第59話:ハクさん本体の大掃除
「……あ、アレン殿……。その、お召し物は……。……神界の、法衣……ですか?」
カザルの自警団長が、ガチガチと歯を鳴らしながら問いかける。
彼の目の前には、白銀に輝く【純白の聖衣】を纏い、腰には伝説の聖剣を栓抜きのようにぶら下げたアレンが立っていた。
「いや、だから……これはソラさんのパジャマ(速乾仕様)なんだって。……いいから、その槍を下げろ。危ないだろ」
アレンが疲れ切った顔でそう告げる背後で、ソラが『万象断ちの箸』をポケットに差し込み、やる気満々で巨大な白亜の塔を見上げていた。
『……警告。……マスター。……不衛生ナ、不純物、検知。……正面玄関ノ、自動ドア、寂しさニヨリ、建付ガ、悪化シテオリマス』
ハクさんのシステムボイスが、建物全体から地響きのように響き渡る。
見れば、かつてソラが爆速再建したギルドの壁面には、カザルの湿気と魔力の澱みが薄っすらとこびりつき、建物そのものが構ってほしいと言わんばかりに、虹色の魔力を不気味に明滅させていた。
「あはは、ハクさん。すぐにお掃除しますから、機嫌を直してくださいね。……ピピさん、まずは外壁の予洗、お願いできますか?」
「ピピピッ!(了解です、ソラ様! 水質管理担当として、この歴史の汚れを分子レベルで粉砕します!)」
ソラの頭上で、手のひらサイズのピピさんが、勢いよく飛び出した。
ピピさんが空中でクルリと一回転すると、その小さな口から、見るも恐ろしい圧縮水流が放たれた。
「ピピピピィィィッ!!(極光水圧、最大出力!!)」
それはもはや水ではなかった。
空間を切り裂き、物質の結合を強制的に解除する『高圧縮の魔力水流』である。
ピピさんが空を泳ぐたびに、ギルドの外壁にこびりついていた数年分の汚れが、パリンパリンとガラスのように砕け散っていく。
「(……おい、待て待て待て。ピピのやつ、壁を洗ってるんじゃなくて、壁の表面の概念ごと削り取ってやがるぞ……!)」
アレンが【全知の解析眼】でその光景を覗き込み、戦慄した。
アレンの視界には、ピピさんの水流が触れた場所から、世界の因果律が新品の状態へと強制的にリセットされていく様子が虹色のノイズとして映し出されていた。
「あ、ピピさん。そこ、あんまり強くやるとハクさんがくすぐったがっちゃいますよ」
『……報告。……至福。……マスターノ、ペットニヨル、高圧洗浄。……壁面ノ、毛穴(排気口)マデ、スッキリ、イタシマス』
「建物に毛穴なんてあるのかよ!!」
アレンのツッコミを無視して、ハクさんは悦びに震え、ギルド全体がピンク色に発光し始めた。
一行がギルドの内部に足を踏み入れると、そこはカザルの住人たちが知るギルドとは似て非なる異空間と化していた。
『……マスター。……御来店、感謝。……現在、最適化、開始。……「おもてなし床(動く歩道)」、展開。……最短距離デ、魔力溜マリ(ゴミ)マデ、搬送シマス』
ガシャン、と床の大理石が組み替わり、ソラたちの足元がベルトコンベアのように動き出した。
しかも、そのスピードは明らかにおもてなしの域を超えており、アレンの体感では音速に近い。
「うわぁ、ハクさん。便利ですね。あ、あそこの隅に溜まっているゴミ(魔力の澱み)、ユウナさんにお願いしましょうか」
ソラが指差したのは、ギルドの地下深くから溢れ出した、ドロドロとした負のエネルギーの塊だった。
普通の冒険者なら触れただけで呪い殺されるレベルの代物だが、ユウナは慣れた手つきでイチゴのバッグを開いた。
「はいはい、わかったわよ。……ふん、私の女神の権能を、ハクのゴミ処理に使うなんて……。……でも、ま、いっか。……『ストロベリー・ピュリフィケーション(イチゴオレ変換)』!!」
ユウナが手をかざすと、ドロドロとした黒い泥が、一瞬にして甘酸っぱい香りの『至高のイチゴオレ』へと変質していく。
それを、ジハンキさんがすかさず回収した。
『……報告。……新商品、補充。……「カザル・ギルド限定・ハクの涙味」、販売開始。……10円デス』
「ハクの涙って、ネーミングセンスどうにかしろよ!!」
「さて、最後は僕が仕上げますね。……ハクさん、ちょっと失礼します」
