境界の向こう側
新作です。
現代日本を舞台に、神獣と関わる十二人を描くローファンタジーです。
本作では、作者が設定・プロット等を作成し、AIが初稿を担当、作者が確認・修正するという制作方法を試しています。
まずは、十二神承の一人――八代怜司から。
その日の異常は、道路がなくなったことから始まった。
「……ないな」
八代怜司は車を停め、フロントガラスの向こうを眺めた。
山間を抜ける二車線の県道は、二十メートルほど先で途切れている。崩落したわけでも、土砂に埋まったわけでもない。工事中を示す看板もなければ、通行止めの柵すらなかった。
ただ、杉の木が並んでいる。
それも昨日今日に生えたような若木ではない。人の胴ほどもある幹を持った杉が何本も、ごく当然のように道路の続きを塞いでいた。
「道、終わってるやん」
怜司は助手席に置いていたスマートフォンを手に取った。
地図の上では、県道はこのまま緩やかに右へ曲がっている。その先で山を下り、小さな集落へと続いていた。
現在地も間違っていない。
少なくとも、地図の上では。
「……ふむ」
もう一度、前を見る。
やはり杉林だった。
地図が正しくて目の前の景色が間違っているのか、目の前の景色が正しくて地図が間違っているのか。どちらにしても、車で進めないことだけは間違いない。
「まあ、ないもんはしゃあないか」
怜司はエンジンを切った。
静かになった車内で、しばらくエアコンの送風音だけが残る。それも止まったところで、スマートフォンが震えた。
表示された名前は彰人。弟だ。
「はい」
『兄貴、着いた?』
「着いたで」
『なんか分かった?』
「道がない」
一瞬、電話の向こうが静かになった。
『……もうちょい説明できる?』
「道が途中でなくなってんねん」
『いや、それは聞いたら分かるねん。崩れてるんか、木が倒れてるんか、工事中なんか、なんかあるやろ』
「杉林になってる」
『……はい?』
「杉林」
『道路が?』
「せや」
再び沈黙する。
今度は少し長かった。
『兄貴、写真送って』
「ああ、その方が早いな」
『最初からそうしてくれへん?』
「今気づいた」
『俺も最初に言えばよかったわ……』
彰人の声には、早くも疲れが混じっている。
「彰人、あとどれくらい?」
『反対側から回ってるから、二十分くらい。とりあえず俺が着くまで変なことせんと待っといて』
「二十分かぁ」
『長いとか言うなよ』
「まだ言うてへんやん」
『言うと思ったから先に言うたんや』
「信用ないなぁ」
『あるから心配してんねん。兄貴、なんか見つけたらすぐ行くやろ』
「ちゃんと待つって」
『……ほんまに?』
「信用ないなぁ」
『せやから、あるから言うてんねん!』
どうも理屈がよく分からない。
怜司は首を傾げながら通話を切り、車を降りた。
途端に、湿った熱気が全身を包む。
「暑っ」
九月に入ったとはいえ、夏が暦を律儀に守ってくれるわけではないらしい。山中なら多少は涼しいかと思っていたが、期待したほどではなかった。
今回の話が入ったのは、昨日の夜だった。
山間部の県道で、妙なことが起きている。
通れたはずの道がなくなり、少し離れて戻ってくると元に戻っている。迷っただけだと言われればそれまでだが、似たような話が何件か続いていた。そのうちの一人が撮影した写真には、道路の途中から木々が生えている奇妙な光景まで残っていた。
なら、一度見に行くか。
そんな話になった。
誰が行くか相談した記憶は、怜司にはあまりない。気がつけば自分が来ることになり、彰人も一緒に来ると言っていた。
おそらく、最初から自分一人で来させる気がなかったのだろう。
「心配性やなぁ」
本人が聞けば、また何か言い返すに違いない。
