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十二神承   作者: 境塚 透
第一章:隔たりの先に
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26/37

残ったもの

26話 初稿


 湯から上がった彰人は、作戦本部へ戻る途中で足を止めた。


 戦っている最中にも、町に被害が出ていることは分かっていた。

 敵性体が建物へぶつかる音も聞いたし、兄が空へ放った一撃の余波を防壁越しに受けたときには、無傷で済むとも思っていなかった。

 それでも、戦闘が終わってから改めて見る町は、朝に見ていたものとは随分印象が違う。


 家がなくなったわけではない。

 大きな建物も残っている。

 清隆が事前に確認していた水路も機能しており、住民が戻れないほど町そのものが壊されたわけでもなかった。

 むしろ、大きなものほど残っていた。

 その代わり、軽いものがない。

 市場に並んでいた簡易な天幕は、骨組みを残して布だけが消えているものもあれば、骨組みごと見当たらないものもある。

 店先に置かれていた木箱や看板は壁際まで飛ばされ、固定の弱かった屋根材もいくつか剥がれていた。

 朝までそこにあったはずのものが、町全体から一段ずつ削ぎ落とされたように消えている。


「……結構やってもうてるやん」


 彰人が呟くと、隣を歩いていたセレスティアも町を見回した。

 戦闘中とは違い、髪も服も整っている。それでも表情には疲れが残っており、普段より僅かに視線の動きが遅かった。


『ですが、建物そのものは残っています』

「まあなぁ」


 彰人も、それは分かっている。

 空から落ちてきていたものを考えれば、これで済んだと言った方がいい。

 ただ、その原因の一部については心当たりがありすぎた。

 道の端に落ちていた板を拾いながら、彰人は少し先を歩いている兄を見る。


「……兄貴」

「ん?」

「これ、半分くらい兄貴ちゃうん」


 怜司も周囲を見る。

 倒壊した家はない。

 飛ばされたものはある。

 少し考えたあと、怜司は首を傾げた。


「星落ちてくるよりマシちゃう?」

「それ言われたら終わりやねん」


 反論できない。

 彰人が溜息を吐く横で、セレスティアが口元を僅かに緩めた。

 怜司の一撃によって星そのものが砕かれたのは事実であり、それがなければ戦闘がいつまで続いていたのかも分からない。

 被害を出した。

 同時に、それ以上の被害を防いだ。

 どちらか片方だけを取り出して責めるような話でもなかった。


「まあ、直したらええか」

「せやろ?」

「兄貴が言うな」


 彰人は拾った板を壁際へ立て掛けると、再び作戦本部へ向かった。

 少なくとも、直せるものが残っている。

 今はそれで十分だった。


     ◇


 夕食には、十二神承だけでなく八傑と三柱も集まった。

 十三将の何人かは治療を受けている。

 戦闘そのものへ復帰できないほどの重傷者はいなかったが、打撲や捻挫を抱えたまま翌日から歩き回らせる理由もない。

 避難指示から戦闘まで休む間もなく動き続けていたこともあり、今夜は回復を優先することになった。


 裂け目周辺の警戒についても、兵と側近たちへ引き継がれている。

 それでも完全に無防備にすることを清隆は嫌ったらしく、食事が始まる少し前、裂け目のヴァルネシア側へ巨大な構造物をいくつも作っていた。

 十メートル四方ほどの塊が複数。

 通路を完全に塞いでいるわけではない。

 だが、何かが強引に通ろうとすれば、まずそれらをどうにかしなければならない配置になっている。


「……あれ、何なん?」


 彰人が食事を取りながら尋ねると、清隆は特に気にした様子もなく答えた。


「障害物だ」

「それは見たら分かる」

「なら問題ない」

「説明を諦めんなや」


 彰人が言っても、清隆は食事を続けている。

 軍の兵士が何人集まれば動かせるのか。

 そもそも人力で動かせるのか。

 聞きたいことはいくつかあったが、今夜そこを通る必要がある者もいない。

 彰人は諦めた。


 食事の席では、明日から何をするかについても話が進んでいた。

 星はなくなった。

 敵性体も処理した。

 しかし、住民を戻せるかどうかは別の問題だった。

 遠目に町を見ただけでも被害は確認できる。

 周辺の森や草地については敵性体が食い荒らした場所もあり、農地や家畜への影響もまだ分からない。

 何より、戦闘中にすべてを見て回れた者などいない。


「まずは調べないと始まりませんね」


 洋一は地図を広げたまま、町と周辺地域へ視線を落としていた。

 昨日まで印を付けていた避難経路の上に、今日は別の情報が書き込まれている。

 破片が落ちた場所。

 敵性体が多く確認された場所。

 建物への被害が目立つ場所。

 まだ確認できていない区域も多かった。


「直せるかどうか考えるのは、そのあとですね」


 今見えている被害だけなら、十二神承の力を使えば復旧できるものも多い。

 だが、見えていないものまで直すことはできない。

 水路が無事でも、その上流がどうなっているかは分からない。

 家畜が残っていても、餌となるものが失われていれば別の問題が起きる。

 建物を元の形へ戻せても、その中で暮らす人間が安全でなければ意味がない。

 洋一が一つずつ挙げるうち、明日やるべきことは自然と調査へ絞られていった。

 今夜は休む。

 負傷した者は治療する。

 疲労が残っている者も回復を優先する。

 そして朝から、町と周辺を分担して確認する。

 それ以上の話は、実際に見てからでよかった。


     ◇


 食事が終わる頃には、さすがに眠気を訴える者も増えていた。

 十二神承だけなら、これまで使っていた場所で何とかなる。

 しかし今夜は八傑と三柱もいる。

 その問題に気づいたフィルネが清隆へ相談した結果、宿泊場所の不足は極めて短時間で解消された。

 文字通り、短時間だった。

 昨日まで壁だった場所に通路が増え、その先にいくつもの部屋が並んでいる。

 彰人は新しく出来た廊下の入口で足を止めた。


「……増えとる」

「必要だったからな」


 後ろから来た清隆は、それだけ言って通り過ぎようとする。

 彰人は慌てて振り返った。


「いや待て待て。なんで一晩泊まるだけの部屋がこんなちゃんとしとんねん」

「使うからだ」

「そういうこと聞いてへんねん」


 扉、寝具を置ける空間、荷物を置く場所。

 最低限とはいえ、個室として成立している。

 昨日まで存在しなかったという一点を除けば、急造したものには見えなかった。

 さらに廊下の奥には、明らかに寝室ではない広い部屋が一つ増えている。


「……あれは?」

「フィルネから依頼された」


 清隆の答えに、彰人がそちらを見る。

 ちょうどフィルネが桜子と話しながら入っていくところだった。

 セレスティアもいる。

 その後ろにはアルネアたちの姿も見えた。


「何の部屋やねん」

「女性だけで話せる場所が欲しいと言われた」

「なんでそこまで対応ええねん」

「作れるから作っただけだ」


 清隆にとっては、それ以上の意味がないらしい。

 彰人は部屋の入口を見た。

 中へ入っていく直前、桜子が一度だけこちらを見た。

 目が合う。

 桜子の口元が、僅かに上がった。


「……なんや」


 嫌な予感がした。

 しかし桜子は何も言わず、そのまま部屋へ入っていく。

 続いて入ろうとしていたセレスティアが彰人に気づき、軽く頭を下げた。


『おやすみなさい、彰人さん』

「あ、はい。おやすみ」


 扉が閉まった。

 

