終わらないなら
怜司は、空に浮かぶ巨大な星を見上げていた。
地上では今も戦闘が続いている。
敵性体の数は減っていない。
恭平や智希が桜子の防壁へ近づく個体を優先して処理し、優斗が上空を飛ぶものを射抜いている間にも、星堕としの表面から新しい落下物が剥がれ、町の周囲へ降り注いでいた。
一体ずつを見れば、それほど問題になる相手ではない。
少なくとも十二神承にとってはそうだった。
先ほどから怜司自身も、近づいてきたものを何体か弾き飛ばしている。
相手の身体が多少硬かろうが、脚が多かろうが、頭らしき場所を壊しても動こうが、それ自体は大した問題ではなかった。
問題なのは、その数だった。
倒しても、次が来る。
飛ばしても、また別のものが来る。
少し離れた場所では彰人が大型の敵性体を相手にしており、その向こうではガルディオと八傑が複数の個体を処理している。
それぞれが確実に数を減らしているはずなのに、戦場全体を見れば、むしろ黒い影が占める面積は広がっていた。
怜司は空から視線を戻し、近づいてきた一体の頭部を手の甲で払った。
黒い身体が横へ飛び、別の敵性体を巻き込みながら地面を転がっていく。
その先にもいる。
さらに向こうにもいる。
「……めんどいなぁ」
口から出たのは、怒りではなく純粋な感想だった。
怖いわけでもなければ、倒せないわけでもない。ただ、終わりが見えない。
掃除をしている横から誰かが新しいゴミを撒き続けているようなもので、いくら一つ一つを片付けられても、作業そのものが終わらないのなら面倒だという感想しか出てこなかった。
もう一度星を見る。
あれをどうにかすれば終わる。
そこまでは、怜司にも分かる。
ただ、空に浮かぶ巨大なものを壊せば、それで何もかも解決するのかまでは分からない。
あれだけの大きさのものを粉々にすれば、当然その破片は下へ落ちるだろうし、その下には町がある。
だから今のところは、近づいてくるものを適当に払っていた。
急いで何かをする必要があるとも思っていなかった。
少なくとも、その時までは。
◇
変化に最初に気づいたのは、敵性体の動きを広く見ていた者たちだった。
星から落ちてくる個体の多くは、これまで十二神承や八傑、十三将たちへ向かっていた。
何を基準に攻撃対象を決めているのかは分からない。視覚に頼っているようには見えない個体もいる。
それでも、こちらが敵として認識されていることだけは間違いなく、地面へ降りた敵性体は近くにいる者へ向かってくることが多かった。
ところが、数が増えるにつれて、その動きから外れる個体が現れ始めた。
「……待って」
智希が敵性体の一体を蹴り飛ばしながら、別方向へ顔を向けた。
町とは反対側。
そこに人はいない。
避難対象となった住民はすでに王都へ向かっており、周辺の村にも残っている者はほとんどいない。
それでも敵性体の数体は、戦っている者たちを無視するように、その方向へ走っていた。
最初は、戦場から離れようとしているようにも見えた。
違うと分かったのは、その一体が道端に生えていた木へ飛びついたときだった。
黒い口が幹へ食い込む。
硬いはずの樹皮が音を立てて砕け、その内側まで一度に抉られた。
「……食べてる?」
智希が目を細める。
別の一体は草地へ頭部を沈めていた。
草だけではない。
表面の土ごと削り取るように口を動かし、その下にある根や小さな生物まで区別せず飲み込んでいく。
さらに遠くでは、飛行型の一体が木の枝へ降り、そこにいた小動物へ襲いかかった。
智希の表情から、それまで残っていた軽さが消えた。
「ちょっと、それは駄目だよ」
敵性体が何を目的としているのかは分からない。
空腹なのか。
身体を維持するために何かを取り込んでいるのか。
それとも、食べているように見える行動そのものに別の意味があるのか。
今の段階では判断できない。
ただ、このまま放置すれば人のいない場所だから安全だとは言えなくなった。
町を守れても、その周囲から生き物が消えれば、住民が戻ったあとに困る。
畑だけではない。
森も、草地も、そこに暮らす動物も、この土地の生活を作っているものの一部だった。
「恭平! そっち抜けてる!」
「見えてるっす!」
恭平が方向を変えた。
防壁へ向かっていた個体を一体仕留め、その勢いを殺さないまま森へ向かう敵性体の前へ回り込む。
狼の神装を纏った身体が黒い群れの間を抜け、先頭の個体を横から弾き飛ばした。
だが、それまで町へ向かうものだけを優先していればよかった状況とは違う。
守らなければならない範囲が、急に広がった。
桜子も防壁の内側からその変化を見ていた。
全方位へ広げた防壁には、今も敵性体が断続的にぶつかっている。
良澄の支えがあることで意識の偏りは抑えられていたが、神装を維持しながら広範囲へ力を展開し続けることそのものが、なくなるわけではない。
額に浮いた汗を拭う余裕もなく、桜子は周囲を確認した。
「今度はそっちまで行くんか……」
町だけなら、守る場所を決められる。
地下施設なら、さらに範囲を絞れる。
だが、森や草地まで同じ防壁で囲うことはできない。
出来るか出来ないかだけで言えば、桜子自身にも分からなかった。
少なくとも今より遥かに広い範囲へ力を伸ばす必要があり、敵性体の攻撃を受けながら試すようなことではない。
しかも、星から落ちてくるものは今も増えている。
「良澄」
「大丈夫です。まだ安定してます」
桜子が聞きたいことを察し、良澄が先に答えた。
彼自身にも疲労はある。
桜子の状態を整えながら、自分の神装も維持している。
