蓮花の少女 04
──話を少し、整理いたしましょうか。
月牙様は旅の巫師であり。ワタシは一介の旅芸人である……という説明は表向き。
月牙様は、皇国の四方を守護する玖蓮大社のご子息であり。ワタシは──『杏華』は、その玖蓮大社に連なる者達が育てた鬼奴出身の養い子でございました。
月牙様はワタシの事を最初からご存知であり、周囲も状況を黙認していたのです。
しかし、頼池様はなぜか以降は同行許可が下ろせないと言い出し。実質的な保護者であった女将が現地参戦。今回の件に、対応しに来たと仰られた……と。
つまり。問題になったのは、ワタシを月牙様の手元ではなく、頼池様の目が届く所に起きたい理由が発生したという事。
月牙様がその点を解決しようにも、女将による助力が必要になった。という理解を、当時のワタシはいたしました。
ゆえに問うたのです。ワタシの身柄が問題になっているのは、過去に月牙様とお会いしている事が関係しているのか、と。ワタシの問いに、女将は答えました。
「過去に知り合いだった事は、関係しているだろうね。でも、頼池様や、その周囲で問題になったのはね。お前に肩入れした月牙様が、お前を想定以上に育てちまったって所だろうさ」
「肩入れ、でございますか」
「聞いたよ。お前、まじない歌を使って、怪物の群れを堕としたんだって? 宿にいた頃は、術歌の制御も効かないポンコツだった癖に」
その上、帝国の技師からは武装機巧の訓練を受け。体術、座学も叩き込まれたらしい上に、怪物の飼養許可まで申請してきた、と。
「今のお前は、そこらの兵士くらいなら、吠え声ひとつで止められる。なんなら、不意をつけば月牙様だって止められる可能性があるんじゃないか」
淡々と指摘されて、ワタシは無言の肯定を返しました。
月牙様を相手に、捕縛の叫喚を使った事はございません。しかし、体術の類いは自衛用に、特に男も撃退できるようにと習ったものですから。
こう、型の練習中に月牙様のご尊顔に肘鉄を食らわせてしまった事や。
時雨ちゃん直伝、男性特攻の蹴り技を修了した時には、『その技は有効打ですね。以後も練習しておきなさい。ただし、二度と僕には当てないように』と、やや下方に傾き震えた修了指印をいただけた事はございました。
そのように。身を守れるように、鍛えていただいたのです。
「頼池様は、ご子息が心配になったんだろうよ。無力な小娘のままなら、愛玩用に連れていても構わない。そう思っていたのに、お前が想定以上に育っていたのを、セキショウ集落の件で見てしまったもんだから。お前を月牙様から引き離しておくべきだ、と考えていた連中の後押しもあったんだろうさ。それと……もう一つ」
指を立て、女将は静かに続けました。
「叢雲が言っていた。お前は、山火事で滅んだ集落から連れ出した、旧い鬼奴氏族の生き残りなんだと。今も旧い血を維持する鬼奴の中には、皇国に反発する一派もいる。だから、お前が他の旧い鬼奴と接触したら」
「──鬼奴の民として生きる事を望み、月牙様の敵に回るかもしれない!と。そのように仰りたいので?」
「そう考える連中がいたんじゃないっていう、ただの推察だよ」
女将の口調は、やたらと穏やかでした。ふつふつと湯立つ鍋を前に、火を弱めようとするような、静かな言葉。ワタシが湯立つ鍋である事を理解しているからこその気遣いに、ワタシは余計に腹が立ってしまって。
「アッハハハ! ワタシったら、皆様に随分と買い被られていたのですね! ワタシ、朔弥人も鬼奴人も、ちゃあんと等しく嫌いございますのに!」
ワタシは、嘲笑いました。腹を抱えて、大きな声で、突沸しました。
嫌い。朔弥人も、鬼奴人も。自分の都合ばかりを考えて、ワタシを物みたいに……物以下に扱う人の事は、みんな嫌いでございました。当然でございましょう?
