間に合わない答え
裂け目を抜けたところで、怜司はインプレッサを路肩へ寄せた。
昨日と同じ草原と、その向こうへ続く街道が見える。空の色も、風に混じる草の匂いも、一日で変わるはずはない。それでも今日は、ここから先へ向かう意味が昨日とは違っていた。
昨日は、何があるのかを知るために来た。
今日は、分からなかったものを探しに来ている。
後方でマークXが停まり、さらに少し遅れてCLSのシューティングブレークが続く。
三台のエンジン音が途切れると、それまで隠れていた風の音が戻ってきた。
「全員おる?」
車を降りた怜司が振り返る。
「おらんかったら怖いやろ」
マークXから降りてきた彰人が答える。CLSからは雅史、智臣、洋一も姿を見せた。
今回は五人。
怜司と彰人だけで入り込んだ最初の日とも、雅史を加えた昨日とも違う。
昨夜の分析で分かったのは、星堕としが起きた場所を、土地や人口、戦争、魔術といった固定された条件だけでは説明できないということだった。
そしてもう一つ。
本来なら落ちていてもおかしくないはずなのに、落ちていない場所がある。
もっとも、その根拠を訊かれた怜司自身が説明できていない。
「兄貴」
「何?」
「今日、現地着いてから『やっぱ分からん』はやめてや」
「そんなん行ってみな分からんやん」
「それを言うてんねん」
「でも分からんかったら、分からんって分かるで」
「雅史さん、これ意味あります?」
いきなり振られた雅史は少し考えてから答えた。
「あるんじゃないかな。少なくとも一つ候補は消えるから」
「ほら」
「兄貴が勝ち誇るとこちゃうねん」
彰人はため息をついたが、それ以上は続けなかった。
実際、今日は怜司の感覚だけを頼りに来たわけではない。
どこを調べるのか。
その場所へ立ち入れるのか。
現在の地形や住民の状況はどうなっているのか。
昨夜の時点では何一つ決まっていない。
まず王都へ向かい、ヴァルネシア側と資料を突き合わせる。実際に現地へ向かうのは、その調整がついてからだ。
王都までの道順は、もう分かっている。
五人は再び車へ戻ると、三台で街道へ入った。
◇
王都の手前まで来ると、三台は前日にも車を置いた場所で停まった。
そのまま王都へ乗り入れれば、目立つどころの話ではない。
近くにいたヴァルネシア側の術師へ事情を伝えると、昨日と同じように三台へ隠蔽の術が施された。
車体そのものが消えたわけではない。それでも少し離れれば意識から外れるような、不思議な感覚がある。
「便利やな、これ」
怜司が自分の車を眺める。
「兄貴、場所忘れんなよ」
「分かるやろ」
「術かかってんねんぞ」
「俺の車やで?」
「そういう問題なんかな……」
答えが出ないまま、五人は徒歩で王都へ向かった。
門を抜け、街の中へ入ったところで、雅史は昨日までとは少し違う空気を感じていた。
街並みそのものが変わったわけではない。
通りには店があり、人々が行き交っている。荷を積んだ車も通れば、子供の姿もある。
ただ、その中に混じる兵士の数が昨日より多い。
それが本当に増えたのか、それとも事情を知ったことで目につくようになっただけなのか、今の雅史には判断できなかった。
だから記憶に留めるだけにする。
分からないことへ、先に意味を与えない。
王宮へ到着すると、五人は昨日と同じ部屋へ案内された。
アルトリウスのほか、ガルディオ、アルディウス、セレスティアが待っている。
挨拶を終えると、雅史は持参した資料をテーブルへ広げた。
『昨夜のうちに、ここまで?』
セレスティアが資料の量を見て目を見開く。
「僕一人でやったわけじゃありません。昨夜は五人で確認していますから」
『それでも、です』
昨夜までヴァルネシア側にとって、星堕としの記録は被害を残すためのものだった。
いつ、どこへ落ちたのか。
どれほどの範囲が失われ、何人が犠牲になったのか。
その後、土地を利用できたのか。
長い年月をかけて蓄積されたそれらの記録を、雅史たちは別の方向から読み直している。