 扉の向こうでは、すでに何人かが思い思いの場所へ腰を下ろしていた。

 清隆が用意したのは、宿泊のための個室とは違い、中央に人が集まれるだけの余裕を持たせた空間だった。

 急造された部屋とは思えないほど整っているが、置かれているものは最低限で、用途を知らずに見れば少し広い休憩室にしか見えない。


「ほんまに作りよったなぁ」


 桜子が呆れ半分に室内を見回すと、フィルネも少し申し訳なさそうに笑った。


『お願いしたときには、もう少し簡単な場所を想像していたのですが……』

「清隆に加減を期待したらあかんで。必要か必要やないかでしか考えへんから」


 そう言いながら、桜子は空いている場所へ腰を下ろした。

 セレスティアも少し離れた場所に座り、アルネアたちとの会話へ加わっていく。

 戦闘が終わってまだ数時間しか経っていない。

 それでも湯に浸かり、食事をして、こうして戦いとは関係のない話ができるだけで、張り詰めていたものは少しずつ解けているようだった。


 フィルネもその輪へ入ろうとして、一度だけ扉の方を振り返った。

 すでに閉じている。

 当然、向こうにいる誰かが見えるわけでもない。

 ほんの一瞬だったが、桜子はそれを見ていた。

 昼間にも似た視線を見た覚えがある。

 本人が何かを口にしたわけではないし、確かめたところで困らせるだけだろう。

 桜子は何も言わず、フィルネがこちらへ戻ってくるのを待った。


「ほら、座り。今日はもう休む日や」

『はい』


 促されたフィルネが隣へ座る。

 その表情を横目で見てから、桜子は小さく笑った。

 まだ、口を挟むような話ではない。

 そう思えるくらいには、微かなものだった。


 閉まった扉を見つめたまま、彰人が呟いていた。


「……なんやねん」

「知らん」

「清隆に聞いてへんわ」


 後ろから返ってきた声に振り向いたときには、清隆はすでに自分の部屋へ向かっていた。


     ◇


 翌朝。

 昨日の戦闘が嘘だったように、空は穏やかだった。

 星堕としの姿はない、黒い落下物もない。

 町の外には戦闘の跡が残っているが、新しく何かが増えている様子もなかった。


 十二神承、八傑、三柱は朝食後に集まり、昨日作った地図を囲んだ。

 調査範囲は広い。

 十二神承だけで分かれることもできるが、それでは現地事情が分からない場所が出る。

 逆にヴァルネシア側だけで確認すれば、昨日まで存在しなかった敵性体や、日本側の技術を前提とした復旧方法を判断できない。

 結果として、双方を混ぜた方が早いという結論になった。

 誰と誰を組ませるかについても、能力だけで決めたわけではない。


 町の周辺を確認するのは怜司、行人、ガルディオ。

 広い範囲を歩く以上、魔物など別の危険へ遭遇する可能性がある。

 ガルディオがいれば現地の生物について判断でき、行人なら調査内容を細かく整理できる。

 そして、その二人がいるなら怜司を放置しても問題ない。

 少なくとも、そういう判断だった。


「俺、一人でもええで?」

「駄目です」


 行人が即座に返した。

 怜司は不思議そうに彼を見る。


「なんで?」

「昨日、星を消した人に聞かれたくないです」

「消してへんで。砕いただけや」

「そこは重要じゃないです」


 ガルディオは二人のやり取りを聞いていたが、何も言わなかった。

 ただ、自分が同行する理由の一つについては理解したらしく、僅かに息を吐いた。


 裏通りや路地を確認するのは彰人とセレスティア。

 大通りから見ただけでは分からない被害を拾うためだった。

 彰人は地図を見てから、隣にいるセレスティアを見る。

 セレスティアも同じように地図を確認していた。


『よろしくお願いします、彰人さん』

「こちらこそ」


 昨日とは違う。

 敵性体はいない。

 避難を急ぐ必要もない。

 彰人は何となく背筋を伸ばした。

 その様子を少し離れた場所から桜子が見ていたが、何も言わなかった。


 公共施設と書庫を担当するのは雅史、智臣、アルディウス。

 記録を見るなら雅史が適任であり、建物内部の構造まで確認するなら智臣の感覚が役に立つ。

 アルディウスは現地側の事情を補足できる。

 何より、雅史とアルディウスだけにすると、興味を持ったものを見つけたときに止める者がいない。


「僕はそんなに無茶しないよ」

「雅史、自覚ないからな」


 智臣の返事に、雅史は少し困ったように笑った。

 アルディウスは否定しなかった。

 それを見た雅史の笑みが僅かに引きつった。


 桜子とフィルネは、児童施設を中心に回る。

 避難先で子供たちの状態を確認し、町へ戻す際に必要なものを整理する役目だった。


「子供らは任しとき」

『はい。よろしくお願いいたします』


 フィルネが柔らかく答える。

 その横顔を桜子は一度だけ見た。

 フィルネの視線が、地図を挟んだ少し向こうへ動いたのを見逃さない。

 そこにいたのは怜司だった。

 ほんの一瞬。

 本人が気づくほど長いものでもない。

 桜子は何も言わず、口元だけを僅かに緩めて地図へ視線を戻した。


 清隆、優斗、ベルンは建物の被害確認。

 実際に壊れた場所を優斗とベルンが確認し、元の形や使い方を現地側から聞いたうえで、清隆が復旧可能か判断する。


 洋一はナーシャ、アルネアとともに行政側を回る。

 避難解除や復興を進めるには、現場だけでなく指示を出す側の整理も必要になる。

 洋一が担当を聞いたとき、ナーシャとアルネアの二人が妙に自然な動きで左右へ立った。


「……僕、選択肢ありました?」


 返事を待つ前に連れていかれる。

 優斗がそれを見送りながら、小さく手を振った。


「頑張ってねー」

「他人事ですね」


 洋一の声だけが少し遠ざかっていった。


 恭平、智希、ミリア、ゼグは家畜や農地、周辺の動植物を担当する。

 敵性体が自然環境まで食べ始めていた以上、建物よりこちらの方が復旧に時間が掛かる可能性もあった。

 智希は説明を聞き終える前から、昨日動物がいた方向を確認している。

 恭平も嫌そうな顔はしなかった。


「動物相手なら、まあ何とかなるっす」

「恭平、追いかけ回さないでよ」

「俺そんなことしないっすよ!」


 智希が笑いながら先へ向かう。

 その後ろをミリアとゼグが続いた。


 最後に良澄、バッシュ、ヴォルグ。

 負傷者の確認と治療を担当する。

 良澄が状態を見る、必要な処置を判断する。

 バッシュとヴォルグは移動の難しい者を運び、治療に必要な作業を手伝う。

 本人たちにそのつもりがあるかは別として、役割だけ見れば医師と看護師に近かった。

 昨日まで戦場に立っていた大柄な二人が、今日は負傷者を慎重に運ぶ。

 その姿を想像した彰人は少し笑いそうになったが、本人たちは真面目だったので口には出さなかった。


 役割が決まる。

 それぞれが地図を持ち、町とその周辺へ散っていった。


     ◇


 調査を始めてみれば、物理的な損害については想像していたほど深刻ではなかった。

 

 清隆たちが確認した建物の多くは、構造そのものを失っていない。

 屋根の一部、窓、扉、壁の一部、市場の簡易な設備。

 昨日の余波で飛ばされたものは多いが、基礎から作り直さなければならない建物は少なかった。

 優斗が一軒の建物を外から眺め、崩れた壁と屋根の位置を確認する。

 ベルンから元の構造を聞き、残っている部分と照らし合わせる。


「清隆さん。ここ、壁がこっちまであって、屋根はこの辺までだったって」


 清隆は二人が示した場所を見た。

 残っている基礎、折れた柱、飛ばされた石材。

 それらを一通り確認したあと、地面へ手を向ける。

 低い振動が伝わった。

 崩れていた石材が持ち上がり、地面から不足している部分が補われていく。

 壁が形を取り戻す。

 柱が立つ。

 最後に屋根を支える部分まで整ったところで、清隆は手を止めた。


「これでいいか」


 ベルンが建物を見る。

 優斗も見る。

 ほぼ元通りだった。


「……便利だねぇ」

「構造が分かれば難しくない」

「普通は構造が分かっても出来ないんだけどね」


 優斗の言葉を清隆は特に気にしなかった。

 建物そのものについては、この方法で相当数を復旧できる。

 木材や布、生活用品まで地殻変動で作れるわけではないが、少なくとも住む場所を失う者が大量に出る状況ではなかった。

 

