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十二神承   作者: 境塚 透
第一章:隔たりの先に
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24/37

違う、星

 避難を終えた町に、夜が訪れていた。

 普段なら家々の窓から漏れる明かりが道を照らし、市場の周辺では夕食を求める人々の声が残っている時間だったが、今夜はそのどちらもない。

 王都へ向かった住民たちはすでに町を離れ、周辺の村々からも避難対象となった者たちの姿は消えている。

 必要な者だけが残された町は、建物も道も昨日までと変わらない姿を保っているにもかかわらず、そこに暮らしていた人間がいないというだけで、まるで別の場所のように見えた。


 そんな町の一角で、十二神承たちは遅い夕食を取っていた。

 十三将は避難の完了を確認するため各地を回っており、アルディウスも裂け目前で兵の動きを監視している。

 ここにいるのは十二神承と三柱、八傑、それにガルディオをはじめ、これからの防衛に必要となる者たちだった。

 卓上には食事と一緒に地図が広げられている。

 昼間までなら、そこへ書き込まれているのは防衛地点や避難経路だった。

 今は違う。

 星堕としが終わったあと、どこを確認しなければならないか。

 崩落した場合に通行を優先して復旧させる道はどこか。水路が寸断された場合、どの地域への影響が大きいか。

 まだ何も壊れていない町の地図へ、壊れたあとのことが書き加えられていた。


「問題は、終わったあとですね」


 洋一が箸を置き、地図へ視線を落とした。

 星堕としそのものへの備えは、完全とは言えないまでも形になっている。

 住民の避難も済み、桜子が守る場所も決まった。優斗たちが飛来物を処理する範囲についても、おおよその役割分担はできている。

 それでも、町全体を何もなかった状態のまま残せるとは誰も考えていなかった。

 守るべき最優先は人命であり、そのために防御を一か所へ集中させたのだから、当然、守りの外側へ出るものがある。


「建物だけなら、清隆がどうにかできるところも多いやろうけどな」


 彰人も地図を覗き込む。

 建物は直せる。

 道も、時間を掛ければ戻せる。

 だが、土地そのものが荒れれば話は変わる。畑へ大量の石や土砂が流れ込めば、それを取り除くだけでも人手が必要になる。

 水路が壊れれば農業だけではなく生活にも影響し、井戸が濁れば、町へ戻ってきた住民がその日から困ることになる。

 戦いが終わった瞬間に、人々の生活まで元へ戻るわけではない。


「記録は残した方がいいね」


 雅史が言った。

 彼の目は地図そのものではなく、その横へ積まれている紙へ向いていた。


「どこに何があったか。今の状態をできるだけ残しておけば、壊れたあとでも比較できる。建物だけじゃなくて、水路や道、畑の境界も分かるようにしておいた方がいいと思う」


 現地の地図にも情報はある。

 ただし、それは土地の位置関係を知るためのもので、災害前後を比較する記録として作られたものではない。

 雅史は昼間のうちに町を歩き、主要な場所について簡単な記録を残していたが、手元にある紙も筆記具も限られていた。


「一回、日本へ戻ろう」


 そう言ったのは智臣だった。

 唐突な提案ではない。

 前回日本へ戻った洋一たちは、政府や大学、経済界との調整を済ませている。

 裂け目を通って日本とヴァルネシアを往復できることも、今では関係者の間で共有されていた。

 それなら、現地にないものを無理に代用品で済ませる必要はない。


「俺も戻る」


 智臣は続けながら、地図上の川を指でなぞった。


「星が落ちたあと、一番困るのは水かもしれない。川そのものが残っても、土砂や何かが入れば、そのまま使えるとは限らない。簡単なろ過設備くらいは持ってきた方がいい」

「それなら僕も行こうかな」


 良澄も地図から顔を上げた。

 戦闘そのものによる負傷者は出さないつもりでいる。

 だが、それだけを想定するのは楽観的すぎる。