道路の終端まで歩いてみると、遠くから見た以上に妙なことが分かった。
アスファルトが突然切れているわけではない。白線が少しずつ薄くなり、舗装路が荒れ、砂利が増え、その砂利が土へ混じっていく。最後には完全な山道となり、そこから杉林が続いていた。
あまりにも自然だった。
何年も、何十年もかけて、人の手から自然へ返っていった道だと言われれば信じてしまいそうになる。
だが、そんなはずはない。
背後を振り返れば、自分が走ってきた県道がある。反対へ目を向ければ、何十年も前からそこにあったような杉林がある。
手元の地図では、その杉林の中を県道が通っている。
「変やな」
怜司はスマートフォンを取り出し、道路全体と境目、杉の根元を何枚か撮影した。それを彰人へ送ると、すぐに既読がついた。
『なんやこれ』
文字だけの返信だった。
「それを調べに来たんやろ」
口に出してから、相手には聞こえていないことに気づく。文字を打つのも面倒なので、そのまま電話を掛けた。
『もしもし』
「知らん」
『何が?』
「写真のやつ」
『まだ何も聞いてへんわ!』
「なんやこれ、言うたやん」
『メッセージでな! こっちは今電話に出たとこや!』
「同じやろ」
『同じちゃうわ。……まあええ。それ、根っことかどうなってる?』
「普通に生えてるで。結構太い」
『写真見る限り、最近生えた木には見えへんな。兄貴、そこから先には入らんといてや。俺が着いてから見るから』
「でも道の向こうに目的地あんねんで」
『だからって杉林を突っ切る理由にはならんやろ。変な現象やって分かって来てんねんから、余計なことせんと待っといて』
「すぐそこかもしれん」
『兄貴』
「分かった分かった」
『絶対やぞ』
「はいはい」
『はいは一回』
「は~い」
『……絶対分かってへんやろ』
「分かってるって」
『その返事も信用ならんねん……』
通話を切った怜司は、改めて杉林へ目を向けた。
見たところ、先ほどから何も変わっていない。風に揺れる杉の葉も、木々の隙間から見える薄暗い山道も、ごく普通の林にしか見えなかった。
彰人が到着するまで、あと十五分ほど。
仕方なく車へ戻り、後部座席に置いてあったガムを一枚取り出して口へ放り込む。時計を確認してみたが、当然ながら時間はほとんど進んでいない。
暇だった。
五分後。
怜司は杉林の中にいた。
別に、約束を破ったつもりはない。
待つとは言った。
ただ、どこで待つかまでは決めていなかった――と思う。
「……入んな言うてたような気もするな」
まあいい。
彰人なら、もうすぐ来る。何かあれば戻ればいい。
そう考えながら杉の根を避けて歩いていると、ふと妙なことに気づいた。
「……静かやな」
山の中なのだから、街中より静かなのは当たり前だ。
だが、そういう静けさではない。
蝉が鳴いていない。鳥の声も聞こえない。虫の羽音すらない。
九月初旬の山林で、生き物の気配がここまで消えることがあるのだろうか。
怜司は立ち止まり、背後を振り返った。
道路からは、まだ十数メートルしか離れていない。それなのに、車の走行音も聞こえなかった。
風はある。
見上げれば杉の枝がゆっくりと揺れている。
なのに、葉の擦れる音がない。
「んー?」
足元に落ちていた小枝を拾い、両手で折ってみる。
乾いた音が、不自然なほど静かな林の中へ響いた。
「これは鳴るんやな」
小枝を地面へ落とせば、枯れ葉を叩く音も聞こえる。
音そのものが消えているわけではない。
自分が発生させた音は聞こえるのに、周囲から発生するはずの音だけがない。
目を閉じてみる。
何も聞こえなかった。
それどころか、妙な感覚がある。
