王都へ
王都へ向かう街道を進み始めてから、しばらくして。
怜司はバックミラーの中で、後ろを走る彰人のマークXが何度かライトを点滅させるのに気づいた。
そのさらに後方にいたヴァルネシアの護衛たちは、もうほとんど見えない。
道幅が広くなってから少し速度を上げた自覚はあったが、彰人がついてきている以上、怜司の感覚では特に問題は起きていなかった。とはいえ、わざわざ合図を送ってくる以上は何かあるのだろう。
前方を見ると、街道脇に広い空間が見えた。
土の街道とは違い、そこだけは平らな石が敷かれている。何台かの馬車が入っても余裕がありそうな広さがあり、奥には屋根らしいものも見えた。
「ここでええか」
『何がだ』
屋根の上から白金獅子の声が落ちてくる。
「彰人が止まれ言うてる」
『ようやくか』
「何が?」
『何でもない』
白金獅子はそれ以上何も言わなかった。
怜司にはその言い方が少し引っかかったが、問い返したところで面倒な返事が返ってきそうだったので、そのままインプレッサを広場へ入れた。
邪魔にならなさそうな場所へ停め、エンジンを切る。
車から降りると、それまで車内に遮られていた風の感触が一気に戻ってきた。
草と土の匂いが混じった空気が流れ、遠くから鳥の声が聞こえる。
日本側の杉林にあった、音そのものが抜け落ちたような静けさとは違う。
ここには風があり、草木が揺れ、生き物の声がある。
知らない世界なのに、そうした当たり前のものがあるだけで、不思議と落ち着いた。
少し遅れて彰人のマークXが隣へ入ってくる。
運転席のドアが開き、彰人が降りてきた。
「兄貴」
「何?」
「後ろ見てた?」
「見てたで」
彰人の表情が一瞬だけ緩んだ。
安心したようにも見えたので、怜司は自分の答えが正しかったのだと思った。
「いつ?」
「今」
その瞬間、彰人の表情が変わった。
さっきまでわずかにあった安堵が消え、代わりに何とも言えない顔になる。
怜司はその変化の意味が分からず、少し首を傾げた。
「それ、見てたって言わへんからな」
「そう?」
「そうや」
彰人が来た道を見る。
怜司も同じ方向へ視線を向ける。
遠くに、ヴァルネシアの護衛たちの姿がようやく見え始めていた。
「ああ」
「その『ああ』が遅いねん」
「ついてきてるやん」
「かなり離れてるやろ」
「でも来てるで?」
彰人が一度目を閉じた。
これまで何度も見たことのある反応だった。
たぶん何かを言いたいのだろうが、その前に自分の中で言葉を選んでいる。
「兄貴」
「ん?」
「ついてきてるかどうかやなくて、ついてこられる速度で走るって考えはないん?」
「できるで」
怜司としては、本当にそれだけの話だった。
前の車や後ろの車に合わせて速度を調整することくらい、別に難しいことではない。普段そうしていないことと、できないことはまったく別だ。
ところが彰人は返事をせず、しばらく怜司を見ていた。
驚いているわけでも怒っているわけでもない。ただ、何か非常に納得しがたいものを見たような目をしている。
怜司には、その沈黙の理由が分からなかった。
「何やねん」
「いや」
彰人は小さく息を吐いた。
「できるんやったら、最初からやってくれへんかな思て」
「ああ」
「そこで納得すんなや」
セレスティアも助手席から降りてきた。
彼女は怜司と彰人を交互に見たあと、少し困ったような笑みを浮かべる。
『怜司さん』
「おん?」
『先ほどより、速度が上がっていましたよね?』
「ちょっとだけ」
答えると、セレスティアの視線が細くなった。
責められているわけではない。
ただ、その「ちょっと」という言葉が、自分と彼女とで同じ意味では使われていないらしい。
「兄貴基準のちょっとやけどな」
『……やはり、そうなのですね』
セレスティアは来た道へ目を向けた。
護衛たちは、まだ広場へ到着していない。
そのさらに上空を、フィルネが大きな翼を広げて旋回している。
こちらはまだ余裕があるらしく、怜司たちが止まったことを確認すると、そのまま高度を下げて広場の端へ降りてきた。
『急に速度が上がったので、何かあったのかと思いました』
「道が広なったから」
『……それだけですか?』
「うん」
フィルネが何か言おうとして口を開いた。
しかし、声は出てこなかった。
少しの間こちらを見たあと、そのまま口を閉じる。
怜司には何を言おうとしたのかまでは分からない。ただ、「道が広くなったから速度を上げた」という説明では、フィルネが聞きたかったことへの答えになっていないらしいことだけは分かった。
彰人が横から口を挟む。
「フィルネさん。それ、たぶん聞いても納得できへんから」
『そうなのですか?』
「俺も昔から諦めてる」
「何を?」
「兄貴は黙っといて」
「は~い」
それ以上聞くと自分の話が始まりそうだったので、怜司は素直に黙った。
その間に、ようやく護衛たちが広場へ到着する。
全員が徒歩というわけではない。
二本足で走る大型の獣に跨っている者もいれば、車輪のついた小型の乗り物を使っている者もいる。乗り物の一部には淡い光が走っていて、ただの馬車ではないことも分かった。
それでも、ここまで来た者たちの多くは明らかに疲れている。
呼吸を整えている者もいれば、乗っていた獣の首を撫でながら休ませている者もいる。