時折防壁の近くまで来た敵性体を処理する必要もあり、先ほどまでのように支援だけへ集中できる状況でもなくなっていた。
それでも声には余裕を残している。
桜子は一度だけ頷き、再び防壁の外へ意識を向けた。
まだ守れる。
しかし、このまま何時間続いても同じことが言えるかと聞かれれば、答えは変わる。
◇
戦場の広がりを見ていた智臣は、自分の近くへ飛び込んできた敵性体を横へ流し、その身体を別の一体へぶつけた。
倒れた二体へ追撃はしない。
その必要がないと判断したからだった。
すぐ横からガルディオが踏み込み、二体まとめて武器の間合いへ入れる。
その結果を確認するより先に、智臣は別方向を見ていた。
敵性体が広がりすぎている。
これまでは地上へ降りたものを、近くにいる者が処理すればよかった。
今は違う。
森へ入るもの。
防壁へ向かうもの。
戦っている者へ襲いかかるもの。
そのすべてを個別に追い始めれば、こちらの人数の方が先に足りなくなる。
「……面倒だな」
智臣の感想も、怜司とそれほど変わらなかった。
ただし、出した答えは違った。
神気が智臣の周囲へ広がる。
近くにいたガルディオが、その変化を感じ取って一瞬だけ振り返った。
智臣の背後へ浮かび上がったのは、海を思わせる青ではなかった。
光の届かない場所。
深く、さらに深く潜った先にあるような暗さが、地面の上へ形を持って現れる。
その奥から、巨大な影が浮かび上がった。
鯱。
しかし、海面を泳ぐ生き物として見るには、その存在感はあまりにも重い。
ラギアの姿が神気の中に現れ、その輪郭が智臣へ重なるにつれて、周囲の空気まで変わっていく。
神装が形を成した。
智臣は自分の姿を確認することなく、正面へ手を向ける。
「ラギ」
呼びかけに応じるように、彼の背後にあった暗さが広がった。
地面へ穴が開いたわけではない。
それでも、そこだけ世界が深く沈んだように見える。
底は見えない。
奥行きすら分からない。
ただ、その内側に何かがいることだけは、見ている者にも理解できた。
最初に敵性体の一体が呑まれた。
黒い身体へ何かが触れたように見えた次の瞬間、その半分が消えている。
引き千切られたというより、食い取られた。
続いて二体、三体。
智臣が前へ進むたび、敵性体の群れに不自然な空白が生まれていく。
それまで一体ずつ倒していた戦い方とは違った。
密集している場所ほど、処理が速い。
逃げ場を失った敵性体が方向を変えようとするより先に、深淵から伸びた何かが身体を捉え、そのまま暗がりへ引きずり込んでいく。
「相変わらず、えげつないな……」
彰人が遠目に見ながら呟いた。
智臣本人は淡々としている。
敵性体を食べているのは自分ではないと言いたげな顔で、密度の高い場所を選んではラギアの権能を向けていく。
効果は明確だった。
智臣の周囲だけ、敵性体が急速に減っていく。
そして、しばらくすると別の変化が起きた。
「……避けてる?」
優斗が矢を引いたまま、敵性体の流れを追った。
新しく落ちてきた個体が、智臣のいる方向へ進もうとして途中で止まる。
目があるようには見えない。
それでも身体を低くし、数歩後退すると、別方向へ走り始めた。
一体だけではなかった。
智臣へ近づいた敵性体ほど、同じような動きを見せる。
深淵に呑まれる仲間を見て学習したのか。
ラギアの存在そのものから何かを感じ取っているのか。
その判断まではできない。
ただ、敵性体が危険を避けようとしていることだけは明らかだった。
「怖いんだろうね」
雅史が戦場を見ながら言った。
敵性体にも恐怖と呼べる感情があるのかは分からない。
しかし、生物として生存を優先する本能があるのなら、自分たちを大量に捕食する存在から離れることは不自然ではない。
そして、生き残るために危険な相手を避けるのなら、その次に起こることも難しくはなかった。
智臣から離れた敵性体が、別の場所へ集まり始める。
十二神承の中でも、神装している者を避ける個体が増えた。
桜子の防壁へ直接突っ込む数も僅かに減る。
恭平や智希へ正面から向かう個体も少なくなった。
代わりに、その流れが向かった先にいたのは八傑だった。
◇
最初に狙われた八傑の一人は、三体の敵性体が同時に向きを変えたことにすぐ気づいた。
驚いて動きを止めることはない。
一体目が間合いへ入る前に踏み込み、その攻撃を潰す。
倒すことより、次に来る二体を同じ方向へ置かないことを優先した。
一体目を身体ごと押し込み、二体目の進路を塞ぐ。
残った一体が側面へ回ろうとしたところへ武器を合わせ、その動きを止めた。
そこへ別の八傑が入る。
言葉を交わす必要はなかった。
一人が複数に狙われているなら、空いている者が穴を埋める。武門の者として積み重ねてきた経験は、相手の姿が人間から大きく外れていても失われるものではない。
それでも、敵性体はさらに増えた。
四体、五体。
別方向からも回り込んでくる。
八傑の動きに余裕がなくなったわけではない。
攻撃を受ける前に潰す。
囲まれる前に位置を変える。
一人で処理し切れなければ近くの者と連携する。
敵性体が狙う相手を変えたことで処理する数は増えたが、武門の頂点に近い者たちが、それだけで簡単に崩れることはなかった。
問題は、そのさらに外側だった。
「十三将の方へ流れてます!」
行人の声に、洋一が視線を向ける。
避難指示を終えた十三将も、今は町周辺の前線へ加わっている。
彼らも弱いわけではない。
軍を率いる立場にあり、自分の身を守る程度の戦闘能力しか持たない者たちでもなかった。