 瓦礫で切ることもあれば、避難生活が続けば体調を崩す者もいる。

 水や衛生環境が悪化すれば、怪我とは別の問題も起きる。

 薬そのものについては、この世界の人間へどこまで使えるか分からない。

 それでも、包帯やガーゼ、消毒に使えるもの、手袋、マスク、衛生用品など、用途が限定されにくい物資なら持ってくる意味はある。


「じゃあ僕も」


 智希が手を挙げた。

 その声に何人かが顔を向ける。


「人間の食べ物は王都から来るんでしょ?」

『その予定です』


 セレスティアが答えた。

 避難先となった王都では、すでに備蓄から食料を出す準備が始まっている。

 町へ人々が戻ったあとも、流通が正常に戻るまでの間は支援を続けることになっていた。


「じゃあ、動物の方。家で飼ってる小さいのとか、餌なくなったら困るし」

「大型の動物はどうするんです?」


 行人が尋ねると、智希は少し考えてから首を傾げた。


「野生の大きいのまで全部食わせたら、そっちの方がおかしくならない?」


 助けられるものを無条件にすべて囲い込めばいいわけではない。

 野生動物には野生動物の生活があり、捕食する側とされる側を含めて、この土地の中ですでに一つの関係が作られている。

 それを外から来た自分たちが善意だけで変えてしまえば、別の問題を起こす可能性がある。


「飼われてる小さい子とか、人に頼って生きてる子の分だけでいいと思う。あとは、この辺の動物がどうなってるか見てから」

「そこはちゃんと考えてんねんな」


 彰人が感心したように言う。


「何だと思ってたの?」

「見つけた動物全部連れて帰るとか言い出すんちゃうかと」

「ニイさんじゃないんだから」

「兄貴でも言わへんわ」

「俺なんも言うてへんやろ」


 離れた席から怜司の声が飛んできて、卓を囲んでいた何人かが笑った。

 話の内容そのものは、これから起きる被害を前提にしている。

 それでも、必要なことを一つずつ決めていく中には、いつもの十二人の空気が残っていた。

 その空気を見ていたガルディオは何も言わなかったが、食事を再開するまでに僅かな間があった。

 彼らは星堕としを軽く考えているわけではない。

 むしろ逆だった。

 守ることだけでは足りないと理解しているから、その後まで考えている。

 それが分かるからこそ、昨日まで敵だった者たちがここまでしているという事実を、どう受け取ればいいのか、まだ自分の中で整理し切れていなかった。


     ◇


「で、なんで風呂まであんねん」


 翌朝。

 地下へ造られた避難施設を確認していた彰人は、目の前に広がる光景を見て呆れた声を出した。

 昨日まで何もなかったはずの場所に、十分な人数が同時に使える入浴設備が出来上がっている。

 地下施設そのものが清隆によって短時間で造られたことを考えれば、浴槽が増えた程度で驚く方がおかしいのかもしれない。

 だが、それと納得できるかどうかは別だった。


「衛生環境を維持するためだ」


 清隆は当然のように答えた。

 避難施設には多くの人間が長時間滞在する可能性がある。

 飲料水、排泄設備、換気だけではなく、身体を清潔に保つ場所も必要になる。避難が長期化すれば、なおさらだった。

 理屈としては間違っていない。


「いや、そこは分かるねん」


 彰人は浴槽を見る。

 広い。

 どう考えても広い。


「作戦本部の横にも別の風呂あったやろ」

「動線を分けた」

「なんでや」

「作戦行動中の者が避難者の利用時間を妨げないためだ」

「……雅史さん」


 彰人が助けを求めるように横を向く。

 雅史は浴槽を眺めながら、少し困ったように笑った。


「合理的ではあるよ」

「味方がおらへん」


 結局、その設備を最初に使ったのは、十二神承と三柱、八傑たちだった。

 もちろん男女で浴場を分け、それぞれの側で久しぶりにまともに身体を休める時間が取られている。

 星堕としを目前にしているとは思えない光景だったが、全員がまともに身体を休められる時間が次にいつ来るかは分からない。

 湯に身体を沈めれば、ここ数日続いていた移動と調査の疲れが、ようやく自覚できる程度には抜けていく。

 

