落ちない場所
大学の活動室に戻ってからも、エーテリアから持ち帰った情報は増え続けていた。
もちろん、新しい資料がこちらへ届いているわけではない。
ヴァルネシアから持ち帰ることを許された記録には限りがある。星堕としの発生地点と年代、被害規模、疫病の発生と拡大、人口の推移や失われた土地。王国側が長年にわたって調べてきた結果も、その一部には含まれている。
それらを雅史が読み解き、分類し、別々の資料に記されていた情報を結びつけるたび、むしろ調べなければならないことが増えていった。
「これで、向こうから持ってきた分は一通りかな」
ノートパソコンの画面を確認した雅史が、ようやく一息つくように椅子の背へ身体を預ける。
テーブルの上には二台のノートパソコンが開かれ、その周囲には印刷された資料がいくつもの束になっていた。最初からこの状態だったわけではない。エーテリアから戻って以降、雅史が記録を整理するたびに資料は細分化され、結果として、向こうで見た時よりもずっと多くなったように見えている。
「一通りって、結構あるな」
智臣がそのうち一束を手に取り、数枚めくった。横から覗き込んだ彰人も、紙面と机に残った資料を見比べる。
「向こうで見せてもらった時より増えてへん?」
「情報を分けたからね。元は一つの記録でも、年代で見るもの、場所で見るもの、被害で見るものに分けてる」
「増えたように見えるだけか」
「そういうこと」
三人が話す間も、洋一は別の資料に目を通していた。最初から口を挟むつもりはないらしく、時折ページを戻しながら、雅史が整理した内容とヴァルネシアで聞いた話を照らし合わせている。
怜司だけは少し離れた席に座り、何枚かの紙を順番も気にせず眺めていた。
「で」
ひとしきり紙面を見たところで、怜司が顔を上げる。
「なんか分かったん?」
「それを今から調べるんだよ」
「まだなん?」
「昨日帰ってきたばかりだからね」
「せやったな」
素直に頷いた兄を見て、彰人が何とも言えない顔になる。
「兄貴、寝て起きたら雅史が全部解決してると思ってへん?」
「そこまでは思ってへんで」
「『そこまでは』ってなんや」
「多少は期待してた」
「してるやん」
「僕もできれば解決しておきたかったけどね」
二人のやり取りに苦笑しながらも、雅史は机の上から一枚の資料を取り出した。
「ただ、ヴァルネシアも何百年も何もしてなかったわけじゃない。普通に考えつくことは、かなり調べてるよ」
地形や気候、人口、都市の規模、魔力の強い地域、それに星堕としの発生間隔。記録の精度には時代ごとの差があるものの、それらについては王国側にも相当な調査の蓄積があった。
「それで分からなかったから、今も困ってるわけか」
智臣が手にしていた資料を戻すと、雅史は小さく頷き、一枚の地図を引き寄せた。
「うん。ただ、向こうと僕たちでは、調べる目的が少し違う」
「目的?」
「ヴァルネシアが一番知りたいのは、次にいつ、どこへ落ちるかだよ。予測できれば避難もできるし、迎撃の準備もできる。だから当然、発生地点と直前の変化を中心に調べる」
その説明を聞いて、それまで資料に目を落としていた洋一が顔を上げた。
「俺たちが知りたいのは、その前ですね」
「そう。なぜ落ちるのか」
雅史が地図を机の中央へ置く。
「同じ資料でも、見方を変えれば何か出るかもしれない」
「何から見る?」
「まず場所かな。星堕としなんだから、落ちた場所から考えるのが一番素直だと思う」
智臣は地図へ視線を移したものの、すぐに周囲を見回した。
「だったら、ここよりお前の聖域の方がいいだろ」
「僕もそう思ってた」
ちょうどそこで、机に置かれていた雅史のスマートフォンが震えた。
表示された名前を確認して通話へ切り替えると、聞こえてきたのは清隆の声だった。
『準備できました』
「清隆、結局来られへんの?」
彰人が端末へ向けて訊くと、ほとんど間を置かずに返事が来る。
『無理です。今止めると、今日一日の実験がほぼ無駄になります』
「それは無理やな」
『ですが、資料はすべて共有してください』
その言葉を聞いた怜司が、椅子に座ったまま端末の方へ身体を傾けた。
「来たいん?」
今度は少しだけ間が空いた。
『非常に』
「めっちゃ来たいやん」
『怜司』
「はい」
『余計なことを言うなら通信を切ります』
「それ困るん清隆ちゃう?」
『……資料を送ってください』
返事がそれだけになったのを聞いて、怜司が彰人を見る。
「無視されたで」
「兄貴が悪い」
雅史は笑いながら資料を共有すると、清隆にはそのまま遠隔で参加してもらうことにして、五人は活動室を後にした。
◇
大学の活動室に満ちていた空調の音が消え、代わりに紙と木、それにわずかな埃の匂いが鼻に届く。
場所が変わったことを認識してから、怜司はゆっくりと視線を上げた。
「何回来てもすごいな、ここ」
天井が高い。
その高さを埋めるように巨大な書架が立ち並び、左右へ目を向けても、奥へ視線を伸ばしても、その先にはまた別の棚がある。
