十二人の答え
大学へ戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
昼間の熱を残していた空気も少しずつ冷え始め、構内を行き交う学生の姿もまばらになっている。講義を終えて帰る者、これから部活動へ向かう者。明かりのついた校舎の窓からは、まだ人の気配がいくつも漏れていた。
駐車場へ三台の車が入ってくる。
先頭は怜司のGRB。その後ろに彰人のマークXが続き、最後に洋一のパナメーラGTSが滑り込んだ。
裂け目まで桜子を乗せてきたのも洋一だった。帰りもそのまま二人で同じ車に乗り、怜司と彰人の後を追ってきていた。
怜司は車を停め、エンジンを切った。
急に静かになった車内で、つい数時間前まで走っていた景色を思い出す。
舗装されていない街道。
見たことのない種族。
石造りの王都。
日本とは何もかもが違うはずなのに、そこで暮らしていた人々の姿だけは、不思議なほど今と重なった。
「兄貴」
隣に停まったマークXから降りてきた彰人が呼ぶ。
「行くで」
「おう」
考えていたつもりはなかった。
ただ、少し止まっていただけだ。
怜司は車を降りると、彰人たちと一緒に構内を歩き始めた。
「全員に連絡した」
先を歩いていた洋一がスマートフォンをしまう。
「優斗は?」
彰人が尋ねた。
「もう向かってる。近くにいたみたいだから、一番早いと思う」
「まあ、洋一と一緒に動くこと多いもんな」
「今日は別だったけどな」
洋一はそれだけ答えると、歩く速度を変えなかった。
その少し後ろでは、桜子が怜司と彰人をもう一度見ていた。
「ほんまに怪我してへん?」
「してへんって」
彰人が苦笑する。
「向こうでも兄貴に撃たせて見たりはしたけど」
「撃たせて?」
「説明すると長なる」
「そこだけ聞くとめっちゃ怖いな」
「兄貴やから大丈夫」
「俺の扱い雑ちゃう?」
「兄貴が言う?」
桜子は何か言いたそうに二人を見比べたものの、結局、小さく息を吐いただけだった。
「まあ、ええわ。ほんまに二人とも無事なんやな?」
「おう」
「大丈夫やって」
「ならええ」
それでようやく納得したらしい。
四人は校舎の一角へ入り、普段使っている部屋へ向かった。
大学側での正式な呼び方は、学生団体活動室。
もっとも、十二人のうち誰一人そんな呼び方はしていない。
部室。
それで十分だった。
一般的な部室と比べればかなり広い。十二人が集まっても余裕があり、大型の会議テーブルと椅子、壁際には棚やモニター、ホワイトボードが置かれている。奥には流し台と冷蔵庫まであった。
設備が妙に充実していることには、洋一の家が大学へ少なからず出資している事情も関係している。
とはいえ、長く使っている本人たちにとって、今さら特別な場所という感覚はない。
棚には各自が持ち込んだものが増え、冷蔵庫には飲み物が詰め込まれ、誰が置いたのか分からないものまで少しずつ増殖している。
いつもの部屋だった。
「腹減ったな」
怜司が椅子を引きながら言った。
「帰ってきて最初にそれかい」
「向こうで何も食ってへんし」
「まあ、それはそうやけど」
「なんか作ろか?」
桜子が冷蔵庫を開けた。
「会議しながら摘まめるもんでええやろ?」
「おう」
怜司の顔が明らかに明るくなる。
それを見た彰人が呆れた。
「兄貴が一番喜んどるやん」
「ええやん。腹減ってんねんから」
「さっきまで異世界おった人間とは思われへんな」
「異世界行ったら腹減らんの?」
「そういう話ちゃうねん」
桜子は冷蔵庫の中を確認しながら、使えそうなものをいくつか取り出していく。
怜司も何か飲もうと思ったのか、その横から冷蔵庫の中を覗き込んだ。
「何か飲むか?」
洋一が、その背中へ声を掛ける。
「お茶」
「なら、自分で取れ」
怜司が振り返った。
「聞いた意味ある?」
洋一は答える代わりに、怜司の向こうへ視線を向けた。
食材を抱えた桜子が、冷蔵庫の前が空くのを待っている。
「場所を空けろって意味だ」
「ああ。最初から言えや」
「言わなくても分かれ」
「分からんかった」
「だろうな」
怜司が横へ退くと、桜子は苦笑しながら再び冷蔵庫を開けた。