 一方、町そのものを直す作業とは別に、洋一たちは避難解除後の指揮系統を確認していた。

 住民を戻すとなれば、建物が直っただけでは足りない。

 食料や水をどこで配るのか、負傷者をどこへ集めるのか、使えない道路があれば誰が迂回路を決めるのか。

 王都から届く物資を受け取る窓口も必要になる。

 洋一は現地の役人から話を聞きながら、それらを順番に整理していった。


「では、住民が戻る前に、物資の集積場所だけは決めておきましょう。担当する人も先に決めた方がいいですね。何か起きてから探すより、その方が混乱しません」


 何か特別なことをしているようには見えない。

 相手の話を聞き、必要なことを並べ替え、誰が判断するのかを明確にしているだけだった。

 それだけなのに、話を始めたときには曖昧だった役割が、少しずつ形を持っていく。

 ナーシャはその様子を横で見ながら、時折現地側の事情を補足した。

 アルネアも別の担当者から聞いた情報を持ち帰り、洋一が作っている流れへ加えていく。

 結果として、洋一の左右には自然と二人がいる時間が長くなった。

 本人は気にしていない。

 仕事をしているだけである。

 少し離れた場所を通り掛かった優斗だけが、その光景を見て足を止めた。


「……洋一さん、馴染んでるねぇ」


 左右を見る。

 もう一度、洋一を見る。

 何か言おうかとも思ったが、本人があまりにも普通に仕事をしていたので、優斗はそのまま通り過ぎた。

 あとで彰人には教えておこうと思った。


 別の場所では、彰人とセレスティアが細い路地を歩いていた。

 大通りからは見えなかった瓦礫をどかし、壁の亀裂や排水路の詰まりを確認する。

 昨日のように急ぐ必要はない。

 敵性体もいない。

 それだけで、同じ町を歩いているのに空気が違った。


「ここ、昨日も通ったな」

『はい』


 セレスティアも覚えていた。

 避難経路を確認するという名目で二人が歩いた道だった。

 昨日は店が開いていた、人がいた、子供の声も聞こえていた。

 今は誰もいない。

 それでも建物は残っている。

 彰人は壁へ寄り掛かっていた木箱を元の位置へ戻した。


「戻ってきたら、また同じになるんかな」


 セレスティアは少し先にある建物を見る。


『同じには、ならないかもしれません』


 彰人が彼女を見る。

 セレスティアの表情に悲観した様子はなかった。


『壊れたものがあります。星堕としを見た方もいます。避難した方々も、昨日までとまったく同じ気持ちでは戻れないでしょう』


 少しだけ間を置き、彼女は続けた。


『ですが、戻る場所は残りました』

「……せやな」


 彰人は周囲を見た。

 直せる。

 昨日は、それを守るために戦った。

 なら、今は戻すために動けばいい。


「ほな、ちゃんと見とこか」

『はい』


 少し進んだところで、彰人は見覚えのある角に気づいた。

 昨日、二人で町を歩いたときにも通った場所だった。あのときは店先に商品が並び、人の声が途切れることもなかったが、今は閉じられた扉と片付けきれなかった木箱だけが残っている。


