第六章 リビールは過去形の告白から
これまで武沢は、「松木を救う」ことだけを目的に過去をやり直してきました。
けれど、何度運命を書き換えても、悲劇は別の形で姿を現します。
そして今回、ついに物語の核心へと繋がる人物が動き出します。
「やり直し」を知る者は、自分一人ではなかった。
ここから先、物語は新たな局面へ突入します。
どうか最後まで、お付き合いください。
警察署内には、正と負の感情が煮詰められ、腐敗したような、嗅いだことのない澱んだ匂いが充満していた。
手錠という物理的な拘束こそないものの、前後を「正義」を執行する警官に挟まれているという事実は、否が応でも僕を「悪人」という名の配役へ仕立て上げてくる。
階段を降りた先に待っていたのは、一切の装飾を拒絶した無機質な扉。
警官がそれを無造作に開ける。言葉のない圧力が、僕をその部屋――取調室へと押し込んだ。
鉄のテーブル。パイプ椅子。
刑事ドラマの記号が詰め込まれたその光景を目にした瞬間、僕は諦めにも似た、冷淡な感情を抱いた。警察がこれほど強硬な手段に出るということは、僕をこの「物語」の犯人に固定するための、決定的な証拠を手に入れたということだ。
向かい側に座った強面の男が、低く曇った声で僕の姓名を確認する。
「武沢孝太郎君、キミは熊谷洋平という少年を知っているね?」
「はい。一度会いました。彼が、行方不明になった件と何か関係が?」
「……彼の遺体が、自宅付近の河川敷で見つかったんですよ」
――衝撃。
行方不明ではなく、既に「死体」へと変質していた。
最後に会ったのが僕であるという状況証拠。それだけで疑われるには十分だが、刑事はさらに「物的証拠」という名のトドメを刺した。
ビニールに密閉され、提出された物。
それを見た瞬間、僕の全身の血液が凍りついた。
それは、紛れもなく僕のポケベルだった。
「これが、被害者の手に握られていたんですよ」
「そんな馬鹿な! 現に僕のポケベルは、今もポケットに――」
左ポケットを弄る指先が、虚空を撫でた。
――ない。
いつの間に。どこで。僕の身体から、僕の「署名」とも言うべきデバイスが奪われ、死体の手に握らされたというのか。
(バタフライエフェクトか。因果を捻じ曲げた代償として、世界は僕を『殺人者』に書き換えて幕を引こうとしているのか!?)
パニックが脳を蝕み、視界が歪む。へたり込む僕を嘲笑うかのように、机の上のポケベルが、甲高い音を立てて鳴り響いた。
《061102710》
例の、"やり直せ"という名の呪文。
刑事たちがその数字の意味を測りかねている隙を突き、僕は本能のままにそれをひったくると、部屋を飛び出した。
背後から迫る怒号と足音。捕まれば、僕の人生は「三十年後のホームレス」にすら辿り着けず、ここで終わる。
僕はパルクールさながらに署内を駆け抜け、一台の公衆電話に滑り込んだ。
テレホンカードを挿入し、自らの番号と――【4649】を打ち込む。
残数が【3】から【2】へ変わる。
警官の指が僕の肩に触れる直前、景色が白一色に染まり、僕は時間の激流へと身を投げた。
――気づけば四度目の教室内。
(テレカの残数は……あと二回だろうか。ゼロになるまでに、この迷宮を解かなければならない)
あの、雨風を凌ぐことだけに全神経を注いでいた惨めな日々。
あんな結末へ、二度と戻りたくはない。
「何よ、その鳩が豆鉄砲を食らったようなマヌケな面は。私の美貌に今更アップデートでもかかった?」
聞き慣れた、松木の二度目の台詞。
だが、その瞬間。僕の背筋を、言い知れぬ不気味な「違和感」が這い上がった。
(……待て。今、彼女は何と言った?)
アップデート。
平成初期。Windows95すら発売されていないこの時代。日常会話に「アップデート」という単語が混ざり込むことの異常性。
僕が知らないだけで、既に使われていた言葉なのか? それとも――。
「松木。この数字を見て、何か思うことはあるか?」
僕は例の数字を記したメモを彼女に突きつける。
「語呂合わせにもなってない」と、彼女は一蹴した。
知らないのか。あるいは、しらを切っているのか。
疑心暗鬼。僕の中で、世界を構築する全ての人間が、仮面を被った敵に見え始める。
その時、脳裏に一人の少女の横顔が浮かんだ。
遠藤美佳。
唯一、あの数字を簡単だと一蹴し、即座に解読してみせた少女。
語呂合わせでも何でもないあの羅列を、なぜ彼女は「解ける」と断言できたのか。
僕は遠藤美佳を探し出すべく、混乱の渦中にある校内を奔走し始めた。
彼女こそが、この「不自然な時代」の歪みを握る、唯一の観測者なのではないかという、確信に近い疑惑を抱きながら。
仮説を立てる。論理を飛躍させ、最悪のパズルを組み上げる。
熊谷洋平は、松木を殺した犯人ではないだろう。松木の彼に対する態度は、恐怖に怯える被害者のそれではなく、断ち切れない執着を孕んだ「女」のそれだった。
だとすれば、前回のループで僕を地獄へ突き落とした通報者は、他ならぬ松木本人だったのではないか。
僕の人生を狂わせた「転機」は、松木の死ではない。
熊谷洋平を殺害したという冤罪、あるいは――記憶の空白に潜む「事実」による転落。
刑務所の中ですり潰された歳月こそが、あの最底辺の僕を形作った真犯人なのか。
だが、動機がない。僕には彼を殺す理由も、殺意を抱く余地もない。
松木は何者だ?