「昨日お借りした記録から、いくつか条件を比較しました」
雅史は地図の上へ紙を重ねた。
「地形、人口、都市の規模、魔術の利用、戦争。それ以外にも確認できる範囲で比較しています。でも、今のところ星堕としが起きる場所に共通する条件は見つかっていません」
『つまり、何も分からなかったということか?』
ガルディオの問いに、雅史は首を横へ振った。
「むしろ逆です。場所そのものを見ていても答えが出ない可能性が高くなりました」
アルディウスが地図へ目を落とす。
『土地ではない、と』
「そう考えています。ただ、それだけならまだ仮説です」
雅史は地図の何か所かを指した。
「だから、ここを実際に見たい」
セレスティアが身を乗り出す。
『星堕としが起きた場所ですか?』
「それもあります。でも、僕らが優先したいのはこちらです」
指が少しずれる。
何も印がない場所。
正確には、星堕としの痕跡が記録されていない場所だった。
『ここに何が?』
「それを調べたいんです」
セレスティアが不思議そうに雅史を見る。
代わりに答えたのは彰人だった。
「兄貴が、ここにも落ちてないとおかしいって言うたんです」
『怜司さんが?』
「はい」
セレスティアの視線が怜司へ移る。
『なぜですか?』
「なんか変やから」
「これ以上聞いても出てきません」
彰人が即座に補足した。
「何かあるやろ」
「昨日全部聞いたわ」
「ほな知ってるやん」
「分からんってことだけな!」
ガルディオが低く笑った。
アルトリウスの口元にも、ほんのわずかに笑みが浮かぶ。
ただ、セレスティアは怜司の答えを笑わなかった。
『では、その違和感が何なのかを現地で確認するのですね』
「そうそう」
怜司が軽く頷く。
彰人は一瞬だけ兄を見たが、何も言わなかった。
本人が一番重要な話をしている自覚があるのかどうか、たまに分からなくなる。
洋一が話を引き取った。
「可能であれば、星堕としが実際に起きた場所も併せて確認したいと思っています。記録だけでは残らない情報があるかもしれません」
アルトリウスはアルディウスへ視線を向けた。
二人の間で短いやり取りが交わされ、さらにセレスティアが地図を確認する。
『この地点と、この地点であれば問題ありません。こちらは現在、農地になっていますが、事前に知らせれば立ち入りも可能です』
指が三つ目へ移る。
『ここは少し距離があります』
「今日中には?」
『可能です。ただし、移動に時間を使います』
雅史が頷く。
「それでも行きたいですね。三地点が同じ条件でないことは、記録から確認できていますから」
『では、手配しよう』
アルトリウスが答えた。
『ただし、こちらからも同行者を出す』
「もちろんです」
洋一は最初から予想していたように頷いた。
『セレスティア』
『はい』
『同行してくれ』
『承知しました』
そこまでは自然だった。
だがアルトリウスは続ける。
『八傑からも四名を同行させる』
彰人がわずかに眉を上げる。
五人に対して、五人。
案内だけなら明らかに多い。
洋一は何も言わなかった。
ヴァルネシア側は、怜司と彰人が実際にどれほどの力を持つのかを知らない。戦う姿をまともに見たわけでもない。
ただ、フィルネをはじめとする八傑や、この国の者たちが二人に向ける警戒には、理屈より先に何かを感じ取っているようなところがある。
雅史とは昨日すでに顔を合わせているが、洋一と智臣についてはほとんど情報がない。
調査への協力。
現地での案内。
そして、万一のときの抑止。
どれも間違いではないのだろう。
「分かりました」
洋一はそれだけ答えた。
◇
王宮の前で待っていた四人を見て、怜司が最初に気づいたのはフィルネだった。
『あ』
「お」
ほぼ同時だった。
昨日、王都まで一緒に移動した鳥人の女性が片手を上げる。
『また車に乗れますか?』
「ええで」
『やった』
「お前らもう仲良なってんの?」
彰人が呆れたように訊く。
「昨日一緒に来たし」
『速くて楽しいですよ』