だが、八傑とは経験してきた戦いの種類が違う。
正面から来る敵へ対応する。
味方と隊列を組んで戦う。
指揮下の兵を動かす。
そうした戦いなら、十三将の方が慣れている者もいる。
しかし、今襲ってきている敵性体は隊列を作らない。
命令を待つ様子もなく、地上と上空から好き勝手な方向で接近し、一体を防いでいる間に別の個体が背後へ回る。
一対一なら問題にならない相手でも、それが四方から同時に来れば話は変わる。
十三将の一人が正面の個体を切り伏せた。
その瞬間、右側から低い姿勢で飛び込んできた別の個体が腕へ食らいつく。
すぐに振り払い、致命傷にはならない。
だが、黒い外殻の先端が防具の隙間を擦り、血が滲んだ。
さらに後ろから一体が迫る。
そこへ一本の矢が飛んだ。
敵性体の身体が横へ弾かれ、そのまま地面を転がっていく。
「後ろも見て!」
優斗は次の矢を番えながら、別方向へ身体を向けた。
一人だけを助けている余裕はない。
十三将の周囲へ敵性体が集まり始めたことで、遠距離から補える優斗の役割が一気に増えていた。
射抜く、次を探す。
味方の動きを確認し、最も危険な位置へいる個体から落としていく。
それでも、すべてを一人で見ることはできない。
「清隆さん!」
「見えている」
地面が隆起した。
十三将の側面へ回り込もうとしていた敵性体の前に土の壁が立ち上がり、その進路を強引に塞ぐ。
壁へ衝突した個体の動きが止まったところへ、雅史が入った。
白象の力を纏っていなくても、彼自身が戦えないわけではない。
敵性体を真正面から受け止め、十三将から引き離す。
「一人で全部見なくていいので、近くにいる人と背中を合わせて」
雅史は敵性体を押し返しながら、負傷した十三将へ声を掛けた。
命令するような強さではない。
それでも、何をすればいいのかは明確だった。
相手が人間の戦い方をしてくれないのなら、自分たちの側で死角を減らせばいい。
十三将たちはすぐに配置を変えた。
負傷した者を内側へ置き、複数で周囲を見る。
そこへ雅史が加わり、優斗が遠距離から穴を埋め、清隆が地形そのものを使って敵性体の進路を限定する。
崩壊は防げた。
だが、それは十二神承の手を新しく使わなければ維持できなくなったということでもあった。
洋一はその変化を、戦場の中央から見ていた。
桜子は防壁を維持している。
良澄はその支援から離れられない。
恭平と智希は防壁へ近づく敵性体を処理している。
智臣が大量に減らした結果、敵性体は彼を避けて別の場所へ流れた。
その流れを受けて、優斗、清隆、雅史まで十三将の支援へ回っている。
まだ誰も倒れてはいない。
十三将には負傷者が出始めているが、致命的なものではない。
戦線そのものも維持されている。
それでも、状況が良くなっているとは言えなかった。
こちらが一つ対処するたび、敵性体の流れが別の場所へ移る。
そのたびに誰かが穴を埋める。
穴を埋めた者がいた場所には、別の負担が生まれる。
今は対応できている。
だが、この状態を続ける限り、いつか誰かの手が足りなくなる。
洋一は再び空を見上げた。
供給元は、何一つ変わっていなかった。
◇
敵性体が狙う対象は、さらに変わり始めた。
八傑を避ける。
十二神承の中でも強い神気を纏っている者を避ける。
智臣の深淵には、明確に近づこうとしない。
そうして戦場の中から少しでも危険の少ない相手を探すようになった結果、黒い群れの一部が三柱のいる場所へ向きを変えた。
最初に気づいたガルディオは、特に反応を変えなかった。
一体が正面から飛び込んでくる。
武器を振るう。
黒い身体が砕ける。
横から来た二体目には身体ごと踏み込み、相手の勢いを利用して地面へ叩きつけた。
敵性体の爪が腕を掠めても、それで動きを止めることはない。
防具へ傷が増えようが、皮膚が僅かに裂けようが、本人が気にしていない以上、戦闘への影響もほとんどなかった。
『次』
低く呟き、次の個体へ向き直る。
単純な身体能力だけを見れば、敵性体にとってガルディオを選んだことは明らかな間違いだった。
しかし、すべての個体が同じ相手へ向かったわけではない。
その少し離れた場所では、セレスティアが複数の敵性体へ向けて手を伸ばしていた。
空気中に魔力が集まり、小さな光がいくつも生まれる。
大規模な魔術ではない。
周囲には味方がいる。
地面には倒れた敵性体が散らばり、町も近い。
威力を広げすぎれば、敵だけではなく周囲まで巻き込む。
だから一体ずつ狙う。
放たれた光が敵性体の外殻を貫き、続けて別の一体を弾き飛ばした。
距離があるうちは問題ない。
セレスティアの得意とする間合いだった。
だが、敵性体の数が増えれば、そのすべてを近づく前に処理できるわけではない。
一体を撃ち抜いた陰から、小型の敵性体が飛び出した。
低い。
地面すれすれを走り、倒れた個体を盾にするように進んでくる。
セレスティアが気づいたときには、すでに魔術を放つには近すぎる距離まで入られていた。
彼女は後ろへ下がりながら、別の魔術を組み立てる。
戦えないわけではない。
三柱の一人として戦場へ立ってきた以上、近づかれただけで何もできなくなるほど脆弱でもなかった。
ただ、得意な距離ではない。
小規模な魔術で一体を押し返した直後、その側面から二体目が跳んだ。
そこへ、横から人影が割り込んだ。
敵性体の爪が届く直前、彰人の腕がその軌道へ入る。
受け止めるのではない。
触れた瞬間に力の向きを変え、敵性体自身の勢いを利用して身体を流す。
前へ飛び込んでいた黒い身体が向きを変え、そのまま地面へ叩きつけられた。
