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十二神承   作者: 境塚 透
第一章:隔たりの先に
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16/37

一日目

 ルクスが剣を上げた。

 それを合図にしたように、十三人の間を流れていたものが変わった。

 先ほどまでにも連携はあった。

 一人が仕掛け、別の一人がその死角を埋める。受けられれば次が入り、避けられれば逃げた先を別の攻撃が塞ぐ。

 けれど、今は違う。

 十三人が、それぞれの攻撃を重ねようとしているのではない。

 最初から十三人で、一つのものを作ろうとしている。

 彰人は両手を軽く開いたまま、その変化を見ていた。

 何が来るのかは、まだ分からない。

 だから、決めない。

 先に答えを作ってしまえば、見えるものまでその答えに合わせてしまう。

 どこから始まるのか。

 誰が起点になるのか。

 何と何が繋がり、どこへ集まり、どこへ向かうのか。

 全部見てから決めればいい。


「来るで」


 声に出した時には、もう最初の一人が動いていた。

 前へ出たのはドルガだった。

 巨体が地面を踏み抜く。

 土が沈み、そこから押し返された力が、そのまま前へ向かう。

 けれど、ドルガ自身は彰人まで来ない。

 踏み込みによって生まれた勢いを受け取るように、グランが横から入った。


 さらにザグ。

 前へ向かう力が一度横へ広がり、そこへキリカとギルが重なる。

 誰か一人を見れば、次を見失う。


 だから彰人は、誰も見なかった。

 十三人全体を見る。

 右。

 左。

 前。

 後ろ。

 上空へ上がったネイル。

 距離を取ったエルナ。

 魔力を集めるシェリアとバルク。

 低く姿勢を落としたラグ。

 左右へ大きく開いたレイナとギル。

 槌を構えたノルド。

 その全部を繋ぐ位置に、ルクスがいる。

 十三人が動いているのに、彰人の認識の中では一つだった。


 ドルガの踏み込みがグランを押す。

 グランが作った流れへザグが重なり、その動きがキリカの踏み出す位置を作る。

 キリカが入れば、彰人は受ける。

 受ければ、その間にギルが来る。

 避ければレイナ。

 後ろへ下がれば、上からネイル。

 さらにその外側から魔力が重なる。

 どれか一つを潰しても止まらない。

 一人が欠ければ、別の一人がそこを埋める。

 十三人で作られた流れそのものが、彰人一人を突破するために形を変え続けている。


「……すごいな」


 少し離れた場所で、雅史が呟いた。

 その声には素直な感心が混じっていた。

 先ほどまでの十三将も、決して弱くはなかった。

 それでも今は、同じ十三人とは思えない。

 一人ずつなら彰人に触れることさえ難しかった力が、互いを利用することで次々と届く場所へ入っていく。


「彰人」

「大丈夫です」


 雅史が続きを言う前に、彰人が答えた。

 その直後、キリカが間合いへ入った。

 剣が走る。

 彰人は半歩だけ身体をずらし、その軌道へ手を添えた。

 逸らす。

 正面から止めない。

 僅かに向きを変えるだけで、剣先が身体の横を抜けていく。

 だが、それで終わらない。

 剣が外れたことで生まれた空間へ、ギルが入る。

 拳。

 今度は手のひらで受ける。

 力が腕へ入った。

 そのまま抱え込まず、肩を抜く。

 流す。

 ギルの身体が彰人の横へ抜ける。

 そこへレイナ。


「ほんまに繋がってんな」


 彰人の声に、僅かに楽しそうな響きが混じった。

 簡単だからではない。

 むしろ逆だった。

 受けるたびに次が来る。

 流すたびに、その流れまで利用される。

 自分が十三人の連携の中へ組み込まれようとしている。

 それが分かるから、見るものが増える。

 レイナの攻撃を避ける。

 上から風圧。

 ネイル。

 横へ動けば、その先にラグ。

 さらに後方で魔力が膨らむ。


 受ける。

 逸らす。

 流す。


 彰人の足が、一歩だけ後ろへ下がった。

 ルクスの目が変わった。


『押せ!』


 声が飛ぶ。

 十三人の動きが、さらに強く繋がった。

 彰人が初めて下がった。

 その事実は、十三将にとって十分な意味を持っていた。


 届く。


 今まで何をしても、その場からほとんど動かなかった相手を動かした。

 ならば、このまま押し切れる。

 前へ。

 さらに前へ。

 十三人の間を巡る力が膨らんでいく。


 雅史は、その変化を見ながら動かなかった。

 智臣も同じだった。

 彰人が下がったことより、その顔を見ていた。

 追い詰められている顔ではない。

 何かを探している。

 だから二人とも、まだ手を出さない。

 頼まれていることは別にある。


 彰人が返した後。

 その力が十三将へ向かった時に、怪我をさせないこと。


 智臣は視線を広げた。

 十三人の位置。

 木々。

 地面。

 吹き飛んだ場合に身体がぶつかりそうな場所。

 今のうちに見ておく。

 雅史も、十三人の動きを追いながらメーダとの距離を確認していた。


 その間にも、彰人は受け続けている。

 一周。

 形が変わる。

 もう一周。

 また変わる。

 同じ攻撃は一度もない。

 けれど、同じ場所を通るものがある。

 誰が始めても。

 どこから繋いでも。

 最後に全体を一つにするためには、必ずそこへ集まる。

 ルクス自身ではない。

 ルクスが作っているものでもない。

 十三人が互いの力を渡すために作った、繋がりの中心。

 そこだけは、形を変えられない。

 彰人の視線が止まった。


「……そこか」


 キリカの剣が来る。

 逸らす。

 ギルの拳。

 流す。

 そこへ重なった力を受け取る。

 今までなら、そのまま次へ逃がしていた。

 今度は逃がさない。

 手の中に残す。

 自分へ向けられた力だけではない。

 そこへ繋がろうとするものまで、一緒に。

 彰人の足が止まった。

 十三人の動きも、一瞬だけ鈍る。


『――何?』


 ルクスの声が漏れた。

 彰人は答えない。

 受け取った力の向きを変える。

 逸らす。

 流す。

 そして。


「ほな、返します」


 押し出した。

 爆発は起きなかった。

 大きな音もない。

 けれど、十三人の間にあった一つの流れが、その瞬間にほどけた。

 ルクスが繋いだもの。

 ドルガが渡したもの。

 グランが押したもの。

 ザグが加えたもの。


 キリカ、ギル、レイナ、ラグ。

 ネイル。

 シェリア。

 バルク。

 ノルド。

 エルナ。

 十三人が一つへまとめたものが、元の十三個へ戻っていく。


 ただし。

 向きだけが違う。


『――っ!』


 誰かの声が上がった。

 次の瞬間、十三人の足が一斉に地面から離れた。


「うわ」


 彰人の顔が引きつる。


「思ったより飛んだ!」

「見えてるよ」


 雅史の声は落ち着いていた。

 すでにメーダが動いている。

 白い巨体が地面を蹴り、最初に落下位置へ入った一人の身体を長い鼻で受ける。

 勢いに逆らわない。

 一度持ち上げるように受け、そのまま身体を回すことで横へ流す。

 地面へ落とさず、背へ。

 次が来る。


『右だ』

「うん」


 メーダの声に雅史が頷く。

 進路を変える。

 もう一人。

 そのさらに向こうでは、智臣が片手を上げていた。


「ラギ」

『分かっている』


 何もなかった空間へ水が集まった。

 球状に膨らんだ水が、一つ。

 その先にもう一つ。

 さらに三つ目。

 吹き飛んできた巨体が最初の水泡へ沈む。

 水が大きく形を変え、衝撃を受け止める。

 止めない。

 勢いを殺し切れば、その反動が身体へ戻る。

 最初の水泡から押し出された身体を、次が受ける。

 さらに次へ。

 飛んでいた速度だけが、段階的に落ちていく。

 智臣は一人目が地面へ届く前に、もう次の位置を見ていた。


「そっちは任せる」

「うん」


 雅史が短く返す。

 メーダがまた走る。

 十三人が、あちこちへ飛んでいる。

 彰人はその中心で、自分の両手と周囲を交互に見た。


「……やっぱ、ちょっと強かったかな」

「今さら?」


 雅史が一人を受け止めながら返した。


