言葉の向こう
三つの白い光が、ほとんど同時に裂け目を抜けた。
一発目より、わずかに速い。
怜司は避けず、最初の一発を右手で受けた。
掌に触れた光が弾ける。白い粒子のようなものが一瞬だけ視界を覆い、すぐに消えた。
痛みはない。熱も感じない。
ただ、最初に受けた時には気にしていなかった感覚が、今度ははっきりと分かった。重いものをぶつけられたというより、何かに一瞬だけ強く押されたような感触に近い。
二発目も同じだった。
手の中で光が散り、腕が僅かに後ろへ押される。
「兄貴、次!」
「おう」
三発目が正面まで迫る。
今度は掌を斜めに合わせた。真正面から止めるのではなく、触れた瞬間に横へ流す。
白い光は怜司の手に沿って軌道を変え、そのまま杉の幹へ突き刺さった。
乾いた破裂音が響く。
樹皮が弾け、細かな木片が地面へ散った。
周囲から発生するはずの音だけが消えている杉林では、その音が妙に大きく聞こえた。
「おー」
「兄貴、手」
「ん?」
「木ちゃう。手ぇ見せて」
言われるまま右手を開く。
赤くなっているわけでもなく、皮膚に傷がついた様子もない。
彰人はそれを確かめると、すぐに光が当たった杉へ近づいた。
表面の樹皮が拳二つ分ほど抉れている。中心はさらに深く、指を入れれば第一関節くらいまでは入りそうだった。
木そのものを折るほどではない。だが、生身の人間が平気で受けられる威力とも思えなかった。
「……やっぱ兄貴、参考にならんな」
「なんでやねん」
「これ見てから自分の手ぇ見てみ」
怜司も杉を見る。
確かに、それなりに壊れていた。
「人が食らったら痛そうやな」
「その感想が出るんやったら最初から避けろや……」
「でも避けたら後ろに当たるやん」
「分かってる。今回はそれでええ」
彰人は杉の傷をもう一度確認すると、裂け目の向こうへ視線を戻した。
先ほどまでの呆れた表情が消える。
三本の杖をこちらへ向けていた者たちは、まだ同じ場所にいた。だが、その先端に集まっていた白い光は消えている。
長い耳を持つ者が隣へ何かを言い、獣の顔をした者が短く答える。その後ろでも複数の声が重なっていた。
何を話しているのかは分からない。
ただ、再び撃とうとしているようには見えなかった。
「最初の一発と今の三発、多分ほぼ同じもんやな」
「ああ」
「杖の先に光が集まってから飛んでくる。速度も大体同じ。三発目も、兄貴が逸らした以外は変わってへんと思う」
「おう」
「あと、こっちの木にも普通に当たる」
「なるほど」
「……聞いてる?」
「聞いてるで」
「なんかもうちょい言えや」
「ちゃんと分析してんなぁと思って」
「他人事みたいに言うな!」
彰人が振り返る。
怜司は口の中のガムを噛みながら笑った。
「ほな、何なん?」
「まだ分からん。けど、少なくとも見た感じでは、向こうで使ってる何かがこっちに来たからって消えたり弱くなったりはしてへん」
「魔法?」
「それもまだ決められへん。見た目はそれっぽいけどな」
「魔法っぽいやん」
「兄貴が『っぽい』で決めると話進まんねん」
「便利やのに」
「分析に便利さ求めんな」
彰人はそう言いながらも、再び裂け目の向こうを観察し始めた。
怜司もつられて視線を戻す。
向こうでは草が風に揺れている。
背の低い草が一方向へ倒れ、少し遅れて起き上がる。それが波のように遠くまで続いていた。
こちらの杉林では、相変わらず葉擦れの音ひとつ聞こえない。
裂け目の向こうから流れ込んでくる草の匂いや風は感じる。向こう側で誰かが動けば、足音も聞こえる。それなのに、背後にあるはずの杉の枝が揺れる音だけは聞こえなかった。
二つの場所は繋がっている。
だが、今立っている杉林そのものが普通ではないことも変わっていない。
「裂け目と林、別なんかな」