怜司はそこで初めて、自分が思っていた以上に相手へ無理をさせていたことを実感した。
「…やっぱ速かった?」
「やっと分かった?」
「彰人ついてきてたし」
「俺の車基準で考えんな」
「ああ」
「またそれや」
怜司は彰人から視線を外し、改めて周囲を見る。
最初はただの広場だと思っていたが、よく見るといくつかの設備が整えられていた。
木と石で作られた低い屋根。
その下には長い腰掛けがある。
少し離れたところには水場があり、さらに石で円形に囲まれた区画が複数並んでいる。そこには薪まで積まれていた。
「ここ、休憩所?」
『はい』
セレスティアが答える。
『王都へ続く主要な街道には、こうした場所がいくつも設けられています。旅人が身体を休めたり、食事を作ったりするための場所です』
「食事?」
怜司は石で囲まれた場所を見る。
「火ぃ使ってええの?」
『はい。ただし、火を使える場所は決められています』
「BBQできるやん」
『ばー……?』
セレスティアが聞き返す。
どうやら単語そのものに対応する概念がないらしい。
「兄貴、そこ説明せんでええ」
「なんでや」
「絶対話長なるから」
「肉とか野菜焼くだけやで」
「もう説明始めてるやん」
彰人が止めたので、怜司は続けるのをやめた。
ただ、日本のキャンプ場とは少し違う。
ここは何かを楽しむために作られた施設ではない。
街道を何時間も、場合によっては何日もかけて移動する者が途中で身体を休め、食事を作り、次の目的地まで進むために必要だから置かれている場所なのだろう。
車なら数時間で済む距離でも、この世界では移動そのものが生活の一部になっている。
そう考えると、先ほど護衛たちとの距離が離れたことも、単に「速い、遅い」というだけでは済まないように思えた。
その世界の移動の基準を、自分たちの車だけが無視している。
そう認識すると、少しだけ面白かった。
同時に、ちょっと面倒でもある。
怜司がそんなことを考えている間に、セレスティアは護衛隊の者たちと話を始めていた。
彰人もそちらを見ている。
「どうするんやろな」
「何が?」
「この人ら。このまま俺らについてくるん無理やろ」
「ゆっくり走ったらええやん」
「兄貴が?」
「できるで」
今度は彰人がすぐには返さなかった。
先ほどと同じ沈黙だった。
怜司にはもう、その意味が少し分かる。
「……最初からやれって?」
「分かってるやん」
「今分かった」
「遅いわ」
少しして、セレスティアが戻ってきた。
さっきまで兵士たちと話していたときの柔らかい表情とは違い、今は何かを決めた後の顔をしている。
『護衛の者たちは、ここから一度戻します』
「戻すん?」
『はい。この速度で王都まで同行させることには、あまり意味がありません。それに、裂け目についても引き続き警戒が必要です』
彰人が頷く。
その言葉を聞いて、怜司も裂け目の方角を思い浮かべた。
向こう側が日本だということは分かった。
実際、自分たちはそこを通ってここまで来た。
だが、なぜ二つの世界が繋がったのかは分かっていない。
今は安全に行き来できているからといって、次の瞬間にも同じ状態が続く保証はどこにもない。
自分は単に「護衛が車についてこられないから戻す」のだと思っていたが、セレスティアたちにとっては、あの裂け目を調べ、守ることも同じくらい重要なのだ。
「そらそうやな。向こう側が日本やって分かっただけで、裂け目そのものが安全やって分かったわけちゃうし」
『はい』
セレスティアが頷く。
『だからこそ、あちらにも人を残しておく必要があります』
「なるほど」
今度の「なるほど」は、自分でもちゃんと意味を理解していると思った。
セレスティアはフィルネへ視線を向ける。
『フィルネ。王都までの先導をお願いできますか?』
『もちろんです』
フィルネは迷わず答えた。
先ほどまで身体に沿わせていた翼が、大きく開く。
『この程度の距離であれば問題ありません』
怜司はその言葉を聞いて、自分たちが速度を落とす必要はなくなったのだと理解した。
「ほな行こか」
「兄貴」
「何?」
「今の話、どこまで聞いてた?」
「フィルネがついてくる」
「……まあ、そこは合ってるわ」
彰人が何か言いたそうにしていたが、最終的には諦めたようだった。
◇
十分ほど後。
怜司は再び街道脇へ車を停めていた。
今回は彰人に止められたわけではない。
サイドミラーの中で、少し前まで余裕を持って飛んでいたフィルネの位置が徐々に下がっていくのが見えたからだ。
最初は高度を変えただけかと思った。
しかし速度も少しずつ落ちている。
翼の動きも大きくなっていた。
それを見ているうちに、さすがの怜司にも何が起きているのか分かった。
車を停める。
少し遅れてフィルネが街道脇へ降りた。
「大丈夫?」
『……問題、ありません』
そう言いながら、フィルネは両手を膝につくようにして呼吸を整えている。
言葉と身体がまったく一致していない。
怜司は少し考えた。
「問題あるやろ」
『ありません』
返事だけは早かった。
屋根の上の白金獅子がフィルネを見下ろす。
『問題がない者は、そのような呼吸はしないと思うが』
『…獅子に言われたくありません』
『私は何もしていない』
『知っています』
「乗ってるだけやもんな」
『怜司。お前もだ』
「俺は運転してるやん」
『座っている』
「アクセル踏んでる」