「兄貴に言うたらあかんこと言う人や」
「何で?」
「分からんかったらええわ」
残る三人は初対面だった。
最初に名乗ったのはナーシャ=メルディア。
上半身だけなら人間の女性に近いが、腰から下は長い蛇体へと変わっている。細かな鱗が陽光を反射し、身体の後方は地面の上で大きく弧を描いていた。
次がアルネア=シェル。
こちらも上半身は人型に近い。しかし腰から下は蜘蛛を思わせる形へ変わり、腹部とそこから伸びる複数の脚を持っている。人間よりは場所を取るものの、巨大な魔物を想像するような大きさではない。
最後がミリア=ルシェ。
四人の中ではもっとも人間に近い体格をしている。頭から伸びる長い兎耳を除けば、少なくとも怜司には普通の少女と大きく変わらないように見えた。
『……何?』
見ていたことに気づいたミリアが一歩下がる。
「いや、耳長いな思って」
『見れば分かるでしょ』
「せやな」
「兄貴、初対面やぞ」
「挨拶したで?」
「そういう話ちゃうねん」
紹介を終えると、一行は三台の車を置いた場所まで戻った。
術師に隠蔽を解いてもらい、三台が再び姿を現す。
そこで彰人は、今まで考えていなかった問題に気づいた。
人数ではない。
三台ある。
十人なら十分に乗れる。
問題は、身体の形だった。
彰人はCLSの荷室とアルネアを交互に見た。
「……アルネアさん、これ乗れる?」
『その座席には無理ね』
アルネアは即答した。
誰も否定できなかった。
マークXを見る。
インプレッサを見る。
CLSを見る。
もう一度アルネアを見る。
「……無理やな」
『だから言ったでしょう』
「兄貴、何で確認したん」
「大きさ」
『どこの?』
「全体」
『ならいいわ』
「ええんや……」
彰人が呟く。
CLSを運転してきた智臣がキーを操作すると、後方のリアゲートが持ち上がった。
それを見たアルネアが荷室へ近づく。
『ここは?』
「荷物を載せるところだけど」
智臣が答える。
アルネアはラゲッジと自分の身体を見比べた。蜘蛛の腹部まで含めれば人間より場所は取るが、脚を畳むようにすれば荷室そのものには十分収まりそうだった。
『ここなら入れるわ』
「入るだけならね」
雅史が車内を覗き込み、後部座席へ目を向ける。
「でも、そのままだと移動中に話ができないかな。後ろ、片方倒せる?」
「倒せるよ」
智臣が後部座席の一部を倒す。
車内とラゲッジがつながると、アルネアはしばらくその空間を眺め、自分の身体をどう収めるか確かめるように脚を動かした。
蜘蛛の腹部と脚を荷室へ収め、上半身だけを後部座席側へ出す。
『これならいいわ』
「……ほんまに乗れた」
彰人が妙な感心を漏らす。
『何よ』
「いや、思ったよりコンパクトやなって」
『失礼ね』
もう一つの問題はナーシャだった。
彼女はCLSの後部座席を覗き込んだあと、自分の蛇体を見る。
『入れないことはないわね』
「丸めるん?」
『そうすれば入るでしょうけど』
どこか不満そうだった。
次の瞬間、蛇体を覆っていた鱗の輪郭が揺らいだ。
「ん?」
怜司が見ている前で長い身体が縮まり、その形を変えていく。
蛇体だった下半身が二つに分かれ、やがて人間とほとんど変わらない二本の脚になった。
「おお」
『何よ』
「足生えた」
『見れば分かるわよ』
「それ、いつでもできんの?」
『変質は私の領分よ。この程度ならね』
ナーシャはそう言うと、何事もなかったように立ち上がった。
彰人は、人間の脚へ変わったナーシャの下半身と、先ほどまで蛇体があった場所を見比べた。
「それ、しんどいんです?」
『長時間ならね。それに、こっちの方が動きにくいもの』
人の脚になった自分の足元を、ナーシャはあまり気に入っていないように見る。
種族として誰もが持つ能力ではなく、ナーシャ自身が得意とする変質。
彰人はそう理解した。
その横で、すでに荷室へ身体を収めていたアルネアが後部座席側から顔を出した。
『……ずるい』
『何がよ』
『私はここなのに』