収められているのは本だけではない。紙を束ねたファイルや大小の箱、映像や音声を記録した媒体のほか、何に使うのか怜司には分からない物まで、一定の規則に従って並べられていた。
ただ、整然としているという印象とも少し違う。
図書館のように分類番号が振られているわけではなく、年代で並んでいるように見えた棚の隣には、まったく別の地域についての記録がある。その先には、特定の人物についてまとめられた一角まであった。
「これ、どういう順番なん?」
近くの棚を見ながら怜司が訊くと、先を歩いていた雅史は振り返りもせずに答えた。
「関連性」
「何と何の?」
「いろいろ」
「分からん」
「僕が分かればいいからね」
それなら全部の位置を覚えているのかと思えば、そうでもないらしい。
「ほな、どうやって探すん?」
「必要なものから辿る」
「覚えてるんちゃうん?」
「だから、ちょっと違うんだけどな」
二人の会話を聞きながら歩いていた智臣が笑う。
「諦めろ。たぶん怜司には伝わらない」
「なんでやねん」
そこへ、周囲の棚を見回していた彰人まで加わった。
「兄貴の聖域よりだいぶ文化的やな」
「彰人までなんやねん」
雅史は二人を放って中央にある広い机へ向かい、そこへ手を触れた。
記録を蓄え、必要になったものを引き出し、別の記録と並べて比較する。それが、この聖域の性質だった。
ただし、蓄積された記録が勝手に答えを導き出してくれるわけではない。何を見るのか、何と何を結びつけるのか、そして、そこから何を読み取るのか。考えるのは、あくまで人間だった。
「始めようか」
雅史の手元から淡い光が広がり、机の上にエーテリアの地図が浮かび上がる。
ヴァルネシアを中心に、周辺の国々までが描かれていた。
「まずは場所。これが、位置まで特定できている星堕とし」
雅史が記録を呼び出すと、地図の上に小さな赤い点が一つ現れた。続いて二つ、三つと増え、年代を進めるごとに国土の各所へ散らばっていく。
智臣は机へ近づき、表示された点を一つずつ追っていった。
「全部じゃないんだな」
「古い記録は『北部』とか『何々領』までしか分からないものもあるよ。今回は、ある程度場所が絞れるものだけ」
「精度が違う情報を混ぜたら、位置関係そのものが怪しくなるからな」
「そういうこと」
智臣は頷くと、今度は個々の地点ではなく全体を眺めた。そこからいくつかの赤い点が密集する地域へ視線を移し、周辺の地形と見比べていく。
「山沿いが多い」
「やっぱりそう見える?」
「ああ。ただ、山そのものじゃない。こっち側に偏ってる」
智臣の指が、山脈に沿ってゆっくりと動く。
「東側?」
「そう。山脈の東側。平地へ変わる辺りだな」
雅史が地形情報を重ねると、平面だった地図に起伏が加わり、赤い点との位置関係がより分かりやすくなった。
少し離れて見ていた彰人も、そこで椅子を離れて二人の横へ入る。
「ほんまやな。このへん、ずっと山沿いやん」
「標高かな」
雅史がいくつかの地点を見比べる横で、智臣はすでに別の場所を拡大していた。
「いや。ここは低い。山地との距離は近いけど、標高だけならこっちの方が高い」
示された二地点を雅史も確認する。
「でも、そっちには落ちてないね。だったら山からの距離かな」
「川もあるで」
彰人が二人の間から別の線を指したことで、視線がそこへ集まった。
「ここ。昨日通ったやろ。川沿いやったし、向こうに山見えてたで」
「この辺りか」
智臣が縮尺を変えると、車から見た時には分からなかった周辺との位置関係が現れる。
「思ったより川が近いな」
「昨日見た感じやと、もっと山も近かった気するけどな」
「地図の縮尺だとそう感じるだけかもしれない。河川も出せる?」
「出せるよ」
雅史の操作で青い線が加わり、星堕としの地点に山地と河川が重なった。
三つを同時に見ると、いくつかの地点には確かに共通する特徴がある。
「川か?」
彰人が訊くと、智臣はすぐには頷かず、川が山間部から平野へ抜ける部分をいくつか確認した。
「水じゃなくて、地形の境界かもしれない。川は低い場所を通る。山地から平地へ変わる場所なら河川があるのは普通だ」
「じゃあ結局、山?」
「それを今から見るんだよ」
「めんどいな」
「分析ってそういうものだろ」
そう言われて、彰人はふと振り返った。
「兄貴の方が早いんちゃう?」
少し離れた椅子では、怜司が地図を眺めている。話を聞いていなかったわけではないらしく、視線だけを彰人へ向けた。
「分からんで」
「まだ聞いてへん」
「聞く顔してたやん」
「顔で答えんなや」
雅史は笑いながら、ここまでの地図を清隆へ送った。
「清隆。地質と、この辺りの魔力に関する資料も見てもらえる?」
『確認します』
しばらく返事が途切れる。
待っている間にも、雅史と智臣は年代を動かし、先ほど見つけた特徴が別の時代にも続いているのかを確かめていった。
「この時期も似てるね」
雅史が一つ前の地図と見比べる。
「ただ、少し南へ寄ってるな。山脈自体は続いてるのに、星堕としの方だけ動いてる」
智臣が示した先には、地形的にはよく似た場所がある。それでも、そこに赤い点はなかった。
