笹森に潜むモノ 前編01
ハスノハからの出立日。我らが利用したのは、到着時と同じく船便でございました。
向かうはホングスの街。四方を司る大社のうち、東の守りがハスノハならば、北の守りを司るのがホングスでした。玖蓮大社の紫玖家とも縁が深い、楠方家が管理していた地域であり──
「向こうに着いたら、博物院に寄って頂戴。調査隊の宿泊所を使えるように、後輩たちに手配させてるから」
イリス様の後輩が、調査の為に滞在している街でもございました。我らが宿泊で困らぬよう、イリス様は学院の提携施設を手配して下さったのです。そして、もう一人。
「おう、大きさもちょうどええな。似合っちょるぞ、ハクビ丸」
怪物医様も、我らを見送るために港に来て下さいました。我らをお気遣い下さったのでしょう。服は日頃のものではなく、朔弥人が着るような、麻の着物でございました。
また、タマを失い、やや意気消沈ぎみでいた白鼻丸でしたが、取り付けられた首輪は嫌がらず。街場で隠れる必要がなくなったことが嬉しいのか、楽しげに周囲を見回しておりました。
「お世話になりました。おっちゃ……イニセテ殿」
月牙様、言い間違え直後にこほんと咳払い。頼池様の代理で来ていた護衛様の顔芸を横目に、青年は気まずそうに続けました。
「白鼻丸の事や、セキショウの皆様との調整も務めていただき……」
「おっちゃでええぞ。肩が凝る物言いは好かん。これは皆からの餞別じゃ」
にやっと笑い。怪物医は土産の入った麻袋を月牙様に押し付けました。続けて、怪物医はワタシに視線を向けます。
「もしかすると、『山の民』に会う機会があるかもしれん。連中はわしらより、旧い時代の知恵をよう持っておる」
しかし、山の民は警戒心が強いし、よそ者の話は聞かない。ゆえに、と。
「必要があればこいつを見せて、わしの名前を出しい。ええな」
怪物医は、ワタシに小刀を手渡しました。真新しい木製の柄には、緻密な木彫り。白鼻丸と思しき風生獣と、複雑な紋が刻まれたそれを見て、ワタシは顔を上げました。
「よろしいのですか、いただいてしまって」
怪物医は微笑み。頷くと、己の額と胸に、トンと指を当てて礼をしました。
「良い旅路を。お前達の先祖が、お前と共に駆けて下さいますように」
白鼻丸の頬を撫で、穏やかに微笑んだ怪物医の目は、ワタシと同じ薄紅色でございました。
見送りの人々に別れを告げ、船に乗り込み。頼池様の計らいで手配された個室に入ると、ふかふかの洋椅子が我等を迎えました。
「あまり豪華すぎても、落ち着かないのですが」
「時雨様はともかくとして、顔面拳骨かましたご子息と、面倒を持ち込んだ部下の養女に対して、このお心遣い。ワタシ、頼池様がかなり寛容な方のような気がしてきました」
「身の丈に合った振る舞いをしろ、という言外の圧ですよ」
言いながら、月牙様はソファに腰を下ろしました。窓の外に流れて行く景色は、鮮やかな絵画のよう。目を瞬かせたくなるような青空に、陰影の鮮やかな雲が浮かび。山の緑を映した水面は、踊るように泡を立て、渦を巻いては流れておりました。
「今後の旅程ですが、先に話した通りです。最初の目的地はホングス博物院。学院の調査隊と情報交換をした後は北上を続け、最北端の地点確認を秋までに終わらせます。冬が来る前に豪雪地帯を離れて、雪解けまでは西の癒都近辺に長期滞在する予定です」
その間、君にも移動を止めてもらう事にはなるが、滞在費は負担するし、良い機会なので座学も腰を据えて行おうと思う。
淡々と旅程を説明する月牙様は、よそよそしくもあり、同時に肩の力が抜けているようにも思えました。
肩の力が抜けて見えたのは、実際、己の身分について隠す必要がなくなったからでしょう。よそよそしさ、つまり意図的なごまかしを感じたのは……
「……。ワタシの事、最初から叢雲の娘だと気付いていらっしゃったのですね」
どう考えても、この話題のせい。
ワタシの言葉に、月牙様は怪物医からの差し入れ──たくさんの干物や燻製、赤い護布製の腰紐など──を、手から落としました。