師父の知り合い達。裏ではワタシを物みたいに言っている癖に、表では猫撫で声で接してくるのが気持ち悪かったから、嫌い。
宿によく来ていた、商人達。ワタシが成人するまで、舌なめずりするように待っていた男たちだから、嫌い。
旅芸人として接してきた人たち。ワタシの歌を喜びながらも、鬼奴の民と蔑んで、桃の矢を射かけて遊ぶのです。どんなに長く接しても、扱いが変わる事はあり得ないのですから、嫌いでした。
嫌い。嫌い。嫌い! 飛び出してしまいたい。逃げ出した先で、より悪い方向に転落するとしても、自分で未来を選びたい。自分を取り囲む、全てから逃げ出してしまいたい!
──沸かし湯に溺れるような。腹の底を焼き続ける感情に、笑顔で蓋をしてしまいながら。必死で掴んだ枝が、月牙様だったのです。時雨ちゃんだったのです。
彼らは、ワタシにとって旅の友であり、師父と並ぶ、家族のような存在になりつつありました。
ワタシの紅い目を、まっすぐに見てくれる人達だから、好きでした。信頼していたのです。
朔弥人だから嫌いになるわけじゃない。鬼奴人だから総じて好きなわけでも無い。ワタシに賤しい鬼奴であれと念じてきた。そのように接してきた、あなた達が嫌いなだけなのです。
師父の友人達の懸念は、そういった意味では当たっていたのかもしれませんが。知った事ではございません。
「ワタシが思い通りに動かないのが嫌ならば、従うように育てれば良かったのです。月牙様の事も、そんなに大事なご子息なら、宝石箱にでもしまっておけば良いのです。中途半端に外の世界を見せて、反抗されないと思う方がおかし……」
──あぁ、そうか。だから師父は、ワタシを旅芸人として育てたのです。籠の中しか知らぬ鳥ではなく、野の鳥としての道を、教えてくれていたのでしょう。
急に腑落ちしてしまって、無言になってから。
「失礼、失礼。皆様にも事情があっての事でしょうに、身勝手に言い募ってしまいました。反省でございます!」
ワタシがペロリと舌を出し、笑顔を被り直す様を眺めていた女将は。
「ったく。やっぱりお前は、叢雲に似ちまったね。見目だけは良いんだから、傾いちまう前に、さっさと嫁に行っちまった方が安寧と思ってたのに」
人の言う事なんか、ちっとも聞きやしない。それでいて、いざ面倒事が起きたら、こちらを巻き込むのだから、親子揃ってどうしようもない。
そう言って、酒を煽るように茶を飲み始めた女将に合わせて、ワタシも湯呑みに口をつけました。
最初は熱すぎて飲めなかった茶も、時間が経てば、まろやかで飲みやすい口当たりになるもの。女将の強硬な振る舞いが、全てワタシの為を思っての事である事は、最初から理解していたのです。ただ、飲み込む事ができなかっただけなのです。
「女将……いえ、秋明様」
ワタシは身を正し、女将をまっすぐに見つめました。
「身寄りのないワタシを引き取り、おそばに置いて下さったこと。たいそうな不義理を為したというのに、目こぼしを下さったこと。いま、こうして、来て下さったことも。なんとお詫びと、お礼を申し上げれば良いのや……なぜいま頭叩かれたのでございますか!」
「うるさいね。そのくらいの面倒はかけさせられているだろうが」
シュウと煙が上がる勢いで、女将はワタシの頭に一撃。そして、優しく手のひらを置くと、くしゃりと髪を乱しました。
「できる範囲の事はしてやるよ。頼池様だって、あの御方の機嫌を損ねたくはないだろうからね。運はお前に味方しているよ」
だから、焦るんじゃない。本当に困ったその時は、かぜひら亭の門を叩け。鼻を鳴らしながら告げ、茶の代金を全員分置いて。女将は、ワタシの前から去ってしまわれました。
夏風が頬を撫で、木漏れ日が揺れ、水車はただ、規則正しく清水を陽光に煌めかせる。そんな、夏の昼下がりに衣を揺らし。
「──よかったね、女将と話せて」
時雨ちゃんは、その幼き顔に似合わぬ微笑みで、私を見上げておりました。
「時雨ちゃんが、ワタシが追いかけてくるって分かっていたのも……月牙様が、悩みながら同行を許して下さったのも。ワタシの事を、最初からご存じだったからなのですね」
ワタシの言葉に、時雨ちゃんは悪戯っぽく笑いました。