「だったら、ここに落ちてもいいはずなんだけどな」
「記録漏れは?」
「可能性はある。ただ、この地域は当時かなり人口が多い。大規模な星堕としがあれば、何かしら残ると思う」
「じゃあ、本当に落ちてない可能性が高いか」
二人がそう結論づけたところで、通信から清隆の声が戻ってきた。
『地質情報を重ねます。特定の地質帯との一致は見られます』
「お、当たり?」
彰人がすぐに反応したものの、清隆の返事は慎重だった。
『まだです。この年代だけなら、です。別年代をください』
「早いな」
雅史が五十年ほど年代を進める。
それまで特定の地質帯に集まっていた赤い点は、次の時代にはそこを離れ、平野部へ散らばった。
地図を共有している清隆も、それを確認するまで数秒黙った。
『……違いますね。少なくとも、地質そのものを狙っているとは考えにくいです』
「山も?」
智臣は新しく表示された地点と山脈との位置関係を見ながら訊いた。
『同様です。地形との相関がないとは言い切れませんが、主要因と考えるには例外が多すぎます』
そこまで四人のやり取りを聞きながら資料を確認していた洋一が、初めて手元から顔を上げた。
「確認ですが、今の段階で否定できるのは、特定の地形や地質そのものが星堕としを呼んでいる、という考え方までですよね」
「そうだね。そこに付随する何かまで否定できたわけじゃない」
「では、場所については残しておいた方がよさそうですね」
「うん」
雅史の返答を聞くと、洋一はそれ以上自分の意見を加えず、再び全員の話を聞く側へ戻った。
地形そのものではない。
だからといって、場所が無関係だと決まったわけでもない。
最初の仮説は答えにはならなかったが、少なくとも何を否定できたのかは明確になった。
「じゃあ次は何を見る?」
智臣に訊かれ、雅史は地図から地形情報を外した。
「人かな。ヴァルネシア側でも人口との関係は調べてる。ただ、都市の変化まで時系列で重ねてはいないみたいなんだ」
「人口が多い場所に落ちるなら、単純な攻撃としては分かるな」
「被害を出したいならね」
年代ごとの主要都市が地図へ加わり、大きな都市ほど大きな印で示される。その周辺へ人口の推定値を表示し、星堕としの赤い点を重ねたところで、最初に反応したのは彰人だった。
「……これ、結構合ってへん?」
誰もすぐには否定しなかった。
人口の多い都市の周辺に、星堕としが集中している。
雅史が年代を進めると、ある都市では人口が増加した数年後に、その周囲へ赤い点が現れた。
「こっちもだな」
智臣は別の都市を示し、中心部から落下地点までの距離を確認していく。
「人口が増えた後に二回。少し離れてるけど、被害範囲を考えれば都市を狙ったとも見える」
「王都も似てるね」
雅史が王都の記録を同じ条件で並べると、そこにも似た傾向が見えた。
「これちゃう?」
先ほどの地形よりも、彰人の声には明らかな手応えがあった。
「人が多いところ狙って落としてるんやったら、一番分かりやすいやん」
「僕もかなり怪しいと思う」
雅史も今回は否定しなかった。
智臣はすでに複数の都市について、中心部と落下地点の距離を拾い始めている。
「多少ばらつくけど、極端ではないな」
「ほら」
「まだだよ」
「なんで雅史まで慎重なん」
「何百年も解けてないんだから、これくらいで決めたら危ないよ」
「それもそうか」
さらに年代を進めても、別の都市で人口が増えた後に星堕としが発生していた。
仮説はまだ崩れない。
最初は横から見ていた彰人まで地図へ身体を寄せ、智臣も表示を切り替えながら、条件の共通点を探している。
「人口そのものじゃなく、都市の拡大かもしれないな」
「どう違うの?」
「人が増えれば、道路も増える。物流も増える。魔術も使う。何か別の条件が都市化についてきてる可能性がある」
「なるほど。だったら、急激に発展したところを探した方がいいね」
「人口が少なくても?」
「うん」
人口の多さではなく、変化の大きさを見る。
雅史が条件を切り替えて候補となる都市をいくつか拾うと、智臣はそれぞれの周辺に星堕としが発生しているかを確かめていった。
その手が、一つの都市で止まった。
「雅史、ここ。かなり大きいよな?」
「当時だとヴァルネシアで三番目くらいかな」
「人口は?」
「この時期に急増してる」
「星堕としは?」
雅史が記録を重ねる。
赤い点は現れなかった。
「……ないね」
それまで続いていた一致が、そこで初めて途切れた。
智臣はすぐに前後の年代まで確認するよう求め、雅史も百年ほど範囲を広げたが、一番近い記録でさえ都市からはかなり離れている。
「遠いな。これなら都市を狙ったとは言いにくい」
「被害も出てないね」
「ほなちゃうやん」
彰人は期待が外れたように椅子へ身体を戻したが、雅史はまだ表示を消さなかった。
「まだ人口だけならね。でも智臣が言った、都市が大きくなることで変わるものは見てもいいと思う」
「交通、物流……」
智臣が候補を挙げ始めたところで、彰人がその先を拾う。
「魔力もやろ?」
