第三章 リサーチは夜の神社へ続いている
二度目のやり直しでも、結末は変わりませんでした。
時間を変えた。
場所を変えた。
行動も変えた。
それでも、彼女は死ぬ。
まるで世界そのものが、彼女の死という結末を諦めていないかのように。
そして三度目のリトライで、武沢はようやく気付き始めます。
運命を動かしているのは、単なる偶然ではない。
この悲劇の裏には、まだ見えていない「誰か」がいるのだと。
物語はここから、過去改変から真相追跡へと姿を変えていきます。
格闘ゲームという名の、電子的な暴力。
精神年齢五十歳の僕は、あれから三十年という悠久の歳月、このシリーズの新作が出るたびに、それこそ血を吐くような研鑽を積み、やり込んできた自負があった。未来の知識、未来の技術、未来の攻略法。
だが、結果は惨憺たるものだった。
(なぜだ。なぜ、こいつはこんなにもこのゲームが上手いんだ? 三十年の歴史をショートカットして、僕は今ここに立っているはずなのに。当時の彼女の野生的な直感に、僕の積み上げた経験が全く歯が立たない)
中身が五十歳のオヤジである僕は、当時(十代)の僕が味わった以上の、深く、暗く、底の見えない敗北感に打ちのめされていた。
彼女が満足し、ゲーセンを出る頃には、景色は完全な闇夜に染め上げられていた。
「いい加減帰ろうかな」
彼女が放った帰還の合図に、僕の防衛本能が自然と反応する。
「――それじゃ、家まで送るよ」
「は? 今まで言ったこともないこと突然言わないでよ。ありがたい申し出だけど大丈夫。駅から家までは歩いて五分もかからないし。親に見られたら面倒なことになるから」
(やっぱり。前と同じ返しだ。この段階で前回の僕は、松木が死ぬ未来を「回避できた」と誤認してしまった。それが最大の、そして致命的な間違いだったんだ。彼女が家に着くまでは何が起こるか分からない。何が何でも見送らなきゃならないんだ)
「そっか、そうだよな。わかった。んじゃまた明日な」
僕は努めて冷静な仮面を被り、返した。
「おう! また明日な」
彼女はぬいぐるみを愛おしそうに抱きしめながら、改札への階段を軽やかに駆け上がっていく。僕はその背中をしばらく見送った後、すぐ脇の踏切が鳴り始めた。
(――今だ!)
僕はダッシュで、改札へと向かう階段を二段飛ばしに駆け上がった。そして定期を機械へと滑り込ませ、彼女が向かったホームへと飛び降りる。
「いた!」
丁度滑り込んできた電車に乗り込む彼女の姿を確認し、僕は気づかれないよう二つ手前の車両に滑り込む。ドアが閉まり、加速する鉄の塊。僕は彼女を確実に視界の檻に捉えるため、一つ先の車両へと忍び寄る。
視界の先には彼女の姿。
(くそっ! これじゃあ、やってることは完全にストーカーじゃないか)
後ろめたい罪悪感。それを「救済」という大義名分で押し潰し、僕は彼女を見張り続けた。
やがて、最寄駅に到着し、彼女は改札を抜けて夜道へと歩き出す。気づかれないよう距離を保ち、影を追う。
しばらく歩いたところで、異変が起きた。
一人の見慣れない男が、松木に話しかけていたのだ。
何を話しているのか、その距離では判別できない。だが、二、三分ほどの短い対話の後、二人は別れた。
彼女は何事もなかったように、再び歩き出す。
男を追うべきか、彼女を最後まで見届けるべきか。逡巡が僕を刺す。
(今はまだ、何かが起きる可能性がある。それがある限りは、彼女の後を追うのが最優先だ)
やがて、二階建ての一軒家が見えてきた。表札には【松木】。
間違いない、ここが彼女の家だ。何事もないように、灯りの漏れる家の中に吸い込まれていく彼女。それを見届け、僕はようやく安堵のため息を漏らした。
(これなら、今度こそ大丈夫だろう)
時計の針は、既に夜十時を回っている。
流石にここから再び外出することはないだろう――。そう思った矢先、脳裏を掠めたのは、残酷な事実。
「事件は、未明に起きた」
夜の十時だったはずの運命は、僕の干渉によって「未明」へとズレたのだ。日付を跨ぐ事象。まだ、油断という名の贅沢は許されない。
母親には後でしこたま怒られるだろう。だが、人の命の重みには変えられない。僕は根性という名の燃料を燃やし、その場で見張ることを決意した。
彼女がいるであろう二階の窓に光が灯ってから、三時間が経過した。
ポケベルの液晶に目をやると深夜一時を回っている。
(まだあいつ、寝ないのか?)