「いや、ちゃんと調整したつもりやったんですけど」

「十三人分だったからね」

「ですよねえ……」


 その横を、別の一人が飛んでいく。

 水泡が受けた。

 智臣はそちらを確認してから、メーダの背へ視線を向ける。


 シェリア。

 エルナ。

 少し離れてレイナ。


 偶然なのだろう。

 分かってはいる。

 それでも数秒見たあと、智臣は小さく息を吐いた。


「……雅史」

「何?」

「随分、偏ったな」


 雅史は一瞬意味が分からず、メーダの背を見る。


「ああ」

「偶然か?」

「偶然だよ」

「そうか」


 それだけ言って、智臣は次の水泡を動かした。

 雅史は少しだけ笑った。


「気になる?」

「別に」


 返事が早かった。

 彰人は聞こえていたが、何も言わなかった。

 今触れれば面倒になる。

 それくらいは分かる。

 やがて、最後の一人が地面へ降りた。


 十三人とも大きな怪我はない。

 落下の勢いは雅史と智臣がほとんど消している。

 それでも、すぐには誰も動かなかった。

 痛みだけが理由ではない。

 自分たちが何をされたのか。

 それを理解するための時間が必要だった。

 ルクスは片膝をついたまま、彰人を見ていた。

 剣は手にある。

 まだ戦える。

 身体も動く。

 なのに、次に何をすればいいのかが出てこない。


 十三人で一つになった。

 それまでとは違った。

 実際に彰人を一歩下げた。

 届くと思った。

 その全部が、最後には自分たちへ戻ってきた。


 しかも。


 返した本人は、飛ばしすぎたことを気にしている。

 その仲間たちは、敵である自分たちが怪我をしないように受け止めていた。


『……なぜ』


 ルクスの口から、言葉が落ちた。

 彰人は聞こえていた。

 けれど、何に対する「なぜ」なのかが分からない。

 返したことなのか。

 受け止めたことなのか。

 殺さないことなのか。

 それとも、その全部なのか。

 答えられないまま見ていると、前方で土が動いた。


 ドルガが立ち上がる。

 グランも続いた。

 ザグ。

 キリカ。

 ギル。

 最初に前へ出ていた者たちが、再び彰人へ視線を向ける。


「……まだ来るんか」


 彰人の声には、呆れより困惑が混じった。

 雅史も十三将を見る。


「戦えるからね」

「元気やなぁ」


 智臣は何も言わなかった。

 ただ、五人がそれぞれ別の方向から間合いを詰めようとしているのを見て、僅かに姿勢を変えた。

 先ほどのような十三人の連携ではない。

 それでも止まる気はないらしい。

 ドルガが地面を蹴った。


『まだ終わっていない!』


 大きな身体が前へ出る。

 その後ろからグラン。

 左右へキリカとギル。

 ザグは少し遅れて別の角度を取った。


「彰人」


 雅史が呼ぶ。


「大丈夫です」


 彰人は五人を見た。

 受けるだけならできる。

 一人ずつ流し続けることも、おそらくできる。

 ただ、それでは終わらない。

 止めても立つ。

 逸らしても来る。

 怪我をさせないことと、いつまでも付き合うことは同じではない。


「しゃあないな……」


 最初に来たドルガの腕を受けた。

 正面から止めない。

 少し沈む。

 入ってきた力を下へ逃がし、身体の向きを変える。

 その先を、彰人は戦場の後方へ向けた。


「ちょっと向こう行っといてください」

『何を――』


 ドルガの巨体が浮いた。

 先ほどほどではない。

 今度は最初から飛ばす距離も、落ちる位置も決めている。

 彰人の横を抜け、後方へ。

 そこへグランが来る。


「すんません」


 受ける。

 流す。

 向きを変える。

 飛ばす。


 キリカ。

 ギル。

 最後にザグ。


 五人が同時に来ている以上、その場へ綺麗に止めて並べておく方が難しい。

 ならば、戦線から外す。

 打撲程度で済む力に落とし、木へ直接ぶつからない方向を選び、地面へ転がるまでの距離を作る。

 五人目を送り出したところで、彰人はようやく肩から力を抜いた。


「……これでええやろ」

「今の、全部別方向から来てたよね」


 雅史が感心したように言う。


「そうですね」

「よく同時に調整できるな」


 智臣も飛んでいった先を確認している。


「その場に置いとく方が難しかったんですよ」

「だから飛ばした?」

「はい」

「怪我は?」

「せんようにはしました」


 彰人は少し間を置く。


「……多分」

「多分なんだ」

「いや、打撲くらいはあるかもしれへんです」


 雅史が笑う。


「十分じゃない?」


 彰人もそう思うことにした。

 少なくとも、もう一度すぐに走って戻ってくる距離ではない。

 そう考えた時。


 彰人の表情から、僅かに笑みが消えた。


 前ではない。

 飛ばした五人よりも、さらに向こう。

 森の中から一人が歩いてくる。

 細身の身体。

 人に近い上半身と、その下に続く蜘蛛を思わせる異形。

 歩みは速くない。

 それでも、迷いがない。


「……アルネアさん」


 彰人の声が小さくなる。

 昨日。

 同じ目的で動いた相手だった。

 話した。

 同じ車にも乗った。

 今日から戦争になったからといって、それだけで昨日までの認識を消せるわけではない。

 雅史も姿を確認し、少しだけ目を細めた。


「来たね」

「ですね……」


 アルネアは彰人たちへ向かってこなかった。

 途中で進路を変え、まだ立ち上がれずにいるルクスの前へ行く。

 何かを短く話す。

 ここからでは内容までは聞き取れない。

 ルクスが首を振った。

 アルネアがもう一度何かを言う。

 今度はルクスが黙った。

 剣を握っていた手から、少しだけ力が抜ける。

 やがて立ち上がると、彰人ではなく後方へ身体を向けた。


「……下げた?」


 彰人が呟く。


「みたいだね」


 雅史もその動きを追う。

 負けた者を責めているようには見えなかった。

 戦えないから排除したわけでもない。

 まだ動ける。

 剣も持てる。

 それでも下げた。

 今ここで、もう一度同じ相手へ向かわせる意味がない。

 そう判断したように見えた。


 別の方向でも動きがあった。

 ドルガとグランが飛ばされた先。

 そこへ、さらに大きな影が近づいている。

 犀を思わせる角。

 分厚い身体。

 二人の前へ立つと、何かを告げた。

 ドルガが反発するように腕を動かす。

 だが、相手は動かない。

 もう一度だけ短く告げる。

 しばらくして。

 ドルガが顔を背けた。

 グランも立ち上がったが、こちらへは戻ってこない。

 二人とも、そのまま後方へ歩き始めた。


「……あっちも下げたな」


 智臣が言う。


「昨日いた人です?」


 雅史が彰人へ聞く。


「いました。名前までは……俺、ちゃんと聞いてへんかもしれんです」


 記憶を辿ってみても、確信がない。

 なら、分からないままでいい。


 彰人はもう一人へ視線を移した。

 こちらは、前へ来ていた。


 大型の猫科を思わせる体格。

 毛並みには虎に近い縞がある。

 十三将と彰人たちの間、その少し後ろ。

 戦うなら、あと数歩で間合いへ入る。

 そこで止まった。

 構えない。

 仕掛けない。

 ただ、こちらを見ている。


「……来えへんな」

「来ないね」


 雅史が答える。


「でも、止めに来たわけでもなさそうだ」


 智臣の視線は男から外れない。

 彰人も同じだった。

 十三将とは違う。

 仲間が倒されたからといって出てこない。

 目の前に敵がいるからといって仕掛けない。

 今は動く必要がない。

 そう判断しているように見える。


「昨日より、嫌な感じするなあ……」


 彰人が小さく漏らした。


「知ってる人だから?」

「それもありますけど」


 一度言葉を切る。


「この人ら、多分ちゃんと考えて止まってますよね」

「僕もそう思う」


 雅史の返事を聞き、彰人は少しだけ肩を落とした。


「頭ええ人と戦うん、面倒なんですよ」

「彰人が言うんだ」

「俺、戦う時はそんな考えたないですよ」


 智臣が彰人を見る。


「さっきずっと考えてただろ」

「あれは見てただけです」

「同じだ」

「ちゃいますよ」


 反論しながらも、彰人の視線は前から外れなかった。