「ここも昨日通ったな」

『覚えています』


 セレスティアも足を止めた。


『この先に、食べ物を売っていたお店がありました』

「あったあった」


 避難のために片付けられたのか、昨日まで掛かっていた看板はなくなっている。

 それでも建物自体に大きな損傷はなく、店先に積もった砂や小さな瓦礫を除けば、営業を再開するのに長い時間は必要なさそうだった。

 彰人はその様子を確認してから、セレスティアを見る。


「戻ってきたら、また行こか」


 言ってから、一瞬だけ考えた。

 昨日も似たような約束をした気がする。

 しかし、セレスティアは戸惑うことなく、小さく頷いた。


『はい。今度は、最後まで』

「……せやな」


 何を最後まで、と確認する必要はなかった。

 昨日は途中で星が来た。

 今日くらいは、町の調査だけで一日が終わってほしい。

 二人は再び歩き出した。

 今度は誰かに邪魔されることもなかった。


     ◇


 農地と家畜を担当した四人は、町から少し離れた飼育場を回っていた。

 敵性体が入り込んだ場所では柵が壊れ、餌として積まれていたものも一部が食い荒らされている。

 それでも、避難前に放たれた家畜の多くは周囲に残っていた。

 問題は、戻すことだった。

 昨日の騒ぎを経験した動物たちは、普段より明らかに警戒している。

 ミリアが近づこうとした一頭が身体を強張らせたのを見て、智希が手で制した。


「ちょっと待って。今行かない方がいい」

『そうなのですか?』

「怖がってるからね。向こうから確認させた方がいいよ」


 智希は距離を保ったまま腰を落とした。

 目を合わせ続けることもせず、無理に手を伸ばすこともしない。

 しばらく待っていると、警戒していた一頭が少しずつ距離を縮めてきた。

 その横では、恭平も別の家畜を柵の方へ誘導している。

 普段の勢いのある動きとは違い、驚かせないよう歩幅まで抑えていた。

 ゼグが二人を見比べる。


『随分、慣れているな』

「好きなんすよ、こういうの」


 恭平が答えた。


「人より分かりやすいっすし」

「それ本人たちの前で言わない方がいいよ」

「動物に?」

「人に」

「そっち?!」


 智希が悪戯っぽく笑う。

 やがて警戒していた家畜が鼻先を近づけてくると、智希はようやく手を差し出した。

 触れるのは、相手がそれを許してからだった。

 ミリアはその様子を見てから、昨日の戦場で神装していた二人を思い返したのか、僅かに首を傾げた。


『昨日とは、随分違うのですね』

「昨日みたいに追いかけたら逃げるでしょ」

「そりゃそうっす」


 二人にとっては当然らしい。

 農地の被害は小さくなかった。

 敵性体に地表ごと削られた場所もあり、すぐに元通りとはいかない。

 それでも生き残った家畜がいる。

 残っている作物もある。

 土そのものが使えなくなったわけでもない。

 時間は必要だが、失われたものだけを見る必要もなさそうだった。


 町の外でも、調査は進んでいた。

 怜司、行人、ガルディオは敵性体が入り込んだ森を中心に歩いている。

 被害は一様ではない。

 何もされていない場所もある。

 一方で、敵性体が集中した場所は木の幹が抉られ、地表まで削られていた。

 怜司はしゃがみ込み、土ごと食い取られた跡を見る。


「何でも食うんやな」

「少なくとも、食べるものを選んでいたようには見えませんね」


 行人は昨日の動きを思い出していた。

 植物、小動物、地面、人間。

 敵性体にとって、それらの違いがどれほどあったのか分からない。

 ガルディオも周辺を確認する。

 魔物が残した痕跡なら、彼にはある程度判断できる。

 しかし、昨日の敵性体が残したものには、既知の魔物と一致しない部分が多かった。


『食うために襲ったのか、襲うために食ったのかも分からんな』

「一緒ちゃうん?」


 怜司が顔を上げる。

 本人にとっては、どちらも相手へ襲い掛かり、その結果として食べるという同じ行動に見えているらしい。

 行人はすぐに否定しかけたが、言葉にする前に足元へ視線を落とした。


「違います。生きるために食べていたなら、食べること自体が目的になります。でも、昨日のあれが相手を壊すために食べていたなら、食べることは手段でしかありません」

「食わんでも壊せるやろ?」

「だから変なんですよ」


 行人は敵性体に削られた地面から、その先へ残る痕跡を目で追った。

 一本の木は幹の半分近くまで抉られているのに、そのすぐ隣の木にはほとんど手が付けられていない。

 地面も同じで、草だけが失われた場所もあれば、根ごと土を持っていかれた場所もある。

 空腹を満たすためだったとしても、何を基準に食べる場所を選んだのかは分からない。

 逆に、破壊することが目的だったのなら、手付かずの場所がこれだけ残っている理由が分からなかった。


『魔物なら、食うものにはある程度の傾向がある』


 ガルディオが、幹を抉られた木へ手を当てた。


『肉を好むもの、草木を食うもの、土中のものを狙うもの。何でも口にする種がいないわけではないが、それでも食えるものと食えんものくらいは選ぶ。こいつらは、それが見えん』