「何故、いまその話題を出すのですか。話題を逸らしていたというのに。許されざる愚行です」
「むしろ、今がちょうど話す機会だと思ったのでございますけども」
「あっ船内販売が近くにきていますね。声が外に漏れると困りますから、その話はまた後日に」
身を乗り出したワタシに対して、すっと顔を逸らす月牙様。撃ち出した矢を結界で弾かれたような感覚でございましたが、であれば。
「先ほど、盗聴感知の術符をご用意なさっておられましたよね? 起動して、懐にお戻しになるのを見たでございますよ」
ひょい、ひょいと指差し指摘。月牙様が懐に忍ばせている術符を示せば、青年は肩をすくめます。
「念の為です、念の為。盗聴そのものを防ぐ術は使っていませんし。前を誰かが通りでもしたら」
「個室ですから、他のお客様が頻繁に出入りできる場所ではございません。念の為の術式もしているのですから、話しても問題ないのではないでしょうか」
どんなに強固な結界も、『壊し方』を知る者が一点を突き続ければ脆くなる、とはご本人の談でしたか。結界にひびを割り入れ、じいっと待ち続けるワタシを凝視し。月牙様は、わずかに頬を膨らませました。
「おのれ頼池。ますます余計な真似をしてくれました」
「お父上を呼び捨てにするものではございませんよ」
結界突き抜け、あと一歩。月牙様がどんな言い訳を出して来るだろうかと、次の言葉を待っていた時でした。
「月牙、わたし、船内販売の泡葡萄が飲みたい。買ってきて良い?」
時雨ちゃんから、しれっと援護射撃。月牙様がひくっと口端を震わせるのを見て、時雨ちゃんの目元が微かに細まりました。
「すっ……好きな物を買ってきて下さい。食事が出るらしいので、おやつは程々に」
「分かった。杏華にも、おやつ買ってくるね」
「感謝でございますよ!」
伸ばした手と手でハイ・タッチ。時雨ちゃんがご機嫌に出ていく背中を見送って、扉がバタンと閉じられた直後。
「泡葡萄は、ワタシがハスノハに滞在していた時に好物とお伝えしたのでしょうか」
ワタシは訊ねました。
「そうですよ……。市場で何がおすすめかと聞いたら、泡葡萄を飲むべきだと、当時の君に力説されたのです……」
対して、月牙様。額を指で押さえながら、諦念の表情で語り出しました。
「巫師にも、いろいろな役割を持つ者がいます。四方大社に務める者は、特に役割が多様です」
市井の人々が集まる表社で、一般的な浄化や怪祓の祈祷を行う者。街の運営に携わる者。そして、源ノ座と呼ばれる奥ノ宮で、斎ノ社としての実務に携わったり、参拝者を世話する者達もいる。
我が国の聖職者、『巫師』の基本に触れた上で、月牙様は続けました。
「僕は、源ノ座がある山から降りる事は滅多に許されなかったので、当時、ハスノハに来たのは初めてで……それ以降は、源ノ座から出る予定が無かったのです」
山奥の住まいで、決められた仕事をずっと為す。その役割からは抜け出せない。窮屈な暮らしから抜け出して、初めて見たハスノハの街は美しく、賑やかで、華やかだった。
「それなのに、大人たちの格式ばった挨拶ばかりを聞かされていれば、嫌にもなるじゃ無いですか。抜け出してみたものの、大きな街が初めてだったので、迷子になってしまって。その時、同じように抜け出した君に、道案内をして貰ったのです」
あの時は、とても楽しかった。
窓の外を眺めながら、青年は微笑みました。
「でも、大人たちが僕たちを見つけた時に。叢雲が、見た事がない顔で君を叱り。その上で、周りが君を叩こうとするのを、必死で止めるのを見てしまったのです。己の我儘に、君を巻き込むべきではなかったと、深く反省しました」
そして、十年を超える月日が過ぎて、初夏の頃。
「君を旅籠で見かけて、まさかと思いながら女将を問い詰めたら『本人だ』と言うから。驚きましたよ。驚いたと同時に、息災でいた事、とても安心したのです」
我々は、再び出会い。一方的に過去を知られた状態から、旅が始まったのでございました。