「生活で使う分は増えるだろうな」
「それなら清隆かな」
『聞いています』
間髪を入れず返ってきた声に、彰人が端末を見る。
「ずっとおったん?」
『ずっといます』
「静かやから忘れてた」
『切りますよ』
「すんません」
清隆が確認を始める間に、雅史も魔術施設や魔術師の人口に関する記録を引き出していった。
都市ごとの魔力使用量を正確な数字として比較できる資料はない。それでも、魔術施設の数や規模、魔術師の人口、魔導具の普及率などを組み合わせれば、おおまかな活動量を推測することはできる。
「魔力をたくさん使うとしたら、都市生活だけじゃなくて、もっと極端な時期を見た方が分かりやすいかもしれないね」
清隆から送られてくる資料を確認しながら雅史が言うと、彰人が首を傾げた。
「極端?」
「戦争」
先に答えたのは智臣だった。
「大規模な魔術を継続して使うなら、平時よりずっと差が出る。戦争と星堕としが重なったら、かなり怪しいな」
「それ、昨日も言うてたな。向こう、迎撃にも魔術使ってるって」
彰人はエーテリアで聞いた話を思い返しながら続ける。
「星堕としを魔術で壊す。それで魔力使う。また落ちてくる」
「循環してる可能性か」
「最悪やん」
もしそれが正しければ、ヴァルネシアが被害を減らすために行ってきた行為そのものが、次の星堕としを招いている可能性まで出てくる。
先ほどの人口説よりも深刻だった。
雅史はすぐに戦争の記録を呼び出した。
まず比較対象に選んだのは、比較的新しい時代に十年以上続いた対外戦争だった。魔術師が大量に動員され、複数の地域で大規模な魔術が使用された記録も残っている。
そこへ星堕としの発生地点を重ねた瞬間、雅史の手が止まった。
「……増えてる」
戦争が始まって数年。それまで散発的だった赤い点が、明らかに増えている。
「これやろ。さっきよりだいぶ強いで」
彰人が地図を指す横で、智臣も戦線と落下地点との位置関係を確認していた。
「確かに。場所も戦線に近い」
「清隆、魔術を使った場所は?」
『確認しています』
返事を待つ間にも、智臣は戦線が動いた時期と星堕としの位置を追っていく。
数分後、清隆によって大規模な魔術戦が記録されている地点が追加されると、完全ではないものの、星堕としが集中した地域とかなりの部分で重なった。
「来たんちゃう?」
彰人が言う。
今度は誰も、すぐには否定しなかった。
最初の戦争だけではない。
百二十年ほど前の別の戦争を雅史が呼び出し、同じように大規模魔術と星堕としを重ねてみると、こちらも戦時中に発生数が増えていた。
「こっちも増えてるな」
「やっぱりやん」
彰人の声が弾む。
一件なら偶然かもしれない。しかし、二件続けば偶然では片づけにくくなる。
智臣も先ほどまでより慎重に位置関係を追い、清隆は当時の魔術使用状況を別の資料から確認している。少なくとも現時点では、目立った矛盾は見つからなかった。
しばらくの間、戦争と魔力使用量という仮説は崩れなかった。
だからこそ、雅史が次の資料を探す途中で手を止めた時、彰人もすぐにその変化へ気づいた。
「どないしたん?」
「待って。ヴァルネシア史で一番大きい戦争は、これじゃない」
「もっとあるん?」
「内乱」
新たに呼び出された地図では、ヴァルネシアの国土そのものがいくつもの勢力に分断されていた。
戦闘期間は長く、都市そのものを対象にした大規模魔術の記録まで残っている。魔術師の動員数も、先ほど確認した対外戦争より多かった可能性が高い。
「魔力使う量なら、さっきより多いんじゃないか?」
「たぶん。少なくとも記録上はそう見える」
『私も同意します。正確な比較はできませんが、規模はこちらの方が大きかったと考えるのが自然です』
清隆の判断まで一致したことで、彰人は地図へ身を乗り出した。
「ほな、めっちゃ落ちてるんちゃう?」
雅史が星堕としの記録を重ねる。
赤い点は――増えなかった。
一つも。
「……え?」
彰人が地図を見直す。
「ないの?」
「ない」
「記録がないだけちゃう?」
「この時代の記録はかなり残ってるよ。戦争そのものの記録が多いからね」
智臣はすぐに別の可能性を確認した。
「前後は?」
雅史が年代の範囲を広げても、内乱が始まる十年前から戦乱の最中にかけて、星堕としの記録は一つも現れなかった。
ようやく一つが見つかったのは内乱が終結してしばらく経ってからで、さらに数年後にもう一つが続いている。
「戦争終わってから落ちてるやん」
彰人の声から、先ほどまでの勢いが消えた。
「魔力の大量使用が直接の原因なら、説明しにくいな」
智臣は腕を組み、二つの戦争を見比べる。
「蓄積して時間差で、って可能性は?」
「それなら他の戦争でも遅れるはずだね。こっちは戦争中に増えてる」
「……違うか」
かなり綺麗に重なっていたからこそ、崩れた時の違和感も大きかった。
少し前まで有力に思えた仮説が、たった一つの時代を加えただけで成立しなくなる。
「なんやねん。もうちょっとで分かった思たのに」
「そう簡単なら、向こうが先に見つけてるよ」