 アルネアも。

 犀人の男も。

 目の前にいる大型猫科の男も。

 昨日会っている。

 だからこそ、分かる。

 十三将を下げるためだけに出てきたわけではない。

 必要なら、このまま前へ出る。

 その準備まで含めて、ここにいる。

 戦場の空気が、もう一段変わり始めていた。


     ◇


 二つ目の概念体との接触を終えたあと。

 行人は、先ほど感じ取ったもう一つの存在がいる方向を見ていた。

 逃げていない。

 近づいてもこない。

 ずっと前からそこにあり、その場所に留まり続けているような感覚。

 寝ている。

 そう表現するのが、今のところ一番近い。


「結構、遠いですね」


 行人が言った。


「遠いん?」

「さっきよりは。歩くのはちょっと嫌ですね」

「俺も嫌や」

「怜司さん、体力あるでしょう」

「あるけど、歩きたいかは別やろ」


 行人は少し笑った。

 その横では、カグラと白金の獅子が待っている。

 ここまでの移動でも世話になっている。

 飛ぶこと自体には問題がない。

 ただ、今は戦闘中だった。


「カグラなら早いんですけど」

『運べる』

「ですよね」


 行人は空を見上げた。

 問題は距離ではない。

 ここから次の場所へ向かう経路のどこかで、戦線に近づく可能性がある。

 地上を進めば時間が掛かる。

 低い高度で飛べば、ヴァルネシア側から見つかる可能性もある。

 自分たちが調査を続けていることを、わざわざ知らせる理由はない。


「戦ってるところ避けたいんですよね」

「せやな」

「大きく迂回するか……」


 行人が考える。

 怜司は空を見る。

 地上。

 木々。

 さらにその上。


「上から行ったらええんちゃう?」

「上?」

「見えへんくらい」


 行人も上を見る。


「……かなり高いですよ」

『問題ない』


 カグラが答えた。


「カグラはそうでしょうけど」


 行人は白金の獅子を見る。


『何だ』

「いや……高いところ大丈夫なのかなって」

『我を何だと思っている』

「獅子?」

『そういう意味ではない』


 怜司が笑った。


「カグラに乗ったらええやん」

『必要ない』

「飛べんの?」

『飛べない』

「ほな乗るしかないやん」

『お前もだ』

「俺も乗るで」

『ならば問題ないだろう』

「何の話してんの?」


 行人が二人を見る。


「知らん」

『我も知らん』

「なんで会話続いてたんですか」


 行人は一度ため息をついてから、カグラを見る。


「三人乗って大丈夫?」

『以前にも確認しただろう』

「あ、そうでした」


 前の移動でも試している。

 カグラの身体は、人間二人と大きな獅子を乗せても問題なく飛べる。

 ならば、残る問題は高度だけだった。


「寒いかもしれませんよ」

「寒かったら下りたらええやん」

「途中で?」

「無理ならやで」

「また上がるんですか?」

「寒ない高さにしたらええやろ」

「最初からそうしてくださいよ」

『行くぞ』


 カグラが会話を切った。

 大きな翼が開く。

 怜司と行人が背へ乗り、その後ろに白金の獅子が身体を収める。

 翼が一度打ち下ろされた。

 身体が浮く。

 もう一度。

 木々の高さを越える。

 そこから先は、今までの移動とは違った。


 上へ。

 さらに上へ。

 森が一つの面へ変わっていく。

 木の一本一本が分からなくなり、起伏だけが残る。

 裂け目のある方向も、戦線のある方向も、地形の中へ溶けていく。

 風は冷たい。

 けれど、カグラの周囲を流れる空気は不思議なほど安定していた。

 そのまま風を受ければ会話どころではないはずなのに、声は普通に届く。


「高いですね……」


 行人が下を見た。


「高いな」


 怜司も見る。


「怖くないんです?」

「別に」

『落ちても拾える』


 カグラが言う。


「落ちる前提にしないでください」

「拾ってくれるって」

「怜司さんは落ちても平気そうだからいいですけど」

「俺も嫌やで」

『なら落ちるな』

「せやな」

「二人とも雑なんですよ」


 行人は下を見るのをやめた。

 代わりに、遠くへ意識を向ける。


 戦線。

 目ではもう見えない。

 それでも、力の動きは感じられた。

 大きなものが一度まとまり。

 その直後に崩れた。

 さらにいくつかの力が動き、今は一定の場所で止まっている。


「向こう、まだ止まってますね」

「うん」


 怜司も同じ方向を見る。


「抜けてきてへんのやろ?」

「たぶん」

「ほな大丈夫やろ」


 それだけだった。

 誰が何をしているのか。

 どうやって止めているのか。

 怜司は聞かなかった。

 向こうには向こうの役割がある。

 こちらには、こちらの役割がある。

 必要になれば呼ばれる。

 呼ばれていないなら、今は進めばいい。

 行人も、それ以上戦線へ意識を向けなかった。

 カグラが進路を変える。

 地上では長い距離も、上空を直線に進めばそれほど時間は掛からない。

 やがて行人の中で、先ほどから感じていた存在が少しずつ大きくなっていった。


「近いです」

『下りるか』

「お願いします」


 カグラが翼を傾けた。

 身体が緩やかに下がっていく。


     ◇


 森へ降り立った時には、空の色が変わり始めていた。

 昼の明るさはまだ残っている。

 それでも木々の間に伸びる影は長くなり、夕方が近いことを知らせていた。

 行人はカグラから降りると、すぐに意識を周囲へ広げた。


「……います」

「寝てる?」

「多分」


 先ほどより近い。

 だからこそ、違いもはっきりする。

 最初の概念体には、何かを求める動きがあった。

 二つ目には、逃げる意思があった。

 ここにいるものには、そのどちらもない。


 静かだった。

 消えているわけではない。

 むしろ存在そのものは、これまでの二つより深く感じる。

 長い時間を積み重ね、そのまま底へ沈んでいるような感覚。


「起こしたらあかんの?」


 怜司が聞く。


「分からないです」

「ほな、起こさん方がええんちゃう?」

「僕もそう思います」


 二つ目は追われていた。

 何に追われているのかは、まだ分からない。

 けれど、もし眠っていること自体に理由があるなら。

 こちらの都合だけで起こすのは避けたい。


「寝たまま話せたらいいんですけどね」


 行人が呟く。

 怜司は目の前の何もない空間を見る。


「夢とかないん?」

「夢?」

「寝てるんやろ?」

「……寝てる、みたいな状態ですけど」

「ほな、そっち行けたら起こさんでええやん」


 行人はすぐには答えなかった。

 夢。

 概念体に、人間と同じものがあるとは限らない。

 そもそも眠るという表現さえ、自分が受け取った感覚を人間の言葉へ置き換えただけだ。

 ただ。

 意識が完全に消えているわけではない。

 存在はある。

 表へ出てきていないだけなら、その内側に何かが残っている可能性はある。


「……探してみます」

「うん」


 行人はその場へ座った。

 目を閉じる。

 今までのように、こちらから経路を作るのではない。

 それをすれば、相手を起こしてしまうかもしれない。

 外へ向いているものを探すのでもない。

 内側へ沈んでいるもの。

 そこへ繋がる場所がないかを探す。

 意識を広げる。


 深い。


 触れたと思えば消える。

 近づけば、さらに奥へ沈む。

 拒絶されている感じはない。

 そもそも、こちらへ気づいていない。

 行人は一度目を開けた。


「時間かかる?」


 怜司が聞いた。


「ちょっとかかりそうです」


 空を見ると、茜色に染まっていた。

 怜司も同じものを見た。


「ほな、飯探してくるわ」

「お願いします」

「魚でええ?」

「取れるなら」

『我も行く』


 白金の獅子が立ち上がった。


「釣り具作れる?」

『行人に言え』

「うーん、なんか考えよか」

『何とでもなろう』

「石ころくらいあるやろ」

『何をするつもりだ』

「魚採り」


 二人が森へ入っていく。

 行人はその背中を見送り、カグラを見る。


「仲いいよね、あの二人」

『そう見えるか?』

「見えない?」

『似てはいる』

「それ本人たちに言ったら怒りそう」

『なら言わなければいい』