 湯から上がった者たちは、作戦本部に隣接した休憩場所へ少しずつ集まっていた。

 身体に残っていた疲労が和らいだせいか、張り詰めていた空気も先ほどまでより柔らかい。


『日本では、これが普通なのですか?』


 セレスティアは、まだ身体に残る湯の温かさを確かめるように自分の手元へ視線を落としながら尋ねた。

 彰人が以前話した日本の温泉を思い出しているらしい。


「いや、地下シェルターに突然温泉できるんは普通ちゃいます」

『そうなのですね』

「そこはちゃんと否定しとかんと、日本のことで変な誤解持って帰りそうやから」


 セレスティアの口元が僅かに緩む。

 少し離れた場所では、桜子がすっかり力の抜けた様子で壁へ背を預け、満足そうに息を吐いていた。


「まあ、作ったもんはしゃあないわ。入ったら気持ちええし」

「義姉やんまで陥落しとる」

「うるさいわ。使えるもんは使うんや」


 笑いが起きる。

 しかし、その笑いが途切れたあと、誰からともなく視線が静かになった。

 この場所が本来何のために造られたのかを、全員が知っている。

 今日は空いている浴槽も、星堕としの状況によっては、負傷した者の身体を洗う場所になるかもしれない。

 その可能性を言葉にした者はいなかった。

 代わりに洋一が、壁へ背を預けながら静かに口を開いた。


「被害ゼロは、考えない方がいいでしょうね」


 誰も否定しなかった。

 人を守る。

 それが最優先であり、そのための準備はしている。

 だが、家や畑、道や水路まで同じように守れるわけではない。

 ガルディオは壁へ背を預けたまま黙って話を聞いていたが、やがて低い声を出した。


『人が残れば、町は戻せる』

「そうですね」


 良澄が答える。


「でも、戻すのも出来るだけ楽な方がいいですから」


 星が落ちる前から復興を考える。

 その発想を不吉だと捉える者はいなかった。

 起こり得る被害から目を逸らさず、それでも終わった後には人々がここへ帰ってくることを前提にする。

 そのために必要なものを準備する。

 浴槽を満たしている湯気の向こうで、明日の町についての話が続いていった。


     ◇


 翌朝、雅史、智臣、良澄、智希の四人は、日の出とともに町を出た。

 裂け目までの移動にはメーダが使われることになった。

 四人が乗り込んだところで、少し離れた場所からラギアも姿を現した。


『――待て』


 低い声に、出発しかけていたメーダが足を止める。


『何だ』

『私も行く』


 ラギアは当然のようにそう告げると、四人の前まで歩いてきた。

 目的地は裂け目であり、メーダだけでも十分に辿り着ける。護衛が必要な道程でもない。それでもラギアが同行すること自体に、誰かが反対する理由もなかった。


「じゃあ、誰かラギアに乗る?」


 智希が尋ねる。

 雅史が自分たちの座っている場所を確認し、智臣と良澄も一度ラギアへ視線を向けた。

 すでに四人ともメーダへ乗っている。


『こちらはこのままで構わない』

 メーダが淡々と言った。


『そういう問題ではない』


 ラギアの声が僅かに低くなる。


「……もしかして、乗ってほしい?」


 智希が聞くと、ラギアは答えなかった。

 代わりに、ゆっくりと顔を逸らす。

 その反応だけで十分だった。


「今から乗り換える?」

「荷物の分け方も決めちゃったからね」


 雅史が困ったように笑う。


『ならばいい』


 どう聞いても、よくはなさそうだった。

 結局、ラギアは誰も背に乗せないまま、メーダの横を並んで走ることになった。

 見送りに来ていた彰人は、遠ざかっていく二柱を眺めながら肩を揺らした。


「ラギア、めっちゃ拗ねとったやん」

「そうか?」


 怜司が首を傾げる。


「兄貴、あれ分からへんの?」

「本人がええ言うてたやん」

「そういうとこやぞ」


 四人の姿が遠ざかる。

 笑って見送れたのはそこまでだった。

 町へ戻れば、やることはいくらでも残っている。

 住民の避難は終わった。

 だから今度は、誰もいない町そのものをどう残すかを考えなければならない。

 清隆は主要な建物の構造を確認し、倒壊した場合に周囲へ与える影響を洗い出した。

 洋一は十三将から集められた情報を整理し、復旧の優先順位を決めていく。

 学校や市場のように人が集まる場所だけが重要なのではない。

 町へ戻った住民が生活を再開するためには、道が必要になる。水が必要になる。

 食料を運び込む場所が必要になり、壊れた家を直すための資材を運ぶ経路も残さなければならない。

 桜子たちは防衛設備の位置を再確認しながら、万が一防壁を抜けた破片がどこへ落ちる可能性があるのかを歩いて確かめていった。

 地図の上だけで見ていた町を、今度は壊れたあとの姿を想像しながら歩く。

 昨日まで市場だった場所には、人の姿がない。

 彰人は、セレスティアと一緒に立ち寄った店の前で一度足を止めた。

 当然、今日は閉まっている。

 店先に並んでいたものも片付けられ、人の気配は残っていなかった。


『戻ってきます』


 隣にいたセレスティアが言った。

 彰人が彼女を見る。

 セレスティアは店ではなく、道の先を見ていた。


『この町の人々は、戻ってきます』

「……せやな」


 それ以上の言葉は必要なかった。

 戻ってきたとき、昨日と同じように店を開ける場所を残す。

 出来るなら、それが一番いい。

 無理だったとしても、もう一度作れる状態にはしておく。

 防衛計画と呼ぶには少し先のことまで、彼らの仕事には含まれ始めていた。


     ◇


 裂け目を越えた四人を待っていたのは、見慣れた日本の風景だった。

 道路を車が走り、遠くから機械の音が聞こえる。

 空から星が落ちてくることを心配している者など、ここにはいない。

 数時間前まで避難を終えた異世界の町にいたという事実の方が、急に現実味を失いそうになる。


「戻ると変な感じするね」


 智希が言った。


「向こうも現実だけどね」


 雅史が答える。

 智臣の車へ乗り込むと、四人はそのまま大学へ向かった。

 まず必要なのは、記録に使う備品と、水を確保するための設備だった。

 

 雅史と智臣は大学に残り、使えるものを確認する。

 

 備品を集める前に、雅史はもう一つ済ませておくことがあった。

 自分たちがいつ日本へ戻れるのかは、星堕としが終わってみなければ分からない。少なくとも今日や明日の話ではなく、復興まで手伝うことになれば予定はさらに延びる。

 雅史は大学側へ連絡を入れ、自分だけでなく、向こうに残っている怜司、彰人、桜子についても、しばらく講義へ出られない可能性があることを伝えた。

 詳しい事情まで説明する必要はなかった。

 すでに関係各所へ話が通っていることもあり、必要な確認を終えると手続きそのものは驚くほどあっさり進んだ。

「彰人君、自分が休む連絡まで僕がしてるって知ったら、また何か言いそうだね」

 通話を終えた雅史が苦笑すると、荷物を確認していた智臣が顔を上げた。

「言うだろうな」

「帰ったら伝えておこうか」

「別に黙ってても休みにはなってる」

「それはそうなんだけどね」

 本人たちが異世界で星の落下を待っている間に、日本では大学を休む手続きだけが先に済んでいく。

 その妙な現実感に雅史はもう一度だけ笑ってから、ようやく備品の確認へ向かった。

 

