【第二部】第七章 リリンクは三人の記憶から
タイムリープを繰り返すたび、少しずつ短くなっていく「やり直せる時間」。
そしてついに、武沢は自分に残された猶予がほとんどないことを悟ります。
神川、熊谷、遠藤、井下。
何度やり直しても、誰かを救えば何かが狂い、ひとつの未来を変えれば別の場所で悲劇が生まれる。
ならば――すべてを知った上で、もう一度だけ同じ夜へ。
今回は、第二部に入ってから続いてきたループそのものにも、大きな変化が起こります。
それでは続きをどうぞ。
「……い」
「……い! ……ざわ!」
「――おい! 武沢!」
ハッと息を呑み、僕は勢いよく上半身を起こした。
視界が明瞭になると、傍らで井下が怪訝そうな顔をして、僕の肩を揺すりながら叫んでいた。
「お前大丈夫か!? 」
ここは……どこだ?
僕は確かに、熊谷の銃弾を頭部に受けたはずじゃなかったか……。
だが、こうして意識があるということは――タイムリープに成功したんだ!
重い瞼を押し開き、周囲の状況を急いで確認する。
目の前には井下。
そして――その脇には。
「――っ!? 遠藤……!?」
遠藤美佳。彼女の手足はベッドの上で、シーツによって固く縛り付けられていた。
飛んだ先は……先ほどの惨劇が起きる、ほんの少し前。僕が彼女の襲撃を退けた直後だ。
だが、その瞬間に僕は強烈な違和感を覚えた。
(……タイムリープの移動時間が、明らかに短くなっていないか……!?)
神川と熊谷、あの二人と屋上で対峙するわずか数時間前。
一過性の過去へしか跳べなくなっている。
(もしかして……このままリープを続けていたら、いずれタイムリープそのものが発動しなくなるんじゃ……。下手をすれば、これが本当に『最後』の跳躍なのかもしれない……!)
無情な限界点が目に見えて迫り、冷たい焦燥が津波のように押し寄せてくる。
「武沢っ! お前、マジで大丈夫かよ?」
井下が心配そうな面持ちで、僕の顔を覗き込んできた。
「あ……ああ、ごめん。大丈夫だ」
努めて平静を装い、作り笑顔で答える。
だが、どうする……? この先、井下が頭を撃ち抜かれて即死することを教えるべきか……。
もしそれを教えれば、井下は助かるかもしれない。だが同時に、誰か別の人間がその死の因果を肩代わりすることになる。
「この先そんなんで平気なのか?」
心配そうに声掛けしてくる彼に向かって、僕は腹を括ったある提案を持ちかけた。
ーー「少しでも動いちゃダメだ。この指先を数ミリ滑らせるだけで、お前の首からは色鮮やかな鮮血が、この綺麗な夜空に舞い散ることになる。……まあ、それも教育的指導としては悪くない景色だがね」
冷酷な神川の言葉を、僕は再び耳にする。
僕にとってはデジャヴに似た感じだ。
まず、前回と寸分狂わぬ状況を作り出す。ここでヘタに変動を加えれば、バタフライ・エフェクトによって未知の惨劇へ書き換わる恐れがあるからだ。
すべては、後から乱入してくるあの狂人――熊谷の奇襲を止めるため!
その後、神川から遠藤との歪んだ関係を聞き出し、それを潜伏先で聞いていた井下が、屋上の上空から猛烈な急降下回し蹴りを叩き込む。
その圧倒的な衝撃で、神川は貯水タンクへと叩きつけられた。
ここからは、熊谷が現れるまでのタイムロスを利用し、神川が狂気に落ちた経緯を聞き出す作業だ。前回の流れ通り。
三十年後の河川敷で拾ったシール付きのポケベル。別世界線からの漂着。自分が過去を変えたことで、誰かが代わりに死ぬという『等価の因果』。
何度聞かされようと、その真実は僕の胸を痛烈に締め付ける。
だが――今の僕は、悪役にでも何にでもなってやる! この呪われた連鎖を断ち切るためなら!
前回の展開通りなら、ここから井下の激昂した暴行によって神川は重傷を負う。
だが、僕はあらかじめ井下に『何があっても神川には手を出すな』と強く言い含めておいた。井下に過失致死の罪を背負わせたくないという、僕の強い我が儘だった。
そして――しばらくして、屋上の重い扉がキーッと音を立てて開く。
現れた漆黒の影の右手には、拳銃が握られていた。月光がその凶顔を照らし出す。
――熊谷!
すでに酷薄な薄ら笑いを浮かべているその顔に、猛烈な怒りが底から湧き上がる。
こいつはこの後、神川を追い詰めた井下の頭部を撃ち抜き、惨殺するのだ。
だが、井下がこの場から消えていることなど、今の熊谷には知る由もない!