杉林の中にいるはずなのに、空間だけがもっと遠くまで広がっているように感じられる。目を開けば木々に囲まれているのだから、明らかに感覚と視覚が一致していない。
「聖域……とはちゃうな」
十二神承と神獣が関わる場所には、現実と重なりながら現実とは異なる領域が存在する。
山であったり、森であったり、水辺であったり。その性質は場所によって違うが、足を踏み入れれば何となく分かる。
空気が違う、とでも言えばいいのだろうか。
少なくとも、ここには知っている聖域と同じ感覚がなかった。
なら、ここは何なのか。
考えてみたが、分からないものは分からない。
「……おるんやろ?」
誰もいない林へ向かって声を掛ける。
返事はなかった。
「出てきたらええやん」
木々の間に、白いものが見えた。
霧ではない。
淡い光が尾を引きながら杉の幹を抜け、怜司の周囲を一周する。それに合わせるように空気が揺れた。
『妙だ』
低い声が響く。
「やっぱりおったんか」
『初めからいた』
「ほな返事してや」
『お前が何をするか見ていた』
「信用ないなぁ」
『あるから見ていた』
「最近みんなそれ言うな」
杉の幹の向こうから、巨大な獅子が姿を現した。
もちろん、地上に生きる普通のライオンではない。
巨体を包む毛は真っ白ではなく、木々の隙間から差し込む光を受けるたびに淡い金属のような輝きを見せる。白とも金とも言い切れない光沢は、まさに白金という言葉をそのまま形にしたようだった。
白金獅子。
怜司へ力を貸す神獣は、そのまま隣まで歩いてくると杉林の奥へ目を向けた。
『これは我らの境界ではない』
「やっぱり?」
『少なくとも、我は知らぬ』
「俺も知らん」
『お前は大抵知らぬだろう』
「失礼やな。知らんから見に来てんねん」
『それを好奇心という』
「ええことやん」
『場合による』
怜司はガムを噛みながら歩き出した。白金獅子も当然のように隣を歩く。
「他の神獣の聖域とか?」
『違う』
「分かるん?」
『我の知るものとは性質が違う。ただ、すべての神獣の領域を知っているわけではない』
「なんや、全部知ってるわけちゃうんやな」
『我らを何だと思っている』
「でっかい動物」
白金獅子が足を止めた。
数歩進んだところで気づき、怜司も振り返る。
『もう一度言ってみろ』
「でっかい神獣」
『そういう問題ではない』
「細かいなぁ」
神獣だからといって、畏まって接する気にはなれない。
力を貸してもらっていることには感謝している。だが、怜司にとって白金獅子は崇拝する対象ではなく、隣にいる存在だった。
話せる相手であり、困っていれば助けるし、自分が困っていれば助けてもらう。
そのくらいでいいと思っている。
『怜司』
「ん?」
『また余計なことを考えているだろう』
「なんも」
『ならよい』
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
彰人からの着信だった。
「あ」
画面を見たところで、白金獅子がこちらを見る。
『出ろ』
「もう着くんかな」
『出ろ』
「今ちょっと忙しい」
『蟹が怒るぞ』
「彰人はいつも怒ってるから大丈夫」
『誰のせいだ』
「知らん」
着信が切れ、すぐにメッセージが届いた。
『車だけあるんやけど。どこおんねん』
「あー」
どうやら到着したらしい。
「戻った方がええかな」
『初めからそうしろ』
そう言われて戻ろうとした時、杉林の奥を青白い光が走った。
怜司は足を止める。
「……今の見た?」
『見た』
雷ではない。
上から下へ落ちたのではなく、空間の途中から途中まで、一本の光が縦に走った。
見えない紙に、刃物で切れ目を入れたように見えた。
数秒ほどで、その光は消える。
「なんや、あれ」
『分からぬ』
「見てくるか」
『待て』