 大量の紙、筆記具、記録を整理するためのファイル類。

 可能なら写真でも残したいが、向こうで継続的に使うことを考えれば、電源に頼らない記録手段も必要だった。


 智臣は簡易的なろ過設備を中心に、持ち運べる範囲で必要なものを選んでいく。

 川から直接水を取ることになる以上、ろ過しただけで安全だと決めつけることはできない。

 それでも、泥や異物を取り除き、必要に応じて煮沸などを併用できる状態を作っておけば、何もない状態よりはるかにいい。


 良澄は大学を離れ、以前から付き合いのある医師や薬剤師へ連絡を取った。

 異世界の人間に、日本の薬がどこまで安全に使えるかは分からない。

 そのため処方が必要な薬には手を出さず、包帯やガーゼ、手袋、マスク、衛生用品などを中心に揃える。

 市販薬についても、現地で安易に使わないことを前提に、成分を確認できる状態で最低限を用意した。


 智希が向かったのはホームセンターだった。

 棚に並んだペットフードを前に、犬用、猫用、小動物用と種類を確認しながらカートへ積んでいく。

 異世界の動物へそのまま与えられる保証はない。

 それでも、人間と一緒に生活している動物については、現地の食べ物と比較しながら使える可能性がある。

 何もなくなってから探すより、選択肢を持っていく方がいい。


 夕方には、それぞれが必要なものを揃えていた。

 再集合の場所は怜司の家になった。

 本人は異世界にいる。

 それでも雅史と智臣が合鍵を持っているため、十二人の間では特に不思議なことでもなかった。

 玄関を開けた雅史は、室内へ入る前に足元を見た。

 郵便物がいくつか溜まっている。

 智臣もその視線を追い、何も言わずに一枚拾った。


「……見てないな」

「見てないね」


 雅史は残りもまとめて拾い、分かりやすい場所へ置いた。

 異世界で星堕としを待っている本人が、帰ってきたときに最初に処理することになるのが郵便物かもしれない。

 そう考えると、雅史は少しだけ笑った。


「不在票もあるよ」

「期限、大丈夫か?」

「帰ってきたら確認してもらおう」


 世界を跨いでも、日常は待ってくれないらしい。

 その夜、四人は怜司の家で休んだ。

 明日の朝には、また裂け目の向こうへ戻る。

 積み上げられた荷物と、本人不在の生活感が残る部屋。

 異世界で起きていることを知らなければ、友人の家へ泊まりに来ただけにも見える夜だった。


     ◇


 翌朝、智臣の車には隙間がないほど荷物が積み込まれた。

 大学から持ち出した記録用品とろ過設備。

 良澄が用意した医療・衛生用品。

 智希が買い集めた動物用の食料。


 食料についてはヴァルネシア側で確保できることが確認されているため、人間用を大量に持ち込む必要はない。

 今必要なのは、現地で不足しやすく、星堕としのあとに必要になる可能性が高いものだった。

 裂け目を越え、町へ戻った四人を待っていた者たちは、荷物の中でも特にろ過設備へ強い関心を示した。


 食べ物は王都から運べる。

 だが、水は運ぶ量が増えれば、それだけ輸送に負担が掛かる。

 清隆は設備を一通り確認すると、町の近くを流れる川から取水する方法を考え始めた。

 既存の水路だけに頼れば、星堕としによって途中が壊れた場合に使えなくなる。

 そこで別系統の簡易水路を作り、貯水できる場所を設ける。

 そこからろ過設備へ流し、飲用に回すものと生活用水として使うものを分ける。

 星堕としが来る前から、町の中には災害後のための設備が増え始めていた。


「これ、復興終わっても使えるんちゃう?」


 彰人が出来上がっていく水路を見ながら言った。


「壊す必要はない」


 清隆は作業を止めずに答えた。


「水質と維持方法に問題がなければ、そのまま残せる」

「また技術提供増えとるやん」

「必要なものを作っているだけだ」


 清隆にとっては、それ以上でも以下でもない。

 だが、その水路を見ていたヴァルネシア側の者たちにとっては違った。

 星堕としを防いだあと、自分たちがどう生活するのか。

 そこまで考えて設備を作っている。

 しかも、それを見返りとして何かを要求する様子もない。

 以前から十二神承の行動を見てきた者ほど、それが彼らにとって特別なことではないと理解し始めていた。


 夕方には、試験的に引かれた水が貯水槽へ流れ込んだ。

 透明になった水を確認しながらも、智臣はすぐに飲めるとは言わなかった。

 異物を除去できることと、安全な飲料水であることは別の話だ。

 現地の水質を確認し、必要なら煮沸も行う。

 その慎重さを含めて運用方法が決められていく。

 そして、水が確保された。


「ほな、風呂入れるな」


 彰人が言った。


「そうだな」


 清隆が普通に答えた。


「いや待って。なんでそこ即答なん」

「生活用水の試験にもなる」

「絶対それ後付けやろ」


 結局、その夜も温泉は使われた。

 もちろん利用する場所と時間は男女で分けられている。

 清隆が最初からその程度の運用を想定していたのか、それとも設備を作りすぎた結果として簡単に分けられただけなのかは、誰も確認しなかった。

 明日になれば、まともに身体を休められる時間がなくなる可能性がある。

 それを理由に湯へ向かう者もいれば、単純にこの数日ですっかり気に入った者もいる。

 女性側では、セレスティアも昨日教わった入り方に戸惑うことがなくなり、桜子に至っては、すでに自分が落ち着ける場所まで決めていた。


「義姉やん、完全に馴染んどるやん」

「ええもんはええねん」


 その声が地下施設に響く。

 星堕としまでの時間が少なくなっていることは、全員が分かっていた。

 それでも食事を取り、身体を休め、必要なら笑う。

 緊張し続けたところで、星が遅くなるわけではない。

 やるべきことを済ませた者から眠りにつき、町は再び静かな夜へ沈んでいった。


     ◇


 彰人が目を覚ましたのは、まだ日が昇るより前だった。