「そうする」


 行人はもう一度目を閉じた。

 今度は、先ほどよりも深く。

 眠っているものを起こさず、その内側へ触れるために。


     ◇


 川は、少し歩いたところにあった。

 水量は多くない。

 底が見えるほど澄んだ流れの中を、小さな魚影がいくつも動いている。

 怜司は岸辺でしゃがみ、適当な石を一つ拾った。


『何をする』

「魚取る」

『それでか』

「取れるで」

『非効率だ』

「ほな取ってみ」


 白金の獅子が水際へ出て、しばらく水面を見る。

 前脚が動いた。

 それとともに大きな水音が鳴り、魚が一匹、岸へ飛んだ。

 怜司がそれを見る。


「……ずるない?」

『何がだ』

「いや、別にええけど」


 怜司も水面を見る。

 魚影、その少し先に石を投げる。

 水面のすぐ下へ入った石が小さな音を立て、その近くにいた魚の動きが止まる。

 怜司はすぐに川へ入った。


「ほら」

『一匹だ』

「今からやん」


 その間に、獅子がもう一匹飛ばした。


「早いて」

『遅い』

「競争ちゃうやろ」

『お前が始めた』

「始めてへんわ」


 さらに一匹。

 怜司も石を拾う。

 しばらくして。

 岸には、必要以上の魚が並んでいた。


「取りすぎちゃう?」

『お前も食うだろう』

「こんな食わへんで」

『我が食う』

「ああ、食うんか」

『当然だ』


 怜司は魚をまとめながら立ち上がった。

 帰り道。

 木々の間に実をつけているものを見つける。


「これ食える?」

『知らん』

「知らんの?」

『何でも知っていると思うな』

「神獣やのに」

『関係ない』


 怜司が実を見る。


「食ってみて」

『なぜ我が先なんだ』

「強いやん」

『毒と強さは別だ』

「そうなん?」

『お前が食え』

「嫌や」

『なら持って帰れ』

「行人に食わせる?」

『やめておけ』

「冗談やん」

『お前は時々分からん』

「俺もお前よう分からんで」

『そうか』

「せやで」


 結局、見たことのない実は置いていくことにした。

 少し先で、別の木を見つける。

 今度は形が分かりやすい。

 白金の獅子が匂いを確かめる。


『これは問題ない』

「分かるん?」

『知っている』

「さっき知らんかったやん」

『知っているものは知っている』

「便利やな」

『普通だ』


 怜司は幾つか実を取った。

 魚。

 果物。

 夕食としては十分だった。


「戻ろか」

『ああ』

 二人は来た道を戻った。


     ◇


 行人は、どこかに立っていた。

 地面がある。

 そう思えばある。

 空もある。

 けれど、どちらも輪郭が薄い。

 暗いわけではない。

 明るいわけでもない。

 外から光が差しているのではなく、空間そのものが淡く見えている。


 夢。


 そう呼ぶには、少し違う。

 それでも、現実ではないことだけは分かった。

 少し離れたところに、誰かがいる。

 行人は動かなかった。

 まず見る。

 これまでの二つとは、明らかに違う。

 形が安定している。

 人に近い。

 年齢まで人間へ置き換えるなら、自分より少し上。

 二十代くらい。

 それ以上は分からない。

 相手が、こちらを向いた。


『……誰?』


 意味ではなく、言葉として届いた。

 行人は一瞬、返事を忘れた。

 これまでより、あまりにも普通だった。


「行人です」

『ユキト』

「はい」


 相手は少し考えるように行人を見る。


『久しぶり』

「僕と会ったことあります?」

『ない』

「じゃあ……人が?」

『ここへ来るもの』


 行人は意味を考える。


「僕みたいに、ここへ入ってきた人がいる?」

『昔』

「どれくらい前?」


 相手は黙った。

 答えを探しているように見える。


『分からない』

「かなり前?」

『とても』


 時間の感覚が違う。

 あるいは、長く生きすぎて細かな年月を数えていないのかもしれない。

 行人は質問を変えた。


「今、寝てるんですよね?」

『寝ている』

「ここは夢?」


 相手が少し考える。


『それに近い』


 通じる。

 今までより、ずっと会話が速い。

 それだけ長く存在しているということなのか。

 人と接した経験が多いのか。

 今はまだ分からない。


「起こさない方がいいと思って、こっちに来たんです」

『起きると見つかる』


 行人の意識が、その言葉で止まった。


「何に?」

『追うもの』


 二つ目。

 あの概念体が見せた反応が浮かぶ。

 来る。

 逃げる。

 離れる。


「あなたも追われてる?」

『追われている』

「ヴァルネシアに?」

『違う』


 迷いがなかった。

 二つ目と同じ。


「何に追われてるかは分かります?」


 今度は、すぐには答えなかった。


『名前は知らない』

「姿は?」

『同じではない』

「同じじゃない?」

『来るたびに違う』


 行人は言葉を待つ。


『空から来る』


 少し間が空く。


『落ちてくる』


 その表現に、行人の中で一つの言葉が浮かんだ。


「……星堕とし?」


 相手が反応した。


『そう呼ぶ者もいる』


 行人は息を止めた。

 答えに届いたわけではない。

 まだ、この概念体がそう考えているだけだ。


 それでも。


 二つ目の概念体が逃げていたもの。

 今ここにいる概念体が、眠ることで避けているもの。

 その両方に、同じものが重なり始めた。


「星堕としが、あなたたちを探してる?」

『そう思う』

「理由は?」

『分からない』

「でも、狙われてると思う理由はある?」

『ある』


 行人は続きを待った。


『私たちは、世界を続ける者に付く』

「世界を続ける者?」


 相手が、少し考える。

 こちらの言葉に合うものを探している。


『治める。動かす。続ける』


 一つでは足りないらしい。


『その者に付き、足りないものを補う』

「……世界を運営する人を、手伝う?」

『運営』


 相手がその言葉を確かめる。


『近い』


 行人の中で、概念体という存在の意味が初めて形を持った。

 世界そのものではない。

 世界を治め、動かし、続ける何者か。

 その存在に付き、足りないものを補う。

 自分たちが見つけたものは、偶然この場所にいるわけではない。

 本来なら、誰かの側にいる。


「その人は今どこに?」

『いない』

「いない?」

『離れた』

「追われたから?」

『分からない』


 またそこへ戻る。

 分からないものは、分からない。

 この概念体は長く存在している。

 会話もできる。

 それでも、すべてを知っているわけではない。


「星堕としは、その人を狙ってるんじゃなくて、あなたたちを?」

『そう見える』

「見つかったらどうなる?」


 相手の表情が少しだけ変わった。


『逃げる』

「逃げられなかったら?」


 返事はなかった。

 行人はそれ以上聞かなかった。

 代わりに、今の状態を見る。


「寝てたら見つからない?」

『見つからない』

「ずっと寝てれば安全?」

『安全』

「じゃあ――」


 言いかけて、行人自身が止まった。

 相手が何をする存在なのか。

 今聞いたばかりだった。


「……でも、それだと世界を手伝えない?」

『そう』


 相手が少しだけ笑った。


『ユキトは早い』

「さっき聞いたばかりですから」

『そうか』


 行人も少し笑う。

 眠れば見つからない。

 逃げる必要もない。

 けれど、本来の役割も果たせない。

 起きれば役割へ戻れる。

 その代わり、また追われる。

 安全な答えはある。

 ただし、それを選べば本来の目的を失う。


「難しいですね」

『難しい』


 相手は静かに答えた。

 その姿が、少しだけ薄くなる。


『もう眠る』

「はい。長く話しちゃって、ごめんなさい」

『構わない』

「また来てもいい?」

『眠っている時なら』

「分かりました」


 空間が少しずつ遠ざかる。

 行人は最後に一つだけ確認した。


「星堕としがあなたたちを狙ってるっていうのは、まだあなたの考えなんですよね?」

『そう』

「分かりました」


 断定しない。

 今分かったのは、この概念体が長い時間を生き、その経験から星堕としに追われていると考えていること。