焦燥が、苛立ちへと変質し始めた、その時だった。
背後から、静かな人の気配。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
落ち着き払った、しかし拒絶を許さない声色。
振り返ればそこには、正義という名の労働を課せられた警察官が立っていた。背後にもう一人。二人組の警官に、僕は前後を完全に封鎖された。
「君、高校生だよね? その制服、和泉高生かな? いくらなんでもこの時間に何やってるの? ちょっと話を聞かせてもらえるかな」
(くそっ! ここが、限界か……!)
僕は警察の言われるがままにパトカーという名の檻に乗せられ、松木邸を後にした。
尋問に辟易し、ようやく現れた母親は鬼神の如き表情。家に帰るなり、東の空が白むまで、リビングで説教という名の猛攻を食らった。
(だが、これでまた過去改変は起きたはずだ。前回とは違う結果が出るはずだ)
そんな淡い、あまりにも淡い期待を胸に、僕は眠気まなこを擦りながら学校へと登校した。
しかし、登校するなり友人から告げられたのは、臨時の朝礼があるとのことだった。
嫌な予感が、冷たい指先のように脳内を這い回る。
案の定。校長の口から放たれたのは、松木の死を告げる言葉だった。
時間は午前二時。場所は、自宅から少し離れた噴水公園。
(くそっ! 今度は時間も場所も違うじゃないか!)
絶望という名の波が、僕の足元を掬い、暗い海へと引き摺り込む。
因果律は、覆せないのか?
もう一度だ。もう一度、自分にポケベルを鳴らすんだ!
放課後、僕は例の電話ボックスに飛び込み、十円玉を投入した。《4649》。
だが、何分待っても、景色は変わらない。
(おかしい。もう戻ってもいいはずだ。なのに、何も起きない!)
何か、致命的な見落としがあるのか?
だとしたら――例の文字列が、まだ届いていない。
《061102710》。この数字こそが、システムを起動させるトリガー。
(くそっ! ここまできて手詰まりかよ!)
その時。ポケベルが激しく震えた。例の数字だ。
(やった! これでやり直せる!)
僕は再びダイヤルする。《4649》。
しかし、何も起きない。なぜだ? 前回と同じことをやったはずだ!
(トリガーは一つじゃないのか?)焦りが心を蝕む。違う箇所があるのか? 何かが足りないのか?
その時、目に入ったのは、松木が僕にくれた、彼女の好きなキャラがデザインされたテレホンカードだ。前回もこのカードを使った。
(もしかして――過去へのトリガーは、このカードか!)
僕は震える手でカードを挿入し、ダイヤルする。《4649》。
液晶の度数が「4」から「3」へと減った、それに違和感を覚えたその刹那。
肉体から眩い閃光が走り、僕の意識は、時間の彼方へと叩き飛ばされた。
――気づけば。
あの教室。あの時間。しんと静まり返った室内。
僕はすぐさま目を開け、教科書を開いた。神川先生が僕の横を通り過ぎる。注意は、されない。
授業が終わるなり、僕は松木の元へ駆け寄った。
「あのさ、今日はお前、大人しく家にじっとしてろよ」
「は? なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ。額に汗かいてるし、今日のあんた、ちょっと変よ」
(やばい、唐突すぎた。いきなりこんなこと言われて素直に聞き入れる奴じゃないことなんて、分かっていたはずなのに!)
僕は、どうにもならない現状に、自分自身への焦りと苛立ちを隠せなかった。
「……いいよ、今日は別に用事あるから。それじゃ」
「――えっ?」
用事?
この展開は、初めてだ。何かが、決定的に変わったのか?
だとしたら、僕が取るべき行動は一つ。尾行だ!
彼女は校門を出ると、裏手の神社ではなく、駅方面へと向かっていく。
用事とは何だ? 誰かと会うつもりなのか?
もしかしたら、その相手こそが、この地獄のような因果の鍵を握っている犯人なのかもしれない。
僕ははやる気持ちを抑え、気づかれぬよう、彼女の背中を追った。
駅に辿り着くなり、松木は改札の前で、まるで精密な時計仕掛けのように立ち止まった。
僕は彼女の視界という名のレーダーから逃れるため、隣接するコンビニへと滑り込む。本棚から手に取ったのは、中身など一行も頭に入ってこない無機質な雑誌。僕はそれを「読むふり」という拙い演技の小道具として使い、背後から彼女を観察した。
(ここで待ち合わせか? 相手は誰だ。男か、女か、同じ学舎の人間か、あるいは僕の知らない未知の第三者か)
不透明な未来への不安が、心臓を早鐘のように叩く。
五分。
カップ麺が出来上がるよりも長く、しかし人生を決定づけるにはあまりにも短いその時間が経過した時、松木が動いた。改札の向こう側に、彼女の瞳が「標的」を捉えたのだ。
「……っ!?」
手に持った雑誌を床にぶちまけそうになった。
松木と向き合い、親しげに視線を交わしているその男。僕は、知っている。
いや、正確には「やり直す一つ前の世界」で、彼女の最寄り駅にて二、三分ほど言葉を交わしていた、あの男だ。そして、今思えば一周目でもあいつとは会っている。松木がすれ違いざまに挨拶していた相手だ。僕が勝手にモブキャラとして位置付けた人物。
(なぜ、あいつがここにいる!? そして一体、何者なんだ?)