「可能性はあるな。林の異常が先に起きて、その後で裂け目が開いてるから」
「ほな、二個調べなあかんやん」
「増えて嬉しそうにすんな」
「暇よりええやろ」
「兄貴が暇を嫌う理由、だいたい周りが迷惑すんねん」
「ひどい言われようやなぁ」
怜司は笑いながら、もう一度向こう側の者たちを見る。
先ほどから武器は下ろしていない。警戒していることは間違いなかった。それでも、杖に光を集める者はいない。
怜司には、向こうにいる者たちも次にどうすればいいのか分からなくなっているように見えた。
裂け目の向こうから、自分たちはどう見えているのだろう。
何もなかった場所に突然、知らない場所へ続く穴が開いた。その向こうにいたのは、見たことのない服を着た男と、自分たちより遥かに大きな白金の獅子。
声を掛けても言葉は通じない。警告したところで、その意味が伝わったのかも分からない。
そして攻撃した。一度。さらに三度。
それでも男には傷一つつかず、そのうえ向こうからは一度も攻撃を返してこない。
最初から戦うつもりなら、妙な話だった。
少なくとも怜司なら、相手を倒すと決めているのに四発も黙って受けたりはしない。
向こうも同じように考えるかは分からない。だが、そう考える可能性はある。
「彰人」
「なんや?」
「やっぱ、まだ敵ちゃうな」
彰人はすぐには答えなかった。
杖を持つ者たち、その後ろにいる槍や弓を構えた者たちへ順番に目を向ける。
「……敵かもしれんで」
「ああ」
「少なくとも向こうが攻撃してきたんは事実や」
「せやな」
「でも、敵やって決めるには情報が足らん」
「せやろ?」
「なんで嬉しそうやねん」
「意見合ったやん」
「普段からもうちょい合わせてくれ」
「努力はする」
「今からしてくれ」
できるかどうかは分からない。
怜司がそう答えようとした時、裂け目の向こうが急に騒がしくなった。
後ろにいた者たちが左右へ分かれていく。
何かから逃げている様子ではない。中央に一本の道を作るように、皆が自然に場所を空けていた。
「なんや?」
「誰か来る」
彰人の言葉とほぼ同時に、その間から一人の女が姿を現した。
最初に目についたのは、風に流れる長い銀色の髪だった。その間から、細長く尖った耳が伸びている。
見た目だけなら怜司たちと同じか、それより若いくらいに見えた。
白を基調とした長い衣服には、文字なのか模様なのか分からない細かな意匠が刻まれている。手にしている杖の先では青い石が宙に浮き、歩く動きに合わせて何にも固定されていないはずの石まで同じ位置を保ったままついてきた。
「エルフや」
「まだ決めつけんな」
「耳尖ってるで」
「それだけでエルフ認定すんな」
そう言いながらも、彰人も否定しきれないらしい。
怜司たちが知っている創作物の中に出てくるエルフと言われれば、確かにそのまま通りそうな姿をしている。
ただ、怜司が気になったのは外見より周囲の方だった。
女が歩くたび、武器を持った者たちが何も言われずに道を空ける。誰かが先導しているわけでもない。それでも進路を塞ぐ者はいなかった。
「偉い人なんかな」
「多分な」
「彰人、ああいうの好きそうやのに」
「何を根拠に言うてんねん」
「考古学」
「関係ないわ!」
女がこちらを見た。
最初に怜司。
続いて彰人。
そして二人の隣に立つ白金獅子へ視線が移る。
そこで初めて、その表情が大きく変わった。
目が僅かに見開かれ、そのまま白金獅子を見つめる。
「お前見て驚いてるで」
『お前を見て驚いている可能性もある』
「俺は普通やろ」
「その話さっきしたやろ!」
女が片手を上げた。
それだけで、周囲の声が止まった。
三本の杖がゆっくりと下げられる。槍や弓を持つ者たちも完全に武器を手放したわけではないが、少なくとも先端をこちらへ向けるのはやめた。