彰人は止まらない。
後ろから来たもう一体の攻撃へ身体を合わせ、再び力を逸らす。
相手が崩れたところへ短い一撃を入れ、動きを止めた。
『彰人さん』
「そっちそのまま撃って!」
振り返る余裕はなかった。
セレスティアもすぐに意図を理解した。
彰人が前へ入ったことで、距離が出来る。
それだけあれば十分だった。
彼の肩越しに光が飛び、さらに接近していた敵性体を正確に撃ち抜く。
彰人はその光が自分へ当たらないことを疑っていない。
セレスティアも、彰人が射線から外れることを前提に魔術を放っていた。
一体、また一体。
彰人が近距離を受け持ち、セレスティアがその後ろから処理する。
役割が分かれたことで、先ほどまでより明らかに効率は上がった。
ただし、彰人の仕事量も明らかに増えた。
「なんでこっちばっか来んねん!」
敵性体の腕を流しながら、思わず声が出る。
智臣のいる方へ行きたくないのは分かる。
神装した恭平や智希を避けたいのも分からなくはない。
だからといって、その結果が自分のところへ集中することに納得できるかは別の話だった。
セレスティアへ向かった一体を止める。
自分へ来た一体を返す。
さらに横から来たものへ身体を向ける。
自分だけを守ればいいなら、もっと簡単だった。
今は後ろへ通さないことまで考えなければならない。
『彰人さん、私も近距離で――』
「ええから! セレスティアさんは後ろから撃って!」
少し強い言葉になった。
セレスティアが一瞬だけ目を見開く。
彰人自身も、言ってから気づいた。
「……いや、別に戦えへん言うてるんちゃうで」
『分かっています』
「ならええけど」
説明している場合ではない。
新しく飛び込んできた敵性体へ向き直り、伸びてきた腕へ自分の手を合わせる。
力を受ける、流す、崩す、そこへ打ち込む。
普段なら相手の動きを見てから最も効率のいい場所へ返せばいい。
今は違う。
どの方向へ飛ばすかまで考えなければ、後ろにいるセレスティアへ向かう可能性がある。
「……めっちゃしんどいやんけ!」
思わず本音が漏れた。
背後から小さな笑い声が聞こえた気がしたが、確認する余裕はなかった。
彰人が何のためにそこへ入ったのかは、本人が一番よく分かっている。
視界の端にセレスティアへ迫る敵性体が見えた瞬間、考えるより先に身体が動いていた。
今さら元の場所へ戻るという選択肢もなかった。
◇
洋一は、彰人とセレスティアの位置まで確認すると、短く息を吐いた。
持っている。
まだ全員が持っている。
だが、最初に戦闘を始めたときより余裕が減っている。
敵性体そのものが急激に強くなったわけではない。
こちらが弱くなったわけでもない。
単純に、処理しなければならない場所が増えすぎていた。
このまま続ければ、最初に限界が来るのは十三将かもしれない。
桜子の体力が先に尽きる可能性もある。
誰か一人の集中が僅かに切れ、そこから崩れることも考えられる。
そうなるまで待つ理由はなかった。
洋一は星堕としを見る。
巨大な本体から、今も敵性体を収めたものが落ち続けている。
あれがある限り終わらない。
なら、残しておく必要もない。
そして、それを処理できる者について、十二人の間で話し合ったことは一度もなかった。
必要がなかったからだ。
洋一は少し離れた場所にいる怜司を探した。
敵性体の一体を適当に横へ飛ばしたところだった。
「怜司!」
「ん?」
呼ばれた怜司が振り返る。
洋一は空を指した。
「撃って大丈夫です」
怜司が止まった。
戦場では今も敵性体が動き、あちこちから衝撃音が聞こえている。
その中で、彼だけが一瞬何を言われたのか確認するように洋一を見た。
「ええの?」
「はい」
「ほんまに?」
念を押されたことで、洋一は僅かに眉を動かした。
「何をするつもりだったんですか」
「いや、壊したら早いやろなとは思っててんけど」
「それなら壊してください」
「破片落ちるで」
「それはこちらで処理します」
怜司は空を見る。
もう一度、洋一を見る。
洋一は頷いた。
「……ほな、ええか」
その声を聞いた彰人の顔が上がった。
「ちょっと待て兄貴!」
彰人の声が戦場へ響いた。
セレスティアへ向かっていた敵性体を一体流しながら、視線だけを怜司へ向ける。
「お前今、何しようとしてんねん!」
「撃つ」
「それは聞こえとったわ!」
彰人が叫んだのと、怜司が星へ身体を向けたのはほとんど同時だった。
次の瞬間。
足元が揺れた。
敵性体の着地による振動ではない。
大型個体が倒れた衝撃でもない。
もっと広い。
地面の一か所から伝わってくるのではなく、町の周囲そのものが低く唸ったような震えが足元を抜けていく。
桜子が顔を上げた。
「……怜司?」
怜司の周囲に、目立った光はない。
神装もしていない。
何か大きな構えを取ったわけでもなかった。
ただ、星を見上げている。
それだけなのに、周囲の空気が少しずつ変わっていく。
近くにいた敵性体の一体が、怜司へ向かう途中で足を止めた。
理由が分かったわけではない。
それでも、先ほど智臣の深淵を前にした個体と似た反応を見せ、身体を低くしたまま後退する。
空気が重い。
呼吸が出来なくなるような圧迫感ではない。
むしろ逆だった。
怜司を中心として、周囲の空気が外側へ押し退けられている。
地面に落ちていた砂が僅かに浮き、そのまま外へ滑っていく。
さらに震えが強くなった。
「ちょ、ちょい待ちぃや!」
桜子がようやく状況を理解した。
「今から!?」
「洋一がええ言うたで」
「そこちゃうわ!」
怒鳴り返しながら、桜子は防壁へ向けていた意識を切り替えた。
