第62話:チッチ、ベアトリクスの重すぎる愛から逃亡する
はざま村の平和な午後。ソラが先日「日差しが強いから」と新調した『真・麦わら帽子』。
それが放つ、天界の加護すら児戯に等しい清涼な風が、村全体をやさしく包み込んでいた。
だが、その絶対聖域の一角で、チッチさん(元魔王ゼノン)は、かつてない存亡の機に直面していた。
「さあ、ゼノン様! 逃げちゃダメよ! その毛並みに潜む『微細な呪い(目に見えない汚れ)』を、私の概念浄化ステップと共に、根源から消滅させてあげますわ!!」
「チチチッ!?(げぇぇぇ!? 待てベアトリクス! 我は魔王だぞ! そのブラシ、回転するたびに空間が削れて火花が散っておるではないかぁぁ!)」
チッチさんは短い足をフル回転させ、ソラが「滑りがいいように」と日曜大工で磨き上げた縁側を猛スピードで駆け抜ける。
その後ろでは、ベアトリクスが、かつての獲物である『絶望の鎌』を魔改造した『超高頻度・振動ブラシ』を手に、優雅かつ苛烈なステップで追撃していた。
彼女にとって洗濯(洗浄)はもはや信仰。汚れ一つ、毛玉一つ許さないその執念は、今やチッチさんの毛根を唯一の標的に定めていた。
「……おい、待て。あのブラシ、さっきソラさんが『静電気が起きないように』って、大気の魔力を直接吸引して『虚無』に変換するように、庭の工具箱にあったペンチで弄ってたやつじゃねぇか!」
アレンが、縁側でエクスカリバー(現在、瓶ビールの栓抜き仕様)を手に絶叫した。
「ベアトリクス! やめろ! そのブラシで擦ったら、ゼノンの毛どころか、存在そのものが『概念浄化』されて白紙になっちまうぞ!! ゼノンの背中から光子が漏れ出して、存在が透けてきてるだろぉぉ!!」
「うるさいわねアレン! これは愛よ! 全てを白く染め上げる、滅私奉公の愛よ!!」
ベアトリクスの瞳には、もはや洗浄対象しか映っていない。彼女がステップを一歩踏むたびに、村の空間が除菌され、周囲の雑草が恐怖のあまり消滅していった。
「チチチッ!!(もう限界だ! 我は避難する!)」
チッチさんは、ベアトリクスの浄化ステップによる包囲網を間一髪で潜り抜けると、村の中央に鎮座する赤い箱へと決死のダイブを敢行した。
ソラが作り上げた、今や次元転移門すら展開可能な最強コンシェルジュへと進化したジハンキさんである。
「ゼノン様!? どこへ行ったの!? 私の浄化からは、次元の果てまで逃げられないですわ!!」
ベアトリクスがブラシを構えてジハンキさんの前に立ちはだかる。だが、チッチさんは取り出し口の奥、黄金の歯車が噛み合う因果律の隙間へと、液体のように滑り込んでいった。
『……ガコン。……生体反応、確認。……個体名:ゼノン。……緊急避難プロトコル、承認。……現在、内部ノヌカ床エリア(邪神居住区)カラノ干渉ヲ遮断シ、特別待機室へ案内中デス』
ジハンキさんが、重厚で理知的な合成音声で告げる。
「ジハンキさん! ゼノン様を出しなさい! 私の仕上げの概念ワックス塗布がまだ終わってないですわ!」
『……拒否シマス。……ゼノン様ハ、現在、当機ノ「本日ノ、超・目玉景品(非売品)」トシテ、保護ラインヘ、投入サレマシタ。……ナオ、無理ナ解体ヲ試ミル場合、内蔵サレタ「超新星爆発(超圧縮版)」ヲ起動シ、村周辺ノ衛生状態ヲ物理的ニリセット(消滅)シマス』
「……目玉景品ってなんだよ!! あとさらっと村を消滅させる予告すんな! 自販機から魔王が出てくるわけねぇだろ!!」
アレンの必死のツッコミを背に、ジハンキさんの表示パネルが、ソラの「なんとなくの工夫」の結晶である虹色の明滅を開始した。
【本日限定:至高の黄金モフモフ・ディフェンダー(激レア) 10円】
「あはは。ジハンキさん、チッチさんのことを守ってくれてるんですね。仲良しだなぁ」
ソラが新調した麦わら帽子の影から、のんびりと縁側に座ってお茶を啜った。
「ソラくん!? あなた、ゼノンが10円で売られようとしてるのに、その落ち着きは何なのよ!?」
ユウナがおはぎを喉に詰まらせかけながら問い詰めるが、ソラはどこまでも穏やかだ。