 眠っていれば発見されないこと。

 そして。

 概念体が、世界を運営する何者かを補助する存在であること。

 それだけでも十分だった。

 景色が消える。


     ◇


「戻った?」


 目を開けると、怜司がいた。

 その隣に白金の獅子。

 二人の前には魚が並んでいる。


「……多くないです?」

「こいつが取った」

『お前も取った』

「どっちでもいいですけど」


 行人は身体の状態を確認しながら立ち上がった。

 前より負担は少ない。

 接続方法が分かってきたからなのかもしれない。


「話せました」

「うん」

「かなり普通に」

「人みたいに?」

「そうですね。見た目も、人に近かったです」


 怜司は魚を処理しながら続きを待っている。

 それを見て行人は、思考を巡らせながら、片手間で魚を魚をさばけることに感心した。

 感心しながらも、言葉を続ける。


「二つ目と同じで、何かに追われてました」

「ヴァルネシアちゃう?」

「はい。それで、その何かについて心当たりがあるみたいです」


 行人は一度言葉を選ぶ。


「星堕としだと思ってるみたいです」


 怜司の手が一瞬止まった。

 それだけだった。


「思ってる?」

「本人も断定はしてません。空から来て、落ちてくるものが自分たちを探してる。それをこっちでは星堕としって呼んでるみたいです」

「ふうん」

「あと、寝てる間は見つからないそうです」

「ほな、あれは隠れて寝てるんやな」

「そうみたいです」


 怜司は魚をさばく方に意識を戻す。

 行人はもう一つの情報を続けた。


「概念体が何なのかも、少し分かりました」

「うん」

「世界を運営する人に付いて、その人が世界を維持するのを手伝う存在みたいです。本人は『治める』『動かす』『続ける』って言ってましたけど」


 怜司はすぐには何も言わなかった。

 手を伸ばして次の魚を取る。


「ほな、寝てたらあかんな」

「……そこですか?」

「手伝うためにおるんやろ?」

「そうみたいです」

「寝てたらできへんやん」

「本人も同じこと言ってました」

「ほな困るな」


 それで終わった。

 概念体とは何なのか。

 世界を運営するとはどういうことなのか。

 そこを怜司は聞かなかった。

 行人が今分かったことを話した。

 なら、それ以上分からないものを今ここで決める必要はない。


「まだ分からないこと多いですけどね」

「次おるんやろ?」

「この辺では最後の一体が」

「ほな、そいつにも聞いたらええやん」

「話せれば、ですけどね」

「話せんかったら、その時考えよ」

「そうですね」


 行人は頷いた。

 怜司は焼く準備を始めている。


「……今から食べるんですよね?」

「腹減ったやろ」

「減りましたけど」

『我もだ』


 白金の獅子が魚の前へ横たわる。

 さも当然といったように、焼かれようとしている魚を見ていた。


「お前さっき食うてへんかった?」

『食べていない』

「ほんま?」

『疑うのか』

「魚減ってた気するけど」

『気のせいだ』

「よう喋るようになったなあ、お前」

『最初から喋っている』


 行人は二人を見る。

 本当に仲のいいコンビだなと、改めて思った。


「先に食べましょうか」

「せやな」

『そうしろ』

「なんでお前が仕切んねん」


 夕方の森に、魚を焼く匂いが広がり始めた。

 戦場から離れた場所。

 それでも、遠くにある力の流れはまだ止まっている。

 食事を終えれば、次へ向かう。

 この周辺で、最後の概念体。

 答えがあるかは分からない。

 それでも。

 少なくとも、追うべきものの輪郭は少しずつ見え始めていた。


     ◇


 怜司と行人が森の奥で情報を積み重ねていた頃。

 前線では、十三将が一人、また一人と後方へ下がっていた。

 自分から退いた者ばかりではない。

 先ほど現れた者たちが戦況を見て、まだ戦える者まで順に下げている。


 その代わり。


 森の向こうから、新たな姿が増えていた。

 彰人は、その顔ぶれを見ながら小さく息を吐いた。


「……八傑、揃ったみたいやな」


 昨日、全員と言葉を交わしたわけではない。

 名前まで覚えていない者もいる。

 それでも、八傑という存在は知っている。

 十三将より上。

 ヴァルネシアの中でも、戦場の中核を担う者たち。

 何より、目の前に並んだ八人は、十三将とは明らかに違っていた。

 強そうだからではない。

 動かない。

 八人が揃っても、誰一人として勝手に前へ出ない。

 仲間が後方へ運ばれている。

 十三将が敗れたことも見ている。

 それでも、命令も判断もないまま仕掛けてくる者はいなかった。


「さっきの奴らより面倒そうだな」


 智臣が低く言う。


「だね」


 雅史も八傑を見ている。


「強さもあるだろうけど、たぶんそれだけじゃない」


 彰人も頷いた。


「分かってて止まってる感じしますね」

「昨日、一緒にいたんだろ?」


 智臣が聞く。


「はい。全員とちゃんと話したわけちゃいますけど」


 その中に、アルネアもいる。

 前回会った時は敵ではなかった。

 今日も、本当なら敵として見たくはない。

 それでも。

 向こうが前へ出るなら止めるしかない。

 彰人は無意識に両手を握った。


 その時。


 八傑の一人が、僅かに重心を前へ移した。

 彰人の意識がそこへ向く。

 雅史も気づいた。

 智臣の背後で、ラギアがゆっくりと身体の向きを変える。


 戦う。


 そう判断したわけではない。

 ただ、今まで動かなかった者が、初めて動こうとしている。

 それだけで、十三将の時とは違う緊張が生まれた。


 だが、踏み出されるはずだった足は、その場で止まった。

 後方から誰かが走ってくる。

 伝令らしい。

 八傑の近くまで来ると、短く何かを告げた。

 ここからでは聞こえない。

 それでも、八人の空気が変わったことは分かった。


「……何や?」


 彰人が目を細める。

 八傑は前へ出ない。

 逆に、僅かに道を開ける。

 その間を通って、一人の男が前へ出てきた。

 彰人には見覚えがある。


「アルディウスさん……?」


 武器を構えていない。

 手には書状らしきものを持っている。

 その姿を見て、雅史も構えを少し緩めた。


「戦いに来た感じじゃないね」

「ですね」


 智臣はまだ視線を外さない。


「だからって、こっちから行く必要もないだろ」

「それもそうですね」


 三人はその場で待った。


     ◇


 さらに高い場所から、その変化を見ていた者がいる。

 優斗だった。

 ナギの背から前線全体を見下ろしている。

 十三将はほぼ後方へ下がった。

 代わりに八傑が前へ出ている。

 それでも、戦闘は始まらない。

 さらに後方から現れた一人が、書状を持っている。

 軍全体にも、前進する動きがない。


「……止まった」

『ああ』


 ナギが答える。

 優斗はしばらく見続けた。

 罠にしては不自然だった。

 八傑を出しておきながら仕掛けず、一般兵も動かさない。

 ただ、書状を持った者だけを前へ出す。


「洋一さん呼んだ方がいいか」

『そうだな』


 優斗は弓を下ろした。

 今必要なのは、撃つことではない。

 対話する者だった。


     ◇


 優斗から状況を聞いた洋一は、すぐに前線へ向かった。

 ナギの背から降りる。

 彰人たちがいる位置まで歩く間にも、ヴァルネシア側に動きはない。


「状況はどうですか?」


 洋一が聞く。


「十三将は全員下がりました」


 一番手前で待ち受けていた雅史が答えた。


「その後ろに八傑が出てきています。ただ、まだ攻撃はありません」

「書状を持っているのは?」

「アルディウスさんです」


 洋一が言い切るかどうかのタイミングで、彰人が答える。

 その書状の内容が気になっているのだろう。


「昨日会った人です」


 洋一は静かに頷いた。


「分かりました」


 そのまま前を見る。

 アルディウスも、こちらが話を受ける者を出したことに気づいたらしい。

 誰も引き連れず、一人で歩いてくる。

 八傑も動かない。おそらく控えているであろう、他の三柱も動くそぶりはなかった。

 だから、彰人たちも、その場に残った。


