第61話:聖域の天蓋――作業小屋で編まれる『概念(麦わら帽子)』
カザル遠征を終え、はざま村に帰還した穏やかな午後。
ソラは村の入り口で足を止めると、愛用の麦わら帽子を脱いで、まじまじとそのツバを見つめた。
「……うーん。やっぱり、この帽子だと日差しがちょっと透ける気がしますね。カザルでユウナさんが暑そうでしたし、少し編み直そうかな」
「……えぇ、そうね。あの街の光は、天界の審判の光より熱かったわよ……。……って、ソラくん? 今さらっと編み直すって言った?」
ユウナが、保冷バッグから『ハクの涙』を取り出し、一気に飲み干しながら問い返す。
ソラはニコニコと笑いながら、村の隅にある作業小屋へと歩き出した。
「(待て待て待て! 嫌な予感しかしないぞ!)」
アレンが慌ててその後を追う。
「おいソラさん! その帽子、たしか以前そこらへんの麦で編んだって言ってたよな!? だったら買い直せばいいだろ! わざわざあの魔窟(作業小屋)に入る必要ねぇだろ!」
「あはは、アレンさん。自分で作った方が、サイズもぴったりにできますから。ま、いっか! すぐ終わりますよ」
「よくねぇよ! お前の『すぐ』は世界がひっくり返る前兆なんだよ!!」
アレンの絶叫を背に、ソラは作業小屋の扉を軽やかに開けた。
小屋の中に入った瞬間、ソラの職人スイッチが入った。
ソラは作業台の上に、はざま村産の乾燥麦を広げた。だが、それはアレンの目には、もはや麦には見えなかった。
「えーっと。まずは通気性を良くして……。それから、被っている人の周りだけ『一番過ごしやすい春の午後』になるように……」
ソラが『万象断ちの箸』を手に取り、麦を編み始める。
指が動くたびに、小屋の中にバチバチと落雷のような音が響き渡る。
「(な、なんだあの音!? 麦を編んでる音じゃねぇぞ!)」
アレンが小屋の隙間から中を覗き込み、思わず叫んだ。
「おい!! ソラさん!! 今、空中から光の束を直接掴み取って麦と一緒に編み込まなかったか!? 光は物質じゃねぇんだぞ! 掴めるわけねぇだろ!!」
「あ、アレンさん。これ、ちょうどいい反射材になるんですよ」
ソラは鼻歌混じりに、今度は窓の外を流れる雲の一部を指先で手招きし、それを糸のように細く引き伸ばして編み目に通していく。
「雲を糸にするなぁぁ!! 気象改変どころか、もはや空を直接素材にしてやがる!!」
アレンの喉が早くも悲鳴を上げる。だが、ソラの暴挙は止まらない。
「あ、そうだ。夜道が暗いと危ないから、少しだけ星の輝きも混ぜましょうか。……えいっ」
ソラが空中に向かって箸を突き出すと、真昼間だというのに小屋の天井に一瞬だけ銀河が広がり、そこからキラキラと輝く星の塵が降ってきた。
「星を降らせるなバカ野郎!! それ、天界の連中が一生かけて集める『神域の欠片』じゃねぇか! それを! 帽子のリボンに! 粗塩みたいに振りかける奴があるかぁぁ!!」
コン、コン。
ソラが仕上げに、編み上がった帽子のツバを箸で軽く叩く。
その瞬間、はざま村を通り越して、世界中の理(OS)が激しく震えた。
「……よし、完成です!」
ソラが新調した帽子を被り、小屋から出てきた。
その瞬間、村の空気が物理的に変わった。
ソラを中心に、直径10メートルほどの範囲が、外界の因果律から完全に切り離された絶対的な聖域へと書き換わったのだ。
「(……ああ、もうダメだ。終わった、世界が終わった……)」
アレンは小屋の壁に手をつき、がっくりと膝をついた。
「おいソラさん……お前のその帽子のリボン……。よく見ると本物の小宇宙が螺旋を描いて渦巻いてるぞ……。帽子を被るだけで、天界の神々を強制的にひれ伏させる絶対王政エリアを展開するつもりかよ!!」
「あはは、アレンさん。大げさですよ。ただの麦わら帽子ですって」
「『ただの』の定義を辞書で調べてこい!!」
ユウナが帽子の影に一歩足を踏み入れた瞬間、その神々しい美貌がさらに輝きを増し、うっとりと目を細めた。
「……なにこれ。吸う空気が全部『高純度の魔力』に変わってる。……っていうか、私の女神としての神位が、立ってるだけで勝手に上がっていくんだけど……」
その時、天界の最高意思『大いなる光』の震える声が、ユウナの脳内に響いた。
『……ユウナよ。……あの帽子……我らが管理するサーバーの外側で、新しい世界線を生成しておる。……あれはもはや帽子ではない。……『歩く新世界』だ……』
「ピピピッ!(ソラ様! この帽子の周囲、湿度が『黄金比』です! 私、この空気の中で一生泳いでいたいです!)」
ピピさんが、ソラの帽子の周囲を回る、清涼な神気の風に乗って、歓喜の舞を踊る。
「ポポポッ!! (ソラ、この影の下なら、我のチーズが永久に腐らず、むしろ神の食べ物へと進化し続けておるぞ! 素晴らしい熟成庫だ!)」
アカさんがソラの肩に飛び乗り、最高級チーズを頬張りながら咆哮(という名の喜びの火花)を上げた。
「熟成庫じゃねぇ! その帽子の影、時間が都合よく流れてやがるんだよ!」
アレンは叫びすぎて、もはや声が枯れかけていた。
「いいかソラさん! お前の帽子が空気を浄化するたびに、カザルの街の平均寿命が今この瞬間も10年単位で爆増してるんだぞ! 生態系が崩壊するわ!!」
「あはは。みんな元気になって、いいことじゃないですか。ま、いっか!」
「お前の『ま、いっか』は、因果律を強引に黙らせる呪文かよぉぉ!!」
ソラは、新しくなった帽子のツバを少し下げて、満足そうに笑った。
「これなら、どこへ行ってもお昼寝が捗りそうですね。……クロさん、お待たせしました」
「……ニャア。(……合格だ。……この影は、冥界の深淵よりも涼しく、天界の玉座よりも柔らかい。……ソラ、早く座れ。我を寝かせろ)」
クロさんがソラの膝の上に飛び乗り、一瞬でとろけるように丸くなる。
はざま村の午後の光が、新調された麦わら帽子に反射して、目も眩むような黄金色の輪となってソラを包んでいた。
ソラが目を閉じると、帽子から漏れ出た春の余波によって、村中の枯れ木に一斉に花が咲き、鳥たちが祝福の歌を歌い始めた。
「(……畜生……。……俺も、そのバグだらけの影に入れてくれ……)」
アレンもまた、叫び疲れて脱力したまま、ソラの隣に座り込んだ。
最強の天然が、作業小屋で鼻歌を歌いながら生み出した究極の『帽子』。
それは、はざま村の平和を物理的に、かつ概念的に守り抜く、絶対的な聖域の天蓋となったのである。
「ま、いっか。……涼しいし」
アレンの最後の呟きは、心地よい春の風の中に、静かに溶けていった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