『あなたも変われば?』
『できたらやってるわよ』
ナーシャが笑う。
アルネアはさらに不機嫌そうに身体を奥へ収めた。
問題が解決すると、乗る場所は自然に決まった。
フィルネは誰に訊くでもなくインプレッサの助手席へ向かい、翼を背中に沿わせるように畳んで収まる。
ミリアはセレスティアとともにマークXの後部座席へ乗った。長い耳も車内へ入ると自然に後ろへ伏せられ、彰人が心配したほど邪魔にはならないらしい。
「耳、大丈夫なんですね」
『何がですか?』
助手席へ座ったセレスティアが不思議そうに訊く。
「いや、天井当たるんかなって」
『ミリアの?』
「はい」
『聞こえてるんだけど』
後ろから声が飛んできた。
「ごめん」
彰人が素直に謝る。
『別にいいけど』
少し間があって、ミリアが付け加えた。
『立てなければいいだけだから』
「なるほど」
それで一つ、異世界人について余計な知識が増えた。
一方、CLSでは智臣が運転席、雅史が助手席へ座った。
後部座席では、倒した側から上半身だけを出したアルネアが左側、反対側に人型となったナーシャが座る。
残った中央席を洋一が見た。
右を見る。
ナーシャがいる。
左を見る。
アルネアがいる。
「……ここですね」
『そうね』
『そこしかないわね』
二人からほぼ同時に答えが返ってくる。
洋一は何も言わず、二人の間へ収まった。
「大丈夫?」
運転席から智臣が訊く。
「問題ありません」
「なら行こうか」
「お願いします」
雅史が振り返りかけたが、洋一がいつもと変わらない顔をしていたため、そのまま前を向いた。
◇
最初の調査地点へ到着したのは、それからしばらく経ってからだった。
現在は小さな集落になっている。
街道を外れると畑が広がり、その向こうに石と木を組み合わせた家々が並んでいた。作物の間では住民が働き、道の端を子供たちが走っている。少し離れた柵の中には家畜らしい動物までいた。
星堕としの痕跡はない。
むしろ、何もないことを確認するために来た場所だった。
「ここやな」
怜司が周囲を見る。
雅史は昨日まとめた資料と、王宮で追加された記録を照合していた。
「この集落自体は比較的新しい。星堕としの記録を追っている時代には、ここにまとまった居住地はなかったみたいだね」
『当時は林と街道があった程度です』
セレスティアが答える。
「大規模な戦闘もなし。特別な魔術施設もなし。地形が大きく変わった記録もない」
紙の上で確認した情報と、実際に見える土地が少しずつ重なっていく。
しかし、重なったからといって答えが現れるわけではない。
怜司が変だと言った場所は、実際に来てみてもただの土地だった。
「兄貴」
「ん?」
「ここで合ってる?」
「合ってるで」
「今見ても?」
怜司はすぐには答えず、畑から集落、その向こうに続く林までを眺めた。
何か特定のものを探している様子ではない。
それでも、しばらくすると首を傾げた。
「やっぱ落ちてへんの変やな」
「理由は?」
「分からん」
「知ってた」
彰人も、今度はそれ以上追及しなかった。
ここで答えが出るとは最初から思っていない。
一行は住民の邪魔にならない範囲で周囲を確認し、地形と現在の利用状況を記録した。
だが、一か所目ではそれ以上のものは見つからなかった。
◇
二か所目は、景色からして違っていた。
人家はない。
低い木々の間を抜けた先に草地が広がり、その一部を小さな川が横切っている。
かつて、この周辺では星堕としが起きている。
ただし、今立っている場所そのものではない。
雅史が記録を読み、智臣が地図と実際の地形を照らし合わせる。セレスティアだけでなく、八傑たちもヴァルネシア側に残る記録や、この土地について知っていることを補った。
それでも、最初の地点と結びつくものは見つからなかった。
「やっぱり、土地じゃないな」
智臣が周囲を見ながら言った。
「地形も違う。水場との位置関係も違う。ここを同じ条件として扱うのは無理がある」
「うん」
雅史も同意する。