ぬいぐるみは、単なる舞台装置に過ぎなかったのか?
誰が何を望み、この不自由な「やり直し」という劇場を設計したのか。
僕一人の脳容量では、このバグだらけの世界をデバッグすることは不可能だ。
放課後。
僕は確信に近い予感を抱き、苔生した廃神社へと足を向けた。
石段を登りきった先。そこには、本来ここには居合わせるはずのない「異物」が佇んでいた。
「遠藤。……ここで何をしている」
遠藤美佳。
廃神社の静寂には不釣り合いな彼女が、僕を待ち受けるように振り返る。
「武沢。あんたを待ってたんだよ」
不敵な笑み。僕の思考を先回りするようなその態度に、僕は内心の動揺を隠して問いかける。
「都合がいい。僕もお前に話があった。あのポケベルの――」
「ポケベルの件でしょ?」
言葉を遮るように放たれた核心。
「お前、やっぱり何かを知っているんだな?」
「武沢、あんた――タイムリープしてない?」
その瞬間、世界から音が消えた。
心臓が凍りつき、肺の空気が一気に奪われる。この平成初期の安っぽい景色の中で、あってはならない「概念」が提示された。
「タイムリープ……。これが、そうなのか?」
「知らなかったの? 過去をやり直したいっていう強すぎる執念が、精神だけをこの時代に飛ばさせたのよ。まあ、それを知っているあたしも、あんたの『同類』ってわけだけれど」
遠藤美佳の瞳に、僕と同じ「未来を知る者」特有の倦怠と冷徹が宿る。
「遠藤……お前にも、やり直したい過去があるのか?」
「……あるわ。一つだけね。その一つのことがどうしても覆せない」
彼女の表情から少女特有の幼さが剥落し、剥き出しの野性が顔を覗かせる。
それは、何度も絶望を反復し、泥を啜ってきた者だけが持つ、険しくも鋭利な「復讐者」の顔だった。
「あたしはね、武沢――あんたのことが好きだったんだ」
突然の告白。
だが……だったーーとは?
「ここからはあたしが知ってる全てを話すよ。覚悟はいい?」
あまりにも真剣な面持ち。それは冗談で笑い飛ばすことを、はなから否定していた。
「あたしは三十年以上先の未来からタイムリープしてきたの」
話の出だしとは思えない言葉。だが実際、僕もこうして存在している。あり得ないと一蹴するなんて言い退けれない。
「その世界で武沢――あんたはホームレスになっていた。それは自分でもわかっているんじゃない?」
まさかの一言に絶句した。だがすぐに脳みそを切り替える。
「もしかして……遠藤、お前も僕と同じ時代、時間からここへ戻ってきたってのか?」
「ええ、そうよ。あたしがあんたのことを知ったのは、河川敷でホームレスが死亡したってニュースを観たからよ。顔写真が載っていたからすぐにわかった。まさかホームレスになっていたなんて。それに亡くなった……もう頭がぐちゃぐちゃになりそうだったわ」
彼女の体は小刻みに震えていた。そりゃ学生時代とはいえ、好意を抱いていた人間が亡くなりゃそうもなるか。
「実はあんたがホームレスになった理由をあたしは知っている」
「――なんだと!? 自然の成り行きじゃなく、もしかして誰かの意図で作られた……とでも言いたいのか?」
「……そういうことよ。そしてそれを行なったのは」
彼女が確信の言葉を言い放つより先に僕は生唾をゴクリッと飲んだ。
「……松木奈々――彼女よ」
目の前がわずかに歪む。
松木が僕を? 意味がわからない。遠藤……こいつは何を言っているんだ?
茫然自失となっている僕に彼女は話を続ける。
「そりゃ、そうなるわよね。好意を抱いていた相手が、自分の未来を歪めていたんだから」
「ちょっと待ってくれ。僕がホームレスになる未来をどうやって作ったってんだ!? 人一人の人生を変えるなんて……」
何をしたらそうなる? と言いかけた時、ある出来事が脳裏を横切る。
「も、もしかして……松木――彼女もタイムリープしているのか?」
「大正解!」
遠藤のその無駄な笑みに、強い言葉を言い放つ気力は残っていなかった。
だが納得もいった。
この時代に戻ってきて、最初に彼女から放たれた言葉の中にあったアップデートという単語。今いる時代にはあまりにも先取りしすぎた言葉。未来からタイムリープしていたなら合点がいく。
僕は体の震えを堪えるのに必死だった。
この先の行動をどうすればいいのか、出口のない迷宮に入り込んだ気分になる。
だが同時に遠藤へのある言葉が棘のように刺さっていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
今回から、物語の景色が大きく変わります。
これまでヒロインとして物語を牽引してきた松木奈々。
そして新たに前へ出てくる、遠藤美佳。
彼女はなぜタイムリープしてきたのか。
なぜ武沢の未来を知っているのか。
そして、なぜ「好きだった」と過去形で告げたのか。
ようやく物語の歯車が噛み合い始めました。
けれど、同時に明らかになったのは、武沢の人生を狂わせた元凶が、すぐ近くにいたかもしれないという残酷な事実です。
救いたかった少女と、救ってくれようとした少女。
二人の想いが交差した時、物語はさらに大きく動き始めます。
次回は少し間が開くかもしれないです。
ですが引き続き、ブックマークや評価、レビューをよろしくお願いします。