 互いに十分な距離を残したところで、アルディウスが止まる。


『ヴァルネシア王国、アルディウスだ』

「久世洋一です」


 洋一は静かに返した。

 アルディウスが手にした書状を僅かに上げる。


『我が王、アルトリウスより親書を預かっている』

「拝見しても?」

『無論だ』


 アルディウスが一歩だけ前へ出る。

 その分だけ洋一も前に進む。

 アルディウスが書状を広げるのかと思いきや、紐で綴じられた書状をそのまま受け取る。

 洋一もすぐには開かない。


「内容を、こちらで確認しても構いませんか?」

『構わない』


 洋一は封を確認してから開いた。

 書かれている文字そのものを、すべて読めるわけではない。

 だが、アルディウスが続けた。


『内容は、一時停戦の申し入れだ』


 洋一が顔を上げる。


「停戦ですか」

『そうだ』

「期間は?」

『今より、明朝まで。再開する場合も、双方が戦闘準備を整えたことを確認した後としたい』


 夜の間だけでも、戦闘を完全に止める。

 暗闇の中で再開するつもりはない。

 洋一はその意図を受け取った。


「負傷者の回収は?」

『双方認める。我々も、そちらの負傷者がいるなら妨害しない』

「こちらの陣地へ兵を進めないことも条件に入れたいです」

『承知した。我々も同じ条件を求める』


 洋一はすぐには承諾しなかった。


 後ろを見る。

 彰人、雅史、智臣。

 さらに遠くに、自分たちの防衛拠点。


 今ここで戦闘を続ける理由はない。

 こちらが押されているわけでもない。

 怜司と行人は別の調査を続けている。

 時間が増えることは、むしろ都合がいい。


「停戦をお受けします」


 洋一が答えた。


『感謝する』

「こちらとしても、今夜戦い続ける必要はありません」


 アルディウスの目が僅かに動く。

 洋一の言葉に皮肉はない。

 勝ったとも、追い詰めたとも言わない。

 ただ、戦う必要がないなら戦わない。

 それだけだった。


『では、詳細は双方の伝令を通して詰めたい』

「お願いします」


 短い交渉だった。

 けれど。

 その言葉が届いたあと、前線の空気は確かに変わった。

 構えていた兵士が、すぐに武器を下ろすわけではない。

 八傑も、その場からすぐには動かない。

 十二神承側も同じだった。

 停戦が決まったからといって、今まで戦っていた相手を突然信用できるわけではない。


 それでも。


 前へ向いていた力が止まる。

 誰かを押し返すために使われていた意識が、周囲へ戻る。

 戦闘が始まってから初めて。

 双方が、同じ場所で立ち止まった。


     ◇


 拠点へ戻った桜子が、最初に口にしたのは、戦況のことでも十三将のことでもなかった。


「風呂入りたい」


 近くで自分の靴を確認していた恭平が、顔を上げる。


「姐さん、今日そんな動いてないっすよね」

「戦場おったら入りたなるやろ~」

「まあ、それは分かるっすけど」

「土埃とかあるやん」


 桜子はそう言って、自分の服を軽く摘まんだ。


 前線を走り回ったわけではない。

 汗だくになるほど身体を動かしたわけでもない。

 それでも、一日中外に立っていた。

 風が吹けば土が舞い、森から流れてくる湿った草の匂いも服や髪に残っている。


 何より、いつ誰かが清隆の陣を抜けてくるか分からない状態で、ずっと意識を外へ向け続けていた。


 身体を洗いたいというより、一度そこで区切りたかった。

 戦場に立っていた自分から、いつもの自分へ戻るために。


「飯もできてるよ」


 少し離れたところから、良澄の声が飛んでくる。


「先に食べる?」


 桜子の足が止まった。


「……風呂」

「迷ったね」

「迷ってへん」

「今、間があったよ」

「風呂入ってから飯!」


 少し強く言い直した桜子に、良澄が笑う。


「はいはい」


 その横を、智臣が通り過ぎていった。

 前線に立っていた時間が長かったからか、濃紺の服には乾いた土がいくつも残っている。

 桜子より、どう見ても先に風呂へ行った方がよさそうな姿だった。


「俺は飯」

「智兄、先風呂入らんの?」

「腹減った」

「子供みたいやな」

「腹減るのに年齢関係ないだろ」


 さっきまで十三将を相手にしていた人間の言葉とは思えない。

 桜子が呆れたように智臣を見る。

 その少し後ろでは、雅史も戻ってきていた。

 智臣とは違って上着がベージュだからなのか、同じ場所にいた割には汚れが目立たない。


「今日はよく動いたしね」

「お前は象に乗ってただろ」

「智臣もラギアに任せてたじゃない」

「俺は水泡動かしてた」

「僕も指示してたよ」

「そうか」


 そこで智臣の返事が妙に短くなる。

 雅史が少しだけ横を見る。


「まだ何か気にしてる?」

「別に」

「何の話です?」


 ちょうど戻ってきた彰人が、その会話だけを拾った。


「何でもない」


 智臣の返事が早い。

 彰人は智臣を見て、それから雅史を見る。

 雅史は何も言わず、ただ少し笑っている。


 何の話かは分からない。


 けれど。


 今は聞かない方がいい。

 彰人はそう判断した。


「ほな俺も飯にしよかな」

「彰人は風呂行かないの?」

「後でええです。腹減った」

「ほらな」


 智臣が桜子を見る。

 なぜか少しだけ勝ち誇ったように見えた。


「何がや」

「腹減る」

「知らんがな」


 桜子の声に、近くにいた何人かが笑った。

 戦場から戻った直後とは思えない。

 けれど、それで戦いが終わったと思っている者もいなかった。


 清隆が作った陣は、そのまま残してある。

 動線を制限するために変えた地形も戻していない。


 優斗はナギとともに定期的に上空へ上がり、ヴァルネシア側の動きを確認している。

 停戦が成立したからといって、相手が完全に動かなくなると決めつける理由はない。


 智希は別の方向へ向かっていた。


 戦闘が始まる前から、周辺にいた動物が巻き込まれないよう気配を追い、近づきそうなものがいれば進路を変えさせている。

 戦線が止まった今は、それまで遠ざけていた動物たちが不用意に戻ってこないかを確認していた。


 恭平も休む前にやることがある。

 自分の装備より先に、今日動いた全員の足元を見て回っていた。


「靴、大丈夫っす」


 風呂へ向かいかけていた桜子が、また止まる。


「全員?」

「はい。今日くらいなら問題ないっす。明日も普通に走れます」

「ほんまに?」

「俺、そこ適当には言わないっすよ」

「知ってる」


 桜子は自分の足元を見る。

 今日は大きく動いていない。

 だが、明日も同じとは限らない。


 前線の状況が変われば、自分が走ることになるかもしれない。

 その時に靴の状態を理由に動けない、ということだけは避けたい。


「ほな頼むわ」

「泥だけ落としてください」

「風呂で?」

「靴は入れないでください」

「入れへんわ!」


 恭平が笑う。

 桜子も言い返してから、自分でおかしくなったらしく笑った。

 少しずつ、拠点の空気が変わっていく。

 警戒は解いていない。

 戦場であることも忘れていない。


 それでも、張り詰め続けていたものを一度緩める時間は必要だった。

 そのやり取りを聞きながら、良澄は食事の準備を続けている。

 良澄にも、別の仕事が残っていた。


 今日一日で、自分たちが止めた兵士の中にも怪我人は出ている。

 攻撃によるものばかりではない。


 転倒。

 長時間動き続けたことによる疲労。

 混乱の中で起きた軽い負傷。

 戦闘区域から離れようとする途中で傷を負った者もいる。

 そうした者を受け入れる場所と仕組みは、最初から用意していた。


 敵だから治さない、という判断はしていない。

 とはいえ、良澄一人ですべてを見る必要もなかった。

 軽傷者まで一人ずつ対応していれば、今度は本当に治療が必要な者へ手が回らなくなる。

 だから、簡単な処置なら他の者でも回せるようにしてある。

 治療する力があることと、治療が回る仕組みを作ることは別だった。


「良澄」


 食事を並べているところへ、洋一が近づいてくる。


「救護の方はどうですか?」

「大丈夫。重い人はいないよ」

「ヴァルネシア側は?」

「向こうへ戻れる人は戻してる。動かさない方がいい人だけ、少し休んでもらってるよ」