熊谷の目が、自然と僕の方へと向けられた。
その時、時間通りに来なかった熊谷を叱責するように神川が吐き捨てる。
「遅いぞ! ――熊谷!」
それに対し、熊谷も反抗的な態度で言い返す。
「あぁ? こっちは拳銃を手に入れるだけで死ぬほど苦労したんだぞ!」
だが――ここから先の展開は、お前の思い通りにはさせない!
突如、閉められたはずの屋上の扉が豪快に蹴り開けられ、その陰に立っていた熊谷の背中に叩きつけられた!
「ぐはっ!?」
体勢を崩した熊谷は地面へと派手に転がり、その衝撃で手から拳銃が離れた。
金属音を立てて滑っていく拳銃を、力強いエンジニアブーツが踏みつける。
――井下だ!
「なっ……! 井下――なんでてめぇがここに……!?」
さらに屋上の扉の奥から現れたのは、遠藤だった。
「!? 遠藤まで……! クソが! このアマ、裏切りやがったな!!」
熊谷は瞬時に身を起こすと、殺気を剥き出しにして彼女へ向けて走り出した。
だがそれを阻むように、井下の容赦のない飛び蹴りが熊谷の顔面を捉えた!
「ぐぁっ!?」
二、三回地べたを転がり、熊谷は顔を歪めて苦悶の声を上げた。
「ここまでだ、熊谷!」
僕の足音が高らかに響く。彼の方へ歩み寄りながら、冷たく突き放した。
「お前が神川先生とグルなのは、すべて知っている」
「なん……だと……!?」
よろめきながら立ち上がる熊谷。
「それと、遠藤が裏切っただと? 戯言を言うな! 彼女は最初からお前たちの味方なんかじゃない! 脅迫して服従させていただけの人間を手駒だと思い込めるお前らの脳みそこそ、人道から外れた狂気なんだよっ!」
僕の積もりに積もった怒りが、咆哮となって夜空へ放たれた。
「……。そうか。……そういうことか」
俯きながら、小声を漏らし始める熊谷。
「……武沢、てめぇ……またタイムリープしやがったな?」
「……ああ、そうだ。でなきゃ、この完璧な詰みの展開には持ち込めなかった」
「――くくっ」
「っ!?」
「はははははっ! なるほどな……使ったのか……!」
「何を笑っている……!?」
「さて、武沢――お前はあと『何回』飛べるんだろうな!?」
(っ……! こいつ……僕のタイムリープの移動時間幅が縮んでいることまで知っているのか!?)
「だったらなんだというんだ! 今回で……この世界線ですべてを終わらせる! 限界なんて関係ない!」
「……武沢……お前ってつくづく、救われないヤツだよな」
「なにを――ッ!?」
その瞬間。
背中に、焼けつくような激痛が走った。
同時に、喉の奥から生温かい液体が溢れ出す。
「――ゴフッ……!? な……なんだ……急に……」
溢れた液体を手で受け止める。
血だ。……赤黒い、大量の血。
一瞬で両脚から力が抜け、膝が折れた。背後を振り返る力すら残っていない。
だが、遠くで井下の裂けるような怒号が響いた。
「神川っ! てめぇぇぇ!!」
(……そうか……神川……先生……か……)
熊谷の動きだけに意識を奪われ、倒れていたはずの黒幕の存在を失念していた。
完全な……僕の失策だ。
体から、急速に体温が失われていく。
「……寒い……。体を……温めないと……」
視界が白く滲んでいく。
上半身の力も抜け、僕は冷たい床に突っ伏した。
ズボンのポケットの中で、微かにポケベルが振動しているのが伝わる。そして見ずともわかる内容。
(……《061102710(やり直せ)》……だ。……携帯……を……)
だが、もはや指一本動かす力すら、残されていなかった。
井下の狂暴な怒声も、神川の不気味な呻きも、熊谷の嘲笑も、すべてが遥か遠くの出来事のように遠のいていく。
(あぁ……これが、『死』か……)
覚悟を決めた僕は、静かに瞼を閉じた。
――その時。
身体を強く揺さぶられる感覚があった。
すぐ耳元で、必死に叫ぶ少女の声が聞こえる。
「――武沢! あんたを死なせたりなんかさせないっ!」
女の子の声……。
遠藤……なのかな……。泣いて……いるのか?
だけど……もう手遅れだ……僕は……。
――――――――。
「……」
僕はどうなったんだろうか。
今度こそ、本当に死んだのだろうか。
だが、意識だけはハッキリと存在している。
幽体離脱なのか、それとも魂という概念なのか。
非科学的にも程があるな……だが、死者だけが知る真実というものが存在するのかもしれない。
僕はこれから、どこへ向かえばいい?