「それ言われたら終わりやん」
彰人が背もたれへ身体を預ける一方で、雅史は表示された内乱後の二つの赤い点を消さずに眺めていた。
「でも、これ、ちょっと気になるね」
その言葉に智臣も同じ場所を見る。
「戦争中には落ちてない。でも、終わって国が立て直され始めた頃から増えてる」
「復興?」
「都市化と似た話になるな。人が動く。物も動く。魔力の使用も増える」
「じゃあ、戦争じゃなくて社会の変化?」
「あり得る」
今度は戦争そのものではなく、社会が大きく動いた時期を探すことになった。
雅史が疫病からの復興や王朝の交代、大規模な開拓、交易路の整備、人口が急増した時代を拾い出し、智臣がそれぞれの時期に星堕としの位置がどう変化したのかを確かめていく。
確かに発生数が増える時代はあった。
復興によって人口が戻り始めた地域の近くへ落ちている例もあれば、新しい交易路が開かれた数年後に集中した例もある。
だが、同じように大きな変化が起きながら、何十年も星堕としが記録されていない地域も見つかった。
「……これも違うな」
何度目かの比較を終えた智臣が、地図から少し身体を離した。
「条件が広すぎる。『社会が変化した』まで広げたら、何でも当てはまる」
「せやな。なんか起きた時だけ拾ったら、そら当たるわ」
今度は彰人もすぐに同意した。
雅史は一度すべての条件表示を外し、最初の地図へ戻した。
「ここまでで、地形や地質、人口と都市化、それに魔力の使用量や戦争、社会の変化まで見たことになるね」
「全滅やな」
「全滅ではないよ。関係してないとは言い切れない」
「清隆みたいなこと言い出したで」
『正しい態度です』
即座に通信から返ってきた声に、彰人が端末を見る。
「おったんか」
『います』
そんなやり取りが続く間も、怜司はほとんど喋っていなかった。
興味を失ったわけではないらしい。
地図が切り替わるたびに視線を動かし、時折、何かを確認するように自分で古い年代へ戻している。雅史たちが一つの条件を取り出して比較しているのに対して、怜司が何を見ているのかは外からでは分からなかった。
何度目かの操作を繰り返したところで、彰人がそれに気づいた。
「兄貴、さっきから何見てんの?」
「これ」
「どれ?」
怜司が一つの時代を表示した。
ヴァルネシア西部に、小さな都市がある。
「ここ」
「そこが何?」
「来てへんな」
「何が?」
「星堕とし」
彰人は地図と兄を交互に見た。
「そら、落ちてへん場所なんかいっぱいあるやろ」
「せやけど」
怜司は地図を見たまま、わずかに眉を寄せる。
「ここにも来るはずやのに」
その言葉に、智臣が顔を上げた。
ここまで続けてきた分析のどこからも出てこなかった話だった。
「何を見てそう思った?」
「分からん」
智臣に代わって雅史が怜司の示した地点へ近づき、これまで確認してきた条件を思い返す。
「地形?」
「ちゃうと思う」
「人口?」
「それもちゃう」
「戦争でもないよね」
「うん」
雅史はしばらく怜司の顔を見ていたが、そこから答えが出てくる様子はない。
「じゃあ、何?」
怜司はすぐには答えなかった。
一度別の年代へ移し、周囲の星堕としを眺めてから、また元の地図へ戻す。
「……全部?」
「全部?」
「なんか、ここだけ抜けてる感じする」
隣で聞いていた彰人が首を傾げる。
「何から抜けてんねん」
「それが分からん」
「兄貴、それ何も分かってへんのと一緒やで」
「せやから最初から分からん言うてるやん」
説明としては何一つ進んでいない。
それでも智臣は笑わず、怜司が指した場所を拡大した。
「雅史、この周辺の記録を出せる?」
「出せるよ」
今まで確認してきた条件を、今度はその小さな都市だけに絞って重ねていく。
人口は特別多くない。
地形にも目立った特徴はなく、魔力の使用状況も周辺と大きく変わらない。当時、大きな戦争や政変があった記録も見つからなかった。
智臣は周囲の都市との位置関係まで確認したが、そこにも分かりやすい違いはなかった。
「普通だな」
「うん。少なくとも、今まで見た条件だとね」
「ほら、普通やって」
彰人が兄を見る。
「でも変やで」
「何がや」
「来てへんのが」
「そこから離れろや!」
雅史が吹き出した。
根拠はない。
少なくとも、今ある資料からは見つけられない。
それでも雅史は怜司の指摘を消さず、その地点へ印を残した。
「置いておこう」
「残すん?」
「うん。根拠がないからこそね。僕たちがまだ見ていない条件に、怜司が何か引っかかってる可能性もある」
「そんな便利なもんちゃうと思うで」
「本人が否定するんかい」
彰人が突っ込む横で、智臣は別のことを考えていたらしく、地図を再び広域表示へ戻した。
「じゃあ逆に、怜司。落ちてる方で変なところは?」
「変?」
「ここには落ちるはずがない、みたいな場所」
「ちょっと待って」
今度は誰も急かさなかった。
赤い点が散らばる地図を前に、怜司の視線だけがゆっくりと移動していく。
先ほどの都市を見つけた時と同じように、特定の条件だけを追っているようには見えない。
