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殺意のバタフライ・エフェクト  作者: 小沢孝二


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第一章 リテイクは世界を書き換えない

人生をやり直せるとしたら、あなたは何を変えますか。

主人公・武沢は、高校時代へと戻ります。

しかし、過去は彼の記憶どおりには動きません。

第一章、お楽しみください。

「――け――わ!」

「…………」

「たけ――わ!」

「…………」

「――武沢たけざわ!」

「はいっ!」

 鼓膜を叩く怒声。

 僕は反射的に、バネ仕掛けの人形のように上半身を跳ね上げた。

 目を開ける。

 そこには、死後の世界とは到底思えない、あまりにも卑近で、あまりにも「日常的」な光景が広がっていた。

「お前、俺の授業中に居眠りとはいい度胸だな! 肝が据わっているのか、それとも単に脳が腐っているのか、どっちだ!」

 ……何を言っているんだ?

 それが、新生した僕の、最初の思考だった。

「はい?」

寝ぼけ眼で上を見上げると、懐かしい顔。

神川先生だ。

「はい、じゃない! まだ夢の続きを見てるんなら、廊下で残像と対話してこい!」

 周囲から沸き起こる、嘲笑ちょうしょうと、困惑と、野次。

 整理がつかない。情報量が多すぎる。

 さっきまでの、あの「雪白の虚無」はどこへ消えた?

 モノクロームだった僕の世界が、突如として鮮やかな三原色に再構成されていく。

 見覚えがある。

 狂おしいほどに懐かしく、そして胸を締め付ける、この独特の空気感。

(ここは……学校? いや、高校、なのか?)

 視界の端々に、忘却の彼方に追いやったはずの「知った顔」が点在している。

 僕は、死んだはずだ。

 河川敷で、暴力を甘受し、そのままエンドロールを迎えたはずだ。

 ならば、これは何だ?

 走馬灯にしては、あまりにも解像度が高すぎる。

 夢にしては、あまりにも「暑苦しい」実感が伴いすぎている。

 僕は、一体――何を起こしてしまったんだ?

 廊下に立たされるという、前時代的かつ教育的効果に乏しい刑罰を甘受している最中のことだった。

 視界の端を、暴力的なまでの「若さ」が横切る。

 具体的に言えば、重力と校則を同時に無視したかのような、極端に丈の短いプリーツスカート。その裾から伸びる脚線美は、不健康なほどに白く、そしてまぶしい。

「武沢、あんたまた何かやらかしたの? 学習能力を母親の胎内に置き忘れてきたのかしら」

 鼓膜を震わせたのは、鈴を転がすような、それでいて猛毒を含んだ声音。

 僕はその声の主を、忘却の彼方に追いやったはずの「記号」として認識した。

「――松木まつき……?」

 その名は、僕の高校時代における「やんちゃな共犯者」の称号だ。放課後というモラトリアムを、無意味な悪戯と不毛な対話で浪費した、腐れ縁という名の悪友。

「何よ、その鳩が豆鉄砲を食らったようなマヌケなつらは。私の美貌に今更アップデートでもかかった?」

「あ、……いや。ちょっとな。少し、視神経のピントがズレていただけだ」

「ふーん。まあいいわ。とりあえず放課後、いつもの場所で。遅刻は万死に値するわよ」

 彼女はそう言い捨てると、授業中という静謐せいひつな時間を闊歩する異端児として、廊下の彼方へと消えていった。その歩調は、まるでこの世界が自分のために設えられたランウェイであるかのような傲岸ごうがんさに満ちていた。

(……間違いない。これは追体験ではない。再構成だ)

 確信という名の熱が、僕の胸を締め付ける。

 河川敷で迎えた、あの雪白の終焉。そこから逆走するように辿り着いた、三原色の現在。

 僕は今、確実に、かつて捨て去ったはずの「過去」という名の戦場に立っている。

 目尻を伝う液体。それは後悔の残滓か、あるいは再会の歓喜か。五十年の歳月を経て再会した「青春」という名の奇跡に、僕は無様に、そして美しく涙した。

(意思がある。記憶がある。経験がある。……ならば、この盤面は、僕の指先ひとつで書き換えられるのではないか?)

 あの日、選ばなかった選択肢。

 あの日、言えなかった言葉。

 あの日、踏み出せなかった一歩。

「……少し、実験をしてみようか」

 僕の口角は、自嘲気味に、それでいて捕食者のような鋭さを持って吊り上がっていた。

 因果律への挑戦。

 決定論的な未来を、僕というイレギュラーがどれだけ掻き乱せるか。

 誰もが一度は空想し、そして断念する「人生のやり直し」という甘美なタブー。

 本来の「僕」の歴史に従うならば、この後、僕は松木との約束を守り、待ち合わせ場所へと向かうはずだ。それが規定路線であり、僕が歩んできた一本道の正解だった。

 ならば。

 それを、無視したら?