何を作るかはもう決まったらしい。小柄な身体を少し屈めて奥から追加の食材を取り出すと、流し台へ運んでいく。ポニーテールが、その動きに合わせて小さく揺れた。
包丁とまな板が用意されたところで、部室の扉が開いた。
「もう戻ってたか」
最初に現れたのは優斗だった。
室内へ入ったところで、視線が怜司と彰人に止まる。
二人とも立っている。
怪我をした様子もない。
優斗はほんの一瞬だけそれを確認すると、すぐにいつもの表情へ戻った。
「思ったより元気そうだな」
「元気やで」
「見れば分かる」
優斗は椅子を引いた。
「それで、向こうはどうだった?」
怜司は少し考えた。
何から言えばいいのだろう。
王都。
アルトリウス。
三柱。
星堕とし。
病。
侵攻。
頭の中にいくつものものが浮かんだが、最初に口から出たのは別のことだった。
「普通やったで」
彰人が横を見る。
「何が?」
「人が」
今度は優斗が首を傾げた。
「人が普通?」
「普通に生活しとった」
「国なんだから、それはそうだろ」
「そういう意味ちゃうねんけどなあ」
怜司は自分でも説明できず、少し眉を寄せた。
その様子を見ていた彰人には、兄が何を言いたいのか分かっていた。
自分も同じものを見たからだ。
行きの街道で。
王都で。
帰り道でも。
見た目も文化も違う。
それでも、そこにいたのは暮らしている人たちだった。
「兄貴が言いたいんは、たぶん――」
「悪い人ばっかりやなかったってこと?」
食材を切りながら、桜子が先に言った。
「ああ。それ」
「それで通じるんかい」
彰人が額を押さえる。
優斗は少しだけ表情を変えた。
「……なるほどな」
「王様とも話したで」
「王様?」
「あと、鬼人と竜人と――」
「兄貴」
「何?」
「詳細は全員揃ってから」
「まだ途中やん」
「ここから話したら全部話すことになるやろ。二回説明すんの嫌や」
彰人自身、同じ場所へ行っている。
聞きたいから止めたのではない。
話さなければならないことが多すぎるのを知っているからこそ、今は止めた。
途中だけ切り取れば、意味まで変わる。
「まあ、それもそうか」
優斗もそれ以上は聞かなかった。
そこから先は、本当にただの雑談になった。
今日大学であったこと。
誰かが買ったもの。
桜子が何を作っているのか。
冷蔵庫の中にいつから入っているのか分からない飲み物。
世界が一つ滅びかけていることとは、何の関係もない話ばかりだった。
次に扉を開けた智希も、最初は当然のように怜司たちへ聞こうとした。
「お疲れー。あ、帰ってる」
そこまで言ったところで、彰人が先に口を開く。
「詳細は全員揃ってからな」
「まだ何も聞いてないんだけど」
「顔に書いてある」
「えー」
「あとちょいや。待っとけ」
智希は不満そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。
代わりに桜子の手元を覗き込む。
「それ何?」
「まだ途中」
「味見いる?」
「いらん」
「即答」
そんなやり取りをしているうちに、今度は清隆が到着した。
部屋へ入ると、まず中にいる顔ぶれを確認する。
「まだ全員じゃないか」
「大学組は良澄だけだ」
洋一が答える。
「雅史と智臣は合流してから来る。高校生組はもう少しかかるらしい」
「分かった」
清隆は怜司と彰人を一度見た。
聞きたいことがないわけではないだろう。
それでも二人が無事に戻っていることと、洋一が全員を待っていることを確認すると、それ以上は尋ねなかった。
鞄を置き、空いている椅子へ座る。
その次に扉が開いた時、怜司の目が少し止まった。
「ごめん。遅くなった」
良澄だった。
まだツナギを着ている。
袖を肘の辺りまで捲り、急いで手だけ洗ってきたのか、指先には薄く作業の跡が残っていた。
「そのまま来たん?」
「作業中に連絡が来たからね。着替えてたら、もっと遅くなりそうだったし」
「何してたん?」
「車」
「それは見たら分かる」
「自動車部なんだから仕方ないでしょ」
良澄は柔らかく笑い、自分の手を見た。
「一応、洗ってきたんだけどね」
桜子がその手を見る。
「もう一回洗ってき」