『足を動かしているだけではないか』
「ハンドルも回してるで」
『そういう話ではない』
言われてみれば、確かに身体を動かしている量で言えばフィルネとは比較にもならない。
だからといって、運転していないことにはならない。
怜司は少し納得できなかったが、そのまま話を続けると白金獅子がさらに面倒なことを言いそうなので黙った。
後ろにマークXが停まり、彰人とセレスティアが降りてくる。
彰人はフィルネの様子を見た瞬間、状況を理解したらしい。
次に怜司を見る。
「兄貴、何キロ出してた?」
「普通」
彰人の眉間に皺が寄った。
怜司はすぐに、聞かれているのは感覚ではなく数字なのだと気づく。
「百くらい?」
「それを普通言うな」
『百……』
セレスティアが小さく呟く。
日本の距離や速度の単位については移動中に簡単に説明していたため、完全ではなくても意味は伝わっているはずだった。
フィルネがようやく顔を上げる。
『その速度を、王都まで維持するつもりだったのですか?』
「道が続いてる間は?」
「疑問形にすな」
彰人の声に呆れが混じる。
怜司としては、そこまで妙な答えをしたつもりはなかった。
速度を維持できる道なら、そのまま走る。
道が悪くなれば落とす。
ただそれだけだ。
しかし目の前で呼吸を整えているフィルネを見れば、同じ基準を彼女に当てはめたのが間違いだったことくらいは分かる。
『……私は、その速度で飛ぶこと自体はできます』
「ついてきてたやん」
『できますが』
一度言葉を切り、フィルネは息を整えた。
『何時間も維持することを想定した速度ではありません』
「ああ」
今度はすぐに意味が分かった。
出せる速度と、維持できる速度は違う。
人間が全力疾走できても、それを何時間も続けられないのと同じだ。
車なら百キロ前後で何時間でも走れるが、それは機械だからこその話で、生身で飛んでいるフィルネに同じことを求めるのは無理がある。
「ほな乗る?」
『……乗る?』
「クルマ」
怜司は助手席を指差した。
フィルネがインプレッサを見る。
次に、屋根の上にいる白金獅子へ視線を上げる。
そしてもう一度、助手席を見る。
その順番に少し迷いが見えた。
『私が、ですか?』
「他に誰が乗んの?」
『いえ……』
フィルネが自分の背中を振り返る。
広げれば人間一人を持ち上げられるほど大きな翼がある。
助手席へ座れば、どう考えても邪魔になりそうだった。
「羽根、入る?」
『それは問題ありません』
そう答えた直後、翼の輪郭に淡い光が走った。
最初に変化したのは羽根の先だった。
大きく広げられていた翼が、折り畳まれるのとは違う動きで少しずつ小さくなっていく。
翼そのものが消えているわけではない。
形も残っている。
ただ、その大きさだけが縮んでいる。
飛行中には背中から大きく広がっていたものが身体に沿う程度になり、最後には衣服の背面へ薄く重なるほどまで小さくなった。
正面から見れば、ほとんど羽根があることさえ分からない。
怜司は思わず近くから見る。
「おお」
『……何でしょう』
「めっちゃ縮むやん」
『はい』
「便利やな、それ」
フィルネが少し目を瞬いた。
驚いたというより、その評価をされたこと自体が意外だったらしい。
『便利、ですか?』
「寝る時とか座る時、邪魔にならへんやん」
『睡眠時や屋内では、ほぼこの状態です』
「やっぱ便利やん」
『私たちにとっては普通のことですので、便利かどうかを考えたことはありませんでした』
その答えを聞いて、怜司は少し納得した。
自分だって腕や足があることを便利だとは普段考えない。
フィルネにとって翼が縮むことも、それと同じなのだろう。
「俺、羽根ないからな」
『それはそうですが……』
フィルネは完全には納得していないようだった。
それでも、助手席のドアを開けて中へ入る。
怜司も運転席へ戻った。
屋根には白金獅子。
助手席には鳥人族。
後ろには彰人のマークXと、その助手席に座る年齢不詳の古代エルフ。
日本なら一つとして成立しない光景だ。
けれど異世界へ来てから起きたことを順番に思い返すと、不思議と今さら感の方が強かった。
「シートベルト」
『しーとべると?』
「ああ、そっからか」
怜司は自分のベルトを引き出して見せる。
「これ。こうやって付ける」
『身体を固定するのですか?』
「せやで。曲がったり止まったりした時に、身体振られへんように」
『身体が……振られる?』
「動くやろ?」
『それを止める必要があるのですか……?』
「運転してたら、その方が楽やで。あと事故った時に飛んでかんようにもなる」
『事故……?』
「ぶつかったりした時」
フィルネの視線が、ゆっくりとフロントガラスの向こうへ移った。
『……ぶつかることがあるのですか?』
「ぶつからんように運転するんやで」
『…………』
「何?」
『いえ』
フィルネは何も言わずにシートベルトを締めた。
たぶん、完全には安心していない。
怜司にはそう見えた。
◇
王都へ向かうにつれて、景色は少しずつ変わっていった。
裂け目の周囲に広がっていた草原を抜けると、街道は低い丘陵の間へ入り、その先では森と開けた土地が交互に現れるようになった。
植生そのものは、日本とかけ離れているわけではない。
見覚えのある形をした木もある。