 昨日、敵性体が口にしたものを思い返せば、その言葉の意味は分かる。

 人間も狙った。

 家畜も、小さな動物も狙った。

 木も草も食べ、地表まで削った。

 それでいて、すべてを食い尽くそうとしたわけでもない。


「腹減ってたんちゃう?」


 怜司が何気なく言う。

 行人は一瞬そちらを見てから、すぐには否定しなかった。


「……その可能性もあります。でも、それなら食べたあとに何が変わったのかを見ないと分かりませんね」

「元気になったとか?」

「そういうことです」


 昨日の戦闘中、敵性体が何かを食べるたびに強くなったという印象はない。

 傷が治った様子もなければ、姿が変わった記憶もない。

 ただ、戦場では次々と新しい個体が降ってきていた。

 一体ごとの変化まで追えていた者がいるかは分からなかった。

 行人はその点も記録へ加えた。

 怜司はもう一度、地面の欠けた場所へしゃがみ込む。

 指先で触れることはせず、抉られた形だけを眺めていた。


「食べる必要あったんかな」


 先ほどまでとは少し違う問いだった。

 行人もガルディオも答えない。

 生きるためだったのか。

 動くためだったのか。

 それとも、食べるという行為そのものに別の意味があったのか。

 今ここに残っているのは食い荒らされた跡だけで、それを残した敵性体はもう動いていない。

 答えを出すには、身体そのものを調べる必要がありそうだった。


 怜司は立ち上がり、服につきかけた土を払った。

 その時点では三人とも、それ以上の意味を見つけることはできなかった。


     ◇


 午前中の調査が進むにつれて、復旧そのものについては明るい材料が増えていった。

 農地は一部が荒らされているものの、すべてを失ったわけではない。

 家畜にも被害はある。

 それでも種を維持できないほどではなく、智希たちが確認した範囲では、生き残った動物の状態も悪くなかった。

 公共施設も使える。

 書庫の被害も限定的だった。

 水も確保できる。

 建物については清隆がいる。

 物資が足りなければ王都や日本側から補うことも検討できる。

 時間は必要になる。

 それでも、町を捨てなければならないほどの損害ではない。

 問題は、別の場所から出てきた。


     ◇


 良澄が最初に違和感を覚えたのは、昨日の戦闘で腕を痛めた十三将を診ていたときだった。


 捻挫そのものに、おかしなところはない。

 腫れも想定できる範囲で、骨に異常がある様子もない。しばらく安静にしていれば、時間とともに動かせるようになるだろう。

 気になったのは、怪我とは別の部分だった。


「身体、重くない?」


 尋ねると、十三将の男は少し考えてから頷いた。

 昨日から休む間もなく動いていた。疲労が残っていても不思議ではない。

 良澄も最初は、その可能性の方を高く見ていた。

 ところが、次に診た者にも軽い発熱があった。

 さらに一人。

 今度は昨日の戦闘で目立った負傷をしていない者だった。

 症状そのものは重くない。

 だからこそ、最初から病気を疑うようなものでもなかった。


 良澄はそれまで取っていた記録を並べ直した。

 負傷箇所、昨日いた場所、敵性体との接触、星の破片が落ちた場所との距離。

 どれか一つで全員を括ることはできない。

 それでも、怪我とは無関係な似た反応が複数人に出ている。


「……もう少し診ようか」


 声の調子は変えなかった。

 不安にさせる必要はない。

 バッシュとヴォルグにも普段通り患者を案内してもらい、良澄は診察を続けた。

 そして人数が増えるほど、偶然とは考えにくくなった。

 軽い発熱、倦怠感。

 喉や呼吸に僅かな違和感を訴える者もいる。

 すべてが同じ症状ではない。それでも身体が何かに反応しているという点では似ていた。

 良澄はそこで初めて診察の流れを止めた。


「バッシュさん、ヴォルグさん。今診た人たち、少し離れたところで休んでもらっていい?」


 二人が顔を見る。


「まだ感染する病気だと決まったわけじゃないよ。でも、違うとも言えないから」


 それだけで二人には十分だった。

 患者を不安にさせないよう声を掛けながら、休ませる場所を分けていく。

 良澄は日本から持ち込んだ手袋へ視線を落とし、新しいものへ交換した。


 念のためだった。

 その「念のため」を、今は一つずつ積み重ねるしかない。


 ほどなくして、住民を町へ戻す準備にも一時的な待ったが掛かった。

 原因が分からないまま人を戻し、そこで同じ症状が広がれば、昨日の避難そのものが無駄になりかねない。

 復興へ向けて動き始めていた空気が、そこで一度止まった。


     ◇


 連絡を受けた桜子は、児童施設でフィルネとともに子供たちを見ていた。

 今のところ、ここにいる子供たちに同じ症状は出ていない。

 昨日の戦闘から遠ざけていたことが理由なのか、それとも単なる偶然なのかは分からなかった。

 桜子は遊んでいる子供たちを見た。

 昨日、守るために避難させた、星も砕いた、敵性体もいなくなった。

 それでも、今度は目に見えない何かを気にしなければならないらしい。


「……ほんま、次から次へと」


 愚痴に近い声だった。

 だが、子供たちへ向ける顔には出さない。

 フィルネが近づいてくる。


『良澄さんからですか?』

「せや。まだ何か分かってへんけど、感染するもんやったら面倒や」


 桜子は少し考え、施設の外へ出た。

 昨日のように広い範囲を守る必要はない。

 今守るべきなのは、避難している人間がいる場所だった。


「何が悪さしとるんか分からへんのが、一番やりにくいんやけどなぁ」


 桜子の力が静かに広がる。

 何を防ぐのか、細かな構造まで理解しているわけではない。

