がします!!)」
はざま村の重鎮たちが、次々と本名を呼ばれるたびに、彼らが守ってきた最後のプライド――いつかは元の姿に戻るという希望――が、ソラの無自覚な支配によって、10円自販機の補充用在庫のように整理されていく。
最後に、ソラは縁側のぬか床に向き直った。
「ヌカドゥーラさん、今日の浸かり具合はどうですか?」
「ポコポコォォ!!(……ああああ! 呼ばれるたびに、我が邪神としての存在が、乳酸菌の善意でコーティングされていく! ヌカドゥーラ……その名はもう、美味しい漬物のブランド名にしか聞こえん!!)」
村中が、かつてない戦慄と全知の支配に包まれ、アレンですら「……俺も、そのうち本名を呼ばれて、世界の観測者とかに固定されるんだろうな……」と遠い目をした、その時だった。
ソラが、ふと自分の頭を掻きながら、首を傾げた。
「……うーん。やっぱり、言いにくいですね。ゼノンさんにイグニールさん、ハデスさんにリヴァイアサンさんにヌカドゥーラさん……。なんだか舌を噛みそうです」
ソラは、麦わら帽子の位置を直し、いつもののんびりした笑顔に戻った。
「やっぱり、チッチさんにアカさん、クロさんにピピさんにぬか床さんの方が、しっくりきますね。呼び慣れた名前が一番です。……ね、ポチ?」
「ガウッ!!(……ポ、ポチに戻ったぁぁ!! 助かった、俺、ただのポチでいい! 三つの首を持つ最終兵器じゃなくて、ご主人のポチでいいんだ!!)」
ポチが狂喜乱舞して尻尾を振り、その風圧で再び隣の山の雲が吹き飛ぶ。
「チチチッ!(……ふぅ。一時はどうなることかと思ったぞ。我が真名が『重曹水のラベル』に固定される未来が見えたからな……)」
「ポポポ……。(……我も、アカでいい。イグニールなどという仰々しい名は、肩が凝るだけだ……)」
「ピピピ……(……助かりました。私も『ピピ』が一番落ち着きます……)」
「ニャア……(……我は、クロでよい。……クロがよいのだ)」
人外の面々が、安堵の溜息(と泡と火花)を漏らす。ソラにとって、彼らの真名を呼ぶことは、ただのちょっとした気分転換でしかなかった。
だが、呼ばれた側にとっては、それは死刑宣告よりも重い存在の固定だったのである。
「さあ、ポチ。キラキラパジャマを着てみましょう! ……ま、なんとかなりますよ!」
ソラがいつもの決め台詞を吐き、ポチの背中に虹色のパジャマを被せる。
名前を呼ばれた衝撃で意識が朦朧としていた最強の番犬は、そのまま宇宙一防御力が高い(そして可愛い)パジャマ姿へと変貌し、はざま村の朝は、再びいつも通りの穏やかな狂気に戻っていった。
「(……ソラさん。あんた、今わざとやったろ。……最強の連中を完全に分からせて、自分のペットとしての序列を叩き込んだだろ……)」
アレンが震えながらジハンキさんに10円を投入し、『ハクの涙』を飲み干す。
その横で、ユウナは自分の神格がソラくんの呼び方一つで消えることを悟り、そっと考えるのをやめた。
その夜、ソラはふと思い立ち、リビングの隅にある小さな『厨子』――守護神たちを祀る場所――の扉を、閉めずに開けたままにして床に就いた。
「閉めちゃうと、中の方が寂しいかなと思って。開けておけば、みんなも遊びに来やすいですからね。ま、いっか!」
「……おい、ソラさん。あそこ、あんたが作ったせいで、開けっぱなしにすると天界と冥界が『飲み屋の常連』みたいに出入りするんだぞ……」
アレンのツッコミも虚しく、開かれた扉からは、穏やかで懐かしい光が漏れ出していた。
はざま村の平和は、主の気まぐれな「ネーミング・ライツ」と、開かれた扉の先の「ご先祖様(?)」たちによって、今日も強固に守り抜かれるのであった。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます!
今回は住人たちの
「真名」を呼ぶ回でした。
呼ばれた側は
死刑宣告より重い
「存在の固定」を受けているのに
ソラさんは
「言いにくいのでやめます」
で全部元に戻す……
このキャラクター、
本当に罪深いと思います笑
チッチさんの
「重曹水のラベルに固定される未来」
というくだり、
書いていて一番笑いました!
これからも
はざま村の日常をお届けします!
ま、いっか!