遠目には杉や松に近いものもあり、川沿いには背の低い草が密集している。
だが、よく見れば違う。
葉がわずかに青みを帯びた木。
白い幹が日の光を反射する植物。
風が吹くたび、表面に淡い光が走る草。
どれも「植物」という括りでは理解できるのに、日本で見たものとは少しずつ形が違っている。
完全に別物ではないからこそ、違いが目につく。
「似てんねんな」
『日本と、ですか?』
助手席のフィルネが聞く。
「せやな。全部知らんもんやと思ってた」
『違う世界であれば、すべてが違うと思っていたのですか?』
「なんとなく」
自分でも曖昧な答えだった。
異世界と言われたときに何を想像していたのか、怜司自身よく分かっていない。
空の色が違うとか、見たことのない植物しかないとか、そういうものだったのかもしれない。
だが実際に走ってみれば、山もあれば川もあり、草原が広がり、その上には日本と同じような青い空がある。
その中に、少しずつ知らないものが混ざっている。
その程度の違いの方が、むしろ別の世界に来た実感を強くさせた。
途中ですれ違った荷車を引いていたのは、人間ではなかった。
獣の耳を持つ男が、大きな荷台を引く動物を操っている。
荷台には野菜らしいものが積まれ、その横を小さな子供が歩いていた。
子供が車を見る。
一度。
次に、もう一度。
口を開けたまま固まった。
隣の大人も異変に気づき、こちらを見る。
そして屋根を見上げた。
白金獅子と目が合った。
荷車の速度が露骨に落ちた。
「めっちゃ見られてる」
『当然だ』
「獅子乗ってるから?」
『お前の乗り物のせいでもある』
「そう?」
『そうです』
フィルネまで即答した。
怜司はバックミラーを見る。
後ろのマークXにも同じように視線が集まっている。
「彰人のも見られてるで」
『だから、獅子だけが原因ではないと言っているのです』
「なるほど」
『……本当に理解していますか?』
「してるしてる」
フィルネの表情を見る限り、信用されていないらしい。
街道沿いには、小さな集落も点在していた。
石と木を組み合わせた家が並び、その間を様々な姿の者たちが歩いている。
人間。
獣の耳や尾を持つ者。
怜司より頭一つ低いが、肩幅は明らかに広い者。
フィルネのような翼を持つ者も見える。
姿はそれぞれ違う。
だが、その違いを気にしている者はいない。
違う種族同士が道端で立ち話をし、店先で品物を受け渡し、荷物を一緒に運んでいる。
子供たちが追いかけっこをしている。
一人が転ぶ。
近くにいた大人が起こす。
それだけだった。
怜司はしばらくその光景を見ていた。
「普通やな」
『何がですか?』
フィルネが聞く。
「みんな」
怜司は前を見たまま答える。
「普通に生活してんねんな思て」
フィルネが黙る。
先ほどまでの会話とは違い、その沈黙には少しだけ重さがあった。
怜司には理由までは分からない。
ただ、自分が当たり前だと思って口にした言葉が、フィルネにとっては少し違う意味を持ったらしい。
『はい』
やがて、フィルネが答えた。
『普通に、暮らしています』
「そっか」
怜司はそれ以上聞かなかった。
姿が違う。
種族も違う。
けれど、今見えている範囲で彼らがしていることは日本と変わらない。
働いて。
食べて。
話して。
子供が遊んでいる。
別の世界だからといって、そこで暮らす者まで「別の何か」になるわけではない。
その認識だけが、怜司の中に残った。
◇
二度目に立ち寄った休憩所は、小さな川のそばにあった。
最初の場所と同じように火を使える区画があり、今度はすでに何組かの旅人が休んでいる。
石囲いの中では鍋が火にかけられていた。
何を煮ているのかは分からない。
ただ、風に乗って漂ってきた香りは思った以上に馴染みがあり、怜司の胃が素直に反応した。
「腹減ったな」
「兄貴、さっきからそこばっか見てんな」
彰人も車から降りてきていた。
「ええ匂いするやん」
「知らん人の飯やぞ」
「分かってるわ」
怜司が鍋の方を見続けていると、セレスティアが小さく笑った。
『王都へ着けば、食事はこちらで用意できます』
「何あるん?」
『何、と言われましても……』
「米ある?」
『コメ?』
「あかんか」
「何で異世界来て一発目に米探してんねん」
「大事やろ」
「まあ大事やけど」
そこは彰人も否定しなかった。
怜司が水場へ向かおうとしたとき、視界の端に違和感が入った。
川の向こう。
森が途中で切れている。
最初は、伐採された土地かと思った。
だが、木がなくなっているだけではない。
地面そのものが消えている。
怜司は足を止めた。
緩やかに続いていたはずの地形が、その部分だけ大きく抉れている。
崖とも谷とも違う。
巨大な何かを上から押しつけ、そのまま土地ごと持っていったような形だった。
周囲の山肌は赤茶けて露出し、植物もほとんど生えていない。
距離があるため正確な大きさは分からない。
それでも、人が作ったものではないことくらいは分かった。
「彰人」
「ん?」
「あれ」
彰人が怜司の指した方向を見る。
すぐには何も言わなかった。
目を細め、地形全体を追っている。
「……崩れたんとは違いそうやな」
「やんな」
同じものを見て、同じ違和感を持ったことが分かり、怜司は少し安心した。
自分の見間違いではない。
その会話を聞いたセレスティアとフィルネも、川の向こうへ視線を向ける。