 ただ、ここにいる者へ害を及ぼすものを外から持ち込ませない。

 その意図を境界へ重ねる。

 戦闘中に張った防壁のような圧迫感はなかった。

 目に見える壁もない。

 それでも桜子には、守る範囲と、その外側とが分かれていく感覚があった。


「これで完全かどうかは分からへん。せやから、出入りもできるだけ減らそ」

『分かりました』


 フィルネはすぐに頷いた。

 桜子はもう一度、建物の中を見る。

 子供たちはまだ何も知らずに遊んでいる。

 それでいい。

 何が起きているか分かるまでは、大人が気にしていればいい話だった。


     ◇


 良澄のところへ清隆と雅史が合流した頃には、診察を受けた者の記録がかなりの数になっていた。

 机の上には、それぞれの症状だけでなく、昨日どこにいたのか、敵性体と接触したか、何を口にしたかまで書き込まれている。

 良澄自身も何度か見比べていたが、患者を一つに結び付けるものはまだ見つかっていなかった。


「敵性体に触れていない人もいるね」


 雅史が一枚を抜き出し、その隣へ別の記録を置いた。


「うん。戦った人だけでもないよ。こっちの人は避難の誘導をしてただけだし、この人は敵性体が来た頃には建物の中にいたみたい」


 良澄が指した二人には、接触した相手にも行動にも共通点がない。

 清隆は別の記録を確認していたが、やがて机の脇に広げられていた町の地図へ視線を移した。


「飲食物も一致しない」

「僕も聞いてみたけど、同じものを食べた人全員に出てるわけじゃないね」


 食べ物でもない。

 直接触れたことが原因とも限らない。

 原因が一つである保証さえないが、それでも症状が出た者の多くは昨日、戦闘が行われた町か、その周辺にいた。

 清隆は患者がいた場所を地図へ落としていく。

 敵性体が多く現れた場所。

 星の破片が落ちた場所。

 患者が昨日いた場所。

 いくつかは重なるが、すべてではない。


「空気中を移動した可能性もある」

「あると思う。でも、まだ決められないかな」


 良澄は患者の一人へ視線を向けた。

 今のところ、症状が急激に悪化した者はいない。

 それは安心できる材料ではあるが、原因が分からない以上、この先も同じ状態が続くとは限らなかった。


「町に戻すの、止めてもらってよかったよ。これで人が増えてたら、もっと分からなくなってたと思う」


 安堵というより、最悪の状況を一つ避けられたという程度だった。

 桜子が避難先を守っている間に原因を探す。

 良澄は患者を見る。

 清隆は地図を見る。

 雅史は記録を見る。

 三人が別々のものを追っている中で、雅史の視線が地図の一点で止まった。


「敵性体だけじゃないよね」


 清隆が顔を上げる。


「昨日、空から落ちてきたもの」


 敵性体の残骸については警戒していた。

 あれだけ異様な姿をしたものなら、危険があると考える方が自然だったからだ。

 しかし、星そのものを砕いたあとに降ってきた破片については、落下による危険を除けば、ただの残骸として扱っているものもある。


「星の破片か」

「一度、調べた方がいいと思う」


 清隆は地図に記された落下地点と患者の位置をもう一度見比べた。

 完全には重ならない。

 それでも、調べる理由としては十分だった。


「確認する」


 清隆と雅史が原因を追う側へ回り、良澄は患者のもとへ残った。

 その後も、新たに症状を訴える者は数人現れた。

 ただ、桜子が境界を作り、人の出入りを絞ってからは、それまでのように対象が増え続けることはなくなっている。

 良澄は患者ごとの症状を見ながら、自分が生成する薬の内容を変えていった。

 熱が強い者。

 喉の違和感が強い者。

 倦怠感が目立つ者。

 同じ原因だとしても、身体へ出る反応まで完全に同じではない。


 やがて調査を終えたセレスティアとナーシャも加わり、魔法による治療も試され始めた。

 魔法を使えば、それだけですべてが消えるわけではなかった。熱や炎症に近い反応を和らげることはできても、しばらくすると再び症状が現れる者もいる。

 逆に、良澄の薬だけで急に回復するわけでもない。

 だからこそ、一方に任せるのではなく、それぞれが何に作用しているのかを見ながら組み合わせていった。

 治癒魔法で身体への負担を軽くし、その間に薬で症状を抑える。患者自身の回復する力が戻れば、少なくとも悪化する方向からは遠ざけられる。

 原因そのものを取り除いたわけではない。


 それでも、何もできずに見ている状態からは抜け出しつつあった。


     ◇


 原因の一つは、星の破片から見つかった。


 清隆は回収した破片を直接素手では触らず、表面を調べていた。

 材質そのものに、特別なものはない。

 ヴァルネシアで知られている鉱物と完全に同一ではないものも含まれているが、それ自体が生命へ害を与える性質を持っているわけではなかった。

 内部にも、何かを動かすための構造はない。

 少なくとも、砕かれた星の破片だけを見れば、ただの物質だった。

 異常があったのは表面だった。


「雅史」

「うん。見えてる」


 破片そのものではない。

 その表面に付着しているもの。

 極めて小さい。

 単独で何かをしているようにも見えない。

 だが、良澄が患者から確認した異常と照らすと、無関係とは考えにくかった。


「病原体の可能性が高い」


 清隆は断定を避けた。

 未知のものを、既知の名称へ無理に当てはめる理由はない。


「ウイルスに近い構造かもしれないが、現段階ではそう呼ぶ根拠が足りない」


 雅史も頷いた。

 重要なのは名前ではない。

 これが人間へ害を与えるのか、どう広がるのか、どうすれば止められるのか。