「やっぱり?」
「食べ物あるから」
「うん。そうだね」
良澄は素直に流し台へ向かった。
その背中を見ながら怜司が言う。
「お母ちゃんやな」
「誰がお母ちゃんや」
「ほら」
「何が『ほら』やねん」
手を洗っていた良澄が、肩を揺らして笑った。
大学生組が揃った。
桜子が作ったものも、少しずつ会議テーブルへ並び始めていた。
冷蔵庫にあったものと、部屋に置いてあるものを使っただけのはずなのに、気づけば何種類かある。
智希が一つへ手を伸ばした。
「まだやで」
桜子は見ていなかった。
智希の手が止まる。
「見えてた?」
「見てへん」
「怖っ」
「全員分なんやから待っとき」
隣で怜司が伸ばしかけていた手も、そっと戻る。
「怜司もやで」
「なんもしてへんやん」
「しようとしてたやろ」
「してへん」
「してたで」
彰人が即座に言う。
「兄貴、俺ずっと見てたからな」
「弟やろ。そこは庇えや」
「弟やから分かんねん」
部屋に笑いが起きた。
緊急招集。
その理由が軽いものでないことは、もう全員が分かっている。
それでも、今から全員で深刻な話をするからといって、その前から深刻な顔をして待つ必要はない。
十二人が一緒に動くようになってから、もう何年も経っている。
必要になれば切り替わる。
誰かが言わなくても、それくらいは分かっていた。
洋一のスマートフォンが震えた。
画面を確認する。
「雅史と智臣、着いたみたいだ」
それから数分も経たないうちに、扉が開いた。
「待たせた」
雅史と智臣が並んで入ってくる。
二人とも大学院生という立場は同じだが、並ぶと受ける印象はかなり違う。
明るい色の服が多い雅史に対して、智臣は今日も黒を基調にまとめている。少し整いすぎていて、大学院から来たというより、これからカウンターの向こうに立つと言われた方が納得できそうだった。
怜司が智臣を見る。
「今日もバー開けそうやな」
「開けない」
「似合うのに」
「何をしに来たと思ってる」
「会議」
「分かってるならいい」
隣で雅史が室内を見回した。
「あと二人?」
「高校生組だけだ」
洋一が答える。
そこに雅史が続ける。
「本題には?」
「まだ入ってへんで」
今度は彰人が答えた。
「兄貴が『人が普通やった』っていう、説明になってへん説明したくらいや」
「結構大事なことやと思うけど」
怜司が不満そうに言う。
雅史の視線が怜司へ向いた。
「人が普通だった?」
「おう」
雅史は続きを尋ねようとして、一度口を閉じた。
彰人が待っている理由も分かる。
「…分かった。二人が来てから聞くよ」
そこから再び、話題は日常へ戻った。
良澄が自動車部で何をしていたのか。
雅史と智臣が合流するまで何をしていたのか。
智希がいつの間にか一つ食べていないか。
食べていない。
本当に。
そんなやり取りが続いた頃、廊下から足音が近づいてきた。
今度は二人分。
扉が開く。
「遅くなりました」
制服姿の行人が入ってきた。
その後ろには、同じく学校からそのまま来たらしい恭平がいる。
「これでも急いできたんですけど」
恭平が鞄を持ち直しながら付け加えた。
「学校からなんだから仕方ない。座ってくれ」
洋一が二人へ空いている席を示す。
二人が鞄を置き、席へ向かう。
桜子が最後の皿を置いた。
飲み物も行き渡る。
誰かが合図をしたわけではない。
それまで続いていた会話が、少しずつ途切れていった。
良澄はまだツナギ姿のままだ。
行人と恭平は制服。
机の上には桜子が作った軽食と、ペットボトルや缶が並んでいる。
壁際には普段使っている荷物が置かれ、ホワイトボードには以前使った時の文字が薄く残っていた。
何年も使ってきた、いつもの部室。
部屋そのものは何も変わっていない。
変わったのは、そこにいる十二人の意識だった。
洋一が黒いメタルフレームの眼鏡を指先で押し上げ、長方形の会議テーブルを囲む全員を見渡した。
「それじゃあ、始めよう」
さっきまでとは違う声だった。
自然と視線が集まる。
「まず、向こうで何があったのか。最初から聞かせてくれ」
今度こそ。
怜司と彰人が持ち帰った話が始まった。
◇
最初に説明したのは、彰人だった。