「見るだけやって」
『戻れ。蟹を連れてこい』
「すぐそこやん」
『お前の「見るだけ」は信用できぬ』
「また信用ない言うてる」
『あるから止めているのだ』
「やっぱ分からんな、その理屈」
考えても分からないものは仕方がない。
怜司は光が見えた方へ歩き出した。
白金獅子も、しばらくその背中を見ていたが、結局ついてくる。
「来るんやん」
『一人で行かせる方が危険だ』
「過保護やなぁ」
『誰のせいだと思っている』
それも最近よく聞く言葉だった。
◇
杉林の中に、ぽっかりと空間が開いていた。
直径は十メートルほどだろうか。
そこだけ木が一本も生えていない。伐採した跡も切り株もなく、杉の幼木すら見当たらなかった。
何十年も前から、その場所だけ木々が避けていたような円形の空間。
その中央に、先ほどの青白い線が浮かんでいた。
「……これか」
高さは二メートルほど。
厚みはほとんどなく、正面からは見えるのに、横へ回ると消えてしまう。
怜司は右へ動き、左へ戻った。
やはり見えたり消えたりする。
「おもろ」
『触るな』
「まだなんもしてへんやん」
『その言葉を発した時のお前は、大抵何かする』
「偏見やで」
『経験則だ』
光の前まで近づき、手を伸ばす。
『怜司』
「触らへんって」
指先を数センチ手前で止めた。
熱はない。冷気もない。何かに押し返される感覚もなかった。
見えているだけなら、そこに何かが存在していると判断できる材料は何もない。
それでも。
「向こうに何かあるな」
『……何?』
「分からん」
『なぜ分かる』
「なんとなく」
『説明になっておらぬ』
「俺も分からんねんから、説明しようがないやろ」
壁の向こう側に誰かがいる。
そんな感覚に近かった。
見えない。聞こえない。触れてもいない。
それなのに、向こう側には何かがあると感じる。
理由を探そうとしたところで、青白い線が揺れた。
「ん?」
『下がれ』
言われるまでもなく、怜司も一歩後ろへ下がる。
直後、一本だった線が左右へ開き始めた。
「おお」
『さらに下がれ』
「下がってるって」
青白い光が一メートル、二メートルと広がり、縦長の裂け目へ変わっていく。
その向こう側に、空が見えた。
「……なんやこれ」
深い藍色の空だった。
見慣れた青空とは明らかに違う。空気そのものに薄く色がついているような、妙に深い青がどこまでも広がっている。
眼下には草原があり、背の低い草が風に波打っていた。その奥には山脈が続き、見たことのない形をした木々もある。
さらに遠くには、細長い塔のようなものまで見えた。
「……あれ、建物かな」
『分からぬ』
「お前も分からんこと多いな」
『初めて見る場所なのだ。当然だろう』
「俺が言うたら怒るくせに」
『お前は考える前に分からぬと言うからだ』
「効率ええやん」
『良くない』
裂け目の向こうから風が流れ込んできた。
草と湿った土、それに知らない花のような甘い匂いが混じっている。
少なくとも、ただ景色が映っているだけではない。
向こう側とこちら側は、今、繋がっている。
そう考えながら空を見上げて、怜司はもう一つ妙なものを見つけた。
「……月?」
巨大な天体が浮かんでいる。
月と呼ぶには大きすぎた。青白い表面には幾筋もの光が走り、その横にはずっと小さな白い天体も見える。
「月、二個ある?」
『我に聞くな』
「異世界?」
『軽々しく結論を出すな』
「でも、候補としてはあるやろ」
『……否定はせぬ』
「ほな、異世界候補やな」
『好きにしろ』
スマートフォンを取り出してみると、アンテナ表示が消えていた。
「圏外や」
『先ほどまでは?』
「普通に入ってたで」
少し後ろへ下がってみるが変化はない。さらに戻っても圏外のままだった。