女は背後へ何かを告げた。
短い言葉だった。
それを聞いた三人がさらに一歩下がる。
「やっぱ偉い人っぽいな」
「ああ」
女は裂け目のすぐ前まで来ると、今度は怜司たちだけでなく周囲を見始めた。
杉林。
地面。
光弾が当たって抉れた木。
そして怜司の右手。
視線がそこで止まる。
「手ぇ見てんな」
「そら気になるやろ。あれ食らって無傷やねんから」
「見せたろか?」
「余計なことすんな」
「見せるだけやん」
「兄貴の『だけ』は信用ならん」
何もしていないのに止められた。
仕方なくポケットへ手を入れようとして、今度は彰人に腕を押さえられる。
「何?」
「それもやめとけ」
「なんで?」
「向こうからしたら何出すか分からんやろ」
「ガムくらいしか入ってへんで」
「向こうはそれを知らん言うてんねん」
「ああ」
確かにそうだった。
怜司は両手を身体の横へ戻す。
女はこちらのやり取りを黙って見ていた。
言葉の意味は分からなくても、彰人が怜司を止めたことくらいは伝わったのかもしれない。
その視線が二人の顔を何度か行き来する。
やがて女は、自分の胸元へ手を置いた。
何かを言う。
聞いたことのない言葉だった。
続けて怜司たちを指し、また何かを問いかける。
「……名前?」
「かもしれんな」
怜司は自分を指した。
「怜司」
女が僅かに首を傾げる。
「八代怜司」
もう一度言ってみる。
反応は変わらない。
「通じへんな」
「当たり前やろ」
「神獣でも翻訳できへんしな」
『なぜ改めて我を見る』
「一応」
『ないものはない』
「不便やなぁ」
『我の責任ではない』
女は三者の会話をじっと見ていた。
ときどき口元が動く。こちらの発音を真似しているようにも見える。
怜司が喋る。
彰人が返す。
白金獅子が口を開く。
そのたびに視線が声の主へ移り、何かを確かめるように僅かに目を細めた。
「……聞いてんのかな」
「多分」
「何を?」
「知らん。発音とか、喋る時の反応とかちゃう?」
「考古学?」
「言語学や!」
「似たようなもんやろ」
「全然ちゃうわ!」
怜司の言葉に彰人が声を上げる。
その瞬間、女の視線が彰人へ動いた。
次に怜司。
もう一度彰人。
何かに気づいたように目を細め、自分の杖へ視線を落とした。
「なんかした?」
「俺に聞くな」
女が杖を持ち上げる。
彰人の表情が変わった。
怜司も僅かに重心を移す。
先ほど攻撃した者たちと同じ形の杖ではない。色も違う。
だが、この世界で杖が何に使われるものなのか分かっていない以上、警戒しない理由もなかった。
杖の先に浮かぶ青い石が淡く光る。
先ほどの白い光ほど強くはない。眩しさもなく、光は石を中心に薄く広がった。
「兄貴、まだ何もすんなよ」
「おう」
『害意は感じぬ』
白金獅子が女を見据えたまま言う。
「何してるか分かる?」
『分からぬ』
「やっぱ分からんのや」
『お前は我を万能だと思いすぎではないか』
「神獣やのに」
『神獣だから何でもできるわけではない』
「夢ないなぁ」
『お前に言われたくはない』
そんなやり取りをしている間にも、青い光は少しずつ広がっていった。
裂け目の向こうだけではない。光の一部が境界を越え、細かな粒子のようになって怜司たちの周囲へ漂い始める。
身体に触れても、何も感じない。熱くも冷たくもなかった。
女は目を閉じた。
短い言葉を何度か繰り返す。
同じ音、少し違う音。自分を指し、怜司を指し、今度は彰人を指す。さらに裂け目を示し、空を指した。
意味は分からない。
それでも、ただ話しかけているわけではないことは分かった。
「彰人」
「なんや?」
「これ、言葉調べてんのかな」
「……俺もそう見える」
「ほな喋った方がええ?」
「多分。その方が情報は増えるやろな」