 今必要なのはそちらだった。

 桜子の障壁が反応した対象と照合する。

 良澄が確認した患者の状態とも比較する。

 複数の情報を重ねるほど、破片表面に付着していたものが今回の体調不良へ関係している可能性は高くなった。

 清隆は破片を隔離するよう指示した。

 敵性体の残骸についても同様だった。

 それで、一つの問題には道筋が見えた。

 しかし、残骸を隔離する前に確認しておかなければならないことがあった。

 昨日、あれほど大量に現れた敵性体が、そもそも何だったのか。


     ◇


 解体する個体は、比較的損傷の少ないものが選ばれた。

 清隆、雅史、アルディウス。

 三人が並ぶ。

 少し遅れて智臣も来た。


「……この組み合わせ、止める奴いるか?」


 智臣が聞く。


「何を?」


 雅史が本気で分からない顔をする。

 智臣はアルディウスを見る。

 アルディウスも特に問題を感じている様子はない。


「俺、来てよかったな」


 智臣はそれ以上説明しなかった。

 敵性体の外殻は硬い。

 昨日の戦闘でも分かっていたことだ。

 ただし、関節部まで同じ硬さではない。

 そこから開いていけば、内部を見ることはできる。

 清隆は構造を確認しながら解体を進めた。

 筋肉に近いものはある。

 脚や腕を動かすための組織も存在する。

 外から見た形は大きく違っていても、物理的に身体を動かすための仕組みまで完全に未知というわけではなかった。

 食べたものを取り込む器官もある。

 昨日、木や土、動物まで食べていたのだから、それ自体は不思議ではない。

 最初のうちは、異世界の生物を調べているという範囲に収まっていた。

 清隆の手が止まったのは、身体の上部まで確認したときだった。


「……ない」


 それまで一定の手順で内部を確認していた清隆の手が止まった。

 雅史は記録へ向けていた視線を上げる。


「何が?」


「中枢に相当するものが見当たらない」

 清隆は開いた頭部をもう一度確認した。

 口はある。

 外界から何かを受け取るために使っていたと思われる器官もあり、そこから内部へ伸びる細い組織も確認できる。

 神経に近い役割を持つと考えれば、外から得た情報を身体のどこかへ伝えていたとしても不自然ではなかった。


 問題は、その先だった。

 細い組織はいくつかに分かれ、身体の各部へ続いている。

 しかし、どれを追っても情報が集まる場所へ辿り着かない。

 人間の脳と同じ形である必要はない。

 魔物なら、日本の生物とはまったく異なる構造を持っていてもおかしくない。

 それを前提にしても、身体全体の動きをまとめていたと思える器官が見つからなかった。


「この個体だけじゃない?」


 雅史が隣に残されていた別の個体を見る。

 清隆もそちらへ視線を移した。

 個体差なら、それで済む。

 最初に開いたものが損傷していた可能性もある。

 比較するため、今度は頭部周辺の損傷が少ない個体を選び、同じ場所から内部を確認していった。

 結果は変わらなかった。

 形には多少の違いがある。

 それでも、一体目で見つからなかったものは二体目にも存在しない。

 念のために確認した三体目でも同じだった。

 そこで初めて、智臣の表情から軽さが消えた。


「昨日、こいつら逃げてたよな」

「ああ」


 清隆も、何を言っているのかは分かっている。

 智臣がラギアの力を使い、敵性体を呑み込み始めたあと、周囲にいた個体の動きは明らかに変わった。

 近づかなくなっただけではない。

 智臣のいる方向を避け、別の相手へ流れていった。

 偶然同じ方向へ移動したのなら、まだ説明はつく。


 しかし、あれは一度危険を経験したあと、その危険から離れるように行動を変えたように見えた。

 何かを認識した、危険だと判断した。

 そして、自分が向かう先を変えた。

 その一連の行動をしていた身体から、判断を担う場所だけが見つからない。

 アルディウスも、開かれた内部を黙って見ていた。


『ヴァルネシアの魔物にも、このようなものはいない』


 彼が知らないというだけなら、未知の魔物で済ませることもできる。

 だが、清隆が感じている違和感は、既知か未知かという問題ではなかった。

 さらに身体の中央へ確認を進めたところで、別の異常も見つかった。


「循環させる仕組みも足りないな」


 身体の内部には液体があり、各部へ何かを運んでいた痕跡も残っている。

 しかし、人間でいう心臓のような中心となる器官がない。

 一定方向へ送り出し、再び戻すような循環系として見ると、構造が途中で成立しなくなる。


 その代わり、異様なほど発達している場所があった。

 食べたものを取り込む器官だった。

 内部へ入ったものを細かく分解し、そこから得たものを周囲の組織へ直接渡しているように見える。

 身体の各部が必要なものをその場で受け取っていたと考えれば、通常の循環器がないことにも一応の説明はつく。


「食べたものを、そのまま動くための力に変えてた?」


 雅史が内部を見ながら尋ねる。


「可能性はある」


 清隆はそれ以上を断定しなかった。

 ただ、その仮定を置けば、昨日の敵性体が戦闘中にも周囲のものを食べ続けていた理由は少しだけ見えてくる。

 森で確認した痕跡とも一致する。

 木でも、動物でも、地面にあるものでも構わない。

 必要なのが食物そのものではなく、身体を動かすために変換できる何かだったのなら、対象を選ばなかったことにも意味が生まれる。

 しかし、それで説明できるのは、どうやって動き続けていたかという部分だけだった。

 どこへ向かうのか、何を襲うのか、何を危険と判断するのか。

 それを決める仕組みについては、身体を開けば開くほど、むしろ分からなくなっていく。