「少なくとも、僕らが今確認できる範囲ではね」
否定できるものだけが増えていく。
それでも昨日とは違う。
紙の上で消した可能性を、現地でも一つずつ消している。
分からない範囲が狭くなっていることを、雅史は感じていた。
◇
三か所目へ着いた頃には、陽が少し傾き始めていた。
かつて小さな集落が存在した場所だった。
星堕としによって滅びたわけではない。
長い年月の中で人が減り、やがて使われなくなった土地だという。
崩れた石壁の一部が草の中に残り、道だったらしい場所だけが不自然に平らになっている。
雅史が記録を確認している間、智臣は少し離れたところまで歩いていった。
最初は地形を見ているのだと、誰も気に留めなかった。
だが、一度止まり、数歩戻った。
さらに横へ移る。
また戻る。
「智臣?」
雅史が顔を上げる。
「ちょっと待って」
智臣は空中の一点を見ていた。
そこには何もない。
少なくとも、他の者にはそう見える。
「何かあるんですか?」
洋一が訊く。
「ある、とは言えない」
智臣は位置を変えながら答えた。
「でも、ここだけ少し変だ」
アルネアが反応した。
『何が?』
「空間の続き方」
『……何それ』
「俺も説明しにくい」
智臣は苦笑しながら、もう一度位置を確かめた。
「何もない場所って、何もないなりに続いてるんだよ。でも、ここだけ少し引っかかる」
領域の把握を得意とするアルネアには、その言葉が気になったらしい。
智臣の横まで移動し、示された場所へ意識を向ける。
『……私には分からない』
「たぶん、見ているものが違うんだろうな」
『同じ場所を見てるでしょう』
「場所は同じだよ。でも、俺は位置関係を見てる」
『腹立つ言い方ね』
「そういうつもりはないんだけど」
『それも腹立つ』
智臣が困ったように笑う。
その間に、怜司も近づいていた。
「どこ?」
「もう少し右」
言われた通りに動く。
「そこ」
怜司が止まった。
何もない空間をしばらく見ていたが、やがて眉を寄せた。
「……おるで」
「何が?」
彰人が訊く。
「知らん」
「兄貴」
「いや、ほんまに知らん。でも、おる」
昨日なら、そこで話が止まっていた。
今日は違う。
智臣も、同じ場所に違和感を覚えている。
見えているものは違う。
認識の仕方も違う。
それでも二人が同じ場所で立ち止まった。
「……今もおるんやろ?」
彰人が確認する。
「おるで」
怜司は今度は迷わず答えた。
「ほな、昔ここにおった何かの跡ってわけやないんやな」
「せやな」
雅史は手元の記録へ視線を落とした。
怜司は、今ここに何かがいるという。
智臣は、同じ場所だけ空間の連続性がおかしいという。
ならば、その場所そのものに理由を探すのではなく、そこに存在している何かを基準に考えたらどうなるのか。
雅史は少し考え、顔を上げた。
「セレスティアさん、一つ確認してもいいですか」
『はい』
「この時代の人たちは、十日くらいあればどの程度移動できました?」
唐突に変わった質問に、セレスティアは少し考える。
『徒歩で、という意味ですか?』
「まずはそれで」
『街道があり、健康な者であれば、一日二十キロほどでしょうか。当然、地形や天候で変わります』
「十日なら、単純に二百キロくらい」
智臣が反応した。
雅史が頷く。
「実際には直線では動けないからもっと狭くなる。でも、十分だね」
地図を広げる。
昨日まで別々に見ていた星堕としの地点を、時間順に並べ直す。
智臣も隣へ来た。
「この次は?」
「ここ」
「距離は届く」
「その次」
「こっちか。これもいける」
線は綺麗にはならない。
東へ進んだかと思えば西へ戻る。何年も同じ周辺に留まったように見える時期もあれば、大きく場所を変える時期もある。
土地の変化として見れば、規則性はない。
だが、何かが移動した結果として見るなら。
「……生き物みたいだな」
智臣が呟いた。
雅史も同じことを感じていた。
目的地へ向かっているわけではない。