「何喋る?」
「なんでもええんちゃう?」
怜司は少し考えた。
「今日暑いな」
「なんで天気の話やねん」
「なんでもええ言うたやん」
「言うたけど、もうちょい他にあるやろ!」
「九月入ったのに全然涼しならへんし」
「そういう意味ちゃうわ!」
「ほな彰人喋れや」
「俺?」
「俺より得意やろ」
「何基準やねん!」
女は二人のやり取りを黙って見ている。
意味など分かるはずもない。それでも、怜司が何かを言えば彰人が反応し、彰人が声を上げれば怜司が笑う。
言葉だけではなく、表情や動きまで一つずつ拾っているようだった。
やがて、杖の青い光が揺れた。
怜司の周囲を漂っていた粒子が、一瞬だけ強く輝く。
「……ん?」
何かが変わった。
痛みはない。身体に触れられた感覚もない。
それなのに、自分の内側へ細い糸を伸ばされたような妙な感触が残る。
考えていることを読まれているわけではない。記憶を覗かれている感じとも違う。
もっと曖昧だった。
たとえば、目の前に車があれば、それが車だと考える前に分かる。火を見れば熱いものだと知っている。誰かが笑えば、それが怒っている顔ではないことを理解する。
言葉にするより先に、自分の中に存在しているもの。
そういう部分を、遠くから探られているような感覚だった。
「……彰人」
「ああ。俺もなんか変な感じする」
彰人が自分の胸元へ手を当てる。
「頭ん中見られてるとかとはちゃうな」
「せやな」
『我にも感じる』
白金獅子まで同じらしい。
女は目を閉じたまま、さらに何かを呟いている。
「止める?」
怜司が聞く。
彰人はすぐには答えなかった。
女を見て、その後ろにいる武器を下げた者たちを見る。
「……もうちょいだけ」
「おう」
『同意する』
「珍しく全員一致やな」
「兄貴がおかしなこと言わんかったら大体一致すんねん」
「失礼やなぁ」
女が目を開いた。
怜司を見る。
そして、ゆっくりと口を開いた。
知らない音が聞こえた。
さっきまでと同じだった。日本語ではない。単語がどこで区切られているのかさえ分からない。
それなのに。
怜司は眉を上げた。
「……あれ?」
意味がある。
聞き取れたわけではない。頭の中で日本語へ変換されたわけでもない。
声は依然として理解できないままだった。
ただ、その音が示そうとしているものだけが、自分の中に浮かんでくる。
『聞こえる』。いや、少し違う。『届いている』。
もっと近いものを探そうとすると、『声』、『理解』、『確認』といったいくつかの意味が重なって浮かび、どれか一つには決められなかった。
「彰人」
「待って。俺も今なんか分かった」
彰人も戸惑ったように眉を寄せている。
「日本語に聞こえた?」
「いや。全然」
「俺も」
女が再び何かを言った。
今度は自分自身を指している。
最初の部分は分からなかった。だが、その後に続いた音だけは、先ほどより強い意味を持って怜司の中へ落ちてきた。
『自分』、『呼ぶもの』、『他者から自分を区別するもの』。
断片的な概念が重なり、一つの意味を作る。
「……名前か」
怜司が呟く。
女が僅かに目を見開いた。
こちらの言葉を理解したわけではない。だが、反応が変わったことには気づいたらしい。
もう一度、自分の胸元へ手を置く。
『セレスティア』
今度は、ほとんど迷わなかった。
音自体は知らない。それでも、それが彼女自身を示していることだけは分かる。
『セレスティア=エルネシア』
「セレスティア?」
怜司が繰り返す。
女――セレスティアが小さく頷いた。
「通じた」
「名前だけな」
「十分やん」
「まあ、最初としてはな」
怜司も自分を指した。
「八代怜司」
セレスティアが目を閉じる。
青い光が僅かに強くなった。
『……レイジ』
「おお」