やがて、その指が一つの場所で止まった。
「ここ」
怜司が示したのはヴァルネシアの国境を越えた先、隣国にあたる地域だった。
智臣はその位置を確認すると、周囲に残る星堕としの記録まで視野を広げる。
「そこ?」
「なんかちゃう」
「また『なんか』か」
「しゃあないやん」
雅史はすでに、その国について持ち帰った記録を探し始めていた。
やがて表示された内容を読み進めるうちに、その表情がわずかに変わる。
「……面白いね」
「何が?」
「この時代、かなり荒れてる」
当時の王はほとんど政務を行わず、重税が続いていた。地方では何度も反乱が起き、飢饉への対応も遅れている。国として安定していたとは、とても言えない。
それにもかかわらず、星堕としの記録は少なくなかった。
智臣が落下地点を一つずつ確認していくうちに、もう一つ奇妙な偏りも見えてくる。
「しかも国全体じゃない。ヴァルネシア側に寄ってるな」
「こっちに近い?」
「そう。国境からの距離で見ると、かなり偏ってる」
彰人は二つの国を隔てる線と、その周囲に集まる赤い点を見比べた。
「ほな、ヴァルネシア狙ったのが外れたとか?」
智臣はすぐには否定せず、いくつかの落下地点から国境までの距離を確認する。
「あり得なくはない」
「落下精度がそれほど高くないことは、向こうの記録からも分かってるね」
雅史が別の年代を呼び出した。
「だったら、ヴァルネシア自体が狙われてる?」
「一回それで見てみよう」
今度は国ごとの発生数を比較する。
ヴァルネシアで星堕としが多かった時代と少なかった時代を拾い、同じ時期の周辺国と並べると、奇妙な動きが見えてきた。
「……こっちが減ると、別の国で増えてる時期があるな」
智臣の言葉に彰人が身を乗り出す。
「移動してる?」
「何かが?」
雅史も地図を見る。
「それなら、方向を追えるかもしれない」
智臣は年代順に発生地点を追い始めた。
ある時代にはヴァルネシア北部に集中していたものが、次の時代には東へ寄り、さらに後には南へ移る。ところが、その動きを一つの線として捉えようとすると、別の年代ではまったく反対側へ飛び、一定の方向性はすぐに失われた。
距離にも規則性はない。
隣接した地域へ移ったように見えることもあれば、離れた国へ突然集中することもある。
「駄目だ。方向がない。距離も同じだな」
智臣が手を止めた。
雅史も年代を戻しながら同じ動きを確かめるが、規則として扱えるものは見つからない。
そこまで三人の話を黙って聞いていた怜司が、不意に口を開いた。
「でも、動いてるんやろ?」
智臣が顔を上げる。
「だから、何が?」
「知らん」
「そこまで言ったなら最後まで言ってくれ」
「無茶言うなや」
怜司はそう言って、また地図へ視線を戻した。
雅史はしばらくその地図を眺めていたが、やがて智臣が結んだ線を一つずつ消していった。
「場所を追う限り、答えは出ないんじゃないかな」
「ああ。少なくとも固定された場所じゃない」
智臣もその判断には同意した。
「山や都市を狙ってるなら、こんな動きにはならない」
「国でもない?」
「国境は人間が決めたものだからな。星堕としが国境を認識してるとも思えない」
「それはそうやな」
議論がそこで一度止まった。
地形から始まり、人の集まり、都市の発展、魔力の使用量、戦争、社会の変化、そして国そのものまで見てきた。それぞれに一時は説明できそうな部分がありながら、範囲を広げるたびに必ずどこかで破綻する。
長く四人のやり取りを聞き続けていた洋一が、そこで手元の資料を机へ置いた。
「一度、確認してもいいですか」
全員の視線が集まる。
「特定の土地が原因とは考えにくい。人口や都市規模だけでも説明できない。魔力の大量使用や戦争とも一致しない。国家単位で狙われているとも言い切れない。そして、発生地点には時代ごとの偏りがある。ただし、その偏りが移る理由が分からない」
「そうだね」
雅史の返事を聞いて、洋一は机いっぱいに広がった記録を見た。
「つまり、分からなくなったわけですね」
一瞬、沈黙が落ちた。
「うん。でも、前よりは分からなくなったと思う」
「それ進んでんの?」
彰人が訊くと、雅史は笑いながら地図を指した。
「進んでるよ。最初は、何が分からないのかも分からなかった。今は少なくとも、普通に考えられる条件だけでは説明できないところまで来た」
「場所を追うだけじゃ駄目なのも分かったしな。次に見るものは減った」
智臣も椅子へ座り直す。
「増えた気しかせえへんけど」
「考えなくていいものが増えたんだよ」
「言い方ややこしいねん」
彰人が息を吐いた。
気づけば、最初に机へ広げた記録とは比較にならないほど多くの資料が周囲に積み上がっていた。
何度も呼び出した地図には、そのたびに情報が重ねられては消されている。途中で智臣が持ってきた飲み物はすでに空になり、最初は立って地図を覗き込んでいた彰人も、今では椅子へ深く身体を沈めていた。
清隆も途中で二度ほど通信を外れている。実験の操作をしていたらしく、戻ってくるたびに、それまでの検証結果を確認してから必要な資料を探していた。
