第45話:魔王軍の女帝、主(ハムスター)を求めて三千里。
かつて、世界を恐怖に陥れた魔王軍。その頂点に君臨した魔王ゼノンが消息を絶ってから、数ヶ月が経っていた。
軍は瓦解し、多くの魔族が人間に降伏する中、ただ一人、主の生存を信じて疑わない女がいた。
魔王軍第一軍団長、絶望の女帝・ベアトリクス。
「……あぁ、ゼノン様。貴方が死ぬはずがありません。貴方の冷徹な瞳、世界を焼き尽くす漆黒の魔力……。……今、どこにいらっしゃるの? 迎えに行きますわ、この命に代えても」
漆黒のドレスに身を包み、溢れんばかりの肢体から死の魔力を垂れ流す絶世の美女。
彼女は、かつてゼノンが放った最後の魔力(実はソラに浄化された時の残りカス)の微かな匂いを、執念で追い続けていた。
そして彼女は、ついにその場所に辿り着く。
神域と魔界の境界——今や精霊王が加湿し、ソラがサンダルで一歩踏みしめるたびに花が咲き乱れる、あまりにも眩しすぎる聖域はざま村へ。
「……おえぇっ。……な、なんですの、この吐き気がするほど清らかな空気は。……まるで、肺がダイヤモンドで洗われているようですわ……」
ベアトリクスは、魔族特有の拒絶反応に悶えながらも、村の入り口にある赤いポスト(超時空通信ポスト)の前に降り立った。
「……ここに、ゼノン様の匂いがします。……まさか、この忌々しい聖域に囚われ、拷問を受けていらっしゃるのでは……!?」
ベアトリクスが絶望の鎌を召喚し、村を消し飛ばそうと魔力を練り上げた、その時だった。
「おーい、チッチさん! 掃除の時間は終わりですよー。おやつにヒマワリの種(神格化済み)を持ってきましたよ!」
のんきな声と共に現れたのは、麦わら帽子の青年・ソラ。そして、その肩の上には……。
「……チチチッ!(……くっ、この種、殻が固い! 我が魔力をもってしても、この『因果を断つ殻』は手強いな!)」
一生懸命に頬袋を膨らませ、丸々と太った「ひまわりの種」と格闘する、一匹の愛くるしいハムスターの姿があった。
ベアトリクスは、手に持っていた鎌を落とした。
「…………ぜ、ゼノン、様……?」
「ん? お客さんですか?」
ソラが不思議そうにベアトリクスを見る。
「チチッ!?(……ゲェッ! ベ、ベアトリクス!? なぜ貴様がここに……! し、しまっ、今は掃除中なのだ! 見るな、こんな可愛い姿を見せるわけには……!)」
チッチさんが慌ててソラの耳の後ろに隠れるが、遅すぎた。
「……あぁ、なんてこと。……ゼノン様、貴方はこれほどまでの辱めを……。……小さな獣の姿に変えられ、人間に飼われ……挙句の果てに、あんなただの木の実を恵まれて喜ぶほどに精神を破壊されて……!」
ベアトリクスの瞳に、紅い炎が灯る。
「許しませんわ。……我が主をペットに変えたこの村、そしてこの人間……塵も残さず消し去ってあげますわ!!」
「……侵入者、検知。……マスターノおやつタイムヲ邪魔スル不届キ者ハ、排除対象デス」
(シュンッ!!)