怜司に任せると、どこから話が飛ぶか分からない。
それを本人以外のほぼ全員が理解していたため、異論は出なかった。
「まず、裂け目の向こうはエーテリアって世界らしい」
彰人は順番に説明していく。
裂け目を越えた先に広がっていた土地。
最初に接触した者たち。
翻訳魔術によって会話が成立したこと。
ヴァルネシアという王国。
そして、王都まで行き、その国の王であるアルトリウスと直接話したこと。
「待って」
早々に智希が手を上げた。
「王都までどうやって行ったの?」
「車」
「車?」
「俺と兄貴の二台」
「異世界を?」
「そうやな」
智希の顔に、明らかに別の興味が浮かんだ。
「道あった?」
「舗装はされてへんかったけど、一応」
「車見た向こうの人、どんな反応した?」
「そこ、今いる?」
清隆が横から静かに止めた。
「いる」
「後にしてくれ」
「はい」
智希は素直に引いた。
彰人は一度怜司へ顔を向ける。
「で、兄貴。王都まで行く間に見たもん、説明して」
「なんで俺?」
「そこは兄貴の方がええ」
彰人がそう言った理由を、怜司は少し考えた。
技術や魔術についてなら、彰人の方が細かく見ている。
けれど、今必要なのはそれではないらしい。
「普通に街とか村とかあったで」
「その『普通』をもう少し詳しく」
今度は洋一が促した。
「んー」
怜司は少し考えた。
「畑で仕事してる人がおって、荷物運んでる人がおって。店もあったし、子供も遊んどった。王都行ったら露店とかもあったな」
「種族は?」
雅史が尋ねる。
「色々。人間もおったし、獣人もおった。エルフもおる」
「社会として普通に成立してる?」
「してると思うで。少なくとも俺にはそう見えた」
怜司はそこで一度言葉を切った。
王都を出た時に感じたことを思い出す。
「日本とは全然ちゃうけどな。でも、やってることはそんな変わらんかった」
誰もすぐには口を挟まなかった。
集合前に怜司が言っていた「普通」という言葉。
ようやく、その意味が少し見えた。
「つまり」
雅史が静かに言う。
「未知の文明ではあるけど、そこに暮らしている人たちまで未知の存在として考えない方がいい、ってことかな」
「たぶん」
「兄貴の場合、そこまで考えて言うてへんと思うけどな」
「失礼やな」
怜司が彰人を見る。
彰人は気にせず続けた。
「でも、意味としては俺もそれで合ってると思う」
同じものを見てきた二人の認識は、そこでは一致していた。
「で、ここからが本題」
彰人の声が変わる。
それだけで、少し緩んでいた空気も変わった。
「ヴァルネシアは今、かなり追い詰められてる」
星堕とし。
その言葉を初めて聞いた者たちの表情が変わる。
彰人は七年前に落ちたものについて説明した。
三度迎撃し、それでも地上へ到達したこと。
大地が大きく削られ、そこにあった町が失われたこと。
発生する時期も場所も予測できず、規模にも大きな差があること。
「隕石とは違う可能性がある?」
清隆が尋ねる。
「向こうの話だけやと断定できん。ただ、岩みたいなんだけちゃうらしい」
「現物は?」
「七年前の跡は見た。でも、落ちたものそのものまでは見てへん」
清隆は短く頷いた。
「なら、まだ材料が足りないな」
「せやね」
そこで清隆は質問を止めた。
分からないものを、想像だけで埋めても仕方がない。
「それが何度も起きてる」
彰人は続ける。
「しかも、落ちた後に病気が出ることがある」
今度は雅史が少し身を乗り出した。
「感染症?」
「それっぽいのもある。でも、人から人に移らんのもあるらしい。治癒魔術が効くやつも、効かんやつもある。向こうも別々の病気やと考えてるみたいや」
「原因は?」
「分かってへん」
「調査は?」
「ずっとやってる」
彰人は一度息を吐いた。
「俺も向こうで色々聞いた。でも、思いつくようなことは大体もう調べてた」
雅史の表情から、次の質問を探していた気配が消えた。
何もしていないのではない。
長い時間をかけて調べ、それでも分からない。
その違いは大きい。
「今日も、俺らが王様と話してる最中に病人が増えたって報告が来た」
今度は怜司が補足した。
「受け入れる場所が足らんくなって、倉庫空けてた」