 約束という名のくさびを叩き折り、既定事項をゴミ箱へ放り投げた時、この世界は一体どんな「悲鳴」を上げるのだろう。

 沸き立つ感情が、僕の理性という名の防波堤を、いとも容易く決壊させていった。


 放課後という名の、強制収容からの解放。

 本来の「僕」の正史に従うならば、足を向けるべき座標は確定していた。校庭の裏手、鬱蒼うっそうとした杉林の奥底で、神主という名の管理者を失い、ただ朽ちゆくのを待つだけの、神に見捨てられた廃神社。

 そこが僕と松木の、不毛な青春を燃やすための聖域だった。

 だが、僕はその引力を振り切った。

 磁針を狂わせ、正解とは真逆のベクトルへ歩みを進める。

 目的地は最寄り駅【和泉駅】。その駅構内に鎮座する、文明の利器――コンビニエンスストアだ。

 陳列棚から手に取ったのは、過剰な糖分で思考を麻痺させるパック入りのカフェオレ。ストローを突き刺すという、不可逆な儀式を完了させ、僕は琥珀色の液体を吸い上げながら自問自答を反芻はんすうする。

(今頃、あいつはどんな顔をして僕を待っているのだろうか)

 想像するだに恐ろしい。激昂か、あるいは氷のような沈黙か。

 僕の記憶という名のデータベースによれば、彼女と合流した後はゲームセンターでの乱痴気騒ぎ、あるいはカラオケボックスでの絶叫大会。喉を枯らし、時間をドブに捨て、若さを浪費する。

 そんなノスタルジーという名の毒素が、僕の脳裏を甘く侵食していく。

 ふと目をやった求人広告。そこには「和泉校生は不可」という、露骨かつ正当な差別的文言が躍っていた。

 無理もない。我が母校は、学区内における偏差値の底辺を支える土台であり、不良たちの吹き溜まり。

 喫煙、飲酒、バイクでの暴走。それらを「青春」という言葉でコーティングするには、いささか無理がある、バグだらけの倫理観。

 周囲の人間が僕たちを避けて通るのは、生存本能に基づいた至極真っ当な反応と言えた。僕自身、その泥濘ぬかるみの中に首まで浸かっていた当事者なのだから、批判する権利など持ち合わせてはいないのだが。

 飲み干した空の紙パック。

 僕はそれを、3ポイントシュートのフォームでゴミ箱へと放った。

「――ナイスシュート」

 背後から飛んできたのは、聞き慣れた、しかしこの座標で鳴り響くはずのない声音。

「ま、松木……!? なぜ君がここにいる? 神社に、いるはずではなかったのか?」

「それはこっちのセリフよ、武沢! 何でアンタがここにいるのよ!」

 松木はそこにいた。

 神社で煙草をくゆらせているはずの彼女が、駅のコンビニという、本来の歴史では交わるはずのない特異点に顕現けんげんしていた。

「あ、……いや。今日はその、体調が優れなくてな。早期帰宅を試みようとしたんだ」

「ゴミ箱にスリーポイントを決めるほどの運動エネルギーを保持しておいて、よく言うわね。アンタの体調不良は、脳ミソの欠落を指す言葉かしら?」

(くっ……まさか、こんな場所で彼女と衝突するなんて)

 計算が合わない。確率論が悲鳴を上げている。

 僕が選択を変えたからといって、なぜ彼女までが「神社で待つ」という既定路線を放棄したのか。

 僕の微細な行動の変化が、バタフライ・エフェクトとして彼女の意思決定にまで干渉したというのか?

 疑問は、夏の湿気のように重く立ち込める。

 僕の選択は、僕だけの世界を塗り替えるに留まらず、周囲の因果律までもを歪曲わいきょくさせ始めているのか――。

 現段階では、それはまだ、確信を伴わないただの「憶測」に過ぎなかったけれど。


 僕はつくろうように、あるいは剥がれ落ちそうな日常の皮を必死に繋ぎ止めるように、提案という名の逃避を口にした。

「か、カラオケにでも行くか?」

「ふん。その殊勝しゅしょうな提案、謹んで受理してあげるわ。ただし、私の貴重な放課後をドブに捨て、挙句に約束を破棄しようとした罪は重いわよ。当然、支払いは全額アンタ持ち。奢りだからね!」