一定の法則で動いているわけでもない。
それでも、その時代に人が移動できる範囲から完全には外れていない。
「何かが動いていたとしたら、場所に共通点がないことも説明できる」
雅史は地図の上で指を動かした。
「僕らは今まで、星堕としが起きた場所に理由を探していた。でも、場所が選ばれているんじゃないとしたら?」
彰人も地図を覗き込む。
「動いてる何かの方が基準?」
「まだ仮説だけどね」
「なら、兄貴が今『おる』って言うてるやつは?」
その問いに、雅史はすぐには答えなかった。
過去の記録から推測しているだけなら、ここまでだった。
だが今は違う。
怜司は、ここに何かがいるという。
智臣も、その場所だけが周囲と違うと感じている。
過去に存在した痕跡ではない。
今、ここにある。
「もし同じものなら……」
雅史が言いかけたところで、智臣が地図へ視線を落とした。
「ここが次になる可能性がある」
空気が変わった。
セレスティアが、怜司の見ている何もない空間へ目を向ける。
『次……?』
「星堕としが場所を狙っているんじゃなくて、これを基準にしているなら」
智臣はまだ断定しなかった。
「過去の位置が変わっていることも説明できる。今ここにいるなら、次に狙われるのもここかもしれない」
「自然に落ちてるわけやないんか」
彰人の声が低くなる。
智臣がその続きを引き取った。
「何かを追っているのかもしれない」
セレスティアの表情が変わった。
『星堕としが……何かを狙っている?』
答えたのは洋一だった。
「その可能性があります」
『何を?』
「まだ、そこまでは分かりません」
洋一は曖昧にせず答えた。
「ただ、調べるものは変わりました」
星が落ちた場所ではない。
星が追っているもの。
ようやく、問いそのものが変わり始めていた。
◇
王都へ戻る頃には、陽はかなり低くなっていた。
同じ道を通っているはずなのに、朝とは違って見える。
彰人はマークXを走らせながら、今日分かったことを頭の中で何度も組み直していた。
まだ答えではない。
何が狙われているのかも、その理由も分からない。
それでも、ただ空から降ってくるだけの災害だと思われていたものに、初めて意思のようなものが見えた。
対処できるかもしれない。
そう考えられるところまで、ようやく来た。
『分かりそうなの?』
後部座席からミリアが訊いた。
「もうちょいやと思う」
『本当?』
「多分な」
答えながら、彰人は助手席を見た。
セレスティアも前を向いたまま、わずかに表情を緩めている。
『今日だけで、これまで分からなかったことがいくつも分かりました』
「まだ仮説ですけどね」
『それでもです』
その言葉を聞いて、彰人も少しだけ肩の力を抜いた。
だからこそ。
王宮へ続く道へ入ったところで見えた光景を、最初は別のものだと思った。
装備を身につけた兵士たちが、隊列を組んで移動している。
荷車には箱が積まれ、その横を武器を携えた兵が歩いていた。
一組だけではない。
少し先にもいる。
「……セレスティアさん」
助手席から返事がない。
「これ、何してるんです?」
セレスティアはすぐには答えなかった。
それだけで、彰人にも答えが分かってしまった。
『王宮へ戻りましょう』
◇
アルトリウスは、朝と同じ部屋にいた。
だが、テーブルの上は変わっていた。
朝まで置かれていなかった地図が広げられ、複数の書類と、兵の配置を示しているらしい駒が並んでいる。
ガルディオとアルディウスもいた。
アルネアたち八傑は別の場所へ向かい、部屋へ入ったのは十二神承の五人とセレスティアだけだった。
怜司はテーブルを見る。
「戦争の準備?」
アルトリウスは否定しなかった。
『そうだ』
「ちょっと待ってください」
彰人が一歩前へ出る。
「今日、かなり分かったんです。星堕とし、多分ただの災害ちゃいます。何かを狙ってる可能性があります」
『聞こう』
「なら、もう少し――」
そこで彰人は隣に立つセレスティアを見た。
今日一日、一緒に調べた。