敵性体を外から入れないための防壁。
それだけでは足りない。
「全員戻って! 早よ!」
桜子の声色が変わったことで、恭平と智希がすぐに動いた。
敵性体を倒すことより、味方を防壁の内側へ戻すことを優先する。
八傑にも声が飛ぶ。
十三将にも撤退を伝える。
何が起きるのか理解できていない者もいたが、十二神承側の反応を見れば質問している場合ではないことだけは分かった。
『何が起きる』
ガルディオが敵性体を退けながら尋ねる。
「兄貴が撃つ!」
彰人が答えた。
『それは聞こえた』
「せやから逃げんねん!」
説明になっているようでなっていない。
それでも彰人はセレスティアの腕を取ると、防壁の内側へ向かって走り始めた。
『彰人さん、自分で走れます』
「知ってる! 今は急いで!」
セレスティアもそれ以上は言わなかった。
周囲の変化は、彼女にも分かっている。
怜司が何をしようとしているのかは知らない。
ただ、星堕としではなく、地上にいる一人の人間を原因として大地が震えている。
それだけで十分だった。
清隆は十三将を内側へ誘導しながら、桜子の防壁を見る。
「桜子。上面だけでは足りない」
「分かっとる!」
星から落ちる破片を防ぐためなら、上空を厚くすればいい。
今から来るものは違う。
衝撃がどの方向へ抜けるのか分からない。
桜子は歯を食いしばり、防壁全体へ力を回した。
「良澄!」
「見てます。呼吸だけ合わせてください」
良澄の神気が再び広がる。
疲労そのものを消すことはできない。
それでも、今この瞬間に桜子の集中を乱させないことならできる。
恭平と智希も防壁の内側へ入った。
智臣が最後に深淵を閉じ、近くにいた八傑を連れて戻る。
洋一は全員の位置を確認した。
「優斗!」
「あと二人!」
離れていた十三将の二人が走っている。
その背後から敵性体が迫った。
優斗の矢が二本続けて飛び、追っていた個体を地面へ縫い止める。
二人が防壁へ飛び込んだ。
「入ったよ!」
「桜子!」
「閉じるで!」
防壁が完成する。
それまで敵性体を防ぐために展開されていたものより、さらに厚い。
清隆もその内側へ地面を隆起させ、衝撃を受けるための層を作る。
雅史も周囲を確認し、まだ外に残っている者がいないことを確かめた。
その間にも、大地の震えは続いている。
防壁の外側では、取り残された敵性体が再び集まり始めていた。
だが、もう誰もそちらを見ていない。
視線は一つの方向へ向いている。
防壁の外。
そのさらに向こう。
星を見上げたまま立っている怜司へ。
「……兄貴!」
彰人が声を張った。
「まだやぞ!」
「分かってるって」
「兄貴の分かってる信用ならんねん!」
「ひどない?」
返事だけは、いつもの怜司だった。
しかし、その周囲で起きていることは何一ついつも通りではない。
怜司が右手を上げた。
空にある巨大な星へ向ける。
掌を向けるわけではない。
大きく振りかぶるわけでもない。
ただ、そこにあるものへ狙いを定めるように腕を伸ばした。
それだけで、空気の流れが変わった。
星と怜司。
その間にある空間から、何か余計なものが排除されていく。
神気を感じ取れる者ほど、何が起きているのか理解できなかった。
力が集まっている。
そう表現することはできる。
だが、どこから集めているのかが分からない。
怜司自身から溢れているようにも見える。
周囲から吸い上げているようにも見えない。
ただ、そこに存在する力の密度だけが上がっていく。
ガルディオは防壁の内側から、その姿を見ていた。
先ほどまで敵性体を指で弾いていた男と同じ人間には見えない。
姿は変わっていない。
神装もしていない。
それでも、本能に近い場所が警告を発している。
近づくべきではない。
あれの前に立つべきではない。
そして、今から放たれるものの先にいてはいけない。
『……あれを』
ガルディオの声が僅かに低くなった。
『あれを、星へ向けるのか』
「たぶんな」
彰人が答えた。
『たぶん?』
「兄貴やからな……」
それ以上説明できる言葉がなかった。
桜子は防壁を維持しながら叫ぶ。
「怜司! まだや! もうちょい待ち!」
「まだなん?」
「お前が急かすな!」
桜子の額から汗が落ちる。
良澄が状態を整え、清隆が地面側の防御を補強する。
智臣も防壁の内側から外を見ていた。
優斗は念のため、空から落ちてくる敵性体が防壁へ集中しないよう、撃てる範囲だけを落としている。
洋一は全体を確認した。
防壁、人員、町。
星の位置、怜司から星までの射線。
完全に安全だと言える根拠などない。
そもそも、これから怜司が放つものを正確に測ったことなど誰にもなかった。
それでも、待ち続けることもできない。
「桜子」
「……いける」
桜子は短く答えた。
その声には疲労が混じっている。
それでも、無理をして強がっている声ではない。
良澄も頷く。
「状態は安定してます」
清隆が最後に地面を確認した。
「こちらも問題ない」
洋一は怜司を見る。
「怜司」
「ん?」
「大丈夫です」
「おっけ」
怜司が星へ視線を戻した。
構えは変わらない。
右腕を向けたまま、ほんの少しだけ身体の重心を落とす。
それを見た彰人が、何かを思い出したように顔を引きつらせた。
「……兄貴」
「なんや」
「どんくらいで撃つ気?」
怜司は少し考えた。
「百二十くらい?」
「何の百二十やねん!」
返事を待つより先に、彰人は防壁の内側へさらに身体を寄せた。
桜子が怒鳴る。
「洋一! ほんまに撃たせてええんやな!?」
「もう止めても困りますよ」