 何か音がしたわけではない。

 身体が勝手に起きたという方が近かった。

 時計を確認しても、起きるには早い。

 もう一度横になろうとして、やめた。


 目を閉じても、頭の中に残っているものが多すぎた。

 桜子が守る防壁、その内側にある町、昨日新しく作った水路。

 昼間に歩いて確認した建物の位置まで、考えるのをやめようとするほど次々と思い浮かんでくる。

 その中には、セレスティアが昨日、誰もいなくなった市場で口にした「戻ってきます」という言葉も残っていた。

 考えたところで、今の彰人に新しく出来ることが増えるわけではない。

 それを理解しているのに頭だけが止まってくれないから、もう一度眠ろうとしても眠れなかった。


 彰人は他の者を起こさないように建物を出た。

 屋上へ上がると、先客がいた。


「おはよ」


 智希だった。


「……なんでおんねん」

「起きちゃった」

「お前もかい」


 智希は屋上の縁に腰掛け、まだ暗い町を見ていた。

 昨日まで人が暮らしていた場所には明かりがほとんどない。

 星空の下に並んだ建物は、誰かが戻ってくるのを待っているようだった。

 彰人もその隣へ座る。

 しばらく、二人とも星堕としの話をしなかった。


 日本へ帰った四人の話。

 智希が買ってきたペットフードの量。

 怜司の家に郵便物が溜まっていたこと。

 どうでもいい話を続けているうちに、彰人の頭の中を占めていたものが少しずつ薄くなっていく。


「兄貴の郵便、勝手に見てへんやろな」

「見てないよ。雅史がまとめてた」

「帰ったら絶対そのまま放置するで」

「ニイさんだしね」

「なんやその信頼」


 彰人が笑う。

 智希も小さく笑った。

 友人が付き合ってくれていることに彰人は気づいていたが、礼を言う必要はないと思った。

 言えば智希も困るだろう。

 だから、そのまま空を眺めた。

 東の空が僅かに明るくなり始めている。


「そろそろ朝か」


 彰人が呟いた。

 智希は答えなかった。

 視線が、東ではない方向へ向いている。


「智希?」

「あれ」


 指された先を見る。

 空の一点が明るい。

 夜明けの光とは違う。

 地平線から広がってくるものではなく、まだ暗い空の中に、一つだけ白く浮かんでいる。

 星にしては明るい。

 昨日まで見えていた星々とは、位置も光り方も違っていた。


 彰人は立ち上がった。

 目を凝らしている間にも、その光は僅かに大きくなっているように見える。

 気のせいではない。

 空が明るくなったことで見えやすくなったのでもない。

 こちらへ近づいている。


「……智希」

「うん」


 二人は同時に屋上を離れた。


     ◇


「起きて! 来てる!」


 智希の声が建物内へ響いた。

 彰人も部屋を回り、眠っている者を起こしていく。

 普段なら起床後に身支度を整える者たちも、今朝ばかりはそんな余裕がない。

 桜子は上着を羽織っただけの姿で廊下へ出てきた。


「どこや」

「上。もう見える」

「分かった」


 いつものように何か一言返してくるかと思ったが、桜子はそれだけを確認するとすぐに動いた。

 三柱や八傑にも声が届き、建物の中から眠気が急速に消えていく。

 彰人は最後に怜司の部屋へ向かった。

 扉を開ける。


「兄貴、起き――」


 怜司は座っていた。

 すでに服も着ている。

 彰人は一瞬、言おうとしていたことを忘れた。


「……起きとる」

「なんやねん」

「いや、そこにもびっくりした」

「失礼やな」


 普段なら、起こしてもなかなか動かないことがある。

 その怜司が、自分たちより先に目を覚ましていた。

 彰人は笑いかけて、やめた。

 怜司が窓の外を見ている。


「兄貴も見えたん?」

「見てへん」

「ほな、なんで起きたん」


 怜司はすぐには答えなかった。

 言葉を探しているというより、自分が感じているものをどこまで言葉にできるのか確認しているようだった。


「なんか来てるんは分かる」

「星やろ?」

「せやと思うんやけどなぁ」


 そこで怜司は僅かに眉を寄せた。


「今まで聞いてたんと、なんかちゃう感じする」


 何が違うのかと聞いても、おそらく説明はできない。

 彰人はそれを知っている。


「分かった。とりあえず外出よ」

「おう」


 二人が外へ出る頃には、他の者たちも集まり始めていた。

 セレスティアは最低限身支度を整えていたが、普段より髪が僅かに乱れている。

 彰人の視線が一瞬だけそこへ向いた。

 セレスティアも気づいたらしい。

 互いに何も言わず、彰人が先に空へ視線を戻した。

 今はそれどころではない。

 町の外へ出れば、空に浮かぶものは屋上から見たときよりも明確になっていた。

 星と呼ぶには大きすぎる。

 遠くにあるはずなのに、輪郭が分かり始めている。

 ガルディオがそれを見上げたまま、低く呟いた。


『……大きい』


 彼は過去にも星堕としを見ている。

 そのガルディオが口にしたことで、周囲の空気が僅かに変わった。


『それだけではありません』


 セレスティアが空を見上げていた。


『色が違います』


 ガルディオも目を細める。

 これまでの星堕としについて聞いていた十二神承には、その違いを直接比較することはできない。

 だが、ヴァルネシア側の者たちには分かる。

 これまで空を落ちてきたものとは、光の質が違う。

 明るいのに温かさを感じない。

 表面を覆う光の内側に、別の色が混ざっている。


 黒。


 遠すぎて形までは分からないはずなのに、その光の中に、何かが蠢いているようにも見えた。


「優斗」

「見てる」


 優斗はすでに空へ意識を向けていた。

 距離がありすぎる。

 それでも、ただ一つの塊ではないことだけは分かる。


「なんかあるな」


 その声が少しだけ低くなった。

 次の瞬間、星堕としの表面から、小さな黒い点が離れた。