この場所だけが、周囲から切り離されているのかもしれない。
「彰人呼んでくるか」
『ようやくか』
「電話は……あかんか。戻るわ」
『そうしろ』
怜司が振り返ろうとしたところで、白金獅子が低い声を出した。
『待て』
「なんかおる?」
『向こうだ』
裂け目へ視線を戻す。
草原の中で、何かが動いていた。
最初は小さな点にしか見えなかったものが、少しずつ近づいてくる。一つではない。二つ、三つ。その後ろにも複数の影があった。
「人?」
『……似ている』
二本の脚と二本の腕。胴体もあり、確かに人間に近い。
だが、先頭を走る者の頭には長い耳があり、その後ろには明らかに獣の頭を持つ者がいる。さらに一人が背中から翼を広げ、空へ舞い上がった。
「人ちゃうな」
『見れば分かる』
「でも道具使ってるで」
彼らの手には槍や弓、杖のようなものが握られていた。金属らしい防具を身につけ、服も着ている。
ただの獣ではない。
こちらが相手を見つけたのとほぼ同時に、向こうも怜司たちの存在に気づいた。
先頭を走っていた者が急停止し、後ろにいた者たちが左右へ散開する。
「ちゃんと動いてんな」
『戦士か』
「かもしれんな」
一人が何かを叫んだ。
聞いたことのない言葉だった。
意味はまるで分からないが、声の調子からすると警告されているようにも聞こえる。
「なんて?」
『知らぬ』
「神獣でも翻訳できへんの?」
『なぜできると思った』
「なんかそういう力ありそうやん」
『ない』
「ないんや」
相手が武器を構え始めた。
槍がこちらへ向けられ、弓には矢が番えられる。後ろにいた杖を持つ者の周囲には、淡い光が集まり始めていた。
『怜司』
「分かってる」
白金獅子が怜司の前へ出ようとする。
その背中を軽く叩いて止めた。
「ちょい待ち」
『武器を向けられているぞ』
「向こうからしたら、いきなり変な穴が開いて、知らん奴とでっかいライオンがおんねんで。そら警戒するやろ」
『我をライオンと呼ぶな』
「そこ気にすんの?」
『我は白金獅子だ』
「はいはい」
『はいは一回』
「は~い」
『……』
白金獅子が何も言わなくなった。
「怒った?」
『知らぬ』
「怒ってるやん」
怜司は笑いながら、相手から見える位置まで両手を上げた。
『何をしている』
「敵意ないですよ、って」
『それが向こうでも同じ意味とは限らぬぞ』
「まあ、せやけど」
それでも、何もしないよりはいい。
向こう側にいる者たちがざわめいた。
武器は下ろしていない。
しかし、すぐに攻撃してくる様子もなかった。
「ほら、ちょっと様子見てるやろ」
『だから近づくな』
「分かってるって」
そう答えながら一歩前へ出たところで、向こう側から鋭い声が飛んだ。
杖の先端に集まっていた光が、一気に強くなる。
「あ」
『怜司!』
白い光が一直線に飛んできた。
裂け目を抜け、そのまま怜司へ向かう。
避けることはできた。
ただ、避けて後ろの木に当たった場合、どの程度の威力なのか分からない。
怜司は右手を上げた。
掌に触れた瞬間、光が弾けた。
強い衝撃はない。
熱も感じなかった。
手を開いて確認してみても、傷一つない。
「……今の攻撃?」
『そうだ』
「弱ない?」
『基準をお前にするな』
「でも、なんもないで」
『だから基準にするなと言っている』
裂け目の向こうも静まり返っていた。
攻撃した本人だけでなく、周囲の者たちまでこちらを見ている。
どうやら、無傷で済むとは思っていなかったらしい。
怜司は相手を見ながら、少し考えた。
攻撃された。
それだけを見れば敵と判断してもいいのかもしれない。
だが、相手は逃げていない。
怯えているようにも見えるのに、裂け目の前から離れようとはしなかった。
