笹森に潜むモノ 前編03
洋食屋で勧められた料理、その名も『カレエ』。野菜や肉をたっぷり煮込み、香辛料で味付けした料理でございます。異国の放浪民族たちの野営料理が発祥で、今では様々な派生料理が生まれておりますから、ご存知でしょう。
複雑な風味、強い味付け。月牙様の、素材の味を活かす料理に慣れていた舌にはやや刺激が強く感じたものの、野菜の甘みと香辛料の辛さが調和した、美味かつ物珍しい料理でございました。
「ケノグネの調査、だいぶ進めたんすけど……やっぱ検閲が厳しいっすね!」
口直しの氷菓子をつつきつつ。南国学徒──レル様は、不満げに頬を膨らませました。
「調査範囲に関しては見取り図見せて貰えたんすけど、区画外はダメ!って。全体の構造があった方が、ケモノの動きが見えやすくて、管理側も対策しやすくなるっすよね。お互いにハッピーだと思うんだけどなぁ」
唇を尖らせる後輩を見下ろし、月牙様は肩をすくめました。
「皇国のケノグネは、国民の守護を司る重要な設備の一つです。おいそれと情報を渡せない中で、管理者も最大限の譲歩をしてくれたのですよ。許された範囲で調査を行いなさい」
「分かってるっすよぉ」
「あの。月牙様、ケノグネとは?」
ワタシの問いに、月牙様は片眉を上げました。
「怪物用の防護石垣ですよ。怪ノ垣は、この地方特有の呼び方です」
──護りの技といえば、巫師の結界。月牙様が扱う、美しい泡のような術式が思い浮かびましたが。結界は、発動を術者に依存する技。圧倒的な防御力を誇る反面、術者が力尽きれば、即解除される仕様のものです。
ケノグネはその点を石垣で補い、術石を各所に埋め込み、防御を半自動化する手段でございました。
「オレら、怪ノ垣に近付いたケモノが、どんな行動を取るかってとこの記録を取ってるんすよ。具体的な術式の構造は機密事項って事だったんで、そこには触れないようにしてるっすけど……ケモノ側の動きは、追跡オッケーってな許可をいただいたんで!」
「帝国では、同じような調査はできないのでございますか?」
ワタシの問いに、学徒たちは歯を見せて笑いました。
「帝国で同じ調査をした上で、皇国にも来てるんだよ。石垣の作りが違う分、ケモノの動きも変わるんだ」
「はて、作りが違うと言うと」
「皇国で言うところの『石垣』って、せいぜい人間と同じくらいの背丈じゃないすか」
「……? はい、それが普通でございますね」
腰丈から、頭の高さあたりまで。一般的な『石垣』を想像し、首を傾げたワタシの前に。レル様は、月牙様の席から奪った卵風鈴の皿をコトンと置きました。
「帝国の場合、畑や人を守る柵とか塀ってのは、都市をグルッと囲う形で建てて、都市ごとに必要な術式を重ねがけする構造になってるっす。こう、塀の上に結界基点を置いて、大きな術式の天蓋を作るような基本構造っすね」
皿の縁を指でなぞり。料理を保護する、硝子製の釣鐘蓋を上に被せる。透明な天蓋で覆われた卵風鈴の隣に、今度は眼鏡学徒、ティル様のカレエの皿が並びます。
「で、この皇国の場合は……都市や村を囲うんじゃなくて、山の縁に石垣を作る事が多いんだよね。標高差が激しかったり、土砂災害も多いからさ。街をぐるっと囲う構造は安定しなくて、小回りが効く設計に進化したみたいなんだ」
皿の中央に、細長く築かれた米の塀。それがカレエのルウを遮り、皿の中は均衡を保った状態となっております。そんな米の中心を示し、ティル様は続けました。
「皇国の怪ノ垣には、石垣の内部に小さな祠を設置してあって……石垣に敵意ある状態で触れると、すっごい痛い。めっちゃ痛い仕様になってるんだ」
「でも、祠そのものは触れないと困るじゃん? 巫師の人が触れないし。という事で、ケモノは本体を壊しに来るんすよ」