始めた時にはまだ余裕のあった机の上も、今では何度も比較した記録で埋まりつつある。
それだけの時間を使っても、答えは出なかった。
「資料の限界もあるね」
雅史が積み上がった記録を見ながら言った。
「どういう意味?」
「僕たちが欲しい情報を残すために作られた記録じゃないってこと」
星堕としが起きた場所と時期、被害については残っている。
だが、その土地に当時誰がいたのか、どこから来てどこへ行ったのか、そこで人々がどんな生活をしていたのかまで、すべてが記録されているわけではない。
当時は重要だと思われず残されなかった出来事もあれば、地方だけに伝わり、時間の中で失われた話もあるだろう。
そもそも、それらが星堕としと関係していると誰も考えていなかったのなら、後世の人間が必要とする形で記録されていないのは当然だった。
「だったら、現地を見るしかないな」
智臣が言った。
「僕もそう思う」
雅史は地図に残っていた情報を整理し、最後に二つの地点だけを表示した。
一つは、怜司が「来るはずなのに来ていない」と言った場所。
もう一つは、「来ているのが変」と言った場所。
「この二つを比べたい」
「何を見る?」
「それを探しに行くんだよ」
雅史は苦笑した。
「記録にないものが残っているかもしれない。土地そのものでもいいし、古い建物でも、伝承でもいい。何もなければ、それも情報になる」
「俺も行く。位置関係は現地で見たい。地図だけじゃ分からないものもある」
智臣が同行を決めると、洋一はすぐに続かず、二人の話を聞いてから少し考えた。
「俺も同行します」
「洋一も?」
「今回は現地で次の判断が必要になる可能性があります。帰ってきてから相談するより、その場で決められた方がいいでしょう」
洋一が行くと決まったことで、智臣の視線は自然と怜司へ向いた。
「なら怜司もだな」
「なんで俺?」
「洋一が行くから」
「ああ」
怜司はそれだけで納得した。
未知の地域へ指揮を担う洋一が入るなら、最大戦力を同行させる。十二人の中では、改めて理由を説明するほどでもない判断だった。
「ほな俺も行く」
今度は彰人が口を開いた。
「彰人も?」
「兄貴がおるからや」
彰人が指した先で、怜司が不満そうに眉を寄せる。
「そこまでせえへんって」
「信用できるか」
「弟やろ」
「弟やから言うてんねん」
二人のやり取りを見ていた智臣が、そこであっさりと結論を出した。
「五人で行けばいいんじゃないか?」
「五人?」
「雅史は記録。俺は場所を見る。洋一は現地で判断する。怜司は護衛と、自分が気になった場所の確認」
そこまで一人ずつ役割を挙げてから、智臣は最後に彰人を見る。
「彰人は怜司を止める」
「俺だけおかしない?」
「重要ですね」
洋一が即答した。
「洋一まで乗っからんといて」
「現地を調べに行って、調査対象ごと消滅したら困りますから」
「せやで」
横から怜司まで頷いた。
「兄貴はどっちの味方やねん」
「洋一」
「即答すんなや!」
雅史が笑う。
「でも彰人も、前回の現地を知ってるからね。僕が気づかない違いを拾えるかもしれない」
「最初からそれ言うてくれへん?」
「怜司を止めるのも大事だから」
「結局そっちもあるんかい」
五人。
必要最低限の人員を考えた結果、そこから一人も削れなかった。
「では、向こうとの調整はこちらでします。明日行けるようなら、そのつもりで準備しておいてください」
洋一がそうまとめたところで、怜司が時計を見た。
「……腹減った」
誰も答えない。
今まで星堕としについて話していたところからあまりにも唐突だったため、全員が一度聞き流しただけなのだが、怜司はそうは受け取らなかったらしい。
もう一度時計を確認してから、少しだけ声を大きくする。
「腹減ったんやけど」
「聞こえてるで」
「無視されたんかと思った」
「今まで何時間やってた思てんねん」
「せやから腹減ってん」
「それはそうやけど」
彰人も時計を見て、思っていた以上に時間が経っていることに気づいた。
「何か食べて帰ろうか」
雅史の提案に、智臣が何を食べるか訊く。
「肉」
怜司の返事だけは早かった。
「焼肉でいいんじゃないか?」
「決まり」
「早いな」
洋一が小さく笑った。
怜司はそこで、まだ通信が繋がったままの清隆を思い出した。
「清隆は?」
『行けません』
「かわいそう」
『怜司』
「はい」
『明日、覚えていてください』
「なんで俺だけ?」
◇
数時間前まで地図を囲んでいた五人は、今度は焼肉屋の網を囲んでいた。
机の上に積まれていた記録はなく、代わりに肉の載った皿が次々と並んでいる。
怜司がタッチパネルを操作している横から彰人が画面を覗き込み、その注文履歴を見たところで眉を寄せた。
「兄貴」
「ん?」
「何頼んだ?」
「肉」
「見たら分かるわ。何人前?」
「適当に」
「その『適当に』が怖いねん」
彰人が注文履歴を開いて確認すると、まだ届いていない皿が思っていた以上に並んでいる。
「……これ誰が食うん?」
「みんな」