「月牙の方は、宿で杏華を見かけてからずっとそわそわしてたし、忘れられてるって確信した直後は、静かにショック受けてた」
「おっふ。申し訳なさ過ぎるでございます」
「仕方ないよ。十年近く前の事だし。覚えていた月牙の方が、物覚えが良すぎるの」
シャリン、シャリン、と。時雨ちゃんが歩くたび、装飾品が涼やかに煌めきます。足元に水影を映しながら、少女は目を細めました。
「頼池もさ、ああ見えても、月牙が心配なんだよ。ちょっとわがまま言われるとか、反抗期むーぶされたりすると、実はけっこう喜んでる。親父構文ゴリッゴリの手紙を添削付きで返送された時は、さすがに凹んだらしいけど」
「息子にオジサン構文で手紙送ったのですかあの親父様。そして添削したのですか月牙様」
「隙間という隙間に、びっしり赤文字で気色悪い理由を説明書きしてから返送してたね」
「あのお二人、実は仲良かったりいたします?」
時雨ちゃんはやや無言になり、やがて、目を細めました。
「月牙が筆まめなのは、頼池の影響だよ。留学してすぐ、帝国語がまだうまく話せなかった頃にね。頼池がいっぱい、いっぱい手紙くれたから」
その時から、『ちょっと考えの相性が悪い』みたいな事はあったけれど。物理的な距離があれば、穏やかに交流できる程度の間柄ではあった。そのように、時雨ちゃんは語りました。
「月牙を連れ戻して、旅をさせるって話にならなければ、今ほどピリピリしないで済んだと思ってるよ。仕方ないけどね。頼池の部下じゃ、月牙の代わりにはならないもの」
歩き続ける。清流の水草を眺める少女は、穏やかな微笑みを浮かべていました。
「……。ねぇ、時雨ちゃん」
「なに?」
「時雨ちゃんは、そして月牙様は。何のお仕事を、なさっているのでございますか?」
風が木の葉を巻き上げました。時雨ちゃんの外套が、髪が揺れ。蓮池色の瞳を、悪戯っぽく光らせます。
「それ。聞くの、ずっと我慢してたんじゃないの? 」
ワタシは苦笑しました。
「やはり、聞かない方が良かったでしょうか」
「ううん。でも、やっぱり月牙に聞いた方がいいよ。時雨はね、ただ一緒にいるだけだから」
くるりと華麗に半回転。ワタシの顔を下から覗き込んで、蓮花の少女はにこりと微笑みました。
「帰ろ。今日、卵風鈴が食べたい。月坊を起こして、作ってもらわなきゃ。時雨のおやつを用意。これも、月坊の大事な任務」
「では、材料だけ買って行きますか。この前、作り方を教わったのです。確か、卵の他に……」
──この後。数日の話し合いを経て、我々に下された通知は、『これまで以上の報告を前提に、同行を許可する』というものでした。月牙様が一部負担していたワタシの生活費は全額支給、装備も完全一新。
真新しい旅装に身を包み。隠してきた白鼻丸を堂々と肩に乗せた時には、自身の有り様の変化を流石に感じたものでした。
──蓮花の街は、今も多くの人々が訪れる観光地。我々が滞在した建物は、喫茶店となり。足繁く通った温泉近くの屋台は、綺麗な店構えの果汁屋になりました。
玖蓮大社も現在で、催事には人々がすし詰めに並びながら、祀られた武神の加護を願っております。怪祓の儀、浄化の舞、武神の栄光を讃える祝詩。
全てに聞き覚え、見覚えがありますが、聞き慣れた声ではございません。見慣れた後ろ姿は見えません。
月牙様も、そして時雨ちゃんも。この街に立ち寄ったのは、ワタシといた時が最後でございましたから。
あの地の思い出が煌めいて仕方のない私は、かつて過ごした建物を訪れては、泡葡萄を頼んでしまうのでございますよ。
……失礼、少し話が長くなってしまいましたね。
これより先は、秋に向かう季節の話。一介の若い旅人であった我々が、『大社巫師』と『鬼奴の怪物使い』という肩書きを背負い直し。旅の終わりに向けて、出立したのでございます。
◇ハス被害
レンコンの生産地では、ウよりはカモによる被害が問題となる。根を突かれる事でレンコンが全体的に痛み、出荷が難しくなってしまうため。対策としてネットやテグス、爆音機が使用されるが、驚いた鳥が引っかかって死んでしまう事もあるため、対策の在り方については常に議論されている。