続けて彰人を指す。
「こっち彰人」
『……アキト』
「合ってる合ってる」
「兄貴が採点すんな」
セレスティアの口元が僅かに緩んだ。
初めて見せた、警戒以外の表情だった。
ほんの少しだけ空気が変わる。
それまで裂け目を挟んで向かい合っていた者たちの緊張が消えたわけではない。後ろにいる者たちは、まだ武器を手にしている。
彰人も完全に警戒を解いてはいない。白金獅子もセレスティアから目を離さなかった。
それでも、名前を交わせる相手になった。
少なくとも、何者か分からないまま光を撃ち合うよりは前に進んでいる。
セレスティアの視線が白金獅子へ移る。
『……ライ……』
『白金獅子だ』
「お前は通じてへんやろ」
『名乗っただけだ』
「ライオンでええやん」
『よくない』
「まだ言うてる」
セレスティアは白金獅子と怜司を交互に見る。
そして何かを察したのか、僅かに首を傾げた。
「たぶん呆れられてんで」
『お前にな』
「なんで分かんねん」
「俺でもそう思うわ」
「彰人まで」
再び、セレスティアの口元が少し緩んだ。
意味は通じていなくても、三人が争っているわけではないことくらいは分かるのだろう。
青い光は消えなかった。
むしろ時間が経つほど、届いてくる意味が少しずつ明確になっている。
セレスティアが裂け目を指した。
次にこちら側の杉林。
そして怜司たち。
何かを問いかける。
最初は分からなかった。
だが、何度か繰り返されるうちに、『場所』、『住む』、『あなた』、『向こう』というばらばらだった感覚が繋がっていく。
「……こっちに住んでるんか、って聞いてんのかな」
「多分そんな感じやな」
怜司は背後を指した。
杉林のさらに向こう。
今は見えないが、そこには県道があり、その先には町がある。
「日本」
セレスティアが首を傾げる。
「日本」
もう一度言う。
次に自分を指した。
「日本人」
セレスティアが目を閉じる。
長い沈黙。
先ほどより処理に時間が掛かっているようだった。
やがて、怜司の中へ一つの概念が落ちてくる。
『……国?』
「ああ、それ」
怜司が頷く。
セレスティアの表情が変わった。
すぐに後ろを振り返り、周囲の者たちへ何かを告げる。
ざわめきが広がった。
「なんか驚いてるな」
「国があると思ってへんかったんかな」
「獣しかおらんと思われてた?」
「兄貴基準にすんな」
「俺、人やで」
「知ってるわ」
セレスティアが再びこちらへ向き直った。
今度は自分たちの背後へ腕を向ける。
草原。
遠くの山々。
その上に広がる深い藍色の空。
そして、そのすべてを含むように大きく手を動かした。
『エーテリア』
「エーテリア?」
セレスティアが頷く。
怜司はその意味を探る。
国とは違う。土地でもない。もっと広い。
空も大地も、自分たちが生きている場所すべてを含むもの。
「……世界か」
隣で彰人が呟いた。
「ぽいな」
「世界の名前ってことか?」
「多分」
日本。
エーテリア。
片方は国で、片方は世界。
比べる単位が少し違う気もするが、今はそこまで細かなものを伝える方法がない。
それでも、さっきまで何一つ分からなかった相手から、名前と世界の名前まで聞くことができた。
怜司は改めて裂け目の向こうを見る。
巨大な青白い天体。その横に浮かぶ小さな白い星。草原。遠くに見える塔。そして、自分たちとは違う姿をした者たち。
本当に別の世界なのかもしれない。
さっきまでは候補の一つでしかなかったものが、少しずつ形を持ち始めていた。
その時、セレスティアが再び話し始めた。
今度は長い。
届いてくる概念も増えている。だが、増えたからこそ意味が曖昧になった。
『見つける』、『空間』、『異常』、『調べる』、『開く』、『違う』、『偶然』。
