表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殺意のバタフライ・エフェクト  作者: 知恵利一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/5

プロローグ エンドロールから逆走する極彩色の走馬灯

はじめまして。作品を開いていただき、ありがとうございます。

この物語は、一人の男が人生の終わりを迎えた、その瞬間から始まります。

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

 鼓膜を焼くのは、数多の生命が謳歌する絶頂の葬送曲――即ち、蝉時雨せみしぐれだ。

 不快な熱風。それは大気の呼吸というよりは、世界そのものが発熱しているかのような、暴力的なまでの高熱。僕は、あるいは「俺」と呼ばれていた何者かは、光の刺突によって強制的に意識の表層へと引き摺り出された。

 視界を貫くのは、ダンボールの隙間という、およそ文明的とは言い難い「スリット」から漏れ出す強烈な紫外線。

「――暑い……」

 肺腑はいふから漏れ出たのは、語彙力の欠如を露呈する嘆息。

 無理もない。午前中にして摂氏三十五度を凌駕する猛暑日。安価なラジオが垂れ流していた気象予報は、今日という日が生存に適さないことを無機質に宣告していた。

 幸いにして、網膜の先には「水」という名の救済が流れている。河川敷。ホームレスという名の自由業、あるいは社会の落とし子たちが集う、コンクリートの揺り籠。

 両手を水面に浸す。

 冷気。それは一瞬の特効薬。

 掬い上げた液体を顔面へと叩きつければ、弛緩しかんしていた脳細胞がパチパチと音を立てて覚醒を始める。喉の渇きを癒すために、二度三度とたなごころの水を啜る。衛生管理? 公衆道徳? そんな高尚な概念は、空腹と渇きというプリミティブな生存本能の前では、紙屑かみくずほどの価値も持たない。

「……日陰へ、避難するとしようか」

 ぼやきながら、高架橋の下へ。

 巨大な人工物が作り出す巨大な影。直射日光を遮るだけで、体感温度は劇的に――恐らくは二度か三度ほど――下降する。その微かな、しかし決定的な「涼」に誘われ、僕は抵抗することなく睡魔の軍門に降った。

 ――静寂を切り裂いたのは、怒声。

 どれほどの時間を虚無に費やしたのか。高架橋の裏側を寝床にしていた僕の意識は、暴力的な音の粒子によって再起動を余儀なくされた。

 視線の先、河原のキャンバスに描かれていたのは、あまりにも陳腐で、あまりにも醜悪な、青春の汚泥。

 五、六人の学生服。

 その中心で、一人の少年が胎児のように丸まっている。

 思考するまでもない。

 集団私刑リンチ――即ち、不可逆的な悪意の行使。

 五十路を過ぎた「社会の残滓ざんし」である僕が、この惨劇に介入する理由は微塵も存在しなかった。正義感? 倫理観? そんなものはとっくにゴミ箱に捨ててきた。関われば、次は自分が標的になる。傍観者。それが正解だ。それが最適解だ。

 けれど。

「……やりすぎだ」

 言葉が、意志を無視して溢れ出した。

 少年の嗚咽。絶望。それらが僕の古びた心臓を、汚れた軍手で握り潰すかのような錯覚。

 気づけば僕は、獣たちの前に立っていた。

「やめろ」

 自分でも、自分の行動に注釈がつけられない。

「あん? なんだオッサン。何様だ、そのツラは」

 獣の一人が、鋭利な視線で僕を刺す。

「……その子が何をしたかは知らないが、度が過ぎている」

 声が震えている。恐怖という名の生理現象。

 見窄らしい、浮浪者の、社会の敗北者。そんな男が放つ言葉は、彼らにとっては滑稽な羽音に過ぎなかった。

「マジかコイツ。死臭の漂うホームレスが、教育的指導かよ? ぶち殺されたいのか、あぁん!?」

 暴行は止まらない。言葉の合間にも、少年の肉体には靴底という名の衝撃が刻まれていく。

「やめないか!」

 僕は叫び、反射的に目の前の男を突き飛ばした。

 それが、決定的な「終わりの始まり」だった。

「――こいつ、この薄汚い手で、俺に触りやがったな……!」

 言葉の終端と同時に、僕の視界が爆ぜた。

 顔面への打撃。脳が揺れる。身体は枯れ葉のように舞い、硬い地面へと叩きつけられた。

「おい、予定変更だ。まずはこのゴミを片付けようぜ」

 標的の移譲。

 少年から僕へ。暴力という名のベクトルが、一斉に僕を指向する。

「……逃げて」

 僕は、必死に絞り出した。

 少年はその声に弾かれるように立ち上がり、一目散にその場を去った。それでいい。それで、計算は合う。

「あ! あの野郎逃げやがった!」

「構わねえよ。あいつはいつでも狩れる。まずはこの、身の程知らずのクズを分からせてやろうぜ」

 その後、どれほどの間、僕が「肉塊」として扱われたのかは定かではない。

 気づけば、周囲に人の気配は消え、夜のとばりが全てを覆い隠していた。

 指先一つ動かない。まぶたを持ち上げるだけでも、一生分のエネルギーを要する。

 思考は霧散し、ただ一つの、あまりにも救いのない感情だけが、僕の脳裏を蹂躙した。

(ああ……なんて……救いようのない、くそったれな人生だったんだろう)

 やがて。

 視界から色彩が抜け落ち、全てが雪白せっぱくの虚無へと染まっていく。

 僕の物語は、ここで完結したはずだった。


プロローグを読んでいただき、ありがとうございました。

ここまでは主人公の「終わり」を描きました。

ですが、この物語はここから始まります。

もし少しでも続きが気になりましたら、第一章も読んでいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