第63話:発酵の極致――チーズが語り、おはぎが宇宙を調停する
はざま村の昼下がりは、いつも通り、平和という名の未知の現象に満ちていた。
縁側で、ソラは100円均一で買ったような半透明のプラスチックボウルを前に、鼻歌まじりでお箸を動かしている。
その手つきは、まるでお昼休みの工作でも楽しむかのように軽やかだ。
「よし、いい感じに発酵してきましたね。……ま、いっか。もう少しだけ、キュッキュッと練っておきましょう」
ソラが、万象断ちの箸でボウルの中の白い塊――自家製チーズ――を突いた。
その瞬間、隣で『飲むだけで寿命が100年延びる麦茶』を優雅に飲んでいたユウナは、盛大に中身を吹き出した。
「(……今、何か起きたわよね!? ……また、ソラくんが何かをしようとしてる……お箸で突いただけのように見えるけど……!?)」
ユウナの目には、ソラが箸を動かすたびに、チーズの分子構造が悲鳴を上げながら組み換わり、食べると全知の叡智を授かる黄金の比率に収束していくのが見えた。
かつて天界で調べようとした際、あまりの情報の巨大さに端末が爆発したあの感覚が脳裏をよぎる。スキルという道具を使っているようにも見えるが、それ以上に、世界そのものがソラの指先に合わせて必死に形を整えているようにも見えるのだ。
「……ねぇ、ソラくん。そのチーズ、さっきから『神々の凱歌』みたいな重低音が漏れ聞こえてくるんだけど、一体どうやって練ってるの?」
ユウナが引きつった笑顔で尋ねると、ソラはのんきに首を傾げた。
「え? 音ですか? ……あ、発酵が元気な証拠ですかね。今日はこれとはざま村の小豆を使って、新しい特産品『銀河チーズおはぎ』を作ろうかなって。アレンさんも、最近ツッコミ疲れで顔色が悪いみたいですし、元気が出る甘いものをと思って」
「(……アレンの顔色が悪いのは、あんたの規格外さに魂が削られてるからよ! それにおはぎ……! 嫌な予感がするわ。外伝であの国を塗り替えた元凶が、今ここで誕生しようとしている……!)」
そこへ、チッチさんが、ゴールデンハムスターの姿でトコトコと現れた。背中には、ソラ特製の『概念汚れも落とす重曹水』の霧吹きを背負っている。
「チチチッ!(ソラ殿! そのチーズ……ただならぬ気配を感じる! 我が魔界にいた頃の深淵の力など、このチーズの気泡一つ分にすら及ばぬぞ!)」
「あ、チッチさん。お掃除お疲れ様です。……よいしょっと。じゃあ、このチーズを特製おはぎの上に載せて……はい、完成です!」
ソラが、何の変哲もない、少し欠けたしゃもじでおはぎを丸める。
ユウナが凝視しても、ソラがスキルを意識的に発動した気配はない。しかし、ソラが手首をスナップさせるたびに、おはぎの中に小宇宙が圧縮され、一個につき銀河三つ分くらいの質量エネルギーが美味しさへと強引に変換されていく。
それは創造というより、最初からそうであったという事実に世界を上書きしているような、不気味なほどの自然さだった。
「……できました。『はざま村特産・銀河チーズおはぎ(プロトタイプ)』です!」
見た目は、真っ白なクリームチーズが載った、少しオシャレなおはぎだ。
だが、その背後には神々しい後光が差し、周囲の空気は浄化されすぎて、もはや吸い込むだけで肺がクリスタルのように透き通るほど清浄になっていた。
「おーい、アレンさーん! 試食のお願いです!」
庭で、聖剣エクスカリバー(現在は栓抜き兼、肩叩き棒)を磨いていたアレンが、死んだ魚のような目でやってきた。
彼は『万能翻訳』の力で、チッチさんやポチの驚愕の叫びを全て理解してしまっている唯一の人間だ。
「……ソラさん。俺、最近思うんだ。……あんたが試食って言うときは、だいたい俺の常識が物理的に破壊されて、存在理由が更地になる時だって……」
「そんな大げさな。ほら、チーズの塩気とおはぎの甘さが絶妙ですよ。ジハンキさんのイチゴオレにも合うと思います」
