笹森に潜むモノ 後編01
「どの罠を使うのです。はこ罠ですか」
月牙様の問いに、学徒は首を横に振りました。
「いや、くくりっす。箱罠の許可降りなくて」
「何故? 撒き餌は必要ですが、君たちにも、近くを通りかかった人にも箱罠の方が安全ではあるでしょう」
「目立つから、柵の周囲で何かやってるのがバレやすいってコトで。そういうのはやめてくれと……」
「難儀ですね」
嘆息する月牙様に、ワタシは訊ねました。
「はこ罠というのは、檻の形の罠。くくりというのは、以前アカナメ相手に使った、地面に隠し腕を縛る罠でございますね? 生け捕りにするなら、腕を縛るくくり罠より……」
「はこ罠の方が身体に傷は付けにくい。しかし、はこ罠は餌でおびき寄せる罠ですし、罠が周囲に丸見えです。怪ノ垣の近くで使われたくない、と言う地主の気持ちも分かります」
雑然とした食堂に差し込んだ夕陽が、部屋のほこりの舞う様を睨み付ける中。月牙様は、時雨ちゃんに身体を向けました。
「僕は、笹猪ほど大きなケモノをくくりで捕らえた経験はありません。時雨、見切りや罠の調整を手伝っていただけませんか?」
上目遣いに伺う青年を見下ろし、時雨ちゃんは片目をつむりました。
「どうしようかなー。月坊、わたしが教えなくても、だいぶできるようになってる気がするけど」
「そこを何とか。冬までに癒都まで移動しようと思うと時間制限がありますし、後輩らの安全も確実に確保したいのです」
んー、と。足をパタパタしながら小首を傾げていた時雨ちゃんですが。月牙様の背後に回り込み、あごを弟分の頭に乗せました。
「しかたないなー。たまには時雨も手伝ってあげる。最近の時雨は、見守りもーどだったから」
「ありがとうございます」
身体を左右に揺らす時雨ちゃんに首を振らされつつ、月牙様もまんざらではない様子。相変わらずの姉弟仲にワタシは笑顔、後輩たちは『くっ、見せつけやがって』と唾を吐くしぐさを返しました。
「そんな顔しないで下さい。僕の罠関係の技術は、ほとんどが時雨の直伝です。僕一人が助力するよりも、確実かつ安全ですよ」
「先輩と時雨ちゃんさんが手伝ってくれるのはうれしいけど!」
「距離感バグを見せつけられて口から砂糖が湧いただけっす!ペッ!」
地団駄を踏む男子達、苦笑いする月牙様の様子を見ると。月牙様の膝に飛び乗った時雨ちゃんは足を組み、スパァンッ! と机を袖で叩きました。
「おガキ様たち。手伝って貰うクセに、つべこべ言わない。悪い子はお尻ぺんぺんする」
「ッス……」「すんません……」
──閑話休題。笹猪という、背中に火笹を生やしたケモノを生け捕りする。これが我々に課せられた新たな課題でございました。
笹猪の特徴は、何といっても稲作や野菜の被害。畑を掘り返し、稲を掘り返し、柵で囲えば柵を根元からひっくり返す。とはいえ、なんでも食べる雑食で飼いやすく、人懐っこく、なにより怪鬼化しにくい。この特徴から、家畜として飼育されることも多いケモノでございました。
「怪鬼化しにくいと言っても、その繁殖力の高さ、群れで畑を荒らす習性は食糧難に直結する脅威です。過去、この地域では笹猪の影響で何度も大飢饉が起きています。君も聞いたことがあるでしょう」
せいろの火加減を見る月牙様に、ワタシは首肯しました。
「笹猪飢渇の段、でございますね。北方で大量の餓死者を目の当たりにし、悲しんだ初代皇姫がこの地にも加護をもたらしたという歌物語がございます」
「その加護のひとつが、いま彼らが調査を許されている怪ノ垣。寄せない、入れない、捕獲する。怪物対策の三本柱のうち、最も直接的かつ堅固な『寄せない』対策です。許可関係が難しい理由は理解できるでしょう」
てぬぐいを手に、せいろを開封。中で蒸されていた肉まんのうち、人間用をふたつ。それと白鼻丸用の小さな肉まん──調味料なしの、質素な肉入りまんです──をワタシに渡し。青年は焼豚を煮込む鍋の確認に移ります。
「怪ノ垣は各地の祠と同じで、神代に築かれた設備です。同じように維持しようとしても、綻びの修繕には限度がある。北巫師達は、難しい立場に置かれて気が立っているでしょう。もし今回の調査中に会った場合は、自身で作業内容を説明しようとはせず、僕と時雨に話を通しなさい」
「承知いたしました……はい、時雨ちゃん。白鼻丸もどうぞ」
「んっ」
時雨ちゃんや白鼻丸が『笹猪まん』かぶりつくのを傍目に、ワタシも肉まんを口にしました。香り高い火笹の香りに、野趣みのある肉のうまみ。それらをうまく調和させる調味料の妙。沸き立つ湯気にはふはふと息を吹きかけながら食を進めていると、ドン、と眼前に焼豚が置かれました。
「笹猪は、背中の植物を花や果樹に植え替えた家畜種……いわゆる『花豚』も多く出ていますが、原種が最も香りが良い。僕はそう思います。さて。焼豚も仕上がったので、次は干し肉の下処理です。下味を付けて、干すところまではやってしまおうと思いますが、白鼻丸や鳥にやられないよう、網をかけておかないと……くっ、肉の処理だけで日が暮れる」
台所長、額の汗をぬぐいつつ焦りの表情。当時は高度な冷蔵庫がありませんでしたから、氷の術式を使える月牙様でも、長期の保存には一苦労。保存加工は、すぐにやってしまう必要がありました。手付かずの肉の残量を確認して、月牙様は時雨ちゃんに話しかけました。
「時雨、杏華に笹猪のはく製や基本資料を見せてやってくれませんか。ティルとレルが、先に必要な資料を探しにいっています」
「分かった。今日のごはん、肉いっぱい?」
「勿論です」
月牙様の回答に満面の笑みを浮かべ。時雨ちゃんは、ぺろりと肉まんを飲み込みました。
「杏華。それ食べ終わったら、博物院の展示室に行こう」
♢猪飢渇
いのししけがじ。江戸時代に東北地域で発生したイノシシが原因の大飢饉。青森県だけで3000人近くの餓死者を出したと言われており、当時建立された悪獣退散祈願碑は現代でも残されている。