思考がプチパニックという名の迷宮に迷い込む。
一周目、二周目では「たまたま居合わせた通行人」に過ぎなかった男。だが、ループを重ねるごとに、その存在感は因果律の裂け目から染み出す毒のように色濃くなっていく。これはもはや偶然などという安い言葉では片付けられない。男は、松木の死という「結末」に深く根ざした重要人物だ。
二人は短い立ち話の後、改札という境界線を越えて街へと消えていく。
僕の追跡が再開された。
辿り着いたのは、一軒のカラオケ店。
(松木のやつ、本当にカラオケが好きだな。……相手は僕じゃなくてもいいのかよ)
場違いな嫉妬が胸を焼くが、今は感情の贅沢に浸っている場合ではない。僕は入り口の死角で、獲物を待つ蜘蛛のように潜伏を続けた。
二時間後。
店から出てきた二人を見た瞬間、僕は自分の網膜を疑った。
「……なっ!?」
彼女の腕の中。そこには、あの日曜日の朝、冷たいビニール袋に封印されていた、あの「呪わしいぬいぐるみ」が抱えられていた。
ここはゲームセンターではない。なのに、なぜ。
店先に掲げられたキャンペーンの看板が、僕に冷徹な解答を突きつける。
【採点機能で100点を獲得した方に、人気プライズをプレゼント!】
合点がいった。彼女の歌唱力は、それこそ機械の判定などという無機質な壁を容易に突破する。
男が「たまたまキャンペーンを知っていたから教えた」と語る会話が耳に届く。
善人。
そう見える男の横顔。だが、その背後に透けて見えるのは、何が何でも彼女に「ぬいぐるみ」を握らせようとする、世界という名の悪意の設計図だ。
意外にも、二人はその後すぐに別れた。
彼女は自宅方面へ。男は、再び駅の方へ。
(くそっ! どっちを追うべきだ?)
二者択一。究極の選択。
僕は、男を追うことに決めた。松木を守るだけでは「時間のズレ」に翻弄される。この因果の根源を、あの男の正体を突き止めなければ、永久にこのループからは抜け出せない。
電車に揺られ、男が降り立ったのは――あろうことか、うちの高校の最寄り駅だった。
そして彼が迷いなく足を進めた先は、あの、苔生した四十段の階段の先にある廃神社。
(こんな場所で、何をするつもりだ?)
嫌な予感が、冷たい汗となって背中を伝う。
その時、背後から微かな人の気配。僕は咄嗟に草むらへと身を隠した。
「――っ!?」
そこに現れたのは、遠藤美佳。
茶髪にルーズソックス、そしてあのポケベルの数字を「もう一度やり直せ」と解読してみせた、あの少女。
二人は、廃れた境内で密談を始めた。
怪しい。
怪しすぎる。
この閉ざされた空間で、彼らは一体何を共有しているのか。僕は少しでもその断片を拾おうと、慎重に距離を詰める。
――バキッ。
乾いた音が、静寂に包まれた神社に反響した。踏みつけた枯れ枝。致命的な失策。
「――誰かいるのか!?」
男が、鋭い視線を僕の方へと向けて近づいてくる。
心臓の鼓動が、それ自体が騒音となって耳元で鳴り響く。万事休す。
「ニャー」
その刹那、僕の脇を黒い影が通り過ぎた。
「なんだ、猫か。紛らわしい」
男は踵を返し、再び遠藤の方へと戻っていく。
(……助かった。あとであの猫には、最高級の缶詰を供えてやる)
だが、もはやこれ以上の接近は不可能だった。二人は辺りを警戒しており、その空気は「聞かれてはいけない秘密」の濃度を物語っている。
やがて話し終えたのか、遠藤美佳が去り、男も再び駅へと歩き出す。
行き詰まり。
遠藤を追ったところで、盗み聞きを白状するわけにもいかない。彼女が僕に真実を話す義理など、一分もありはしないのだ。
だが、待てよ。
(もし、あの男こそが事件の『当事者』だった場合、彼は必ず、もう一度松木と接触するはずだ)
夜はまだ始まったばかりだ。
僕は気づかれぬよう、全速力で男の影を追いかけ、夜の闇へと滑り込んだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回、ようやく物語に新しい駒が現れました。
何度も松木の前に現れる謎の男。
そして、ポケベルの暗号を解いた少女――遠藤美佳。
一見すると無関係に思えた二人が、夜の神社で密会していた。
偶然なのか。
それとも、最初から全てを知っているのか。
そして何より、どれだけ未来を変えても、必ず彼女の手に渡る「あのぬいぐるみ」。
次回、物語はさらに核心へと近づいていく……かも?
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。