アレンは諦めたように、銀河チーズおはぎを一口、口に運んだ。
その瞬間、はざま村の上空に、巨大な仏と天使が手を取り合って踊る幻影が現れた。
「…………ッ!!!」
アレンの口から、虹色の光が漏れ出す。
「……見えた……。俺、今、宇宙の真理と握手したわ……。あと、前世で失くした10円玉が、異世界の王宮の床の隙間に挟まっていて、それをパジャマ姿の誰かが拾い上げているビジョンが見えた……。なんだこれ、美味いとかそういう次元じゃねぇ。『全人類、ま、いっか』ってなって、武器を捨てて土を耕し始めるレベルだぞこれ!」
「(……やっぱり! アレンが外伝の予言をし始めたわ!)」
ユウナが頭を抱える横で、プリシラが、おはぎの香りに誘われてフラフラとやってくる。彼女の王族としての理性は、はざま村の食べ物の香り」負け、村人化が深刻に進んでいる。
「……ソラ様。その……光り輝く物体は、一体何ですの……? 私、王族として数々の美味を食して参りましたが、これほどまでに魂の洗濯を予感させる食べ物は初めてですわ。……はぐっ。…………あああああ!! 王族としての、私の誇りが、チーズの芳醇な香りに除菌されて消えていくぅぅ!! 今日から……今日からこの国は……オハギ……オハギニア王国になりますわぁぁぁ!!」
「(……確定しちゃったじゃない!! 姫様が自分の国を、外伝と同じ名前で改変しようとしてるわよ!)」
ソラは、そんな狂乱の試食会を眺めながら、満足そうに頷いた。
その傍らでは、黒猫の姿をした冥界王クロさんが、ソラの膝の上で「ニャア(……冥界の玉座より、このおはぎ一つの方が価値がある。死者も全員生き返ってダンスを踊るレベルだ)」と喉を鳴らしている。
「あ、クロさんも食べたいですか? よいしょ。……ポチも三つの首で喧嘩しないように、三個用意しますね」
ポチは、三つの首で「ワン!ワン!ワン!(左首:脳が溶ける! 中首:魂が震える! 右首:明日からお掃除頑張る!)」と歓喜の咆哮を上げ、はざま村の結界をより一層強固なものへとアップデートしてしまった。
「よし、決まりですね! 明日の宴会では、これを1,000個くらい作りましょう。ベアトリクスさんに洗濯を早めに終わらせてもらって、エリュシオンさんには会場の加湿(ナノミスト放出)を頼みましょうか。ピピさん、水質の管理は任せましたよ?」
手のひらサイズのピピさんが、「ピピピ!(了解です! 海の底までこのチーズの香りで満たします!)」と元気に水槽から飛び出した。
ユウナは、最後のおはぎを口に放り込み、その信じられないほどの多幸感に、全ての思考を放棄した。
「……うん。美味しい。……ま、いっか。ソラくんがスキルを使っていようがいまいが、この村でおはぎを食べていられれば、なんとかなりますよね!」
女神までもが完全に「ま、いっか」の波動に同化し、はざま村は今、かつてないほどの平和(と宇宙規模のOS書き換え)に包まれようとしていた。
その日の夜。
天界の観測所では、「はざま村を中心に、銀河系の解像度がおはぎ仕様にアップデートされました! 太陽系が小豆色に染まっています!」と天使たちが泡を吹いて倒れていたが、ソラは縁側でジハンキさんのイチゴオレを飲みながら、のんびりと星空を眺めていた。
「……あ、明日はポチのパジャマ、もう少しキラキラにしようかな。ま、なんとかなりますかね!」
ソラがそう呟いた瞬間、夜空のシリウスが、より一層美味しそうな色に輝きを変え、銀河全体の物理定数が、ソラのDIYに適した数値へと勝手にシフトした。
それがスキルの効果なのか、それとも世界の意思なのか。
真実を知る者は、この宇宙にはまだ誰も存在しない。
はざま村の平和は、今日もしっかりと――そして理不尽に――維持されるのであった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




