第29話:帝国の皇帝、変わり果てたはざま村に再び腰を抜かす
大陸の半分を支配するアトラス帝国の主、皇帝ルシウスは、豪華な馬車の窓から流れる景色を眺めながら、かつてないほどの緊張に震えていた。
前回、このはざま村を訪れた際、彼は国宝級の魔石をコップ敷き(コースター)にされ、雑草から作られたという神の雫(お茶)を振る舞われ、さらには世界を滅ぼさんとした魔王ゼノンが雑巾を絞っている光景を目撃した。
「……よいか、皆の者。心してかかれ。ここはもはや、人の法が通用する場所ではない。神域だ」
馬車から降り立ったルシウスの頬を、冷たい汗が伝う。
同行した精鋭騎士たちも、村の入り口から放たれる圧倒的な神気に当てられ、膝が笑っていた。
だが、そんな彼らの目に、前回の訪問時には存在しなかった異様な物体が飛び込んできた。
村の入り口、のどかな田園風景にはおよそ似つかわしくない、鈍く輝く鉄の箱。
表面にはつめた〜いという、この世界の文字ではない不思議な紋章が刻まれている。
「陛下、見てください。あそこに……見たこともない鉄の箱が。あんな魔導具、帝国の魔導宝物庫にも存在しませんぞ」
「……むう。あれこそが、村の新たな防衛機構……あるいは、次元の門か?」
「あ、おじさん! またお散歩ですか? 今日は一段と派手な馬車ですね」
麦わら帽子を直し、笑顔で駆け寄ってくる少年、ソラ。
ルシウスにとっては、一挙手一投足が因果律を書き換える神に見えるが、当の本人はどこまでも善良な村人(自称)の顔を崩さない。
「ソラ殿……! お久しぶりです。先日は素晴らしい『聖なる漬物』をありがとうございました。家臣に一切れ与えたところ、100年来の持病が治り、若返りすぎて反乱期を迎えましたぞ」
「あはは、それは良かった。……おや、何か気になるものでも?」
ソラが、ルシウスたちの視線を追って鉄の箱——ジハンキさんを指差した。
「ああ、これ。最近設置したんですよ。村のみんなが喉が渇いた時に便利かなって。10円入れると、冷たいのが出てくるんです。皇帝さんも一本どうですか?」
「じゅ、10円……!? 我らの銅貨一枚にも満たぬ価値で、この神々しい箱を起動させるというのですか……!?」
ソラが慣れた手つきで10円を投入すると、箱の内部から「ガコンッ!」という、次元の歯車が噛み合うような重厚な音が響いた。
取り出し口から転がり出たのは、虹色の光を放つ液体が詰まった青い缶。『神聖ソーダ(限定版)』である。
ソラがそれをルシウスに手渡した瞬間、周囲の空間が微かに震えた。
「……っ!! な、なんだ、この液体から溢れ出る魔力密度は……! 飲むなど恐れ多い、これ一缶で小国一つを100年養えるエネルギーではないか……!」
震える手でプルタブを開けると、シュワッという音と共に、全宇宙の真理を凝縮したような香気が弾ける。一口飲んだ瞬間、ルシウスの視界が真っ白に染まった。
「……ああ、聞こえる……精霊たちの歌声が……。細胞の一つ一つが洗浄され、魂が再起動していく……。これほどの至宝を10円で!? 帝国の国庫をすべて10円玉に換金せねば……!」
その時、沈黙を守っていたジハンキさんが、微かな電子音を鳴らした。
『……マタノ、ゴ利用ヲ、オ待チシテ、オリマス』
「ひ、ひぃぃっ!? 喋った! 意志があるのか、この箱には……!?」
「あ、ジハンキさん、機嫌がいいみたいですね。良かったですね、おじさん」
ソラの「ま、いっか」という呑気な声が響く中、ルシウスたちは意志を持つ無機物という異次元の事態に、ただただ地面に伏すしかなかった。
「……チチチッ。(おい、そこの人間。自販機の前に溜まるな。掃除の邪魔だ)」
不意に足元から響く、低く、重厚で、それでいて底冷えするような威厳に満ちた声。
皇帝一行が視線を落とすと、そこには体長わずか数センチの、毛並みが最高に整った小さな小さなハムスターが立っていた。
手には、ソラ特製のミニホウキを構え、その黄金の瞳は鋭く皇帝を射抜いている。
「ひ、ひぃぃっ!? この魔圧……! 以前見た時は、あんなに巨大で禍々しい巨漢(魔王ゼノン)だったはずなのに、なぜ……なぜ可愛らしい毛玉に!? まさか、ソラ殿に逆らって圧縮刑に処されたのですか!?」
「…チチチッ。(フン。今の我は、この村の衛生管理責任者・チッチだ。掃除の効率を追求した結果、この形態が至高であると悟ったのだ。……貴様ら、自販機の下にゴミを落としたら、我が床磨きの刑に処すぞ)」
皇帝は、あまりの衝撃に膝から崩れ落ちた。
かつて人類の脅威だった魔王が、あろうことかハムスターとして、誰よりも熱心に村の美化に努めている。
しかも、その手足にはソラが開発したと思われる重曹パワーを宿した掃除用具が完璧に装備されていた。
