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殺意のバタフライ・エフェクト  作者: 知恵利一


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第八章 リユナイトは三人の未来を賭けて

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!

ついに三人のタイムリーパーが同じ場所に揃いました。

敵として刃を向け合ってきた彼らが、この密室でどんな答えを導き出すのか。

物語はいよいよ終盤戦へ。

ここから先は、これまで張ってきた伏線が少しずつ繋がり始めます。

最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。

たまに見返して、書き直しています。

お見苦しいかと思いますが、誤字脱字、矛盾点ありましたらご教示お願いいたします。

 アパートの狭い一室を支配する沈黙は、まるで液体のように重く、僕たちの身体を底へと沈めていくようだった。

 床に転がる熊谷洋平の死体。血塗れの包丁を前にへたり込む松木奈々。そして、復讐の女神のような冷徹さでカッターナイフを構え続ける遠藤美佳。

 誰も動かない。誰も動けない。

 ただ、僕の手に握られた二つのポケベルだけが、この部屋の中で唯一、平成という時代の電子的な息吹を放ちながら静かに佇んでいた。

「……ベルを、鳴らせる?」

 遠藤が、低く狂おしい声を漏らした。彼女の細い眉が、不愉快そうに中央へ寄せられる。

「何を馬鹿なことを言っているの、武沢。そんなチープな電子玩具を鳴らしたところで、何が変わるっていうのよ。警察を呼ぶ? それともあいつの《たすけて》を今更どこかの誰かに転送でもするつもり? 意味がないわ。そんな感傷で、あの女が地獄の底で育ててきた三十年の呪いが消えるわけがない。あんたがここで手を下さないなら、あたしがやる。あたしがあんたの代わりに、この歴史のバグを切り落とす!」

「バグじゃない!」

 僕は叫んだ。遠藤の突き刺すような視線を正面から受け止め、一歩も引かずに言葉を返す。

「松木も、お前も、僕も、誰もバグなんかじゃない。ただ、みんな必死に生きようとして、その結果としてボタンを掛け違えただけだ。遠藤、お前は僕を救うために過去のループで松木を殺したと言ったな。だけど、その結果として何が起きた? 松木は死ぬたびにリープして戻ってきて、さらに強固な怨念を持って僕をハメようとした。お前が彼女を殺すたびに、松木の殺意は『アップデート』されていったんだよ! お前のやってきたことは、救済なんかじゃない。ただの、絶望の過給器スーパーチャージャーだ!」

「なっ……」

 遠藤の顔から血の気が引いていく。自分の「正義」を真っ向から否定された少女の唇が、小刻みに震えた。

「じゃあ、どうしろって言うのよ……! このまま何もしなければ、あんたはまたあの女の仕掛けた罠に嵌まって、二十三年間をドブに捨てるのよ!? あたしは、あのホームレスにまで落ちぶれて、河川敷で死んでいったあんたを……あんな惨めな姿を、もう二度と見たくないのよ!」

 遠藤の瞳から、大粒の涙が溢れ出た。

 それは狂気の色に染まってはいたけれど、間違いなく、僕という人間に向けられた本物の、純粋すぎる愛の残骸だった。彼女もまた、僕を救うという強迫観念に心をすり潰された、この時間跳躍タイムリープというシステムの被害者なのだ。

「分かっているよ、遠藤。お前の気持ちは、痛いほど分かっている」

 僕はゆっくりと松木の方へと歩を進めた。

 畳の上に両手をつき、髪を振り乱して泣きじゃくるかつてのクラスの女王。今の彼女には、僕をハメようとした冷酷な魔女の面影などどこにもない。ただ、届かない悲鳴を闇の中に上げ続けて、そのまま心が死んでしまった、哀れな一人の少女がそこにいるだけだった。

「松木。お前は、僕がヘラヘラ笑って何も気づかなかったと言ったな。それは事実だ。僕は何も知らなかった。お前が熊谷にどんな目に遭わされていたのか、どれほど恐ろしい夜を過ごしていたのか、想像することすらしていなかった。……すまなかった。お前をそんな孤独の中に置き去りにして、本当に申し訳なかった」