漆黒に染まる虚無の空間。
その時、暗闇の向こうから誰かに名前を呼ばれた気がした。
声のする方角へ向かって進む。
やがて、目の前に眩いばかりの『光』が差し込み始めた。
「間に合ったはずなんだ! どうして目を開けてくれないの!?」
高い声。女の子だ。聞き覚えがある……誰だったか。
「だけどよ、目を覚まさねぇぞ! おい武沢!」
野太く、武骨だが、不思議と魂が安心する声。
――応えなきゃいけない。
あの二人の声に、僕は絶対に応えなきゃいけないんだ!
すべてを終わらせるという強い使命感が、胸の奥底から熱く沸き上がってきた。
「……うっ……っ!」
「やった! 目を覚ました!」
高い声を上げた女の子が、僕の体を強く抱きしめてきた。
続いて、野太い声の主が僕の肩をガシッと掴む。
二つの確かな温もりが、伝わってきた。
「……遠藤……井下……」
「あぁ、心配させやがって! マジで死んだかと思ったぜ!」
「――本当に良かった……間に合って……!」
「……僕は……どうなったんだ? 神川先生に刺されて……確かに死んだはずじゃ……」
「それだけどよ――」
井下が、あの直後に起きた出来事を語り始めた。
「俺はとりあえず、神川の野郎を再起不能にするまで殴り飛ばした。その間に、遠藤がお前に駆け寄って、ポケットからあの携帯電話を取り出したんだ」
言葉を引き継ぐように、遠藤が静かに語る。
「確信があったの。あんたのポケベルには、今まさに《やり直せ》のコードが届いているんじゃないかって。なら、やることは一つ。あんたの携帯で『4649』とダイヤルすること。それでタイムリープが始まると賭けたのよ。持ち主以外の人間が操作しても発動するのかどうかは分からなかったけれど……幸いにも、こうして戻って来られた。あんたが刺される『前の時間』にね。そしてなぜか……あたしと井下にも、跳ぶ前の記憶が完全に共有されているのよ」
「まあ要するに、お前がイチから説明する手間が省けたってことだ!」
井下は破顔して、僕の顔を見つめた。
「……そうだったのか。すまない……僕が神川から目を離してしまったせいで、みんなを危険に晒してしまった……」
「気にすんなって! ともあれ無事に戻って来られたんだ。問題は、これからどう始末をつけるかだろ?」
井下に促され、僕はハッと我に返った。
「今はどんな状況だ? 時間的にはどこに戻っている!?」
焦る僕に、遠藤が即座に答える。
「ちょうど、これから作戦を実行するために屋上へ向かう階段の途中よ」
そうか……若干だが、やはりタイムリープの移動幅が縮まっている!
「前回の記憶を共有しているなら、作戦の修正点は言わなくても分かっているか?」
「ああ、バッチリだ」「ええ、任せて」
「なら、今度は神川から一瞬たりとも目を離さずに無効化しよう」
「それならあたしが神川を見張るわ。任せて」
遠藤が力強い眼差しで申し出た。
「頼む。僕と井下は変わらず、熊谷を完全に抑えよう!」
「おう! だが武沢、タイムリープした時に理解したんだが……お前の時間跳躍の間隔、もう限界ギリギリって感じだったぞ」
「――そうか。携帯の回線を通して、二人にもその感覚が伝わったんだね」
「ああ。あと一回……いや、もう二度目はないと思った方がいい」
「なら――今回で、すべてに決着をつけるしかない!」
三人の意志は、完全に一つとなった。
屋上で待ち受ける黒幕の神川。そして協力関係にある熊谷。
彼らとの最後のケジメをつけるという揺るぎない覚悟を胸に、僕たちは運命の階段を一段ずつ、力強く踏みしめて駆け上がっていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は「完璧に対策したはずなのに、それでも失敗する」という、武沢にとってかなりキツいループになりました。
熊谷の拳銃を封じ、井下の死を回避し、遠藤も味方につける。
これなら勝てる――と思ったところで、今度は神川。
未来を知っているからといって、すべての可能性を知っているわけではない。
タイムリープものの怖さって、実はここにあるんじゃないかなと思っています。
そして今回、一番大きな変化が起きました。
遠藤が武沢の代わりに『4649』を発信したことで、井下と遠藤まで前世界線の記憶を持ち越した。
これまで孤独に過去改変を繰り返していた武沢に、初めて「同じ時間をやり直した仲間」ができたことになります。
ただし、喜んでばかりもいられません。
リープできる時間は、明らかに短くなっている。
次に失敗しても、もう戻れないかもしれない。
神川と熊谷。
そして、まだ正体の見えない「ポケベルを仕掛けた何者か」。
三人は今度こそ、この長い夜に決着をつけることができるのか。
次回――いよいよ屋上での最終決戦です。




