第38話:ぬか床、ついに地上デビューする話
はざま村の朝は、相変わらずのどかだ。
だが、その平穏を切り裂くように、村の入り口にある『超時空通信ポスト』が突如として咆哮を上げた。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい雷鳴のような空間転移音。ポストの投函口から、漆黒の炎を纏った「箱」が弾丸のような速度で射出される。
それを、庭で日向ぼっこをしていたポチが、三つの口を同時に開けて空中で見事にキャッチした。
「ガウッ! ガガウッ!(ご主人! 冥界からの速達だぜ! 封印の呪いが三重に巻いてある、上等なやつだ!)」
「あはは、ポチ、ナイスキャッチ! ……えーっと、宛先は『はざま村・ぬか床様』。送り主は『冥界王・ハデス』。……あぁ、先日ハガキを出しておいた、あのナスですね」
ソラがのんびりと麦わら帽子を直しながら、その「呪いの箱」を素手でバリバリと開けていく。
その頃、遥か深淵の底、冥界の玉座では——。
死者の王ハデスが、頭を抱えていた。
「……信じられん。あの赤い箱に手紙を投函した瞬間、我が冥界の時空障壁が紙屑のように破られたぞ……。しかも、あのソラという男から届いたハガキには、『冥界のナス、ぬか床用に分けてください。ま、いっか!』だと……?」
ハデスは、自分の手元にあるソラからのハガキを見つめた。それはただのハガキではない。
ソラが世界樹の端材で作ったため、持っているだけで冥界の瘴気が浄化され、ハデスの肌がツヤツヤになるという、死の王にとってはもはや毒薬に近い超聖遺物だった。
「……あのような恐ろしい男に逆らっては、冥界ごと浄化されかねん。最高品質のナスを送っておいたが……気に入ってくれるだろうか……」
冥界の王すら、ソラの「ま、いっか」の圧力(無自覚)に戦慄していたのである。
ソラたちが自宅の床下にある『ぬか床の間』へ降りると、そこでは元邪神のぬか床が、沸騰したマグマのようにポコポコと泡立っていた。
『…ポコポコッ!!(……遅い! 遅すぎるぞマスター! 我の究極の旨味センサーが、その冥界ナスの極上の闇を察知してから、既に三秒も経過しておる! この三秒で、ナスの細胞に含まれる絶望が数%揮発してしまったではないか!)』
「すみません。ハデスさんが気を利かせて、梱包を頑丈にしてくれてたみたいで。……はい、これですよ。ハデスさんも『最高にいいナスが採れたから、美味しく漬けてくれ。あと、浄化の光が眩しいからハガキは控えめにしてくれ』って伝言をくれましたよ」
ソラがナスをぬか床に投入しようとした時、ふと手が止まった。
地下室の少し湿った空気を吸い込み、ソラはいつもの思いつきを口にした。
「……ぬか床さん。最近、なんだか地下の空気がこもっている気がしませんか? せっかくのいいナスですし、たまには地上に出て、お日様に当たりながら漬かってみませんか?」
『ポコポコ……ッ!?(……な、何を!? 正気かマスター!? 我は……かつて世界を永劫の闇に閉ざそうとした邪神だぞ!? そんな我を太陽の下に晒すなど、吸血鬼を溶鉱炉に投げ込むような暴挙……)』
「あはは、大丈夫ですよ。お日様に当たれば、ビタミンも増えますし。それに、最近みんなと顔を合わせてないでしょう? ……よし、そうしましょう。ま、なんとかなりますよ!」
「……ソラさん、元邪神を天光に晒したら、普通は消滅するか更生(強制浄化)されるかの二択なんだってば!!」
アレンの絶叫を無視して、ソラは『万象創造の右手』で、本来なら触れただけで魂が腐敗するはずの邪神の樽を、ひょいと軽々と持ち上げた。
ソラがぬか床を、日当たりの良い縁側の特等席に置いた瞬間——。
はざま村の空気が、一変した。
キィィィィィィンッ……!!
本来なら相容れないはずの『邪神の深淵魔力』と、神域である村の『至高の太陽光』、そしてソラの無意識の『浄化魔力』が、樽の中で超高圧の三元反応を引き起こしたのである。
ドォォォン……! という腹に響くような地響きとともに、樽から黄金色に輝く湯気(神気)が立ち上り、村全体を瞬時に包み込んだ。
『……ポ、ポコポコォォォ!!(……な、なんだこの心地よさは……! 我の核にある、数万年かけて溜め込んだ邪悪なドロドロが……甘酸っぱいフルーティーな香りに書き換えられていく……! 浄化……? いや、これは発酵だ! 邪神としてのアイデンティティが、乳酸菌の奔流に飲み込まれていく……ッ!!)』
ぬか床が歓喜の悲鳴を上げ、その樽から溢れ出た発酵神気が風に乗って村中に広がった。
その頃、村の外郭で神域指定の境界線をチェックしていたバルガスたちは、突然空から降ってきたその霧を浴びて、その場に跪いた。
「……な、なんだこの多幸感は……。脳内に直接『黄金色のナスを齧る天使』のイメージが流れ込んでくる……!」
「総帥! 私は今、宇宙の真理を悟りました! 争いなど無意味だ、我々は巨大なぬか床という名の一つの生命体なのです!!」
「(……ヤバい。村中の人間が、ぬか床の毒気……じゃなくて旨味に洗脳されて、悟りを開き始めてる……!)」
アレンが頭を抱える中、庭のジハンキさんが『ガコンッ』と音を立てた。
『……空気中ノ乳酸菌濃度ノ急上昇ヲ検知。……本日ノ限定メニュー、「ぬか床神ノ聖水(究極乳酸菌ソーダ)」ヲ販売開始シマス。……なお、飲用後ハ一時的ニ前世の記憶ガ覚醒シマス。……価格ハ、一律10円デス』
結局、ぬか床は「たまには太陽も悪くないな……」と、地上での生活をすんなり受け入れた。
夕暮れ時、縁側には平和な光景が広がっていた。
『……ポコポコ。(……ふん、勘違いするなよマスター。我はただ、この場所の方が冥界のナスを効率よく至高の逸品に仕上げられると判断しただけだ)』
「あはは、気に入ってくれて良かったです。……あ、ハデスさんにもお礼にお裾分けを送っておきましょう。この『ソラ特製・浅漬けナスの盛り合わせ』なら、喜んでくれますよね」
ソラがポストに「ナス」を投函した瞬間、冥界では——。
「……届いた!? は、速すぎる!!」
ハデスの目の前の空間が裂け、そこには神々しく発光するナスの皿が置かれていた。
「……これを食えというのか? 食べれば我の死の属性が浄化され、ただの優しいおじさんになってしまうかもしれん……。だが、いい匂いだ……。ま、いっか……」
冥界王ですら、ソラの「ま、いっか」に毒され、そっとナスを口にするのだった。
「ま、なんとかなるもんですね。みんなが笑顔になれば、それでいいんです。ま、いっか!」
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