 最初は破片に見えた。

 星本体から剥がれたものが、先に落ちてきているだけだと考えても不自然ではない。

 だが、一つではなかった。

 少し間を置いて、もう一つ。

 さらにその後ろから、いくつもの黒い点が離れていく。


「破片……?」


 恭平が目を細めた。

 優斗は答えなかった。

 落下してくる物体を追っている。

 近づくにつれて、形が見えてくる。

 岩ではない。

 滑らかな外殻に覆われ、縦に長い。

 卵にも見える。

 人工物のカプセルにも見える。

 どちらにも見えるからこそ、どちらとも言い切れない。

 しかも落下している途中で、その表面が僅かに動いた。


「……あれ、動いてない?」


 智希の声から、さっきまでの軽さが消えた。

 最初の一つが、町から離れた地面へ落ちた。

 土が大きく跳ね上がる。

 着弾の衝撃が離れた場所まで届き、地面を伝った振動が足元を揺らした。

 全員の視線がそこへ集まる。

 砂埃の中に、落下物がある。

 割れていた。

 外殻が左右へ開き、その内部から何かが這い出してくる。

 最初に見えたのは脚だった。

 四本。

 そう思った直後、その内側からさらに二本が伸びた。

 黒い外殻に覆われた身体は獣に似ているが、既知の動物へ当てはめようとすると、必ずどこかが合わない。

 脚の関節は一つ多く、背中は異様に高い。

 頭部らしき部分には目が見当たらない。

 代わりに、その下半分を占めるほど大きな裂け目が開き、内部に並んだ歯のようなものが露出した。


「……きっしょ」


 智希が素直な感想を漏らした。


「同感っす」


 恭平も顔をしかめる。

 敵性体は地面へ身体を低くした。

 周囲を確認している様子はない。

 目がない以上、何を基準にこちらを認識したのかも分からない。

 それでも次の瞬間には、迷うことなく十二神承たちのいる方向へ走り始めた。


「来るで」


 彰人が身構える。

 だが、最初に動いたのは恭平だった。

 地面を蹴り、敵性体の正面へ入る。

 相手が大きく口を開いた瞬間、その身体を横から打ち抜いた。

 黒い身体が地面から浮き、そのまま数メートル先まで転がっていく。

 外殻の一部が砕けた。

 内部から出たものは、血液と呼んでいいのか分からない色をしていた。


「硬いっすね」


 恭平は手応えを確かめながら言った。

 倒せないほどではない。

 だが、見た目だけの生物でもない。

 恭平が追撃しようとしたところで、上空から別の音がした。

 二つ目が落ちる。

 続いて三つ目。

 最初の個体とは形が違った。

 一つは細長い脚を持ち、地面へ着いた直後から異常な速さで走り始める。

 もう一つは背中に膜状の器官を広げ、そのまま地面へ降りることなく空中へ留まった。


「種類おるんかい」


 彰人が吐き捨てるように言う。

 地上を走る個体へ向かおうとしたところで、上空の一体が身体を傾けた。

 その動きより早く、一本の光が空を貫く。

 優斗の放った矢が敵性体を射抜き、身体ごと後方へ弾き飛ばした。


「飛んでるのはワシが見るよ」

「頼む!」


 彰人は地上へ意識を戻した。

 その間にも落下物は増えている。

 ガルディオと八傑も動き始めた。

 彼らにとっても見たことのない相手であることに変わりはない。

 だからこそ、一体を倒すたびに何が効いたのかを確認し、次の個体へ繋げていく。

 武門に属する者も、力任せに武器を振るっているわけではなかった。

 外殻のどこが硬く、どの関節なら動きを止めやすいのか。

 身体をどう使って攻撃し、こちらから一撃を受けたときにどんな反応を返すのか。

 初めて見る生物だからこそ、一度の交戦から拾える情報を見逃さず、それを次の一体へ当たる者へ伝えていく。

 数が増え始めている以上、一人が同じ失敗を繰り返す余裕はない。

 武門の者たちらしい荒々しい戦い方の中にも、未知の相手を分析しながら対応を変えていく冷静さがあった。

 短い交戦の中から情報を拾い、それを近くにいる者へ共有していく。


 十二神承側も同じだった。

 清隆は自分から敵の群れへ入らず、倒された個体と動いている個体を見比べている。


「頭部を破壊しても止まらない個体がいる。中枢が同じ位置にあるとは考えない方がいい」

「先言うて!」


 彰人が頭部を殴り飛ばした個体が、そのまま前脚を振り上げる。

 身体を捻って避け、その勢いのまま胴体へ蹴りを入れた。

 今度は動かなくなった。


「そっちかい!」

「個体差がある」

「便利な言葉やな!」


 別方向では、智希が敵性体の横を抜けていた。

 真正面から力をぶつけるのではなく、動きを誘導し、相手が向きを変えた瞬間に死角へ入る。

 生物としては異質でも、身体を動かす以上、重心は存在する。

 脚の一本を崩されれば姿勢は乱れ、そこへガルディオの一撃が入った。

 戦える。

 少なくとも、今落ちてきている個体については。

 その認識が共有され始めた頃だった。


「……まだ来るよ」


 優斗が言った。

 誰かが返事をするより先に、空を見れば意味は分かった。

 黒い点が増えている。

 最初は一つずつだった。

 今は違う。

 星堕としの表面から、いくつもの塊が同時に剥がれ落ちている。

 遠くにあるうちは小さな点にしか見えない。それらが高度を下げるにつれて形を持ち、一つ一つが先ほどと同じ卵状の落下物であることが分かってくる。

 数十という単位なら、まだ目で追えた。

 そこから先は、数えること自体に意味がなくなった。

 空の一部が黒く濁っていく。

 朝の光を背にして落ちてくる無数の物体は、雨というには大きく、群れというには広すぎる。

 地面へ落ちる音が、町の外側から次々と響き始めた。

 そのたびに外殻が割れる。

 中から何かが出てくる。

 四足。

 多脚。

 飛行するもの。

 身体の半分ほどを硬い外殻で覆ったもの。

 他の個体より明らかに大きく、周囲の小型個体を押し退けながら進むものまで混ざり始める。