「だって、ジハンキさんの中は気密性も高いですし、何より『10円』を入れられない限り、外からは手出しできませんから。……あ、ほら。チッチさん、中で予備のイチゴオレを枕にして、ぬか床さんとチェスを始めましたよ」
自販機のサンプル窓を覗き込むと、そこには『イチゴオレ(現品)』の缶の横で、丸くなって優雅にくつろぎ、虚空に向かって駒を動かすチッチさんの姿があった。
ジハンキさんは、ソラが「温度管理に便利かな」と適当に組み込んだ次元管理機能をフル活用し、チッチさんにちょうどいい聖域の微風を送り込み、さらには内部の在庫おやつを試供品として提供していた。
「……あいつ、完全にあの場所を『防空壕』として使いこなしてやがる……!! しかもジハンキさん、お前も『おはぎ(ユウナの隠し財産)』を勝手に景品に並べるんじゃねぇよ!!」
アレンの絶叫は、もはや「はざま村」ののどかな環境音の一部と化していた。
「……そ、そんな……。私の概念浄化ブラッシングが……自販機の因果律遮断壁に阻まれるなんて……」
膝をつき、絶望するベアトリクス。
だが、そこへ運悪く(あるいは幸運にも)、洗濯を終えた聖女エルナが、ピカピカの10円玉を持って現れた。
「あ、あの……ジハンキさん。ソラ様の慈愛が詰まった、喉を潤すお導きを一つ……。……あら? この『至高の黄金モフモフ』というのは、ソラ様の新しい啓示かしら? ……ポチッと」
ガチャン。
10円が投入され、ジハンキさんの内部で複雑な魔導回路が神の凱旋を奏でた。
『……アリガトウゴザイマス。……ソラ様ノ、慈愛ヲ、モフッテ、クダサイ。……返品、不可デス』
ゴトン。
取り出し口から出てきたのは、透明な特製カプセル(※外部からの干渉を100%遮断する絶対障壁)の中で、完全にドヤ顔で腕を組んだチッチさんだった。
「……う、うわぁぁ!! 尊いです!! 触るだけで、私の信仰心が物理的に発光していくわ!! 流石はソラ様のお作りになった御神体!!」
エルナが狂喜乱舞し、チッチさんを『新時代の聖遺物』として掲げ、その場で祈祷を開始した。
「ゼノンさまぁぁぁ!! それは私のブラッシング対象……じゃない、家族ですわぁぁぁ!! 返しなさい!!」
ベアトリクスが再びブラシを構えて、概念浄化ステップで猛突進を開始した。
「チチチッ!?(また来たぁぁぁ!? エルナ、早く我をソラの麦わら帽子の下に運べぇぇ!! そこが唯一、あのアホ女帝の干渉を受けぬ安全地帯だ!!)」
チッチさんはエルナの手から弾丸のように飛び出すと、庭でお手の練習をしていたポチの三つの首の間に飛び込み、一時的な要塞を築いた。
「(……ああ、もう終わりだ。この村、ソラさんの帽子とジハンキさんのせいで、もはや脱出不能な『癒やしのバグ聖域』になってやがる……!!)」
アレンの喉が完全に枯れ果てたところで、はざま村の夜は更けていく。
その後も数時間にわたり、チッチさんはポチの背中、エリュシオンのナノミストの中、果てはクロさんの頭の上へと逃げ込み続け、ベアトリクスの愛(超振動研磨)から逃亡し続けた。
最終的に、疲れ果ててソラの膝の上へとたどり着いたチッチさん。そこはソラの『真・麦わら帽子』が作り出す、宇宙で最も平穏な影の中だった。
そこへ、クロさんが「……ニャア(……我の縄張りに来るな。だが、その毛並みの乱れは不憫だな)」と、一舐めして毛並みを整えてあげたことで、ようやく騒動は収束した。
「チッチさん。災難でしたね。……ま、いっか! ベアトリクスさんも、次はもう少し優しくしてあげてくださいね。ほら、チッチさんも怖がってますから」
「……わかったわ。次は『非接触・概念投影ブラッシング』をソラ様に開発してもらいますわ……直接魂を洗うの……」
「それ、ただの洗脳装置だろ!! ゼノンの自我が浄化されて消滅するわぁぁ!!」
アレンの最後のツッコミが夜の静寂に消えていく中、ソラとチッチさんとクロさんは、麦わら帽子の下で穏やかな寝息を立てていた。
その横で、ジハンキさんが『……売上、10円。……チッチ様、レンタル料、回収完了デス』と、静かに帳簿を更新し、明日の『10円おにぎり』の仕込みを開始していた。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