ソラが『万象断ちの箸』を手に取り、ギルドのメインホールにある巨大な支柱を、コンコンと軽く叩いた。
ただ、それだけだった。
だが、アレンの解析眼には、恐るべき光景が映っていた。
ソラが柱を叩いた瞬間、そこから純白の波紋が広がり、ギルド全体、さらにはカザルの町全体の理が、ソラの思う綺麗という概念に合わせて書き換えられていく。
古びた床は、磨き抜かれた鏡面仕上げのクリスタルに。
埃を被った天井は、ピピさんが泳ぎやすい常時快晴の空を映し出す魔法の鏡に。
そして、ギルドの中に閉じ込められていた利用者たちは、ソラの放つ浄化の波動に当てられ、長年の持病や腰痛が瞬時に完治し、「あ、なんかもう、どうでもいいや……平和最高……」と、全員が賢者モードで悟りを開いて扉から出て行った。
「……よし、ピカピカになりましたね! ハクさん、気分はどうですか?」
『……感無量。……マスター。……私ノ、全回路(意識)、洗浄完了。……現在、建物トシテノ、幸福度、120%。……本気ヲ、出セバ、今スグ、宇宙戦艦ニモ、ナレマス』
「宇宙戦艦にはならなくていいですよ、ハクさん」
ニコニコと笑うソラ。その膝の上では、いつの間にかクロさんが丸くなり、ハクさんの幸福な振動を寝心地良さそうに味わっている。
「……終わった。今日も世界が、ソラさんの掃除って名の再構築で、原型を留めないほど綺麗になっちまった……」
アレンは、ギルドの自販機から10円で『ハクの涙』を買い、一気に飲み干した。
あまりの美味しさと多幸感に、胃の痛みがスッと消えていく。
「……ま、いっか。……美味いし」
アレンまでもがはざま村の波動に呑み込まれ始めたその時、カザルの町中がおはぎの甘い香りに包まれた。
ソラが行うお掃除の余波は、カザルの人々の心までをも、強引にスローライフ仕様へと書き換えてしまったのである。
こうして、ハクさんの本体は、単なる建物から、ソラの愛(と掃除)を一身に受けた究極の癒やしスポットへと進化した。
だが、一行の遠征は、まだ始まったばかりである。
「(……次は、このカブを配りに行かなきゃいけないんだよな……。カザルの人たち、この『喋るカブ』を見て、正気を保てるかな……)」
アレンの懸念を余所に、カザルの空には、ピピさんが高圧洗浄の勢いでうっかり作り出してしまった虹色の太陽が、燦然と輝いていた。
ハクさんが、ソラのお箸による仕上げで、宇宙戦艦に進化しかけ虹色の輝きを放ち、アレンが「ハクの涙」を飲んで悟りを開いていた、その頃。
ソラの右肩では、アカさんが尊大に踏ん張っていた。
「ポポポ!(……ふん。ソラ。我のブレスで、この建物の汚れごと、カザルの街を浄化(灰)してやろうか?)」
アカさんは、ソラの耳元で、かつて世界を焼き尽くすと恐れられた終焉の炎を、小さな火花としてチロチロと吹かせながら、ソラのお掃除を眺めていた。
彼にとって、世界を書き換えるソラのチートも、ハクさんのピンク色の発光も、自分の昼飯よりは優先度が低いらしい。
「あはは、アカさん。ダメですよ。街を焼いたら、お土産のカブが配れなくなっちゃいます」
「ポポポ……。(……チッ。……ま、いっか。……それより、ソラ。我は腹が減った。……あの、ハムスターが狙っていた、カザル限定のチーズを所望する)」
アカさんは、ソラの髪を小さな前足でグイグイと引っ張り、食い気を優先させた。
「はいはい、わかりました。掃除が終わったら、みんなでチーズを買いに行きましょうね」
ソラがアカさんの小さな頭を人差し指で撫でると、アカさんは一瞬だけ目を細め、すぐに威厳を取り戻した。
「ポポポッ!(……勘違いするな! 我は、チーズの存在強度を解析するために、食すのだ! ……あ、あと、我の背中も少し、痒い……。……そこだ、ソラ……)」
アカさんの威厳ある「ポポポ」口調と、ソラに甘える姿。そのギャップこそが、はざま村の平和を象徴する光景であった。
カザルの人々は、その小さな赤い生き物が、かつて世界を滅ぼしかけた古龍であるとは、露知らず……。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