カザルにある規格外生物ギルドハクさんが、村のポストを通じて瞬時に防衛モードを起動した。
ベアトリクスの足元の地面が、波打つように変質する。
「なっ、この地面……生きている!? ……ぐふっ、地面が……柔らかすぎて魔力が練れない!?」
さらに、空からはシュォォォ……と涼しげな霧が降り注ぐ。
「……やれやれ。……美肌の天敵、殺気が漂っているな。……私のミストで、そのドロドロした感情を保湿してあげよう」
鳥箱から顔を出した精霊王エリュシオンが、指先で優美に円を描く。
放たれた「ナノレベル美容ミスト」が、ベアトリクスの絶望の魔力を包み込み、強制的に『アロマの香り』へと中和していく。
「……はふぇっ!? ……な、なんですの、このミスト……。……怒りが……怒りが消えて、代わりに『今日、お風呂入って寝ようかな』って気分になってくる……!」
「あ、エリュシオンさん、ありがとうございます。お客さん、長旅で疲れてるみたいですね。……そうだ、アレンさん! プリシラ姫! 新しいお客さんですよ!」
ソラの呼びかけに、アレンが死んだ魚のような目で現れる。
「……あぁ、ベアトリクスか。……あんたも来たんだな。……悪いことは言わない。そこにある『10円自販機』のコーヒー牛乳を飲んで、さっさと諦めるんだな」
「……ア、アレン!? 宿敵である貴様が、なぜ魔王様を助けないのですの!」
「助けるとかじゃないんだよ。……見ろよ、あの主を」
ベアトリクスが視線を戻すと、ゼノン(チッチさん)は、ソラから特製・小松菜の浅漬けをもらい、目を細めてムシャムシャと食べていた。
「……チチチッ。(……おい、ベアトリクス。この小松菜は美味いぞ。……ぬか床の奴が本気を出した逸品だ。……我は今、世界征服よりも、明日の種の種類の方が重要なのだ。……貴様も、そんなにカリカリせず、ソラ殿に挨拶をしろ)」
「ぜ、ゼノン様が……私を『ベアトリクス』と……。……あぁ、その慈愛に満ちた(?)瞳。……姿は変わっても、やはり貴方は私の王……!」
ベアトリクスの狂愛は、ソラの無自覚な浄化波動によって、あっさりと「盲目的な奉仕心」へと変換された。
「……分かりましたわ。……ゼノン様がここに居を構えるというのなら、私もこの地を死守いたします。……手始めに、その掃除とやらを私が代わりに行いましょう。……私の闇魔法なら、原子レベルで塵を消滅させられますわ!」
「あ、それは困ります! 掃除はチッチさんの『生きがい』なんですから。……そうだ、ベアトリクスさんは……あ、お洗濯か得意ですか? エルナさんが最近忙しそうで」
「お、お洗濯……? 絶望の女帝であるこの私に、布を洗えと……?」
「はい。このサンダルを履いて踏めば、汚れなんて一瞬ですよ!」
ソラが「ちょっと貸してあげますね」と、脱ぎたてのサンダルをベアトリクスに手渡した。
その日の午後。
はざま村の洗濯場には、鼻歌を歌いながら、神器のサンダルを履いて洗濯桶の中でステップを踏むベアトリクスの姿があった。
「……ふふっ、あら不思議。……踏めば踏むほど、布から『概念的な穢れ』まで落ちていくようですわ。……あぁ、ゼノン様。貴方の着ている『ハムスター用特製おむつ』も、私が真っ白に洗い上げて見せますわ!」
「チチチッ!(……おい、我はそんなもの履いておらん! ……ま、いい。……勝手にするがよい)」
ゼノンは、ベアトリクスの膝の上で神格化した大豆を齧りながら、平和な午後のひとときを楽しんでいた。
「(……また一人、強力な戦力が家事要員に変わっちまった。……しかも、あの女、サンダルを履いてるから一歩で一万枚のシャツを洗えるようになってるし……)」
アレンが遠い目をする中、ソラは満足げに頷いた。
「いやぁ、ベアトリクスさん、いい筋してますよ! これでエルナさんもゆっくり休めますね。……あ、お礼にジハンキさんの『イチゴオレ』を買ってあげますからね。ま、いっか!」
村の洗濯場からは、エリュシオンのミストと、ベアトリクスの魔力、そしてソラの「ま、いっか」が混ざり合った、世界一贅沢な石鹸の香りが漂い続けるのであった。
ベアトリクス、無事に村に定住しました笑
チッチさんが大豆に夢中な姿、気に入っていただけたら嬉しいです!
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