(はあぁ……致し方ない、か。ガソリンスタンドという名の油塗れの労働で稼ぎ出した、雀の涙ほどの軍資金が、この時期の僕の財布には鎮座しているはずだ)

 僕は溜息を吐き出しながら、最寄り駅からは少し外れた場所にある、場末のカラオケボックスへと足を向けた。途中、松木が見知らぬ男と挨拶を交わす。それはただ「こないだはありがと」という一言だけだった。僕は見て見ぬ振りをする。そして辿り着く目的地。そこは、平成という時代の狂騒をコンクリートで固めたような、いささか悪趣味な箱庭だった。

「なっつ……!」

「懐かしいって、何よそれ。アンタ、昨日の記憶が数十年単位で劣化でもしたの? 私たちは数日前にも此処で、鼓膜を蹂躙じゅうりんし合ったばかりじゃない」

「あ、……まあ、そうだったな」

 無理もない。僕の主観という名のタイムラインにおいて、この場所は「令和」という時代には既に廃業し、寂寥感せきりょうかんだけを漂わせた都市の残骸へと成り果てていたのだから。

 だが、今の――即ち、平成六年(1994年)というこの時間軸においては、此処はバリバリの現役(フル稼働)だ。死んだはずの場所が生きているという事実は、ゾンビに遭遇するよりも遥かにホラーであり、そして甘美だった。

 店内に充満する、安っぽい芳香剤と煙草の煙が混ざり合った独特の悪臭。

 案内された個室に入り、僕は卓上に鎮座する「鈍器」に近い厚みを持った楽譜の大束――歌本を広げる。

 楽曲入力用のスマートなリモコン? 液晶パネルを備えたハイテクな情報端末?

 そんなオーパーツ、この時代には存在しない。

 指先を黒く汚しながらページを捲り、四桁か五桁の番号をテンキーに打ち込むという、原始的かつ儀式的なプロセス。

 通信手段はポケベルという名の、数字の羅列で感情をやり取りする古代文明。

 携帯電話ガラケーですらまだ特権階級の玩具であり、スマートフォンに至ってはSF小説の夢想でしかない。

 不便だ。あまりにも不便すぎて、笑い出したくなる。

 けれど、この「手の届く範囲の不自由さ」こそが、かつて僕が確かに所有し、そしていつの間にか失くしてしまった、青春の正体。

 喉の奥が熱くなり、胸をきゅっと締め付けるような感覚に、僕はただ黙って耐えるしかなかった。


 歌本という名の、紙とインクで構成された情報の墓場を眺めながら、僕は視線を左右へと彷徨さまよわせていた。ページを捲るたびに、指先に微かな摩擦と、時代に取り残されたような焦燥が募る。

「アンタ、さっきから何を必死に探してんのよ。お宝の地図でも隠されてるとか?」

「いや……『グッバイ・マイ・アイドル』だよ」

「何、その曲。聞いたこともないけれど。誰が歌ってるわけ? アンタの脳内でだけチャート一位を独走してる架空の歌手?」

「はあ? めっちゃ流行ってるじゃないか。千両役者狂四郎せんりょうやくしゃ・きょうしろうだぞ。今の日本で彼を知らないのは、鎖国時代からタイムスリップしてきた人間だけだ」

「なんだよ、そのふざけた名前! アンタのセンス、いよいよ末期症状ね!」

 松木は腹を抱え、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように笑い転げる。

 ……はっ、と。

 僕は自分の失言という名の「致命的なバグ」に気づき、慌てて掌で口を塞いだ。

(そうか、この曲は――この時代にはまだ、旋律すら存在しない。令和のチャートを席巻した、未来の産物だった)

 歴史の改変どころか、存在しないはずの歴史を持ち込んでしまった。だが、幸運なことに松木はそれを、単なる僕の「悪趣味な冗談」として処理したようだった。彼女の笑い声が、僕の冷や汗を拭い去ってくれる。

 やがて、壁面に設置された前時代的な有線電話が、けたたましく――まるで現実への帰還を促す断末魔のように鳴り響いた。

「お時間です。延長されますか?」

「いや、結構です。すぐに出ます」

 受話器を置き、僕は短く答える。かれこれ三時間。僕たちの喉はサハラ砂漠のように乾ききり、僕の財布は絶滅危惧種並みの希少な野口英世を死守する戦いに敗北を喫しようとしていた。

 カラオケボックスという名の密室を出れば、そこには既に夜のとばりが、重厚なベルベットのように下りていた。ポケベルの小さな液晶画面を覗き込めば、夜の七時を告げる数字の羅列。