そして二人の表情が変わった。
フィルネはほんの少し口を閉ざす。
セレスティアからは、それまであった柔らかさが消えた。
派手な反応ではない。
だからこそ、怜司には気になった。
知らないものを見た顔ではない。
知っている。
それも、あまり見たくないものを見た顔だった。
「知ってる?」
『はい』
セレスティアはすぐに答えた。
ただ、その先が続かない。
怜司は少し待った。
「何なん?」
セレスティアはもう一度、抉れた土地を見る。
何かを選ぶような間があった。
『王都で、お話しします』
「ここではあかん?」
『話せないわけではありません。ただ……短く説明できることではありません』
その言い方で、怜司は少しだけ理解した。
隠したいわけではない。
簡単に話して済ませられる問題でもない。
そして、おそらくセレスティア一人が勝手に説明していい話でもないのだろう。
「ほな後でええか」
「ええんかい」
彰人が振り返る。
「長いんやろ?」
「そらそうやけど」
「王都で聞けるんやったら一緒やん」
怜司としては、それ以上でもそれ以下でもない。
今ここで無理に聞き出したところで、状況が変わるわけではない。
けれど彰人はまだ向こうを見ている。
興味というより、警戒に近い。
怜司はそれを見て、もう一度だけ抉れた土地へ目を向けた。
あの形が何なのかは分からない。
ただ一つだけ分かったことがある。
セレスティアもフィルネも、あれを特別なものとして驚いてはいない。
つまり。
あの傷は、この世界にとって初めて起きたものではない。
その考えが、怜司の中に小さく残った。
◇
さらにしばらく進むと、街道の先に大きな都市が見え始めた。
最初に見えたのは、外壁だった。
地形に沿うように長く続く石造りの壁。
その向こうには無数の建物が重なり、さらに奥の高台には周囲より大きな建造物が立っている。
「でか」
『あれが王都です』
フィルネが答える。
怜司はフロントガラス越しにその全体を見る。
遠くからでも大きい。
近づけば、もっと大きいのだろう。
ただ、その感想より先に気づいたことがあった。
街道を行き交う者が急に増えている。
荷車。
馬車に近い乗り物。
淡い光をまといながら進む、用途の分からない車両。
徒歩の者も多い。
当然、こちらを見る者も増えた。
インプレッサ。
マークX。
そして屋根の白金獅子。
すでに何度も見られてきたが、王都へ近づくほど視線の数が増えている。
怜司がそのことを意識し始めたころ、助手席のフィルネが少し姿勢を正した。
『怜司さん』
「何?」
『このまま王都へ入るのは、少し問題があるかもしれません』
「なんで?」
聞いた瞬間、後ろからライトが点滅した。
「あ。彰人も止まれ言うてる」
『おそらく、同じことを考えています』
「何を?」
フィルネは一瞬、どう説明するべきか迷ったようだった。
怜司は前方を見た。
次に周囲。
そして自分の車。
少し考える。
「……目立つ?」
『非常に』
「ああ」
ようやく分かった。
街道から少し外れた場所を見つけ、二台を停める。
彰人とセレスティアが降りてくる。
彰人は周囲を確認したあと、二台の車を見比べた。
「兄貴。これで入るつもりやった?」
「さっきまで」
「絶対止められるで」
「今分かった」
彰人が少し驚いた顔をした。
「分かったん?」
「めっちゃ見られてるし」
「成長したやん」
「何が?」
「何でもない」
怜司には少し馬鹿にされた気がしたが、たぶん気のせいではない。
『私も、ここからは歩いた方がいいと思います』
セレスティアが言う。
「ほな車どうすんの?」
『ここへ置いていきます』
「盗られへん?」
『その心配はありません』
セレスティアが二台の車へ近づく。
右手を軽く上げる。
指先から淡い光が広がり、車の周囲を一度包んだ。
怜司は何が起きるのか見ていた。
透明になる。
輪郭がぼやける。
あるいは別の場所へ移動する。
そんな変化を想像したが、どれも起きなかった。
光が消える。
インプレッサもマークXも、そのままそこにある。
「……何したん?」
『認識を逸らしました』
「認識?」
『ここを通る者が、この二台へ意識を向けにくくなるようにしています』
怜司は自分の車を見る。
見える。
普通にある。
「見えてるで?」
『怜司さんは、そこにあると知っていますから』
セレスティアは車の方へ視線を向ける。
『存在そのものを隠しているわけではありません。知らずに近くを通る者は、そこに何かあると認識しにくくなります。意識して探せば見つけられますが、そうする理由がなければ、そのまま通り過ぎるでしょう』
「へえ」
怜司はもう一度車を見る。
何も変わっていない。
それなのに、他人からは意識に入りにくい。
透明化より面白い。
存在を消すのではなく、人間側の認識をずらしている。
隣では彰人が車の周囲を歩きながら、光が消えた場所を観察していた。
その目つきが変わっている。
さっきまで普通に話していた弟ではなく、何か仕組みを見つけたときの顔だ。
「つまり、見えてるけど気にせえへんようになる?」
『概ね、その理解で構いません』
「対象は物だけ? 人間にも使えるん?」
『使えます』
「効果範囲は? 維持時間は魔力量依存?」
始まった。
怜司にはすぐ分かった。