 智臣は解体された頭部をしばらく見ていた。

 昨日まで動いていたもの。

 自分を避けたもの。

 目の前にある身体だけを見れば、その二つが同じものだとは思いにくい。


「……これ、生き物って言っていいのか?」


 問い掛けられても、清隆はすぐには答えなかった。

 雅史も同じだった。

 生物の定義が日本とヴァルネシアで同じである必要はない。

 だから、構造が異質だというだけで否定することもできない。

 それでも三人が見つけたものは、未知の生物という言葉だけで片付けるには、あまりにも必要なものが抜け落ちていた。


     ◇


 午後になって、調査へ出ていた者たちも順次戻ってきた。

 復興についての報告は、全体として悪くない。

 建物は直せる、水も確保できる、農地や自然環境は時間が必要だが、回復できないほどではない。

 家畜も残っている、行政側の指揮系統も機能している。


 住民を戻すまでに必要な作業は多いが、何から手を付ければいいか分からない状況ではなかった。

 病気についても、広がりを抑える方法は出来た。

 症状が出た者への治療も始まっている。

 昨日の夜に想像していた問題の多くは、少なくとも解決へ向かっている。


 だからこそ、清隆たちが持ち帰った情報だけが異質だった。

 敵性体の構造。

 脳に相当する中枢がない。

 心臓に相当するものもない。

 食べたものを直接利用して身体を動かしていた可能性がある。

 それだけなら、そういう生物だと考えることもできる。

 異世界なのだから、日本の生物と同じ構造である必要はない。

 問題は、昨日の行動だった。


「智臣を避けたんですよね」


 行人が確認する。


「ああ」


 智臣が頷いた。


「途中から明らかに寄ってこなくなった」

「それだけじゃないね」


 優斗も昨日の戦場を思い返す。


「強いところを避けて、十三将の方へ流れてた。たまたまって感じじゃなかったよ」


 危険を避けた、相手を選んだ。

 遠距離を得意とするセレスティアへ接近した。

 自然環境へ向かった個体もいる。

 何らかの基準で行動を変えていたことは間違いない。

 しかし、その判断をするための器官がない。


 清隆は腕を組んだまま、集めた情報を頭の中で組み直している。

 雅史も同じだった。

 答えを急いで出そうとはしない。

 分からないことを、分かったことにする必要はない。


 少し離れた場所では、怜司が解体された敵性体を覗き込んでいた。

 中身を見ても、何が何なのかは分からない。

 清隆から説明された構造も、細部まで理解しようとはしていなかった。

 それより、昨日見たものを思い返していた。

 落ちてきた、襲ってきた、食べた。

 智臣から逃げた、別の相手を選んだ。

 何度倒しても、星から新しいものが降りてきた。

 怜司はしばらく敵性体を見ていた。


「……なんか変やな」


 彰人が兄を見る。


「何が?」

「いや」


 怜司自身にも、まだ言葉になっていない。

 だから少し考える。

 考えたところで、清隆のように身体の構造を説明できるわけではない。

 それでも、昨日から引っ掛かっていたものが、今聞いた話とどこかで繋がった。


「こいつら、自分で動いてたんかな」


 部屋の空気が変わった。

 清隆が怜司を見る。

 雅史も顔を上げた。

 智臣は、解体された敵性体へ視線を戻す。


「……どういう意味?」


 彰人が尋ねる。

 怜司は困ったように頭を掻いた。


「知らん」

「知らんのかい」

「せやけど、考えるとこないんやろ?」


 清隆を見る。


「ああ」

「ほな……」


 怜司は解体された敵性体を見る。

 頭部らしき場所、清隆が中枢はないと言った場所。

 そこを見ても、怜司に構造の良し悪しは分からない。

 だから思い出したのは、昨日の動きだった。


「こいつ、何見て逃げたんやろ」


 智臣が顔を上げた。

 怜司は彼を見る。


「ラギ出したあと、お前んとこ来んようになったやろ?」

「ああ」

「怖かったから逃げたんやろ?」

「たぶんな」

「でも、怖いって思うとこないんやろ?」


 最後の問いは清隆へ向いた。

 清隆はすぐには答えなかった。

 解体した個体を見る。

 脳に相当する中枢はない。

 少なくとも、彼らが知る生物の構造として、恐怖を認識し、対象を比較し、逃げる先を選択するための器官は見つかっていない。


「現時点では、見つかっていない」

「ほな、変やん」


 怜司が言ったのは、それだけだった。

 誰かが操っているとも言わない。

 何者かの意思があるとも言わない。

 ただ、身体の構造と、昨日、目の前で見た行動が合っていない。

 行人も黙って敵性体を見る。


 昨日、確かにあれらは相手を選んでいた。

 危険な場所を避け、より攻撃しやすい場所へ流れた。

 もし、その判断をするものが身体の中にないのなら。

 何が、智臣を見ていたのか。

 答えは出なかった。

 出ないまま、昨日までとは違う疑問だけが残った。


 外では、復旧作業が続いている。

 子供たちのいる場所には桜子の障壁が張られ、体調を崩した者たちには治療が始まっている。

 清隆が直した建物も増えた。

 明日になれば、住民を戻すための準備もさらに進むだろう。

 町は元へ戻ろうとしていた。

 その一方で、昨日まで知らなかったものだけが、少しずつ形を持ち始めている。


 星から降ってきたものは、本当に生き物だったのか。


 もし違うのなら。

 何が、あれを動かしていたのか。


 その答えだけは、まだどこにもなかった。

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