「そろそろ、帰宅のにつくとしようか」

「えー、もう帰るの? ゲーセン寄っていこうよ、格ゲーの聖地が呼んでるわよ」

 松木が子供のように駄々をこねる。その遊興費も当然僕の財布から算出されることを、彼女は重力のような当然さで受け入れているのだろう。

「いや。晩飯は家で摂ると決めているんだ。家庭の平穏は、胃袋の規律から始まるからね」

「あっ、そっ」

 松木はあからさまに不貞腐ふてくされた、剥き出しの不満を顔に張り付かせたまま駅へときびすを返した。

 僕はその、スカートの裾が揺れる背中に溜息を一つ吐き出し、影を追うように歩き出す。

 途中の駅までは同じ鉄の塊に揺られる共犯者だが、僕の自宅の方が物理的な距離において先に現れる。

「じゃあな。また明日、学校という名の収容所で会おう」

 僕は振り返らず、ただ右手だけを虚空に振った。

 

「…………」

 背後から、返答は聞こえない。

 機嫌を損ねたか。あるいは、僕の「さよなら」という言葉が、夜の風に溶けて消えただけか。

 明日になれば、また彼女の鋭利な毒舌が僕の平穏を切り裂くはずだ。

 そう自分に言い聞かせながら、僕は改札を抜け、過去という名の現在へと踏み出した。


 改札という名の境界線を越えれば、そこから駐輪場までは、思考を停止していても辿り着ける単調な一本道だ。自宅まではペダルを漕いで十分。その程度の距離でしかないはずだった。

 だが、駅から続く懐旧かいきゅうの情を誘う商店街を歩んでいると、右手に「それ」は姿を現した。

 ゲームセンター。

 二十一世紀の現在においては、ファミリー層向けの清潔なアミューズメント施設、あるいは限定プライズを巡る戦場へと洗練された空間の、その「先祖返り」とも言える荒々しい姿。

 そこは、騒音と電子音が暴力的な密度で充満する、不良たちの神殿だった。

(そういえば、こんな場所にも「箱庭」は存在していたのだったか)

 懐かしさという名の甘い誘惑に抗うことなく、僕は足を止めた。

 迷い込んだ店内で、様々な筐体きょうたいを、さながらオーパーツを鑑定する考古学者のような眼差しで巡回していく。その最中、僕は「彼女」が愛してやまなかった対戦型格闘ゲームと邂逅かいこうした。

「うわ……懐かしいな」

 思わず声が零れ落ちる。

 令和の時代においては、家庭用ハードへの移植から数えれば既に二十年以上の歳月が経過し、もはや古典の範疇に分類されるべき伝説のタイトル。

 それが目の前では、《新稼働!》という原色塗れの、いささか暴力的なまでの熱量を持ったポップに彩られ、僕を誘惑している。

 気づけば僕は、磁石に吸い寄せられる鉄屑てつくずのごとく筐体に座り、百円玉という名の入場料を投入していた。

 ひとしきり掌の快楽を堪能した後、僕の胸を占めたのは、微かな罪悪感という名のノイズだった。

(こんなことなら、素直に松木の我儘に付き合ってあげればよかっただろうか)

 

 申し訳なさが心臓をチクりと刺した、その時だ。

 鼓膜を揺らしたのは、脳を麻痺させるような甘ったるい電子音。横に鎮座していたのは、景品という名の欲望をクレーンで吊り上げる、UFOキャッチャー。

 その透明なショーケースの向こう側を視認した瞬間――。

「――っ!?」

 僕の顔面からは、瞬時にして血液という名の生気が失せ、蒼白へと塗り潰された。

 ショーケースの中に鎮座していたのは、松木が偏愛へんあいしていたキャラクターのぬいぐるみ。

 それ自体は、不自然でもなければ超常現象でもない。九十年代という時代背景における、ありふれた景品の一つに過ぎない。

 だが。

 僕は、思い出した。

 否。令和の僕は、思い出さないように、思考の最深部へと沈封ちんぷうさせていたのだ。

 この日、松木は、死んだ。

 記憶の断片が、鋭利な刃物となって脳内を切り裂いていく。

 凄惨な事故か、あるいは事件か。

 変わり果てた姿で横たわっていた彼女が、その腕の中に最期まで抱きかかえていたもの。

 それが、今僕の目の前で、無機質に微笑んでいるこの「ぬいぐるみ」だったのだ。


第一章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

武沢は「過去を変えれば未来も変わる」と考えていました。

ですが、世界は彼の予想よりも複雑で、思いどおりには動いてくれません。

ここから物語は、青春だけでは終わらないタイムリープ・サスペンスとして大きく動き始めます。

少しでも「続きが気になる」と感じていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

次の章もよろしくお願いいたします。

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