ひょいぱく。レル様にスプーンで抉り取られ、米の塀は瓦解。流れ出したカレエのルウが広がる様を見て、ティル様は「勝手に食べるなよ!」と皿を手元に引き戻しました。
「エエト……なるほど。しかし、わざわざ皇国のケモノの動きを知る必要があるのですか」
「当然だよ」
ティル様は、片眼鏡を押し上げ笑いました。
「今回の調査で、ケモノがどうやって祠を壊そうとするのかの記録を取れたら、小回りが効く防御機構を開発できるかもしれない」
「そうなれば、帝国で苦戦しがちな放牧家畜の守りが、もっとやりやすくなるかもしれないっす!」
「祠の代替機巧は、イリス先輩みたいな術式構築ができる人なら、目的さえ分かっていれば作れる可能性が高いから」
無邪気に、純粋な笑顔を浮かべて。
異国人たちは、このように言いました。
「この皇国でも、術師がいなくても、市民が怪ノ垣を管理できるようになる未来が来るかもしれない!」
術師がいなくとも、人々が加護を受けられる未来。月牙様もよく、仰っている構想ではありましたが。その未来では、皇姫の加護を人々に届ける巫師たちの役割が奪われるという事になるのではないでしょうか。
ワタシは恐る恐る、月牙様を見上げました。巫師の青年は淡々と、プリンを奪い返しながら答えます。
「──技術は進歩するもの。時代の進歩で不要になる技もあれば、修練を積んだ巫師にしかできず、機巧では模倣できない技術もある。巫師も、この国の信仰も。完全に消えることはないと思っていますよ」
釣鐘蓋がコトンと机に置かれる音。プリンが崩され、どろりと落ちるカラメル。無言で洋菓子を口に運ぶ月牙様の様子を伺い、顔を見合わせてから。学徒たちは少し声を落として続けました。
「えっ……と。今回の調査、他でもない月牙先輩が提案してくれたんすよ。皇国、特にこの北方の地域は怪ノ垣の管理に手が回っていないから、調査隊を前向きに受け入れてくれる可能性があるって」
チラッと上目遣いを向けた後輩たちを見返し。月牙様は、意地の悪い笑みを浮かべました。
「彼らとしては、組織としての威厳に関わる事柄ですからね。不備に対して市民から不満が出る前に、改善策を知りたい。万が一があれば、余所者のせいという事にすればいい……と考えるかは分かりませんが、彼らが自身の手を動かしにくい状況なら、お互いに利益があるという事です」
抱き合って震え上がる後輩たちに笑いかけ。月牙様は伝票を持って立ち上がります。
「では、明日は約束通り。お前たちの調査地を少し見せて下さい。博物院に数日滞在して、山越えの準備が整い次第、僕たちは北に向かいますから」
その日の会計を済ませ。ワイワイと交流を深めつつ、帰路につき、翌日。
月牙様が『せっかくなので、調査現場を見ていきたい』と仰ったが故に訪れた、件の怪ノ垣の前で時間は起きました。
「ヴワァアァアッ! 目がッ、目がァッ!」
──まず、眼前には両目を押さえて悶絶し、赤い霧が漂う地面を転げ回る学徒たち二名と。
「……ッ、ゲホッ、ゴホッ!」
何かを話そうとするもの、咳が止まらず目が開かず。大量の涙を流しながら、ガガガガッと不穏な駆動音を義眼から響かせる月牙様がおり。
「こっちは平気。ちゃんと仕留めてる」
弓銃の矢によって、首が吹き飛んだ怪物の死体を見聞する時雨ちゃん。その間で、ワタシは。
「わ……ワタシ、何かまずい事をしてしまったのでございますか」
排熱煙のくゆる弓銃を抱えたまま、眼前の惨状に右往左往する事となったのでございます。
◇シシ垣
猪垣、鹿垣、シシグネなど。地域や獣種で表記は様々。主にイノシシやシカを防ぐ目的で築かれた石垣や土手で、昔は落とし穴等の罠とセットになった構造でも活用された。