「注文するときの『みんな』ほど信用できん言葉ないで」
「足らんよりええやろ」
「限度があんねん」
向かいでは、智臣が二人のやり取りを気にする様子もなく、焼けた肉を網から皿へ移していた。
「怜司なら食うだろ」
その一言に、彰人が智臣を見る。
「智臣が甘やかすからやで」
「俺のせいなのか?」
「兄貴を肯定するやつは全員共犯や」
「扱いひどない?」
怜司が抗議する横で、雅史は笑いながらグラスを手に取った。
「まあ、今日はかなり頭を使ったからね」
「雅史さん」
洋一に呼ばれ、雅史が顔を上げる。
「はい?」
「肉」
言われて網を見ると、一枚だけ色の違う肉が混ざっていた。
「あ」
「まだいけるんじゃないかな」
慌てて雅史が箸を伸ばしたものの、その前に智臣が回収する。
「無理だろ」
「もったいないな」
「じゃあ食べる?」
智臣が箸で持ち上げたまま差し出すと、雅史は数秒だけそれを眺めた。
「……やめておこうか」
「判断遅いで」
彰人が笑った。
最初の一杯がなくなる頃までは、自然と星堕としの話が続いていた。
聖域で何時間も考えたからといって、席を立った瞬間に頭から消えるようなものでもない。むしろ答えが出なかったからこそ、ちょっとした沈黙のたびに誰かが先ほどの話へ戻る。
「でもさ。怜司のあれ、まだ気になるな」
新しい肉を網へ置きながら智臣が言う。
「どれ?」
「『来るはず』。結局、何を見てたんだ?」
「まだ聞くん?」
「気になるだろ」
「俺も気になるわ」
「本人もなんかい」
彰人がすかさず突っ込んだ。
「明日見たら分かるかもしれへんやん」
「分からないかもしれない」
雅史がそう言うと、怜司は網の上の肉を返しながら首を傾げた。
「そん時は?」
「別のものを探す」
「気長やな」
「何百年も分からなかったことだからね」
彰人は肉をひっくり返しながら、ふと思い出したように怜司を見る。
「そういや兄貴、明日運転するんやろ」
「せやで」
「ほな今日は控えとけよ」
「分かってるって」
「兄貴の『分かってる』、あんま信用ないねん」
「なんでやねん」
怜司は抗議しながら手を上げ、近くを通った店員へ声をかけた。
「すいませーん」
「ほら!」
「ハラミ追加で」
「……肉かい」
「せやから分かってる言うたやん」
智臣がそのやり取りを見て笑う。
「彰人」
「なん?」
「怜司に関しては、お前の分析が今日一番精度高いな」
「積み重ねがあるからな」
「実績やな」
怜司がグラスを置いた。
「俺の扱いおかしない?」
「兄貴」
「なんや」
「実績や」
「二回言うなや」
そこから先、星堕としの話は少しずつ減っていった。
清隆がいつ研究室から出てくるのかという話から、最近は誰が一番活動室を私物化しているのかという、どうでもいい話へ移っていく。
やがて追加の肉が届くと、今度は誰がどれを焼いたのかで怜司と彰人が揉め始めた。
「兄貴、それ俺の肉やろ」
「ちゃうで」
「いや、俺見てたで」
「いつ?」
「今や」
そこで怜司の箸が止まった。
言った彰人も、ほぼ同時に気づいたらしい。
「……それ俺のやつやん」
「何が?」
「それ、俺が前に言うたやつやん」
「知らんがな」
「パクんなや」
「肉パクったん兄貴やろ!」
「肉ちゃう、台詞や!」
「どっちも兄貴や!」
向かいで智臣が肩を揺らし、雅史も耐えきれずに笑い出す。洋一まで口元を押さえているのを見て、怜司は納得できないという顔のまま肉を口へ運んだ。
数時間前まで、彼らは異世界を何百年も苦しめてきた災害について考えていた。
ヴァルネシア側との調整がつけば、明日にはまたその世界へ向かうことになる。
それでも今は、五人ともただ食事をしていた。
店を出る頃には、長い分析を続けていた時の張りつめた空気も、すっかり薄れていた。
明日の予定は、ヴァルネシア側との調整がついてから決まる。それぞれが帰路につき、駅へ向かう途中で一人、また一人と別れていった。
最後に残った怜司と彰人は、しばらく並んで歩いていた。
「兄貴」
「ん?」
「ほんまに、あそこに落ちるはずやと思うん?」
怜司はすぐには答えなかった。
聖域で見た地図でも思い出しているのか、少し前を見たまま歩いてから、ようやく口を開く。
「思うっちゅうか……落ちてへんのが変なんよ」
「何が違うん?」
「分からん」
「結局そこやねんな」
彰人は呆れたように言ったが、もうその答え自体を否定するつもりはなかった。
何時間も調べた結果、怜司が根拠もなく示した二つの場所だけが、最後まで妙な引っかかりとして残ったのだから。
「せやから、見に行くんやろ?」
今度は怜司が彰人を見る。
彰人はしばらく黙って歩いてから、小さく息を吐いた。
「まあ、せやな」
理由は分からず、何を探せばいいのかも、まだ分からない。
それでも、これまで答えになり得ると思われていたものを一つずつ確かめたことで、少なくとも何が違うのかは見え始めていた。
そして、次に見るべき場所も決まった。
星が落ちた場所ではない。
怜司だけが、落ちるはずだったと言う場所。
ヴァルネシア側との調整がつけば、五人はそこへ向かう。