このまま放っておけば、ここで研究会が始まる。
「彰人」
「ん?」
「駐禁対策に使えそうやな」
彰人の思考が止まった。
ゆっくりこちらを見る。
「最低の使い方思いつくな!」
『ちゅうきん……?』
「セレスティアさん、説明せんでいいです」
彰人が即座に止めた。
怜司としては割と実用的な案だと思ったが、反応を見る限り賛同は得られそうになかった。
◇
王都へは徒歩で入った。
車を降りて歩き始めると、同じ景色でも見えるものが増えた。
遠くから見た王都は、外壁と建物が集まった一つの巨大な塊だった。
門を抜けると、それが一気に細かく分かれていく。
店。
家。
人。
荷物。
匂い。
声。
道の左右から次々に情報が入ってくる。
獣の耳を持つ者。
角のある者。
人間より小柄で、肩幅の広い者。
フィルネと同じような翼を持つ者。
見た目だけでは何の種族か分からない者もいる。
人間とほとんど変わらない者もいた。
種族は違う。
だが、それぞれが別々に暮らしているわけではない。
同じ店を使い。
同じ道を歩き。
同じ場所で話をしている。
怜司は少し前を歩く親子を見る。
子供が露店の何かを指差す。
母親らしい女性が一度首を振る。
子供がもう一度ねだる。
女性が困った顔をする。
「どこも一緒やな」
「何が?」
彰人が聞く。
「あれ」
怜司が親子を見る。
彰人も気づいたらしい。
「ああ」
「子供ってあんな感じなんやな」
「そらまあ、どこでも欲しいもんは欲しいんちゃう?」
「せやな」
世界が違う。
種族も違う。
それでも、目の前で起きていることは普通だった。
怜司にとっては、それが一番分かりやすかった。
ただ、こちらを見ている者たちは多い。
日本の服を着た人間が二人。
その前後にはセレスティアとフィルネ。
そして巨大な白金獅子。
車ほどではないにしても、十分目立っている。
道端にいた子供が白金獅子を指差した。
隣の大人が慌ててその手を下ろす。
白金獅子は何も気にしていない。
「獅子、目立ってるで」
『だから何だ』
「いや、別に」
『なら言うな』
怜司もそれ以上気にしないことにした。
王宮へ近づくにつれ、建物は大きくなっていく。
石造りの建物が増え、道も広くなり、人の流れも整理されている。
遠くから見えていた王宮は、近づくほど城に近い印象になった。
豪華さを見せつけるためだけの建物ではない。
高い壁。
複数の塔。
その奥に重なる大きな建造物。
守るための構造がある。
「ほんまに王様おるんやな」
「今さら何言うてんねん」
「王国やからおるんやろなとは思ってたけど」
「最初からおる言うてたやろ」
「せやった?」
「兄貴……」
彰人が額を押さえた。
怜司は少し考える。
確かに言われた気もする。
ただ、自分の中では「王様がいる」という情報より、知らない世界へ来たことや、言葉が通じるようになったことや、車で走れることの方が優先されていた。
忘れていたわけではない。
順位が低かっただけだ。
たぶん。
◇
王宮の中へ入ってからも、周囲の様子はそれほど変わらなかった。
セレスティアが戻ってきたこと自体は珍しくないらしく、行き交う者たちは彼女へ礼をしながらも、そのまま仕事を続けている。
だが、その後ろを歩く怜司と彰人を見ると視線が止まる。
さらに白金獅子を見る。
もう一度怜司を見る。
だいたいその順番だった。
フィルネにも何人かが声をかけている。
そのやり取りを見ながら、怜司は少し前を歩く彼女を見る。
「フィルネ」
『はい?』
「結構知り合いおるんやな」
『ここにはよく来ますから』
「仕事?」
『そうですね』
「へえ」
怜司は少しだけ考えた。
裂け目まで王都から飛んできた。
セレスティアの指示を受けて行動している。
王宮の中でも周囲が普通に彼女を知っている。
今まで深く考えていなかったが、単なる偵察役というわけではなさそうだ。
隣を歩く彰人も同じことを考えたらしい。
「兄貴」
「何?」
「この二人、思ってるより偉い人ちゃうか」
「セレスティアは研究所の偉い人やろ?」
「それは聞いてる。フィルネさんの方」
「フィルネも?」
「たぶんな」
「へえ」
怜司はもう一度フィルネを見る。
偉い人物だと分かったところで、さっきまで助手席でシートベルトに困っていた人物であることは変わらない。
本人に対する印象が変わる理由も、特に見つからなかった。
「興味持てや」
「持ってるで?」
「その顔で言うな」
「どういう顔やねん」
やがて大きな扉の前でセレスティアが足を止めた。
それまで自然に歩いていた彼女の姿勢が、ほんの少しだけ変わる。
背筋が伸びた。
『この先に、陛下がおられます』
「あいよ」
怜司が答える。
彰人がこちらを見る。
その表情を見ただけで、何を言おうとしているのか何となく分かった。
「兄貴」
「一応王様やろ?」
「分かってるやん」
「さっき聞いた」
「……礼儀な」
「分かっとるって」
彰人はしばらく怜司を見る。
どうやら信用されていない。
怜司としては、礼儀が何か分かっていないわけではない。
人に会えば挨拶もする。
失礼なことをわざと言うつもりもない。
ただ、相手が王だからといって、自分まで別人になる必要があるのかはよく分からなかった。
「ほんまに分かってる?」
「王様やからって殴ったりせえへんで」
「そこ心配してへんわ!」
扉が開いた。