何かを守っているのかもしれない。
あるいは、単にこちらを侵入者だと思っているだけかもしれない。
まだ、何も分からない。
「……これ、殴ったらあかん奴らかもしれんな」
『攻撃されたのだぞ』
「せやけど、向こうが何考えてんのか分からんやろ。いきなり出てきた俺らの方が化け物に見えてる可能性もあるし」
『それは否定できぬが』
「もうちょい見てからでええやろ」
分からないなら、分かる材料を増やせばいい。
こういう時は彰人がいた方が早い。
「一回戻るか」
『今度こそそうしろ』
そう言って振り返ったところで、林の奥から枝を踏む音が聞こえた。
「――兄貴!」
「あ、来た」
木々の間から彰人が飛び出してきた。
かなり急いできたのだろう。息を切らし、額には汗が浮かんでいる。
「お疲れ」
「お疲れちゃうわ! 待っとけ言うたやろ!」
「待ってたで」
「車におらんかったやろが!」
「五分くらいはおった」
「残りの十分どこ行ってん!」
「ここ」
「見たら分かるわ!」
彰人は言い返しながら兄のところまで来ると、ようやく周囲の異常に目を向けた。
白金獅子。
空中に開いた裂け目。
その向こうに広がる見知らぬ草原と、巨大な天体。
そして、こちらへ武器を構えている、人間とは違う者たち。
さすがの彰人も、しばらく言葉を失った。
「……兄貴」
「ん?」
「これ、何したん?」
「俺ちゃうよ」
「俺が来るまでの十分で、なんで異世界みたいなん開いてんねん!」
「知らんって。来たらもう変やったんや」
「ほんまに何もしてへん?」
「してへんで」
「兄貴の『してへん』は範囲が怪しいねん。なんか触ったり、殴ったり、壊したりしてへんやろな?」
「してへんって」
彰人が疑うようにこちらを見る。
怜司は少し考えた。
「光弾は触ったけど」
「触っとるやないか!」
「向こうから飛んできてん」
「避けろや!」
「後ろ当たったら危ないかもしれんやろ」
「そこだけ急にまともな判断すんな! 余計ややこしいわ!」
彰人は頭を抱えた。
隣で白金獅子が小さく息を吐く。
『苦労しているな』
「分かってくれます?」
『よく分かる』
「ちょっと待て。なんで意気投合してんねん」
「兄貴は黙っといて!」
「は~い」
「絶対聞く気ないやろ!」
少しだけ間が空いた。
彰人は大きく息を吐くと、改めて裂け目へ視線を向けた。
先ほどまでの苛立った表情が消える。
「兄貴、最初から全部教えて。今度は端折らんと」
「道がなくなっててな」
「そこからでええ。順番に頼むわ」
怜司はここまでに起きたことを説明した。
杉林に入ると周囲の音だけが消えていたこと。
聖域とは感覚が違うこと。
青白い線が現れ、それが裂け目になったこと。
その向こうに知らない場所があったこと。
人間とは違う者たちが近づいてきたこと。
そして、攻撃されたこと。
彰人は途中で口を挟まず、裂け目や周囲を見ながら最後まで聞いていた。
「……音が消えたんは、この林に入ってから?」
「せやな。俺が出す音は聞こえんねんけど、風とか虫とか、周りの音が全然せえへん」
「裂け目が開く前から?」
「せや」
「ほな、この裂け目が原因とは限らんな。林そのものが先に変わってた可能性もある」
「ああ、そういうことか」
「光弾はどんな感じやった? 色だけやなくて、大きさとか速度とか分かる範囲でええから」
「白くて、これくらい」
怜司が両手で大きさを示す。
「速度は?」
「車よりは速いと思う。でも、見てから普通に反応できるくらい」
「威力は……兄貴に聞いても分からんな」
「弱かったで」
「せやから兄貴基準やと分からんねん。地面とか木に当たったらどうなるか見れたらええんやけど……」