「分かりました」


 洋一は頷き、良澄の近くに置かれているクリアケースを見る。


 衛生用品や簡単な処置に使う道具がまとめられている。

 朝より、いくつか減っていた。


 十二神承側に負傷者はいない。

 ならば、使った相手は分かる。


「停戦中も続けてください」

「うん。そのつもり」


 良澄の返事に迷いはなかった。


 敵だから治さない。

 味方だから先に治す。


 今ここで、その線を引く必要はない。

 戦えるようにして前線へ戻すためでもない。

 怪我をしている。

 だから治す。

 それだけだった。


     ◇


 食事を取り、風呂へ入り、着替える。

 順番は人によって違った。


 桜子は宣言どおり先に風呂へ向かい、智臣と彰人は先に食事へ行った。

 雅史はその間にメーダの様子を確認し、恭平は最後まで靴と装備を見ている。


 清隆は自分が変えた地形を確認し直した。

 夜間に人が誤って入り込んでも危険がないか。

 停戦中だからこそ、戦闘を想定した仕掛けそのものが事故を起こしては意味がない。


 智希も戻ってきた。


 周辺の動物に大きな問題はない。

 ただ、まだ人間が大量に集まっている以上、完全に元へ戻すのは早い。

 明日も戦闘が再開する可能性を考えれば、今夜はそのまま距離を取らせておくことにした。


 完全な休息ではなかった。

 誰かが休んでいる間には、誰かが外を見ている。

 やがて日が落ちると、ヴァルネシア側にも灯りが増えていった。

 昼間には巨大な一つの軍勢にしか見えなかったものが、暗くなるにつれて別の姿を見せ始める。


 火が灯る。

 簡易の天幕が立つ。

 負傷者を運ぶ者がいる。

 食料や水を動かす者がいる。

 武器を整備する者もいれば、座り込んだまま動かない者もいる。


 戦う者だけで、軍は成り立たない。

 むしろ戦闘が止まった今だからこそ、それを支えるために動いていた人間の多さが見える。

 その様子を、優斗がナギの背から確認して戻ってきた。

 全員が一度身体を休め、食事や装備の確認まで一通り終えた頃。

 洋一が声を掛けた。


「今日の確認をしておきましょう」


 休息の時間から、明日のための時間へ。

 緩んでいた空気が、そこで少しだけ戻った。

 集まれる者が集まる。


 怜司と行人は、まだ戻っていない。

 二人は概念体の探索を続けている。


 連絡が必要な事態になったわけでもない。

 ならば、無理に呼び戻す必要もなかった。


 今ここにいる者だけで、まず今日起きたことを整理する。

 洋一は全員が揃ったことを確認してから、最初に優斗を見た。


「向こうの様子は?」


「動いてません。前線の兵はかなり下げてます。後ろでは負傷者の移動とか、食事の準備してる感じです」

「増援は?」

「今見える範囲ではないです」

「分かりました」


 洋一は少し考える。

 そのまま、独り言のように呟いた、


「予定より早かったですね」


 彰人が顔を上げて反応する。


「停戦です?」

「はい」


 洋一は全員を見る。

 そこにいる全員が自分の声に反応したことを確認して続けた。


「こちらとしては、今日中に向こうから停戦を申し込んでくるところまでは想定していませんでした」

「八傑まで出てきたしな」


 智臣が言う。

 体の向きを直して次の言葉につないだ。


「普通なら、あのまま交代して続けると思う」

「僕もそう思った」


 雅史が少し顔を上げて声に出した。


「十三将を下げた時点で、次を出す準備はしてたよね」

「せやのに止まった」


 彰人は昼間の光景を思い返す。

 八傑が揃った。

 一人が前へ出ようとした。

 そこへ伝令が来た。

 その後にアルディウスが親書を持ってきた。


「王様側で止めたんですかね」

「その可能性は高いと思います」


 洋一が答える。

 清隆が、少し離れた場所に見えるヴァルネシア側の灯りへ視線を向けた。


「戦力が尽きたわけじゃないでしょうね」

「うん」


 雅史が頷く。


「十三将も、全員が戦闘不能になったわけじゃない。八傑もまだ戦ってない」

「一般兵も残ってる」


 優斗が付け加える。


「じゃあ、なんで止めたんでしょう」


 良澄が聞く。

 すぐに答える者はいなかった。

 戦力はある。

 人数も圧倒的に向こうが多い。

 それでも、今日の戦線はほとんど動かなかった。

 清隆が作った動線によって、兵士たちは進める場所そのものを限定されている。

 無理に突破しようとしても、優斗が上から動きを拾う。

 抜けた者がいれば智希と恭平が追う。

 さらにその先には桜子がいる。

 前線では彰人、雅史、智臣。

 十三将まで投入しても、そこを越えられなかった。


「続ける意味が薄くなったんじゃないですか」


 清隆が言った。

 洋一がそちらを見る。


「今日これ以上やっても、前に進める保証がない。でも、人は疲れる」


 清隆は一度言葉を切る。


「人数が多いほど、休ませるのも大変です」


 優斗が先ほど見たものを思い返す。

 食事、水、負傷者、天幕、交代する兵。


「向こう、後ろまでずっと人いますからね」

「こっちは少ないからな」


 智臣が言う。


「休むだけなら簡単だ」

「それだけじゃないと思うよ」


 雅史が付け加える。


「向こうから見れば、今日こっちが何をしたかも分からない部分が多いはずだから」


 十三将。

 十三人で作った攻撃。

 彰人は、それを返した。

 けれど殺さなかった。

 飛んだ十三将を、雅史と智臣が受け止めた。


 一般兵も同じ。

 進軍を止めながら、重傷者を増やしていない。


「こっちがどこまでやるつもりか、判断しにくい?」


 優斗が聞く。


 今日、自分たちがやったことを、相手の側から見ればどう映るのか。

 一般兵の進軍を止めた。

 十三将を投入されても、前線は動かなかった。

 十三人が作った攻撃さえ、彰人は正面から受けて返している。

 それだけなら、単純に戦力差の話で済む。


 けれど。


 その結果として、死者を出していない。

 少なくとも、十二神承が意図して命を奪った者はいない。

 重傷を負わせることさえ避けている。

 十三将を吹き飛ばした彰人は、その先まで雅史と智臣に頼んでいた。

 一般兵に対しても、優斗は射る場所を選び、清隆は怪我をしにくい形で進路を塞ぎ、智希や恭平も捕まえた相手を必要以上に傷つけてはいない。


 力がないから、殺せなかったのではない。

 殺せるだけの力を見せながら、殺さなかった。

 相手からすれば、その理由までは見えない。


「僕なら、一度止めて整理したいかな」


 雅史が答えた。

 視線はヴァルネシア側の灯りへ向いている。


「何ができるか分からない相手より、何をするか分からない相手の方が判断しにくいからね」


 彰人が少し困ったように笑った。


「俺ら、まだ普通に戦えますもんね」

「そこも大きいでしょうね」


 洋一が頷く。

 今日一日、ヴァルネシア側は人を動かし続けていた。

 前へ進む兵。

 交代する兵。

 十三将。

 その後方では、食料も水も運ばなければならない。

 負傷者が出れば回収し、治療し、休ませる場所も必要になる。

 十二万という数は、戦う時には圧倒的な力になる。


 だが、

 十二万人いるということは、十二万人を動かし続けなければならないということでもある。

 食べる。

 飲む。

 眠る。

 疲れる。

 怪我もする。

 戦闘に参加していない者まで含めて、そのすべてを維持しなければ軍は止まる。


 対して。


「向こうは今日一日で人を動かし続けた。こちらは配置を維持しただけです」


 洋一の言葉に、彰人が僅かに眉を寄せた。


「俺、結構動きましたけど」


 思わず出たらしい。

 雅史が笑う。


「彰人はね」

「疲れたんですよ?」

「分かってるよ」

「十三人分返したんですよ?」

「うん」

「五人飛ばしたし」

「そこは自分でやったんでしょ」

「そうですけど」


 彰人自身、別に本気で反論しているわけではない。


 身体に疲労がないわけではない。

 十三将を相手に、傷つけないよう力を調整し続けた。

 最後には五人を同時に止めることを諦め、まとめて前線の外まで飛ばしている。

 それでも。

 明日、同じことができるかと聞かれれば、できる。

 少なくとも、休息を取れば問題になるほどの消耗ではない。