中へ入った怜司が最初に感じたのは、想像していたより近い、ということだった。
遠くに玉座があり、そこまで長い床を歩かされるような場所ではない。
広い。
格式もある。
けれど中央には大きな机が置かれ、その周囲に複数の人物がいる。
謁見の間というより、会議室に近い。
最初に目に入ったのは、大柄な男だった。
怜司自身も日本人としては背が高い。
それでも、その男はさらに一回り大きい。
額には角があり、服の上からでも身体を鍛えていることが分かる。
怜司は一度その男を見る。
相手もこちらを見ていた。
目が合う。
敵意は感じない。
ただ、観察されている。
その隣には、人間に近い姿をした別の男がいる。
落ち着いた表情。
立っているだけなのに、周囲を急かさない独特の圧がある。
瞳と身体の特徴から、怜司はセレスティアたちから聞いていた「龍人」という言葉を思い出した。
さらに三人。
小柄だが異様に頑丈そうな男。
巨大な身体を持つ獣人。
そして、上半身は人に近いのに、蜘蛛を思わせる特徴を持った女性。
姿だけなら十分に異質だ。
けれど王都へ入ってから様々な種族を見てきたせいか、最初にエーテリアへ来たときほど強い驚きはなかった。
むしろ気になったのは、その場にいる全員が明らかに一般兵とは違うことだった。
立ち方。
視線。
周囲との距離。
誰一人、ただそこにいるだけではない。
怜司は少し前にいたフィルネを見る。
「知り合い?」
『……同僚です』
答えるまでに、ごく短い間があった。
たぶん聞き方が雑だったのだろう。
「へえ」
横で彰人が小さく息を吐いた。
「やっぱ偉いやん」
『お伝えしていませんでしたか?』
「俺は聞いてへんな」
「兄貴が聞いてへんだけちゃうん」
「そう?」
怜司は記憶を辿る。
たぶん聞いていない。
もし聞いていたとしても、「フィルネ」という人物と「偉い立場」がまだ自分の中で結びついていなかった。
ただ、それが分かったところで、何かを変える必要も感じなかった。
フィルネはフィルネだ。
それ以上でも以下でもない。
セレスティアが前へ進む。
その動きに合わせて彰人が姿勢を正した。
怜司は隣でその変化を見る。
彰人はこういうところをきちんとする。
相手の立場や場の意味を理解して、自分の振る舞いを合わせる。
昔からそうだった。
自分も同じようにした方がいいのだろうとは思う。
ただ、どうしても少し違和感がある。
部屋の奥。
机の向こう側に、一人の男が立っていた。
若い。
それが最初の印象だった。
王と聞いて怜司が無意識に思い浮かべていた人物より、ずっと若い。
自分たちと極端に年齢が離れているようには見えない。
セレスティアが頭を下げる。
『陛下。ただいま戻りました』
『ご苦労だった、セレスティア』
返ってきた声は落ち着いていた。
若さを感じさせないわけではない。
しかし、人の上に立つことに慣れている声だった。
その視線が、怜司と彰人へ向く。
『その二人が?』
『はい。裂け目の向こう側――日本から来られた、八代怜司さんと八代彰人さんです』
彰人が一歩前へ出る。
自然な動きだった。
「八代彰人です。この度は突然お邪魔する形になってしまい、申し訳ありません」
意味が伝わるまで、ほんの少し間がある。
王は彰人を見たあと、静かに頷いた。
『いや。こちらが招いたのだ。歓迎しよう』
次に、その視線が怜司へ向く。
怜司も相手を見る。
彰人のように礼をするべきなのだろう。
そういう場面であることは分かっている。
ただ、相手を見た瞬間に怜司が最初に思ったのは、「この人が王なんやな」という、それだけだった。
偉い。
王。
だからといって、目の前にいる一人の人間であることまで変わるわけではない。
「八代怜司です」
隣で彰人の肩がわずかに動いた。
何か足りなかったらしい。
怜司は少し考える。
そういえば弟の紹介をしていない。
「こっちが弟の彰人」
「今俺が名乗ったやろ!」
「一応」
「何の一応やねん!」
部屋の空気が一瞬止まった。
怜司にも分かった。
彰人が固まっている。
セレスティアが目を瞬く。
フィルネはなぜか少し顔を逸らした。
角のある大男は眉を上げている。
蜘蛛の特徴を持つ女性は口元に手を当てた。
笑っているようにも見える。
怜司は自分の言葉を頭の中でもう一度確認した。
名前を言った。
弟も紹介した。
別に変なことは言っていない。
たぶん。
若い王が、ふっと笑った。
『なるほど』
「何が?」
「兄貴!」
彰人の声が飛んでくる。
王は笑みを残したまま首を振った。
『いや、構わない』
怜司には、その言葉が社交辞令なのか本当に気にしていないのかまでは分からない。
ただ、少なくとも怒ってはいない。
なら問題はないだろう。
『私はアルトリウス=レグナ。ヴァルネシア王国の王を務めている』
「よろしく」
横で彰人が何かを堪えるように息を吸った。
「兄貴、せめてそこは……」
『彰人さん』
セレスティアが小さく首を振る。
止められた彰人は怜司を見る。
次にアルトリウスを見る。
最終的に、諦めた。
「……すんません」
『気にする必要はない』
アルトリウスはそう言ったあと、改めて怜司を見る。
『我が国では、私にそのような態度を取る者はほとんどいない』
怒っているようには聞こえない。
純粋に珍しいものを見ているような声音だった。
「怒った?」