「倉庫?」
行人が聞く。
「冬の備蓄置いてるとこらしい」
彰人が答えた。
「病人を入れるために備蓄動かしてた。今を何とかするために、後で必要になるもん削ってる感じやな」
行人は黙った。
まだ高校生である彼にも、それが良い状態ではないことくらい分かる。
洋一はテーブルの上で指を組み直した。
「他国への避難は?」
「やってる。でも、エーテリア全体で星堕としが起きるから、他の国も余裕ないらしい」
「国内での移動は?」
「何回も」
「迎撃方法の改良は?」
「やってる」
「病気の研究」
「それも」
洋一はそれ以上聞かなかった。
彰人が向こうで感じたものと同じところへ、少しずつ全員が辿り着いていく。
思いつくことを何も試さず、日本へ来ようとしているわけではない。
「それで、裂け目が開いた」
彰人が言った。
全員の意識が、今度は日本側へ戻る。
「向こうも最初はエーテリアの別の場所に繋がってると思ったらしい。でも、調べてみたら違った」
「それが日本だった」
洋一の確認に、彰人が頷く。
「そういうこと」
そして、少し間を置いた。
「ヴァルネシアは、日本が移住できる土地か調べるつもりや」
部屋が静かになった。
ここから先が、洋一が今日全員を集めた理由だった。
「移住……」
桜子がその言葉を口の中で確かめるように繰り返した。
「普通に移住してくるって話やないんやろ?」
「日本が受け入れれば、それで済むかもしれん」
彰人の声が少し硬くなる。
「でも、受け入れんかった場合でも、向こうは止まれへん」
それまで黙って聞いていた恭平が、彰人へ視線を向けた。
「つまり、侵略?」
「向こうの王様もそう言うてた」
「自分で?」
「日本側から見たら、自分らは侵略者になるって」
恭平はわずかに眉を寄せた。
「分かっててやるんだ」
「民を生かすためやって」
怜司が答えた。
恭平の表情は変わらなかった。
「だからって、日本にいる人を追い出していい理由にはならないと思う」
「せやな」
怜司も迷わず頷いた。
「俺もそう言うた」
その返答に、恭平が少しだけ意外そうな顔をする。
「向こうの反応は?」
今度は洋一が尋ねた。
「分かってるって」
「それでも準備は止めない?」
「止められへんって」
敵対したいわけではない。
だが、止まることもできない。
十二人の間に、その形が共有されていく。
「面倒だな」
智臣が小さく呟いた。
「兄貴も同じこと言うてたわ」
彰人が横を見る。
「だってめんどいやろ」
怜司が答える。
「敵やったら殴って終わりやのに」
「兄貴はすぐ殴る方向に持ってくな」
「向こうから来たらやで?」
「そこは分かってる」
「でも」
桜子の声が二人の会話を止めた。
「向こうにも子供おるんやろ?」
「おるで」
怜司の答えに、桜子の表情が少し曇った。
王都で見た子供たちを、桜子は知らない。
それでも、そこにいると聞くだけで十分だった。
「その子らは、別に日本を取りたいわけちゃうんやろ?」
「たぶんな」
「そら……嫌やな」
何が嫌なのか。
誰も聞かなかった。
日本へ攻めてくることも。
それを止めなければならないことも。
止めた先で、その子供たちがどうなるのかも。
全部なのだろう。
「でも」
良澄が静かに口を開いた。
「だから受け入れる、とはできないだろうね」
「できない」
洋一が答えた。
「俺たちだけで決められることでもないしな」
「うん。そうだね」
良澄は柔らかく頷いた。
その言い方に強さはない。
けれど、意見そのものが曖昧なわけでもなかった。
「そもそも」
雅史がテーブルへ視線を落としながら言う。
「仮に日本側が受け入れるとしても、国一つ分の人間を移動させる話になる。人数も分からないし、種族も違う。生活環境、食料、病気、法律……考えないといけないことが多すぎる」
「向こうの病気がこっちでどうなるかも分からんしな」
彰人が加える。
「逆もある」
雅史は彰人へ頷いてから続けた。
「日本では問題にならない病原体が、向こうの人たちには致命的かもしれない。逆に向こうでは普通のものが、こちらでは危険かもしれない」
「いきなり大人数で行き来させるのは危ないってこと?」