彰人はそこで言葉を止め、向こう側を観察する。
相手はまだ武器を構えている。
だが、先ほどの攻撃以降は動いていない。
「どう?」
「まだ分からん。情報が足らんわ」
「ほな増やそか」
「待て」
彰人が即座に兄を見る。
「何する気?」
「向こう行ったら分かること増えるやろ」
「絶対あかん」
「まだ何もしてへんやん」
「兄貴がそういう顔してる時は、もう半分やるって決めてんねん!」
「よう分かってるな」
「分かりたないわ!」
彰人は怜司の腕を掴んだ。
怜司は裂け目の向こうを見る。
武器を持った者たちは、まだそこにいる。
「彰人」
「なんや」
「あいつら、敵やと思う?」
彰人も向こう側へ目を向けた。
「分からん。攻撃してきたんやったら、少なくとも今はこっちを警戒してるやろな」
「でも、怖がってるようにも見えへん?」
「……まあ、見えんことはないな」
「せやろ?」
「そら向こうからしたら、いきなり穴が開いて、知らん男とでっかいライオンが立ってんねんぞ。俺でも警戒するわ」
「俺は普通やろ」
「ライオンの横に普通に立ってる時点で普通ちゃうわ」
『我はライオンではない』
彰人が白金獅子を見る。
「そこ気にするんです?」
『重要だ』
「神獣も色々めんどくさいな……」
『聞こえているぞ』
「すんません」
思わず怜司が笑う。
彰人も呆れたように息を吐いた。
その時、裂け目の向こうで動きがあった。
杖を持った者が一人、前へ出る。
その横に、さらに二人。
三本の杖がこちらへ向けられた。
「…次は三人か」
彰人の表情が変わる。
「兄貴、前出んなよ」
「でも威力見たいんやろ?」
「見たいけど、撃たれに行けとは言うてへん!」
「ほな、どうする?」
彰人は一瞬だけ考えた。
「兄貴が防いで。俺が見る」
「当たって大丈夫?」
「俺に当てんなって話や!」
「なるほど」
「絶対、加減してや。向こうごと吹っ飛ばすとか無しやぞ」
「分かってるって」
「その返事が一番怖いねん……」
それでも彰人は止めなかった。
怜司が無茶をすることと、怜司を信用できないことは、彰人にとってまったく別の話だった。
むしろ、逆なのかもしれない。
兄は、自分では思いつかない方法を平然と選ぶ。
普通なら諦めるところでも、どこかに残っている可能性を見つけてくる。
問題なのは、それを本当に実現してしまうことだった。
だから止める。
止める必要がなければ任せる。
そして、任せるなら自分が見る。
「兄貴」
「ん?」
「三発とも消すなよ。一発くらい、横に逸らせそうなら逸らして。何に当たるか見たい」
「分かった」
「あと、できるだけ同じ条件で受けて。比較できんようになるから」
「注文多いなぁ」
「分析するんやから当たり前やろ!」
「は~い」
「その返事やめい!」
怜司は一歩前へ出た。
その隣へ白金獅子が並ぶ。
背後では彰人が、裂け目の向こうを睨むように観察している。
三つの光が杖の先に集まり、次第に強くなっていく。
知らない場所。
知らない者たち。
知らない言葉。
そして、知らない力。
今のところ、分かっていることより分からないことの方が圧倒的に多い。
敵なのか、味方なのかも分からない。
そもそも、ここがどこなのかさえ分からない。
怜司は口の中のガムを噛みながら、三つの光を眺めた。
分からないなら、分かるところまで進めばいい。
「まあ、なんとかなるやろ」
「兄貴のそれ、ほんま嫌いやわ!」
三つの光が放たれた。
そしてその日。
十二神承が知る世界は、ひとつ増えた。
第一話でした。
まだ十二人のうち、ほとんど出てきていませんw
それぞれの日常や神獣との関係も含め、少しずつ描いていく予定です。
次話から、突然現れた「向こう側」を調べていきます。