 町の外に広がっていた景色が、少しずつ黒い異形に埋められていった。

 それでも、十二神承たちはまだ神装していなかった。


 必要がなかったからだ。


 恭平は数体に囲まれても、相手が攻撃へ移る前に位置を変えている。

 彰人は硬い個体ほど構造を見ながら壊し方を変え、智臣は複数をまとめて動かせる位置を選んで処理していく。

 優斗の矢は空中にいる個体を優先し、地上へ届く前に数を減らしていた。

 洋一も一か所へ留まらず、処理が遅れている場所を見つけるたびに穴を埋めていく。

 そして、怜司の前にも一体が飛び込んだ。

 最初に現れたものより一回り大きい。

 黒い口が開き、怜司の肩へ食らいつこうとする。

 怜司は半歩だけ身体をずらした。

 伸びてきた頭部の横へ指を当てる。

 軽く弾く。

 乾いた音がした。

 敵性体の身体が横方向へ消えた。

 少し離れた場所で別の個体を処理していた彰人の視界を、黒い何かがものすごい速度で横切っていく。

 数秒後、遠くで地面を転がる音がした。


「兄貴!」

「なんや」

「それ生き物にやるデコピンちゃうぞ!」

「噛もうとしてきたん向こうやで」

「そういう話ちゃうねん!」


 怜司は納得していない顔をしている。

 その横へ、別の個体が飛び込む。

 今度は手の甲で払った。

 また飛んでいった。


「もうええわ!」


 彰人は自分のところへ来た敵性体へ向き直った。

 こんな状況でも、いつものやり取りは残っている。

 だが、その余裕も長くは続かなかった。

 敵性体の数が減らない。

 倒している。

 確実に倒している。

 それでも、空から供給される数の方が多い。

 さらに、落下地点そのものが広がり始めていた。

 当初想定していた星堕としの進行方向だけではない。

 空中で外殻を開く個体が現れ、中から出た敵性体が自力で方向を変える。

 飛行型はそのまま町の側面へ回り込み、地上型も落下した場所から好きな方向へ散っていく。


 桜子は防壁の内側から、その動きを見ていた。

 地下避難施設を守るために用意した防壁は、上空と星堕としの飛来方向を中心に広げている。

 破片が飛んでくるだけなら、それで十分なはずだった。

 だが、今落ちてきているものは、ただ軌道に従って飛ぶ破片ではない。

 意思と呼べるものがあるのかまでは分からなくても、地上へ降りたあとに自分で動き、進む方向まで変えている以上、正面にある防壁を避けて側面へ回り込むこともできる。

 これまでのように、星が来る方向だけを厚く守るという考え方そのものが通用しなくなっていた。


「……あかんな」


 桜子の視線が、防壁の外周を走った。

 正面を厚くしても意味がない。

 守るなら、全部を覆う必要がある。

 桜子の周囲で空気が変わった。

 白金の光とは違う、彼女自身の神気が身体の輪郭に沿って立ち上がっていく。


「義姉やん?」


 彰人が気づいた。


「こっから先、前だけ見とったら抜かれる」


 桜子は敵性体ではなく、背後にある地下施設を見た。

 今は避難者がいない。

 それでも、ここは防衛拠点であり、資材も救護設備も集められている。

 星堕としのあと、人々が戻ってくるためにも必要になる場所だった。


「全部包むで」


 神装が展開される。

 桜子の姿が変わるのと同時に、それまで一方向へ広げられていた防壁の形が変化した。

 上空を覆う。

 左右へ回る。

 地面へ向かって閉じる。

 一枚の壁ではない。

 地下施設を中心として、周囲そのものを包み込む巨大な防御領域へ変わっていく。

 敵性体の一体が側面から飛び込み、防壁へ激突した。

 鈍い衝撃が響く。

 桜子の身体が僅かに揺れた。

 防壁は崩れない。

 だが、直後に別方向から二体、三体と続けて衝突する。


「数、多すぎやろ……!」


 守れる。

 しかし、守れることと負担がないことは違う。

 広げた面積が大きくなれば、それだけ意識を向けなければならない場所も増える。

 敵性体がどこから来るか分からない以上、一方向へ集中することもできない。

 良澄は桜子の呼吸が僅かに変わったことに気づいた。

 まだ限界には遠い。

 だからこそ、限界へ近づいてから支えるのでは遅い。


「僕も出ます」


 良澄が一歩、桜子へ近づいた。

 敵性体へ向かうためではない。広がった防壁の中心で、全方位から伝わる衝撃を受け続けている桜子の状態を確かめられる位置へ入るためだった。

 良澄の足元から、柔らかな光が広がっていく。

 それは桜子の神装が放つ力強い神気とも、恭平たちが戦いの中で見せる鋭い気配とも違っていた。

 静かに水面へ広がる波紋のように地面を走り、周囲の空気を包みながら、良澄自身の輪郭へと戻っていく。

 光の向こうに、白い鹿の姿が浮かんだ。

 大きく枝分かれした角。その輪郭から淡い光が零れ、背後へ広がった神気が良澄の身体へ重なる。

 白を基調とした神装が形を成していく。

 華美な威圧感はなく、身体を包む装甲も、敵を打ち砕くためのものというより、そこに立つ者を静かに支えるような印象を与えた。

 最後に頭上へ伸びた光が角を思わせる意匠を描き、それが収まったとき、先ほどまで戦場を満たしていた騒音の中に、不思議なほど澄んだ気配が一つ加わっていた。

 白鹿の神装。

 良澄は自分の姿を確かめることもなく、すぐに桜子へ意識を向けた。


 桜子の力そのものを肩代わりするわけではない。

 彼が整えるのは、桜子自身だ。

 広範囲へ意識を向け続けることで生じる偏りを抑え、呼吸と身体の状態を安定させる。

 守る力を増やすのではなく、守り続けられる状態を維持する。

 それだけでも、桜子にとっては大きかった。


「助かるわ、良澄」

「無理する前に言ってくださいね」

「無理する前やから言うてへんねん」

「それなら、勝手に見てます」

「そうしといて」


 二人の間にそれ以上の確認は必要なかった。

