第36話:修行に出たエルナ、伝説の洗濯板を手に入れる
はざま村の境界線に、一人の美しいエルフが立っていた。聖女エルナである。
彼女の背中には、ソラからおやつとして持たされた、一粒で巨神をも満腹にさせる『世界樹のナッツ』が詰まったリュック。そして手には、ソラが「これ、使いやすいですよ」と渡した、撫でるだけで汚れ(と邪念)を消し飛ばす『因果消滅の雑巾』が握られていた。
「ソラ様……見ていてください。私は、貴方様がご自身でパジャマを洗わねばならないほどに、至らぬ洗濯係でした。……ですが、次に戻る時は、貴方様のあの『神衣パジャマ』すらも、傷一つつかずに真っ白に磨き上げる『至高の洗濯聖女』になってみせますわ!」
エルナの瞳には、かつて帝国軍と対峙した時以上の決死の覚悟が宿っていた。
彼女が目指すのは、大陸北方に位置する、神々が洗濯をしていたという伝説の残る地——『神鳴の激流』。
そこには、世界で唯一、概念的な汚れすらも削ぎ落とすと噂される『神の洗濯板』が眠っているという。
「……あ。エルナさん、本当に修行に行っちゃいましたね。お弁当、足りたかなぁ。ま、いっか!なんとかなりますかね!」
村の入り口で麦わら帽子を直しつつ、のんびりと手を振るソラの姿が、エルナの目には慈愛に満ちた神の試練に見えていた。
数日後。
エルナは、空から雷が絶え間なく降り注ぎ、滝が逆流して時空を歪めているという、人類未踏の秘境に辿り着いていた。
「ここですわ……。この激流の奥に、伝説の洗濯板があるはず……!」
エルナが足を踏み入れようとしたその時、雷鳴とともに巨大な岩が動き出した。
それは、数千年にわたり『神の洗濯板』を守り続けてきた、古代の土属性最高位精霊、グランドゴーレムだった。
「キ……タ……。我ガ眠リヲ妨ゲル……愚カナル……挑戦者ヨ……。コノ試練ニ……耐エル……覚悟ハ……」
「ええ、ありますわ! 私には、ソラ様から授かったこの雑巾があるのですから!」
エルナが『因果消滅の雑巾』をパサリと広げた。その瞬間、雑巾から放たれた圧倒的な「清潔」の波動により、数千年の風雪に耐えてきたグランドゴーレムの全身が、驚くほどピカピカに磨き上げられた。
「……ッ!? 綺麗……!! 我ガ身体……苔一ツ……ナク……ピカピカ……。……コレハ……洗剤ノ……革命……ッ!!」
ゴーレムは、己の使命すら忘れ、あまりの心地よさに昇天しかけていた。
本来なら挑戦者を粉砕するための雷撃も、エルナがソラ様から頂いた教えを胸に唱える洗濯の呪文(※ただの「綺麗になーれ」)によって、全てが効率的な温水へと変換されていく。
「どいてくださいませ。私は、急いでいるのです。ソラ様が今夜、おやすみになる前に戻らねばならないのですから!」
「……モウ……。……勝テヌ……。……ソラ様ト……ヤラハ……何者ダ……」
ゴーレムは、涙を流しながら、奥に鎮座していた『神の洗濯板』をエルナに差し出した。
それは、持つ者の霊力に反応し、物理法則を無視して汚れを過去の事実ごと消去するという、神具中の神具だった。
同じ頃、はざま村の広場では、規格外生物ギルドの総帥バルガスが、冷や汗を流しながらジハンキさんの前に立っていた。
「……なんだ、この村は。来るたびに、地脈のエネルギーが濃くなっているぞ。……おい、勇者アレン。あそこにいるソラ殿は、今度は何を作っているんだ?」
「あ、バルガス総帥。こんにちは。ソラさんですか? エルナさんに手紙を出したいって言って、昨日から『ポスト』を削り出してますよ。……あ、ほら、完成したみたいです」
アレンが指差した先には、鮮やかな赤色に塗られた、どこからどう見ても日本の郵便ポストがあった。
だが、その周囲の空間は、常にミリ単位で転移魔法の火花が散っている。
「ふぅ。できました。これをここに置いておけば、エルナさんも寂しくないですよね」
ソラが満足げにポストの頭を叩いた、その時だった。
「お待たせいたしましたわ! ソラ様!!」
時空を切り裂くような速度で、エルナが激流の中から帰還した。彼女の手には、黄金色に輝き、周囲の因果を洗浄し続ける巨大な板——『神の洗濯板』が握られていた。
「バルガス総帥!? 貴方も修行に……? いえ、そんなことよりソラ様! 見てください! これがあれば、貴方様のあの不老不死パジャマも、宇宙で一番美しく洗い上げることができますわ!」
バルガスは、その板から溢れる世界の根幹を揺るがす神気を見て、顎が外れそうになった。
「……ま、待て。エルフの嬢ちゃん。それは、神話に語られる『原初の洗浄盤』ではないのか!? それがあれば、世界のあらゆる呪いすら一瞬で消せるという……。それを、私用の洗濯に使うというのか!?」
「当たり前ですわ。ソラ様のパジャマを洗う以上の聖業が、この世にあるとお思いで?」
エルナのあまりに迷いのない言葉に、バルガスは天を仰いだ。
「……アレン。この村を【絶対不可侵・神域指定区域】に認定したのは、正解だったな。……この狂気、外の世界に出してはならん……」
「わぁ、エルナさん、いい板を見つけてきましたね。ま、なんとかなったみたいで良かったです。……あ、ちょうどポストも作ったんですよ」
「ポスト……? まあ、なんて可愛らしい箱でしょう」
ソラがポストの中に、修行の労いを書いたハガキを投函した。
ガタンッ、と音がした瞬間、エルナが背負っていたリュックの中に、そのハガキが直接転移されて現れた。
「(……っ!? 今、時空を完全無視して転移したぞ!? 魔法の痕跡すら残ってねぇ!)」
アレンの絶叫を無視して、ジハンキさんが電子音を鳴らした。
『……超時空通信ポスト、稼働ヲ確認。……郵便物ハ、宛先ノ魂ヲ追跡シ、零コンマ一秒デ転送完了シマス。……なお、切手代ハ10円デス』
「便利ですね! これでエルナさんがどこにいても、お洗濯のお願いができます。ま、いっか!」
「はい、ソラ様! 喜んで!!」
エルナは、手に入れた神の洗濯板を抱き締め、恍惚の表情を浮かべていた。
夕暮れ時。庭ではチッチさんが、「(……チチッ。あの洗濯板、我が魔力で研磨すれば、さらに攻撃力が増しそうだな)」と不穏なことを考え、ポチは「ガウッ!(お帰り、エルナ!)」と元気に飛び跳ねていた。
「ま、なんとかなるもんですね。みんなが揃うのが、一番の幸せですから」
ソラののんびりした声が、神域となったはざま村に響き渡る。
後に、エルナが持ち帰った洗濯板が「あらゆる厄災を浄化する聖盤」として天界の歴史書に記載されることになるのだが、今の彼女にとっては、ソラのパジャマの汚れを落とすことが、全宇宙で最も重要な任務なのだった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。