行人が尋ねた。
「少なくとも、何も調べずにはできないと思う」
雅史が答える。
その言葉を受けて、清隆が口を開いた。
「なら、まず調べるしかないな」
清隆は指先でテーブルを軽く叩きながら、必要なものを一つずつ分けていく。
「星堕としが何なのか。病気との関係。裂け目がなぜ開いたのか。それに、エーテリアとこちらで何が共通して、何が違うのか」
「多いなあ」
智希が天井を仰ぐ。
「多い」
「俺、向こう見に行っていい?」
「まだダメだ」
洋一が即答した。
「まだ何も言ってない」
「偵察だろ」
「なんで分かった?」
「お前が今の流れで言うことはそれくらいだ」
智希は不満そうに背もたれへ身体を預けた。
「行った方が早いと思うけどな」
「それは否定しない。だから後で考える」
「はいはい」
「でも、偵察は必要だと思う」
優斗が会話へ入った。
ここまで全体の話を聞いていた彼は、テーブルの上の飲み物へ手を伸ばしながら怜司と彰人を見る。
「二人が見たのは、裂け目から王都までだろ?」
「せやな」
彰人が答えた。
「国全体どころか、その周辺しか見てない。向こうから聞いた話だけで判断するのも危ない」
「王様が嘘ついてるってこと?」
行人が尋ねる。
「そうじゃない」
優斗は首を振った。
「本人たちが本当だと思ってることと、実際に起きてることが同じとは限らないってこと」
「それはあるな」
雅史が頷く。
「記録も見たい」
「地形もだな」
智臣が続けた。
黒い服に包まれた腕をテーブルへ置き、少しだけ身体を前へ傾ける。
「星堕としが複数回起きているなら、発生地点を並べれば何か見えるかもしれない」
「規則性は見つかってへんらしいで」
彰人が言う。
「向こうには、な」
智臣の返事は淡々としていた。
「見ているものが違えば、同じ情報から別のものが見えることはある」
「それはそうやな」
彰人の表情が少し変わった。
自分も、向こうで同じことをしていた。
三柱を含め、エーテリアの者たちが長い年月をかけて調べてきたもの。
だからといって、自分たちが調べる意味がないわけではない。
「ワシは、向こうがどう動くかも見といた方がいいと思う」
優斗が続ける。
「準備を止めないって言ってるんだろ?」
「せやな」
今度は怜司が答えた。
「なら、こっちが考えてる間に向こうも動く。話し合いだけ見てたら、気づいた時には状況が変わってるかもしれん」
洋一が短く頷いた。
「必要だな」
「あと」
雅史が続ける。
「星堕としについて、日本側の知識と比較したい。隕石に似ているなら、少なくとも比較対象はある。違うなら、何が違うのかを切り分けたい」
「魔術もあるで」
彰人が少しだけ前のめりになる。
「向こうの魔術、こっちで使えるかもしれんし、逆に日本の技術持っていったら――」
「彰人」
洋一が止めた。
「何?」
「楽しそうになってる」
「…いや、これは必要な調査や」
「顔が違う」
「必要な調査やって!」
隣で怜司が深く頷く。
「分かるで。向こうでもずっとあんなんやった」
「兄貴は黙っとけ!」
笑いが起きる。
張り詰めかけた空気が少しだけ緩んだ。
その隙に、怜司が桜子の作ったものへ手を伸ばす。
「兄貴」
彰人が見ていた。
「なんやねん」
「今、会議中やで」
「会議しながら食うために作ったんちゃうん?」
「それはそうやけど」
「ほなええやん」
怜司が一つ取る。
桜子は今度は止めなかった。
「冷める前に食べや」
「ほら」
「勝ち誇るな」
それをきっかけに、他の者も少しずつ手を伸ばし始めた。
会議テーブルを囲んで。
軽食を摘まみながら。
話しているのは、異世界からの侵略についてだった。
組み合わせだけを見れば、ひどく現実感がない。
だが、今の十二人にとっては、どちらも現実だった。
「一個確認したい」
智臣が言った。
視線は怜司へ向いている。
「お前はどうしたい?」
「俺?」
「向こうで、何か考えると言ったんだろ」
「なんで知ってんの?」
「今の話を聞けば分かる」
「そう?」
「分からんのは兄貴だけや」
「彰人うるさい」
怜司は少し考えた。
何をしたいか。
日本を守る。
それは決まっている。