『いや』
アルトリウスは少し考える。
『むしろ新鮮だ』
「ほなよかった」
「よくない気がするけどな……」
彰人が小さく呟く。
怜司は周囲へ視線を動かした。
この場にいる者たちは、まだ自分たちを見ている。
敵意ではない。
警戒だけでもない。
判断しようとしている。
裂け目の向こうから現れた人間が何者なのか。
日本という場所が何なのか。
そして、自分たちにとってどういう存在になるのか。
その程度のことは、怜司にも分かった。
同時に。
自分たちも、彼らについて何も知らない。
だから今のところ、立場は同じだ。
『まずは座ってくれ』
アルトリウスが言った。
『聞きたいことは、互いに多いだろう』
「せやな」
「兄貴……」
「何?」
「いや。もうええ」
怜司たちは席へ着く。
セレスティアも同席する。
フィルネは少し離れた場所へ移動し、先ほど同僚と呼んだ三人の近くへ立った。
角の大男と龍人の男は、アルトリウスの近くに残っている。
その配置を見ていると、ここにいる者たちがこの国の中枢に近い人物だということは自然に分かった。
彰人も同じことを感じているらしく、さっきまでより周囲を注意深く見ている。
怜司も状況は理解した。
ただ、それで態度を変える理由はやはり見つからない。
王でも。
兵士でも。
研究者でも。
話をする相手であることに変わりはない。
アルトリウスが口を開く。
『まず、今回の件について改めて謝罪したい』
怜司は少し首を傾げた。
『我が国の兵が、あなた方を攻撃した』
「ああ。それ?」
『こちらに警戒する理由がなかったとは言わない。未知の裂け目が現れ、その向こうから見知らぬ者が現れた。だが、それだけで攻撃を正当化できるわけではない』
彰人がすぐに答える。
「その話はセレスティアさんともしました。俺らとしても、いきなり知らん世界の人間が出てきたら警戒するのは分かります」
怜司は彰人の言葉を聞きながら、最初に撃たれたときのことを思い出した。
怖かったのだろう。
何がいるかも分からない裂け目。
そこから自分たちが出てきた。
相手からすれば、自分たちの方が異物だった。
攻撃されたこと自体を喜ぶ気はないが、理由は理解できる。
彰人も同じように考えているのだと思う。
「ただ」
彰人の声が少しだけ硬くなる。
「兄貴に効かへんかったから問題ない、って話にはしたくないです」
怜司は彰人を見る。
その言葉には、さっきまでとは違う熱があった。
自分は無傷だった。
だから気にしていなかった。
でも、もしそこにいたのが自分ではなかったら。
彰人が言いたいのは、たぶんそういうことだ。
「せやな」
怜司も小さく頷く。
「次から撃たんといてくれたらええよ」
『もちろんだ』
アルトリウスは真面目に答えた。
その返事を聞いて、怜司の中でこの件はひとまず終わった。
少しだけ場の空気が緩む。
けれど、それは長く続かなかった。
アルトリウスの表情が変わった。
声を荒げたわけではない。
姿勢もほとんど変わっていない。
それでも、それまで来訪者を迎えていた顔とは違う。
怜司はその変化を見て、自然に口を閉じた。
『そして、もう一つ』
アルトリウスが続ける。
『あなた方には、説明しなければならないことがある』
その言葉を聞いた瞬間、怜司の頭に道中の光景が浮かんだ。
川の向こう。
森が途中で途切れ。
地面そのものを巨大な何かで抉り取られたような場所。
「途中にあった、でっかい穴?」
アルトリウスの目が、わずかに細くなった。
『見たのか』
「見たで」
セレスティアが静かに頷く。
『私が、王都で説明すると伝えました』
『そうか』
アルトリウスは一度目を閉じた。
部屋の空気がさらに静かになる。
怜司は周囲を見る。
先ほどまで少し面白そうにこちらを見ていた者たちからも、緩さが消えていた。
ガルディオと思われる角の大男も。
龍人の男も。
フィルネも。
セレスティアも。
全員が、これから語られる内容を知っている。
知らないのは、自分たちだけだ。
アルトリウスが目を開く。
『怜司、彰人』
初めて、二人の名だけを呼んだ。
『あなた方が来た日本という世界について、我々は何も知らない』
彰人も黙っている。
怜司も次の言葉を待った。
『だからこそ、先に伝えておかなければならない』
その声には、王として何かを命じる強さとは違うものがあった。
何度も考えた。
何度も試した。
それでも答えが見つからない者が、それでも決断をしなければならないときの声。
怜司には、そんなふうに聞こえた。
『この国には――』
アルトリウスが一度言葉を切る。
『もう、あまり時間が残されていない』
怜司は何も答えなかった。
隣の彰人も、すぐには口を開かない。
代わりに、王都へ来るまでに見てきたものが頭の中へ浮かんでくる。
荷物を運んでいた者。
火を囲んで食事を作っていた旅人。
集落で遊んでいた子供。
王都の露店で母親に何かをねだっていた子供。
姿も、種族も、日本とは違う。
それでも、普通に暮らしていた。
その国に時間がない。
怜司はアルトリウスを見た。
今度は、先ほどまでのように「若い王だ」とは思わなかった。
目の前にいるのは、自分より少し年上の男だった。
そして同時に。
滅びかけている国の責任を背負っている人間だった。
怜司は何も言わず、その次の言葉を待った。