「せやけど!」
怜司の周囲で、音が消え始めた。
実際に無音になったわけではない。
敵性体は防壁へぶつかっている。
地面も震えている。
誰かの声も聞こえている。
それでも、それらすべてが遠くなったように感じられた。
怜司の前方。
星へ向けられた一点へ、意識が吸い寄せられる。
セレスティアは知らず息を止めていた。
ガルディオも動かない。
八傑も十三将も、戦場にいることを一瞬忘れたように、その先を見ている。
怜司自身だけが、普段とほとんど変わらない顔をしていた。
「ほな、いこか」
軽い声だった。
次の瞬間、空が白くなった。
光が怜司の前から伸びたと認識できた者が、どれだけいたのかは分からない。
発射音より先に、視界が塗り潰された。
地上から空へ向かって伸びた光は、巨大な柱と呼ぶには速すぎた。
怜司と星の間にあった距離そのものを無視したように、一瞬で空を貫く。
星堕としへ到達した。
巨大な本体が、光の中へ沈んだ。
そこで初めて、音が来た。
防壁の内側にいた者たちの身体を、衝撃がまとめて押した。
桜子の防壁が大きく軋む。
清隆が作った地面の層へ振動が走り、土の表面に細かな亀裂が広がった。
それでも崩れない。
良澄が桜子の状態を保ち、全員がその場で踏み止まる。
衝撃は一度では終わらなかった。
空気そのものが何度も押し寄せ、防壁の表面を叩く。
その外側にいた敵性体が浮いた。
地上にいる個体は地面へ転がり、何体かは周囲の建物や土壁へ叩きつけられる。
空中にいたものは違った。
光の周囲を走った余波へ触れた瞬間、姿が崩れた。
飛行型も。
まだ地上へ到達していなかった卵状の落下物も。
星から離れたばかりの黒い点も。
形を保つことすらできず、次々と空から消えていく。
そして、本体にも変化が起きた。
最初に一本の亀裂が走った。
遠く離れた地上からでも分かるほど巨大な亀裂だった。
そこから枝分かれする。
表面を覆っていた光が割れ、その内側にあった黒い部分まで裂けていく。
巨大な星全体へ亀裂が広がった。
セレスティアが目を見開く。
星堕としを迎撃した話は知っている。
軍と魔術院が力を合わせ、小さなものなら地上へ到達する前に破壊できたこともある。
しかし、今見ているものは、その言葉から想像していた破壊とは違った。
巨大な本体が、一つの物体として存在することを許されなくなったように崩れていく。
割れた。
その表現では足りない。
砕けた。
それでも足りない。
大小の破片へ分かれた直後、その一つ一つがさらに細かく砕かれ、朝の空を覆っていた巨大な星が、無数の欠片へ変わっていく。
光が消えた。
遅れて、空の色が戻ってくる。
誰もすぐには声を出さなかった。
防壁の外には、先ほどまでと同じ地面がある。
遠くには森がある。
町も残っている。
ただ、空にあった巨大な星だけが消えていた。
「……兄貴」
最初に声を出した彰人は、自分でも何を言おうとしたのか分からなくなった。
怜司が振り返る。
「なんや」
「いや……」
言いたいことはいくらでもある。
百二十とは何だったのか。
あれを最初から撃てたのか。
余波だけで空の敵性体が全部消えたのは何なのか。
そもそも、神装すらしていない。
だが、それらを今聞いたところで、まともな答えが返ってくる気もしなかった。
「……あとでええわ」
「そう?」
怜司は気にした様子もなく、空を見た。
そこで首を傾げた。
「破片来るな」
「先言えや!」
◇
星そのものは消えた。
だが、物質まで完全に消滅したわけではない。
細かく砕かれた破片の一部は、勢いを失いながらも地上へ向かっていた。
敵性体を収めていた落下物とは違う。
今度こそ、本当にただの破片だった。
「桜子さん、そのまま上!」
「分かっとる!」
洋一の声に、桜子が防壁の力を上空へ寄せる。
先ほどまで全方向へ均等に広げていたものを、今度は上側へ厚くする。
良澄の支援も続いている。
ただ、怜司の撃った一撃の余波まで受け止めたことで、桜子の呼吸は明らかに重くなっていた。
すべてを任せる必要はない。
「大きいの行くで!」
彰人が上空を見た。
比較的大きな破片が一つ、防壁から外れた場所へ落ちようとしている。
町へ直接落ちる軌道ではない。
それでも、そのまま地面へ激突すれば周囲へ被害が出る。
彰人が走った。
落下地点へ向かうのではない。
破片が自分の間合いへ入る位置を読み、そこへ先回りする。
ただ壊せばいいわけではない。
さらに細かくして町へ降らせれば意味がない。
触れる瞬間に力の向きを読み、落下方向そのものを変える。
破片が彰人の腕へ触れた。
衝撃が身体を抜ける。
足元の地面が沈んだ。
それでも真正面から受け止めず、流す。
巨大な破片が軌道を変え、町から離れた場所へ落ちていった。
「っ……重っ!」
彰人が腕を振る。
骨に異常はない。
だが、さすがに敵性体を返すのとは訳が違った。
「次、右だよ」
雅史の声が飛ぶ。
彼は空を見ながら、破片の位置と落下方向を追っていた。
自分で処理するもの。
彰人へ伝えるもの。
桜子の防壁へ任せていいもの。
その場で振り分けていく。
雅史自身も落ちてきた破片の一つへ入り、白象の力を使わないまま受け止める位置を調整した。
地面へ直接叩きつけさせず、勢いを殺しながら横へ落とす。
優斗の矢も上空へ向かっていた。
小さな破片なら、地上へ届く前にさらに砕く。
ただし、町の上では細かくしすぎない。
風向きと落下位置まで見ながら、危険の少ないものから処理する。
星を壊すことと、その後始末は別だった。
それでも、先ほどまでとは決定的に違う。