 松木がビクリと肩を揺らし、涙に濡れた瞳を僕に向けた。

「今更、そんな綺麗事……。あんたに謝られたって、私の二十七年は戻ってこない……! 私はもう、あの暗い刑務所の中には戻りたくないのよ……!」

「戻らなくていい」

 僕は彼女の前にしゃがみ込み、その震える肩に手を置いた。

「お前は刑務所に行かなくていい。そして、僕も冤罪を被る必要はない。二人の未来を、両方とも救う方法が、一つだけあるんだ」

「え……?」

 松木だけでなく、後ろの遠藤も息を呑むのが分かった。

 死体が一つ転がっているこの密室で、殺人犯と、その身代わりと、暗殺者が揃っているこの最悪の状況で、全員が救われる方法。そんなウルトラCが、果たして存在するのか。

「簡単なことだよ、二人とも。僕たちはタイムリーパーだ。未来の知識(アップデートされた情報)を持っている。なら、どうしてそれを『隠蔽』や『殺し合い』のためだけに使うんだ。――歴史を偽造するなら、もっと完璧にやればいい」

 僕は自分のポケベルを松木に見せた。

「松木、お前は僕のポケベルを盗んで、熊谷の死体に握らせようとしていた。だけど、それじゃあ警察は僕を疑う。僕には完璧なアリバイがないからだ。……だけど、もしも『熊谷が死ぬ直前に、誰かにポケベルで呼び出されていた』としたらどうなる?」

 僕の意図を察したのか、遠藤の瞳が鋭く見開かれた。

「武沢、あんた、まさか……」

「そう、公衆電話からこの部屋のベルを鳴らすんだよ。それも、僕のアリバイが完璧に証明されている時間帯に、僕とは全く関係のない場所からね。例えば、天玉駅前の交番の目の前にある公衆電話からだ。僕がそこでお巡りさんと世間話でもしている最中に、熊谷のポケベルに『特定のメッセージ』が着信するように工作する」

 九〇年代の警察の捜査能力は、デジタル化された未来のそれとは比較にならないほどアナログだ。通信記録の解析といっても、現代のように瞬時に位置情報が特定されるわけではない。ポケベルにいつ、どんな数字が送られたかという「事実」だけが、文字通りの物証として一人歩きする。

「熊谷のポケベルに、別の第三者を暗示する数字を打ち込むんだ。例えば、熊谷が別の場所で揉めていたヤクザ風の男たちのコード、あるいはあいつが恐喝していた別の被害者の数字。そうすれば、警察の捜査の目は完全にそっちへ向く。松木、お前への容疑も、僕への冤罪も、すべてその『架空の犯人』の影に隠れて消えてなくなるんだよ」

「そんな……そんな都合のいいことが……」

 松木の声が震える。

「できるさ。だって、ここにいるのは三人全員、未来を知っている人間なんだから。誰がどこで、何時にどの公衆電話からベルを鳴らせば歴史がどう書き換わるか、その『コード』を三人で共有すればいい。――殺し合う必要なんて、最初からなかったんだ」

 僕は松木の血濡れた包丁をそっと遠ざけ、代わりに彼女の不発だったポケベルをその手に返した。

「松木。お前の悲鳴は、三十年前の世界には届かなかった。だけど、今ここにいる僕たちには、確かに届いたんだよ。だから――もう、一人で戦うのは終わりにしろ」

 部屋の空気が、張り詰めた緊張から、緩やかな「共犯関係」の温度へとアップデートされていく。

 遠藤はゆっくりとカッターナイフの刃を引っ込め、ブレザーのポケットへと収めた。彼女は深くため息をつき、呆れたような、けれどどこか救われたような表情で僕を見た。

「本当に……あんたって人は、どこまでも大馬鹿野郎ね、武沢。そんな綱渡りの計画、一歩間違えれば三人揃って一蓮托生よ」

「一蓮托生、上等じゃないか。ゴミ溜めの未来に戻るよりは、よっぽどマシだろ」

 僕は立ち上がり、二人の少女を見据えた。

 平成初期。不完全で、チープで、電波一つまともに届かないこの歪んだ時代で。

 僕たちの、未来を賭けた本当の『歴史改変アップデート』が、ここから始まる――。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

今回は、これまで「敵」として描いてきた三人が、それぞれの本音をぶつけ合う回でした。

誰か一人だけが悪だったわけではなく、それぞれが「救いたい未来」のために行動していた結果、悲劇が積み重なってしまった──そんな構図を描きたいと思いながら執筆しました。

そして物語は、ここから新たな局面へ入ります。

果たして三人は、本当に未来を書き換えることができるのか。

そして、まだ残されている数々の謎は解き明かされるのか。

次回もぜひお付き合いいただけたら嬉しいです。

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