ヴァルネシアが日本へ攻め込むなら止める。
そこに迷いはない。
けれど、それだけでは終わらない。
帰り道で見た村。
王都の人々。
病人を受け入れるために動かされていた備蓄。
アルトリウスたちの言葉。
全部が頭の中に残っている。
「向こうも何とかしたい」
怜司は言った。
簡単な言葉だった。
けれど、智臣は茶化さなかった。
「そうだな」
短く返し、そのまま続きを待つ。
怜司は一度頷いた。
「日本に来て誰か傷つけんのは止める。でも、止めたら向こうがそのまま困るやろ」
智臣は何も言わない。
怜司がまだ話し終えていないことを分かっている。
「ほな、それだけやと終わってへんやん」
怜司には、それが一番引っかかっていた。
攻めてきた相手を倒す。
裂け目の向こうへ追い返す。
そこで日本側の問題は終わるかもしれない。
けれど、向こうでは何も終わっていない。
「星堕とし止められたら、一番早いやろ?」
「簡単に言うなあ」
彰人が呆れる。
「でも、それが原因なんやろ?」
「大元はな」
「ほな、それ何とかしたらええやん」
「それができへんから向こうも困ってんねん」
「俺らまだ調べてへんやん」
彰人が止まった。
怜司は本当に、それだけだと思っているらしい。
向こうができなかった。
だから自分たちにもできない。
その間にあるはずの過程を、怜司は最初から見ていない。
できるかどうか。
それは、やってから考えればいい。
「相変わらずだな」
清隆が小さく息を吐いた。
「でも」
行人が口を開いた。
「俺は、やってみてもいいと思います」
全員の視線が集まる。
制服姿のまま会議テーブルに座っている最年少の一人は、それでも視線を逸らさなかった。
「まだ無理って決まったわけじゃないんですよね?」
怜司が行人を見る。
少しだけ口元が緩んだ。
「せやろ?」
「兄貴、仲間見つけたみたいな顔すんな」
「ええやん」
「まあ」
今度は恭平が口を開いた。
「調べること自体には反対しない。でも、向こうが攻めてくる可能性は別で考えた方がいいと思う」
その言葉に、良澄がゆっくり頷いた。
「そうだろうね。助ける方法を探してる間、向こうが何もしないで待ってくれるとも思えないし」
声は柔らかい。
それでも、恭平が指摘した危険を軽く見ているわけではなかった。
「調査と警戒は、同時にやるしかないだろうね」
「そういうことだ」
洋一が言った。
そこまで話を聞いていた彼の中では、すでに意見がいくつかの方向へ分けられていた。
感情。
調査。
防衛。
交渉。
それぞれが別々に話しているようで、向いている先は大きく違わない。
「整理する」
洋一の声で、会話が止まった。
黒いメタルフレームの眼鏡越しに、会議テーブルを囲む全員を順に見る。
「まず、ヴァルネシアの日本への侵攻は認めない」
誰からも異論は出なかった。
「相手に事情があることと、日本にいる人間を傷つけていいことは別だ。実際に侵攻が始まるなら、俺たちは止める」
恭平が小さく頷く。
桜子も同じだった。
「その一方で、ヴァルネシアを敵と決めるのもまだ早い」
今度は怜司を見る。
「少なくとも今は、向こうも俺たちとの敵対を望んでないんだな?」
「そう言うてたで」
「なら、その間に調べる」
洋一は指を一本立てた。
「一つ。エーテリアとヴァルネシアについて、もっと情報を集める」
二本目。
「二つ。星堕としと、それに伴う病気について調べる。向こうの資料も必要になる」
三本目。
「三つ。裂け目そのものを調べる。なぜ繋がったのか。維持されるのか。閉じられるのか。別の場所にも繋がる可能性があるのか」
そこで一度、言葉を切る。
「それと同時に、ヴァルネシア側の動きは警戒する。調査と防衛は別だ」
「誰が行く?」
智希がすぐ聞いた。
「だから早い」
洋一が視線を向ける。
「聞いただけ」
「まだ決めない」
「えー」
「今日は、怜司と彰人が持ち帰った情報しかない。明日以降、何を調べるか整理してから人を割り振る」
「明日?」
怜司が聞く。
「向こうに行くの?」
「必要ならな」
「俺も?」
「お前はまず行く前提から離れろ」
「道知ってるで?」
「彰人も知ってる」
「運転は俺の方が速い」