そんな意味が、まだ繋がらないまま一つずつ怜司の中へ落ちてくる。
「……待って。分からん」
怜司が手を上げる。
セレスティアも言葉を止めた。
「一個ずつ頼むわ」
「それは絶対通じてへん」
「雰囲気で」
「兄貴の雰囲気頼みやめろ」
それでも、セレスティアには何か伝わったらしい。
少し考えたあと、今度は裂け目だけを指した。
そして自分を指す。
もう一度、裂け目。
その向こう側を指し、何かを言う。
怜司は届いてくるものを一つずつ拾った。
『見つけた』、『調べた』、『広がった』。
ここまでは分かる。
「……これ見つけたん、あの人なんかな」
「多分。少なくとも関わってるっぽいな」
セレスティアが首を振った。
「違う?」
「何かが違うんやろ」
彰人が裂け目を指す。
「開けた?」
両手を閉じた状態から左右へ広げる。
セレスティアはその動きを見て、少し考えた。
そして首を横に振った。
「開けたわけちゃう?」
「ほな、見つけた?」
怜司が指差す。
今度は頷いた。
「おお」
「ちょっとずつ会話なってきたな」
セレスティアが再び何かを伝える。
『異常』、『最初』、『小さい』、『調べる』、『広がる』。
今度は先ほどよりも、断片同士の関係が分かりやすい。
怜司は裂け目を見る。
「最初からこんなでかかったわけちゃうんかな」
「調べてたら広がった……とか?」
その言葉に反応したのか、セレスティアが彰人を見る。
意味そのものが伝わったわけではない。だが、何かが近かったらしい。
何度か頷いた。
「当たりっぽいで」
「ぽいな」
なら、この裂け目は向こう側でも突然現れたものなのだろうか。
少なくとも、初めから日本へ来るために開いた扉という感じではない。
怜司がそう考えていると、セレスティアがこちら側の杉林を指した。
そして、今度は自分自身ではなく、怜司たちを指す。
問いかけ。
それだけは分かった。
「今度は何?」
「分からん。もう一回言うてもらお」
怜司が首を傾げる。
セレスティアも同じように少し首を傾げたあと、もう一度ゆっくり言葉を重ねた。
『こちら』、『異常』、『知る』、『前』、『裂け目』、『現れる』。
ばらばらだった意味が、少しずつ形になっていく。
「……あ」
「分かった?」
「向こうも聞いてんねん」
「何を?」
怜司は背後の杉林を見た。
昨日まで県道だった場所。
何十年も前からそこにあったような杉。
消えた周囲の音。
聖域とは違う、妙に広がった空間の感覚。
そして、その奥に現れた裂け目。
「こっちで何が起きてたんか」
彰人も杉林を見る。
「……向こうがやったんちゃうん?」
「ちゃうみたいやで」
二人が同時にセレスティアへ目を向けた。
彼女もまた、怜司たちを見ていた。
そこには先ほどまでとは違うものがあった。
警戒でもない。驚きでもない。
自分たちと同じように、答えを探している者の顔だった。
怜司は裂け目を見る。
向こうにいるセレスティアも、この場所について知らない。
こちらも知らない。
なら、少なくとも今、この場にいる誰かが意図して起こしたものではない可能性が出てくる。
「彰人」
「なんや?」
「調べること、また増えたな」
「……嬉しそうに言うなや」
「暇せんでええやん」
「俺はもう嫌な予感しかせえへんわ」
裂け目の向こうで、意味の分からないはずのセレスティアが小さく首を傾げる。
怜司はそんな彼女へ笑い、もう一度杉林を振り返った。
道路が消えた理由。
音が消えた理由。
裂け目が現れた理由。
エーテリアと日本が繋がった理由。
分からないことは、さっきより増えていた。
ただ一つ違うのは、その向こう側にも、同じ疑問を持つ相手がいると分かったことだった。
とりあえず、話は通じるようになりました。
分からないことは、むしろ増えましたが。