「あ、おじさん。紹介しますね。こちら、掃除係を志願してくれたチッチさんです。かわいいですよね。」
「…チチチッ。(……ソラ殿。この連中、また掃除の邪魔をするなら、庭の池(ピピさんの棲家)に沈めてよいか?)」
「だめですよ、チッチさん。お客さんに失礼でしょ。……さぁ、おじさん。温泉も新しく掘ったので、ゆっくりしていってくださいね!」
チッチさんがホウキを持ち、ポチがお手で大地を揺らし、ジハンキさんが10円で神の雫を吐き出す……。
さらには、池から「ピピピッ!」と鳴きながら顔を出すピピさん。
縁側ではアカさんが、ソラの作った虫除け線香の煙を満足げに浴びて日向ぼっこしている。
皇帝ルシウスは悟った。この村を支配しよう、管理しようなどという考えがいかに愚かであったか。
「……わかった。ソラ殿。我が帝国は、本日をもってこの『はざま村』を……『帝国指定・絶対不可侵・聖域避暑地』と認定する! 我が軍は、この村の平和を乱す不届き者を全力を挙げて排除することを誓おう!」
「えっ、避暑地? よくわかりませんが、皆さんが遊びに来てくれるなら、ポチも喜びます! ま、なんとかなるもんですね。」
ソラは笑顔で手を振り、ルシウスが飲み終えた自販機の空き缶を丁寧に洗って渡してくれた。
「これ、リサイクルに出すと良いことがあるってジハンキさんが言ってたので。お土産にどうぞ」
「……は、ははっ! ありがたき幸せ……! 帝国の第一宝物庫に、特製の祭壇を作って安置させていただきますぞ……!!」
皇帝は、神聖魔力が溢れ出す『国宝(空き缶)』を、命より大切に抱えながら、ガタガタと震える馬車で帰路につくのであった。
その脳内では既に、次回の訪問時に持参する10円玉を、帝国全土からかき集める命令が下されていた。
皇帝が『聖域避暑地』の宣言をして盛り上がっている横で、アレンは白目を剥きながらソラの袖を引いた。
「……おい、ソラさん。いいのかよ? 相手は大陸の半分を支配するアトラス帝国の皇帝、ルシウス陛下だぞ? さっきから近所のおじさんに接するみたいなノリだけど、失礼があったら国際問題どころか、世界がひっくり返るぞ……!」
アレンの必死の囁きを聞き、ソラは不思議そうに首を傾げた。
「え? 皇帝……? ああ、そういえば前回もそんなこと言ってたような気もしますね。でもアレンさん、見てくださいよ。あの優しそうな笑顔。どう見ても、お菓子を持って遊びに来てくれる『律儀な近所の親戚のおじさん』じゃないですか」
(……いや、あの笑顔は恐怖と敬畏で引きつってるだけなんだって! 前回の魔石だって、あれは国宝で……!」
「んー、そうでしたっけ? まぁ、本人が楽しそうだからいいじゃないですか。『皇帝』だろうが『おじさん』だろうが、美味しそうにお茶を飲んでくれれば、どっちでも同じですよ。ま、いっか!」
ソラが屈託のない笑顔でそう言い切った瞬間。
アレンの『万能翻訳』のスキルが、奇妙なノイズを拾った。
ソラの「ま、いっか」という言葉が言霊となり、周囲の因果律に干渉したのだ。
皇帝が纏っていたはずの『覇王のオーラ』が、ソラの認識に合わせて『田舎の親戚のおじさんのような親しみやすいオーラ』へと物理的に書き換えられていく。
「(……あ、ありえねぇ。ソラさんがそう決めたから、陛下の存在定義そのものが変質してやがる……。このままだと、歴史書から『皇帝ルシウス』の名が消えて『親戚のルシ公』に書き換わるぞ……!)」
アレンは冷や汗を流しながら、もはやツッコミを入れる気力もなく、空を見上げた。
ソラにとってどうでもいいことは、この世界からもどうでもいい事実として消去、あるいは上書きされていく。
この村において、ソラの記憶こそが唯一の『正史』なのだ。
「あ、ルシウスさん。帰り道、足元に気をつけてくださいね。あ、ポチ! おじさんに吠えちゃダメですよ」
「ガウッ!(分かってるぜ、ご主人! あの親戚のおじさん、また肉持ってくるといいな!)」
皇帝は、自分が一国の主からソラ公認の親戚へと格下げ(格上げ?)されたことにも気づかず、空き缶を抱えて幸せそうに去っていった。
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ソラくんの「ま、いっか」は、まだまだ続きます。
本日21時、全3話の特別外伝『外伝:迷い込んだ最強の天然 —— 勇者召喚(パジャマ姿)』の最終話を別枠で投稿します!未来のソラくんが大暴れ(?)するので、ぜひ覗いてみてください!
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