「だから不安なんだよ」
「なんで?」
彰人が横から割って入る。
「兄貴、自覚ないん?」
「何の?」
「もうええわ」
彰人が諦めた。
また小さく笑いが起きる。
洋一はそのやり取りが収まるのを待ってから、再び口を開いた。
「最後に一つ」
声の調子が変わった。
「今の段階で、この話を外へ広げる必要はない」
全員の表情が少し引き締まる。
「隠すってこと?」
行人が尋ねる。
「少なくとも、今すぐ誰かに話して状況が良くなるとは思えない」
洋一は答えた。
「俺たち自身、まだ何が起きてるのか分かってない。説明できないものを広げれば、余計な混乱が増えるだけだ」
「まあ、異世界と繋がりましたって言うてもな」
彰人が苦笑する。
「信じてもらえへんやろ」
「動画撮ってくれば?」
智希が言う。
「そういう話じゃない」
清隆がすぐに止める。
「分かってるって」
「それに」
雅史が二人のやり取りが収まるのを待ってから口を開いた。
「公にするなら、いずれは十二人だけで決められる話ではなくなる」
「そうだ」
洋一は頷いた。
「その時は来ると思う。でも、今じゃない」
怜司は特に反対しなかった。
日本という国をどうするのか。
ヴァルネシアの民をどうするのか。
十二人だけで決められる話ではない。
それは向こうでも彰人と話した。
けれど、その前にできることはある。
「じゃあ」
怜司が言う。
「やること決まった?」
「大枠はな」
「ほな、何とかなるやろ」
その瞬間、彰人が嫌そうな顔をした。
「出た」
「何が?」
「兄貴のそれ」
「ええ言葉やん」
「その言葉の後、大体俺が苦労すんねん」
「今回は十二人おるで」
「被害範囲広げんな!」
今度ははっきり笑いが起きた。
桜子まで口元を押さえている。
「笑うとこちゃうで!」
「いや、だって」
「桜子まで!」
さっきまで話していた内容が軽くなったわけではない。
ヴァルネシアは今も準備を続けている。
明日、星が落ちるかもしれない。
新しい病が広がるかもしれない。
裂け目の向こうから、兵が来る可能性もある。
何一つ解決していない。
それでも。
怜司と彰人が向こうへ行った時には、二人しか知らなかった。
今は十二人が知っている。
それだけで、できることは増えていた。
「とりあえず」
桜子が空になりかけた皿を見た。
「追加いる?」
「いる」
怜司が即答した。
「兄貴、今日一番返事早ない?」
「腹減ってんねん」
「さっき食ったやろ!」
「異世界行ったからカロリー使ってん」
「ほぼ車乗っとっただけやろ!」
「運転は疲れるで?」
「兄貴の運転に付き合う方が疲れんねん!」
良澄が二人のやり取りを聞いて、柔らかく笑った。
「そんなに大変だったの?」
「普通に走っただけやって」
怜司が答える。
「帰りドリフトしてたやろ!」
彰人が即座に否定した。
「曲がっただけ」
「それをドリフト言うてんねん!」
「異世界で何してるの?」
良澄は笑ったままだったが、少しだけ呆れたように首を傾げる。
今まで話を聞いていた全員の視線が、一斉に怜司へ向いた。
怜司は少し考えた。
「……移動?」
「兄貴ぃ!」
彰人の声が部室に響いた。
その夜。
十二人が出した答えは、まだ答えと呼べるほどのものではなかった。
日本への侵攻は止める。
けれど、ヴァルネシアを滅ぼしたいわけではない。
できるなら、その必要そのものをなくしたい。
そのために、まず知る。
エーテリアを。
星堕としを。
裂け目を。
そして、自分たちに何ができるのかを。
会議テーブルの上では、空になった皿が少しずつ増えていく。
その周りでは、ついさっきまで世界の行方を話していた十二人が、異世界でドリフトをしたかどうかという、どうでもいい話で騒いでいる。
窓の外には、いつもの大学の夜があった。
エーテリアの空も、今頃は夜になっているのだろうか。
そこでは今も、アルトリウスたちが準備を続けている。
こちらが答えを探している間も。
向こうの時間は止まらない。
だから、自分たちも止まるわけにはいかない。
十二人になって初めて迎えた問題ではない。
けれど。
二つの世界を同時に救おうと考えたのは――これが初めてだった。