新しい敵性体は、もう増えない。
空から落ちてくるものにも終わりがある。
その違いは、戦っている全員に分かった。
◇
最後の大きな破片が町から離れた場所へ落ちた頃、桜子はようやく防壁の範囲を縮めた。
完全には消さない。
地上には、まだ敵性体が残っている。
怜司が撃った余波で倒れたもの。
衝撃を受けても動いているもの。
星が砕かれる前に地上へ降りていた個体は、数を大きく減らしていたものの、それでも視界の中に相当数が残っていた。
「……まだおるな」
怜司が言った。
彰人がゆっくり振り返る。
「誰のせいやと思ってんねん」
「俺ちゃうやろ。元からおったやつやん」
「それはそうやけど!」
言い返してから、彰人自身も何に怒っているのか分からなくなった。
少なくとも、供給は止まった。
なら、あとは減らすだけだった。
防壁の一部が開く。
最初に外へ出たのは恭平だった。
狼の神装を維持したまま、動ける敵性体を優先して処理していく。
智希も反対側へ回る。
先ほどまでのように、倒した横から新しい個体が落ちてくることはない。
一体減る、また一体減る。
それだけで、戦場の景色が少しずつ変わっていった。
八傑も再び前へ出た。
十三将の中で負傷した者は後ろへ下がり、動ける者だけが残る。
敵性体の数が限られたことで、一人に複数が集中する状況も徐々に減っていった。
そこへ、遠くから別の音が聞こえ始めた。
最初は地鳴りに近かった。
だが、一定の間隔で続いている。
馬。
そして、多数の人間が移動する音だった。
『軍だ』
ガルディオが振り返った。
町へ続く道の向こうから、ヴァルネシア軍が姿を現す。
星堕としの最中に近づけば、かえって被害を増やす可能性があった。
それでも、空にあった巨大な星が砕けたことは遠くからでも見えていた。
新たな落下が止まったと判断した部隊から、残敵処理のために前線へ入ってきたらしい。
十三将がすぐに動いた。
負傷していても、軍を指揮する役割まで失ったわけではない。
敵性体の特徴。
頭部を壊しても止まらない個体がいること。
飛行型が存在すること。
硬い外殻を持つものは関節を狙った方がいいこと。
八傑と十二神承が戦いながら集めた情報が、到着した兵へ渡されていく。
兵たちも、ただ数で押すようなことはしなかった。
複数で一体を囲み、盾を持つ者が正面を受け、別の者が側面へ回る。
未知の敵を前に恐怖がないわけではない。
それでも、十三将の指示があり、八傑が前で戦い、十二神承が戦線を支えている。
何より、空から新しい敵が降ってくることはもうない。
終わりがある。
それだけで、人間は戦い方を変えられた。
午前が過ぎた。
昼を越えた。
地上に残っていた黒い影は、時間とともに確実に減っていった。
最後まで抵抗した大型個体がガルディオと八傑によって倒された頃には、空の色も朝とは大きく変わっていた。
新しく動く敵性体がいないことを確認しても、すぐに誰かが勝利を叫ぶことはなかった。
あまりにも長く戦い続けていたせいで、本当に終わったのかを確認する時間の方が必要だった。
優斗が高い位置から周囲を見る。
智希は倒れた敵性体へ不用意に近づかず、動いているものがいないか確認する。
清隆も地面の変化を追った。
洋一は十三将から各方面の報告を集める。
そうして何度か確認を重ね、ようやく新しい戦闘が起きていないことが共有された。
その頃には、日は西へ傾き始めていた。
◇
戦いが終わったあとに残ったものは、昨日まで想像していた星堕としの被害とは少し違っていた。
町そのものは残っている。
桜子が守っていた地下施設も無事だった。
家屋には、怜司が撃った余波や敵性体との戦闘によって窓が割れた場所がいくつかあり、屋根の一部が破損した建物もある。
清隆が事前に確認していた主要な建物については、倒壊するほどの被害は出ていなかった。
水路も完全には壊れていない。
昨日用意した予備の水路も残っている。
ただし、町の外へ出れば景色は違った。
敵性体が食い荒らした草地。
幹を大きく抉られた木。
戦闘によって地面が削れた場所。
星の破片が落ち、浅い穴になっている場所もある。
敵性体の残骸はさらに多かった。
このまま放置していいものなのかも分からない。
腐るのか。
毒性があるのか。
他の生物が食べても問題ないのか。
確認しなければならないことが、一つ戦いを終えるたびに増えていく。
「全部燃やすのも、まだ早いですね」
洋一は敵性体の残骸を見ながら言った。
清隆も頷く。
「標本は残す。構造も調べる必要がある」
「持って帰るん?」
彰人が嫌そうな顔をした。
「必要なら」
「大学にこれ持ち込んだら大騒ぎなるぞ」
「当然、勝手には持ち込まない」
「そこは安心したわ」
彰人は息を吐いた。
戦闘が終わってから時間が経ったことで、身体の疲れをようやく自覚し始めていた。
特に両腕が重い。
セレスティアの前へ入ってから、敵性体の攻撃を何度流したのか覚えていない。
『彰人さん』
「ん?」
呼ばれて振り返る。
セレスティアは彰人の腕を見ていた。
『怪我はありませんか?』
「ないない。この程度なら全然」
実際、目立った傷はない。
疲れてはいるが、動かせないほどではなかった。
セレスティアはそれを確認するようにしばらく見てから、小さく息を吐いた。
『そうですか』
「セレスティアさんは?」
『私も問題ありません』
「ならよかった」
そこで会話は終わった。
彰人は再び周囲を見る。
十三将には治療が必要な者がいる。
八傑にも僅かな傷を負った者はいたが、戦闘に支障が出るほどのものではない。