「気付いていたなら、旅館で配膳をした時にでも、言ってくだされば良かったのに」
「馬鹿おっしゃい。言える状況ではなかったでしょう。それに、君が僕を頼ったのは、僕が君の関係者と縁がないと思ったから。違いますか?」
ワタシは目を瞬かせました。その反応を見て、青年は肩をすくめます。
「僕だけが一方的に覚えていて、『あの時のこと覚えてますか』と言ったとして、ですよ。君は僕を信用できなかったでしょう。だから、君が自然に気付かなければ、言わずに通そうと決めたのです」
「それは……確かに。月牙様のお立場であれば、そのような判断になるのも妥当でございました」
得心したワタシに、青年はやや怒ったような表情で頷きました。
「僕が八つの時の話ですから、君はまだ四つ程度……万に一つの可能性を賭けて、君がよくやっていた仕草をしてみたら、泣きながら怒られたし……あっこれはもう隠し通す路線ですね、と……嫁入りが決まりかけている娘を勝手に連れ出すなんて、女将にも叢雲にも申し訳が立たないと思いながら隣村に向かったら、なんか山姥みたいな女性がナタ振り回して襲って来るし……この皇国、治安の良さのために大事なものを何か捨てているのですよ……」
「唐突な国への責任転嫁おやめ下さいまし? 同意ではございますが」
……お話を伺ったとて。やはり、昔の事を思い出す事はできませんでした。
四歳の頃の話なんて、覚えてる方の方が珍しいと思いますが、しかし。
「月牙様が覚えていて下さったならば、確かに在った記憶なのでございましょう!」
手をぽんと合わせ。私は口元を吊り上げました。
「その縁にて、今のワタシがこうしてここに居る事ができているという事実が、ワタシのにとっては重要でございますね! 覚えておらず申し訳ございません!なはは!」
「当時の君には、ずいぶん怖い思いをさせてしまっただろうと、気にかけていたのです。やや癪ではありますが、覚えていない方が僕としてはありがたいですよ」
「エエ……そう言われると、思い出したいような気も」
「不要な記憶ですよ。結果的にですが、僕を覚えていなかったことが、君にとって良い方向に進んだのですから」
忘れたなら、そのままにしておしまいなさい。青年は笑いながら立ち上がると、扉の外にいた時雨ちゃんを迎え入れました。
「ただいま。いっぱい買ってきた」
「お昼が来るから控えめにと……これ、何ですか?」
大量の包み、泡葡萄が入った竹筒、菓子などなど。月牙様がその中からつまみ取ったのは、小ぎれいな紙が掛けられた経木の包みでした。包み紙に描かれているのは、美しい蓮の花です。
「蓮葉まんじゅう。ハスノハの新名物らしい」
包みを空ければ、薄桃色のまんじゅうが三つ。ちょこんと並んだその様は、確かに可愛らしくはありましたが。
「このような菓子、土産屋にありましたか?」
月牙様の指摘に、ワタシと時雨ちゃんが同時に首を振りました。
「意外とこの手の土産が、『老舗・伝統の味』みたいな顔して生き残ったりするのでございますよね……」
などと言いつつ、さっそく頂戴。蓮の実を炊いた餡子がたっぷり詰められた饅頭は、確かに美味でございました。
「この味は後世まで残る気がいたしますよ。おいしいですし、船内販売にも取り入れられているという事は、ズブズブでございますから」
「言い方……ま、おいしければ文句はありませんよ」
そんなたわいのない会話をしながら、船旅を続け。我らは北の港へと向かいました。下船してすぐ、港で出迎えてくれたのはふたりの青年。イリス様と同じ徽章を身に付けた彼らを見て、ああ、学院の方だと理解した直後──
「うおおーッ!先輩の身長がまた伸びてるっすーッ!お久っすせんぱーいっ!」
弾丸のように飛んできた青年の一人が、月牙様に抱擁……ではなく掴投をかまし。月牙様ともども、遥か後方まで吹っ飛んでしまいました。
【船旅】
なんだかんだでよく使う移動手段。船の大きさや移動ルートによって、旅を快適なものにできるか、揺れと嘔吐に耐える修行時間になるかが大きく変わる。