 それは彰人だけではなかった。


 雅史も智臣も、まだ動ける。

 清隆が維持している陣も崩れていない。

 優斗は今も上空へ上がれる。

 智希も恭平も周辺を動き続けている。

 桜子も良澄も洋一も、役割を失ってはいない。


 十二人しかいない。

 だからこそ。

 十二人が動ける状態を保てている限り、こちらの戦力はほとんど減っていなかった。


 少しだけ空気が緩む。

 洋一も、そのやり取りを止めなかった。

 一日張り詰め続けていた。

 明日の戦闘がなくなったわけでもない。

 ならば、今くらいはそれでいい。


 ただ、考えるべきことまで、そこで終わらせるわけにはいかなかった。


「おそらく、向こうは今日の時点で一度判断を挟む必要が出たんだと思います」


 洋一の声に、全員の意識が戻る。


「戦えなくなったからではありません。続ければ勝てると判断している可能性もあります」


 八傑は、まだ戦っていない。

 三柱もいる。

 十三将も全員が戦闘不能になったわけではない。

 一般兵も残っている。

 それ以外にも、十二神承がまだ知らない戦力や手段があるかもしれない。

 ヴァルネシア側が、今日一日の結果だけで自分たちに勝てないと判断したとは限らなかった。


「ただ、今のやり方をそのまま続けても、損耗だけが増える可能性が高い。だから止めた」


 今日と同じように兵を進める。


 清隆が道を限定する。

 優斗が上から見つける。

 抜ければ智希と恭平が追う。

 その先には桜子がいる。

 十三将を前へ出しても、彰人、雅史、智臣を越えられなかった。

 ならば、同じことをもう一度繰り返しても結果が変わる保証はない。

 変えるなら。

 次に出てくるのは、おそらく八傑になる。


「こっちも考える時間もらった感じやな」


 桜子が言う。

 洋一は頷いた。


「そうですね」


 停戦は、ヴァルネシアだけに時間を与えるものではない。

 こちらも今日の結果を整理できる。

 十三将との戦闘で分かったこと。

 一般兵の動き。

 ヴァルネシア軍の対応。


 そして。


 まだ戻っていない怜司と行人が、概念体の探索から何を持ち帰るのか。

 そちらは、この戦場そのものを続ける必要があるのかという話にまで繋がっている。

 時間が増えることは、十二神承にとっても悪いことではなかった。

 洋一は一度、皆の顔を見る。

 今日と同じ戦い方を、そのまま明日も続ける理由はない。


「なので、明日の戦い方を少し変えます」


 彰人が反応する。

 今日、十三将と最も直接的にぶつかったのは自分だ。

 何を変えるのか、おおよその予想はついた。


「武器です?」

「はい」


 洋一は全員を見回した。


「今日までは、通常の武装もできるだけ使わない方針でした」


 一般兵を相手にする。

 それなら、必要がなかった。

 武器を持たなくても止められる。

 その状況で、あえて危険性を増やす理由もない。


 十三将が出てきてからも、基本的な方針は変えなかった。

 結果だけを見れば、それでも止められた。

 だが、楽だったわけではない。


 受ける。

 力の向きを変える。

 流す。

 捕まえる。

 相手が倒れる場所まで考える。

 こちらへ向けられる攻撃を防ぐだけなら、もっと簡単な方法はいくらでもある。

 難しいのは。

 自分たちが怪我をせず、同時に相手にも必要以上の怪我をさせないことだった。

 彰人が十三将を飛ばしたのも、その結果だ。


 一人なら止められる。

 二人でも、三人でも対応できる。

 だが、五人が同時に動けば、全員をその場で綺麗に止め続けるより、一度まとめて戦線から外した方が安全だった。

 それを素手だけで続けることに意味はない。


「八傑が前へ出るなら、今日と同じ条件にする必要はありません」


 洋一が続ける。


「明日から、通常武装の使用を許可します」


 誰も驚かなかった。

 むしろ、その言葉を待っていたように、何人かの空気が僅かに変わる。

 今日まで使わなかったのは、使えなかったからではない。

 必要がなかったからだ。

 明日は、その必要が出るかもしれない。


「使てええんや」


 桜子が、自分の手元を確認するように言う。


「必要なら」

「盾で殴ってええ?」

「必要ならです」

「必要やったらな」


 妙に嬉しそうに聞こえた。

 智臣が桜子を見る。


「絶対殴るだろ」

「必要やったら言うてるやろ!」

「その必要の判定が怖いんだよ」

「智兄に言われたないわ!」


 桜子が即座に返す。

 雅史が笑い、彰人も肩を揺らした。


「智臣さんも大概やと思いますよ」

「俺は普通だ」

「ラギア出してる時点で普通ちゃいますって」


 その言葉が届いたらしい。


『我に何か問題があるのか』


 少し離れた場所から、ラギアの声が飛んでくる。

 彰人が一瞬そちらを見てから、智臣へ視線を戻した。


「ほら、聞こえた…、智臣さんのせいですよ」

「なんで俺なんだ」


 今度は、周囲にも笑いが広がった。

 明日には、また戦うかもしれない。

 八傑が出てくれば、今日より強い相手になる可能性が高い。

 それを理解した上で。

 いつもの会話ができる程度には、全員が自分を取り戻していた。


 洋一は少し待った。

 笑いが自然に収まるのを待ってから、もう一度口を開く。


「ただし、方針は変えません」


 それだけで、空気の温度が戻った。

 武器を使う。

 だが。

 何のために使うのかまで変わるわけではない。


「殺さない。必要以上に傷つけない。一般兵に対しては、これまで通りです」


 誰も口を挟まない。

 今日一日、全員がその方針で動いてきた。

 今さら確認する必要がないほど分かっている。

 それでも。

 明日は武器を持つ。

 だからこそ、もう一度言葉にする必要があった。


「八傑についても同じです。ただ、今日の十三将より強いことを前提にしてください」

「はい」


 彰人が答える。

 昼間、十三将が退いたあとに現れた八傑を思い出す。

 彼らは、すぐには攻撃してこなかった。

 十三将の状態を確認し、必要な者を後ろへ運び、自分たちが前へ出られる位置を作った。

 ただ強いだけではない。

 少なくとも、状況を見ることができる相手だった。


 だからこそ。

 今日と同じようにいくとは考えない方がいい。


「無理に素手で対応して怪我をする方が問題です。使えるものは使ってください」


 誰も異論を挟まなかった。

 武器は、戦うためのものだ。

 相手を傷つけることもできる。

 命を奪うことさえできる。

 けれど。

 十二神承が明日それを持つ理由は、相手を壊すためではない。

 止めるために必要なら使う。

 使わなくていいなら使わない。

 その線だけは、今日と変わらない。


「今日はここまでにしましょう」


 洋一が言った。


「見張りは交代で。残りは休んでください」


 それぞれが立ち上がる。

 明日の話は終わった。

 だからといって、すぐに眠れる者ばかりでもないだろう。


 装備をもう一度見る者もいる。

 外の様子を確認する者もいる。

 先に横になる者もいる。


 夜は、まだ長い。

 少し離れた場所には、ヴァルネシア軍の灯りが広がっている。

 昼間、あれだけの人数が動いていた場所。

 今はその多くが止まり、代わりに小さな灯りだけが無数に残っていた。

 こちらにも灯りがある。

 距離を隔てていても、互いにそこに相手がいることは分かっている。


 敵が消えたわけではない。

 問題が解決したわけでもない。

 停戦は、戦争の終わりではない。


 それでも今夜だけは。

 双方とも、前へ進まない。

 ヴァルネシア側には、まだ八傑がいる。

 その先には三柱がいる。

 十三将も、すべてを失ったわけではない。

 十二神承側も同じだった。

 今日見せたものが、すべてではない。

 むしろ。

 今日一日、彼らはできるだけ使わずに済むものを使わずに戦っていた。


 どちらも、まだ終わっていない。


 ただ。


 一日目は終わった。

 そして翌朝。

 十二神承は、今日とは違う姿で戦線へ戻ることになる。

 今度は、それぞれの武器を携えて。


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