誰も失わなかった。
避難した住民にも、当然被害はない。
その事実を確認して、ようやく彰人の肩から少し力が抜けた。
少し離れた場所では、桜子が座り込んでいた。
神装はすでに解除している。
良澄も隣にいる。
「もう無理や。今日は動かへん」
「さっきまで普通に歩いてましたよ」
「今決めたんや」
「じゃあ、しばらく休んでください」
「風呂まで運んで」
「それは自分で歩いてください」
良澄の返事に、桜子が不満そうな顔をする。
それを見た彰人は笑いかけたが、自分も似たような疲労を感じていることに気づいてやめた。
怜司だけは、少し離れた場所で空を見ていた。
神装もしていない。
息が乱れている様子もない。
先ほど星を粉々にした本人とは思えない。
「……兄貴」
「ん?」
「疲れてへんの?」
「ちょっと腹減った」
「聞いた俺がアホやったわ」
彰人はそれ以上聞かなかった。
◇
作戦本部へ戻った頃には、夕方の光が町の建物を赤く染め始めていた。
無人だった町へ住民が戻ってくるのは、まだ先になる。
敵性体の残骸を処理し、周辺環境への影響を確認し、安全だと判断してからになるだろう。
それでも、帰る場所そのものは残った。
市場もある。
セレスティアと彰人が立ち寄った店も、窓の一部が割れただけで建物は残っている。
明日すぐに営業できるわけではない。
だが、直せる。
昨日話していた通り、人が戻れば町も戻せる。
そのための場所は守られた。
作戦本部へ戻った者たちは、それぞれ簡単な報告を済ませた。
負傷者、建物の被害、水路、周辺の土地、回収した敵性体の一部。
確認しなければならないことは山ほどある。
それでも、今日中にすべてを終わらせる必要はない。
星はもう空にない。
敵性体も、新しく降ってこない。
少なくとも今夜は、休む時間を取ることができる。
そして、その結論が出たところで、彰人は嫌な予感がした。
清隆が立ち上がったからだった。
「先に身体を洗った方がいい」
「やっぱり風呂行くんかい」
「敵性体の体液が付着している者もいる。衛生上、必要だ」
「今日に限っては正論すぎて何も言われへん……」
戦闘前に作られた温泉設備が、結局その日の最後にも使われることになった。
男女で場所を分け、負傷している者については先に治療を行う。
十三将や八傑にも利用するよう伝えられ、昨日までなら異国の設備に戸惑っていた者たちも、今日ばかりは断る者が少なかった。
湯に浸かった瞬間、彰人はようやく自分の身体が思っていた以上に疲れていたことを理解した。
腕が重い、脚も張っている。
敵性体を倒した数より、セレスティアの前でひたすら攻撃を流し続けた時間の方が身体に残っている気がする。
「……しんど」
思わず漏れた声に、近くにいた智希が笑った。
「頑張ってたもんね」
「なんやその言い方」
「別に?」
智希はそれ以上言わなかった。
言わないからこそ、彰人には何を言いたいのか分かった。
「ちゃうからな」
「何も言ってないよ」
「その顔やめろ」
少し離れた場所で、怜司が湯に浸かっている。
彰人はそちらを見る。
昼間の光景が頭へ戻った。
星を粉々にした光。
その余波だけで消えた空中の敵性体。
大地が震え、防壁を張った全員が身構えた中で、撃った本人だけが普段と変わらない顔をしていた。
「兄貴」
「んー?」
「次撃つとき、もうちょい早よ言え」
怜司が不思議そうに彰人を見る。
「言うたやん」
「撃つ直前や!」
「洋一がええ言うたから」
今度は洋一が顔を上げた。
「僕のせいにしないでください」
「ええ言うたやん」
「撃っていいとは言いましたけど、あそこまでとは聞いてません」
「俺もどこまでなるか知らんかったし」
彰人がゆっくり怜司を見る。
「……兄貴」
「なんや」
「知らんかったん?」
「星に撃ったことないし」
湯の中が静かになった。
当然と言えば当然だった。
普通は星へ攻撃する機会などない。
それでも、あれほどのものを撃った本人から聞きたかった答えではなかった。
「次から試し撃ちしてからにして」
智希が言う。
「どこでやねん」
怜司の返事に、今度は何人かが笑った。
笑える程度には、戦いは終わっている。
その事実が、ようやく身体へ馴染み始めていた。
ただし、今日起きたことまで軽くなったわけではない。
星堕としは砕いた。
住民も守った。
町も残した。
それでも、これまでの星堕としには存在しなかった敵性体が現れた理由は分からない。
なぜ今回だけ違ったのか。
あの敵性体は何だったのか。
星の内部に最初からいたのか。
それとも、星そのものが何か別のものだったのか。
倒したことで、分からなくなったことの方が増えている。
湯から上がったあとには、また確認しなければならないことが待っている。
今日は休む。
明日になれば、調べる。
その結果によっては、日本側へ新しい情報を伝える必要もあるだろう。
怜司はそんな話を聞きながら、湯の中で腕を伸ばした。
「腹減ったなぁ」
「さっきも言うてたやろ」
「戦ったし」
「兄貴、ほぼデコピンと一発だけやんけ」
「星倒したやん」
「その一発がでかすぎんねん!」
彰人の声が浴場へ響いた。
その向こうにある町は、まだ静かなままだった。
人の声もない。
市場の明かりもない。
それでも、朝とは違う。
空を覆っていた巨大な星は消え、地上を埋めていた黒い影もない。
傷ついた場所はある。
直さなければならないものも残った。
それでも、帰ってくる場所は残っている。
星堕としは、終わった。
少なくとも、その夜の彼らには、そう見えていた。