 だが、防壁を維持できても、その外側に敵性体が溜まり続ければ状況は悪くなる。

 恭平は周囲を見回した。

 一体ずつなら問題にならない。

 数体でも同じだ。

 しかし、今は倒した個体を避ける必要すらあるほど、地上へ降りた敵性体が増えている。

 動くための空間が狭くなれば、恭平自身の速度を活かせなくなる。


「俺も行くっす」


 神気が立ち上がる。

 狼の神装を纏った恭平は、先ほどまでとは明らかに違う速度で地面を蹴った。

 狙うのは、桜子の防壁へ近づく個体。

 倒す順番を変える。

 近いものからではない。

 動きが速いもの。

 防壁へ到達するまでの時間が短いもの。

 大型個体の陰に隠れて接近するもの。

 それらを見分け、危険度の高い順に潰していく。

 智希も同じ意図を理解した。


「じゃ、僕は反対側」


 九尾の神装が展開される。

 恭平とは逆方向へ走り、敵性体の流れを崩す。

 正面から倒す必要はない。

 大型個体の進行方向を変え、その後ろにいた小型を巻き込ませる。

 飛行型が高度を下げれば優斗の射線へ押し出し、数が集まれば洋一たちがまとめて処理できる場所へ誘導する。


 神装した二人が動き始めたことで、桜子の防壁へ直接届く敵性体は目に見えて減った。

 良澄が桜子を整え、恭平と智希が外側を整理する。

 一人の力を上げるためではなく、一つの防御を維持するために役割が繋がっていく。

 その様子を見ていた八傑も、自分たちの配置を変えた。

 十二神承の動きを眺めているだけではない。

 恭平たちが作った空間へ入り、取りこぼした個体を処理する。大型の敵性体には複数で当たり、一人が正面を受けている間に別の者が関節を狙う。

 初めて見る敵を相手にしているにもかかわらず、戦場は少しずつ整理されていった。


 それでも。


 空だけは、変わらなかった。

 むしろ黒い点は増えている。

 星堕とし本体が近づくほど、その輪郭も明確になっていく。

 巨大だった。

 町一つと比較できるような距離まで来ているわけではない。それでも、空にあるものとして考えれば異常な大きさだと分かる。


 そして、その表面から今も黒い落下物が離れ続けている。

 優斗は矢を放ちながら、上空へ視線を向けた。

 倒した数を数えることは、とっくにやめている。

 地上にいる個体だけでも、視界の端まで黒い影が動いている。

 さらにその向こうにもいる。

 数千なのか。

 万を超えているのか。

 今となっては、それを知る意味も薄かった。


 処理できている。

 だが、終わりがない。


 彰人が大型の敵性体の腕を受け流し、その懐へ入り込んだ。

 外殻の継ぎ目へ拳を叩き込み、内部を破壊する。

 巨体が傾く。

 倒れる方向まで確認してから離れ、次の個体を探した。

 そこで、視線が止まった。

 また落ちてくる。

 自分たちが何体倒したところで、上から追加される。


「……これ」


 彰人は息を整えながら空を見上げた。

 少し離れた場所で、清隆も同じものを見ていた。

 洋一も、優斗も。

 誰か一人が気づいたわけではない。

 戦っている全員が、それぞれの場所で同じ結論へ近づき始めていた。

 目の前にいるものを倒すだけでは終わらない。

 敵性体がどれだけいるのかが問題なのではない。

 今も増えていることが問題だった。


「清隆!」


 彰人が叫ぶ。


「分かっている!」


 清隆は星堕とし本体から落下するものの間隔を見ていた。

 一定ではない。

 むしろ時間が経つほど増えている。

 星本体が近づいたことで放出量が増えたのか、それとも別の理由があるのかは分からない。

 だが、このまま待てば状況が改善する可能性は低かった。


「供給元を止めない限り、処理数を上回る」

「やっぱそうなるやんな!」


 彰人は再び空を見る。

 星堕としは、朝の空に巨大な異物として浮かんでいる。

 昨日まで彼らが考えていたのは、落下する星をどう防ぐかだった。


 今は違う。

 あれはただ落ちてくるだけのものではない。

 内部に何かを抱え、それを地上へ送り込んでいる。

 しかも、出てきたものは明確にこちらへ襲いかかってきた。

 自然現象として受け取るには、あまりにも異質だった。


 星堕としについて聞いてきた話と違うと、怜司が朝に感じた理由。

 その答えが何なのかは、まだ誰にも分からない。


 ただ一つ。

 今までの星堕としにはなかったものが、今回はある。

 こちらを害そうとするものが、空から降ってきている。


 洋一は周囲の戦況を確認した。

 桜子の防壁は維持されている。

 良澄が支えている。

 恭平と智希も動けている。

 八傑もガルディオも戦えている。

 まだ崩れてはいない。

 だからこそ、崩れるまで同じことを続ける必要はなかった。


「本体をどうにかしないと駄目ですね」


 その言葉に、近くにいた者たちが空を見上げた。

 黒い群れの向こう。

 朝の空を覆う巨大な星。

 そこから、また新しい落下物が剥がれた。

 そして一つでは終わらない。

 後ろから次々と続いていく。

 地上では、倒された敵性体の向こうから新しい個体が姿を現していた。


 十二神承はまだ戦える。

 神装していない者も多い。

 それでも、目の前の敵をいくら倒せるかという話ではなくなっていた。

 空にあるあれを残している限り、この戦いそのものが終わらない。

 彰人は拳についた黒い体液を振り払い、もう一度だけ星を見上げた。


「……ほんま、きりないで」


 その言葉を聞いた怜司も、ようやく敵性体から視線を外した。

 朝から何度も見上げていた星を、今度は少しだけ長く見る。

 巨大な本体。

 そこから地上へ降り続ける、無数の黒い影。

 怜司は何も言わなかった。


 ただ、その視線だけが、初めて地上ではなく星そのものへ向けられていた。

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