何が分かったのかも、彼女は知っている。
そのセレスティアが、兵の動きを止めていない。
雅史が調査結果を説明する。
場所そのものに共通点が見つからなかったこと。
時間順に並べると、何かが移動していると考えれば説明できる地点があること。
怜司と智臣が、同じ場所で異なる種類の違和感を捉えたこと。
そして、星堕としが何かを追っている可能性。
『どれほどかかる』
説明を最後まで聞いていたアルトリウスが尋ねた。
雅史は答えを急がなかった。
「分かりません。明日分かるかもしれないし、数日かかるかもしれない。もっと時間が必要になる可能性もあります」
『そうか』
責める言葉ではなかった。
失望したようにも見えない。
アルトリウスは、ただその答えを受け取った。
「あと、どれくらい待てますか」
洋一が尋ねる。
「調査は続けます。今日の結果を見る限り、解決へ繋がる可能性はあると考えています。その上で聞きます。ヴァルネシアは、あとどれくらい待てますか」
アルトリウスはしばらく答えなかった。
アルディウスも黙っている。
ガルディオは腕を組んだまま、テーブルの地図を見ていた。
『それを約束できる段階は、過ぎた』
やがてアルトリウスが答えた。
彰人は無意識に拳を握った。
「でも、まだ攻めてへんのでしょ?」
『ああ』
「やったら――」
『彰人さん』
セレスティアの声だった。
彰人が振り向く。
『私も、待ちたいです』
その言葉に、彰人の表情が止まった。
『今日、あなた方と共に調べました。星堕としについて、これほど大きく理解が進んだ日はありません。だから、あなた方がもう少しだと言う意味も分かります』
「じゃあ……」
『それでも、その間にこの国の状況が止まるわけではありません』
昨日聞いた話が、彰人の中へ戻ってくる。
病が広がり、汚染によって使える土地が失われ、食料も減っている。一つを補うために別の何かを削りながら、この国は今日まで持ちこたえてきた。
自分たちが答えへ近づいている間にも、その状況は続いている。
調査が前へ進む速度と、この国が限界へ近づく速度は、まったく別のものだった。
「……難しいな」
怜司が呟いた。
アルトリウスを見る。
「もうちょいやねん」
『分かっている』
「多分、何とかできる」
『それも、信じたい』
「ほな――」
怜司の言葉が止まった。
待ってくれと言えばいい。
だが、その「もう少し」が何日なのか、自分にも分からない。
昨日までなら、それでも言えたかもしれない。
今は、この国が何を失いながら時間を作っているのかを知っている。
洋一が静かに息を吐いた。
「分かりました」
アルトリウスを見る。
「調査は続けます。星堕としの原因も、狙われているものも調べます。ヴァルネシアを救う方法があるなら、それも探します」
『感謝する』
「ただし、日本への侵攻は認められません」
アルトリウスの表情は変わらなかった。
『分かっている』
「侵攻が始まれば、止めます」
『それも、理解している』
敵意はなかった。
怒りもない。
互いに相手の事情を理解しているからこそ、どちらも譲れないものが何なのかまで分かってしまう。
洋一はしばらくアルトリウスを見たあと、小さく頷いた。
「では、こちらも準備します」
部屋が静かになる。
誰も武器を構えていない。
誰も相手を憎んでいない。
今日一日、一緒に同じものを調べていた。
少し前まで、フィルネは日本の車を楽しんでいた。
ミリアはマークXの後部座席で彰人たちの話を聞いていた。
ナーシャは自分の身体を変えてまで日本の車に乗り、アルネアは文句を言いながらCLSのラゲッジへ身体を収め、後部座席では洋一を挟んで並んでいた。
セレスティアは彰人の隣で、星堕としの記録を何度も確かめていた。
何も知らなかった昨日より、互いのことを知っている。
この国のことも。
星堕としのことも。
どうすれば救えるかについてさえ、昨日よりずっと答えに近づいている。
それでも。
戦争は、遠ざからなかった。




