【第二部】第六章 リコイルは銃声の果てから
皆さん、いつも読んでいただきありがとうございます!
前回、ついに黒幕として神川先生の正体が明らかになりました。
ですが、彼は単なる狂人ではありませんでした。
今回語られるのは、この物語の根幹とも言える「タイムリープ」と「世界線」の秘密。
武沢が必死に積み重ねてきた過去改変。
その行為が、本当に”正義”だったのか。
そして、物語はさらに残酷な方向へ加速していきます。
ぜひ最後までお楽しみください。
「それはな――ポケベルだ」
「――っ!?」
僕は思わず、自分の上着のポケットに手を突っ込んだ。血のついた指先でそれを掴み出し、目の前に掲げる。
「はははっ、それだよ武沢! お前が今手にしているそのポケベルが、暗闇に染まっていた私の心を晴らしてくれたのだよ!」
「……あんたは一体、何を言っているんだ? 現に僕の手に、こうして握られているじゃないか!」
僕が叫ぶと、神川は静かに上着の内ポケットへと手を差し入れ、そこから『それ』を取り出した。
「――なっ……! なんで……それが……!?」
それは、僕が手に持っているものと全く同じ機種のポケベルだった。
だが、単に同機種というだけなら、この時代にはいくらでも存在する。問題はそこじゃない。
僕のポケベルには、以前、松木奈々から強引に貼られたファンシーなキャラクターのシールが付いている。
そして――神川が掲げたポケベルの全く同じ場所にも、寸分違わず同じキャラクターのシールが貼り付けられていたのだ!
「どうして同じものを……あんたが持っているんだ……!?」
「そんなことを私に尋ねられても知らんよ。これは本当に偶然、今から三十年後の河川敷で拾った『遺物』なのだからな。……だが、これに秘められた歪んだ電波のおかげで、私の魂は過去へと転送できた。あり得なくもない仮説を立てるなら……これは『別世界線のお前』が残したポケベルなのではないかと、私は考えているがね」
「別の世界線の……僕……?」
脳裏に浮かんだのは、かつて都市伝説の域で語られていたSFの概念。
「――パラレルワールド……」
僕の口から漏れた言葉を聞いた瞬間、神川は天を仰いで狂気的な高笑いを上げた。
「あっはっはっはっ! バカなお前でも、この世の理を語れる脳みそがあったか! そうだ、それ以外に説明がつかない! この世界は、人間が選択しなかった分岐の数だけ枝分かれし、無数に存在し続ける。それが平行世界線――パラレルワールド、あるいはマルチバースと呼ばれる多層構造だ」
半ば狂乱状態に陥っている神川を、僕の眼光は睨みつけることしかできない。
だが、事態を静観していたもう一人が、ついに痺れを切らした。
「――おいっ! 先公よぉ、論点ズラしてんじゃねぇぞ! 今は『なんで遠藤を使って武沢の命を狙ったのか』って話をしてたんじゃねぇのかよ!」
ずっと僕たちの問答を背後で黙って聞いていた井下が、割って入った。
「……ああ、もう一人、話の通じないバカがいたな」
半狂乱から一転、冷え切った真顔に戻る神川。
「井下――お前にも分かるように教えてやろう。人生にはあらゆる選択を迫られる瞬間がある。好きな女子に告白する選択と、諦める選択。それだけで枝は二つに増える。選ばれなかった未来が消滅するわけではないのだよ。同時に二つの世界が並行して存在し続ける。未来で正しい選択を重ねて巨万の富を得た自分が存在すれば、間違った選択を重ねてホームレスにまで落ちぶれた自分も存在する。……良い例がそこにいるじゃないか。そこにいる武沢は、未来では『ホームレス』という最底辺にまで転落した。片や別の世界線では、何かを成し遂げて地位と名誉を手に入れた武沢も存在するのだ。
すべては人生の選択を誤らないこと。だが、そこで本来なら受け入れなければならなかった『惨めな現実』を、そこの武沢は私利私欲のために過去へ戻り、不恰好にもがきながら書き換えようとした!
結果として自分が救われ、関係のない『別の人間』が不幸に陥る。世界の秩序は、必ず因果を修正しようとするのだよ。自分が良い人生を歩むために過去を改変すれば、無関係な人間が代わりに不幸になる! それを『知らなかった』という無知だけで言い逃れするつもりか!?
お前が松木を救ったせいで、私の可愛い娘は死んだのだ!
だから私は、お前を絶対に許さない。事故の轢き逃げ犯よりも、今はお前への憎しみと殺意だけを糧に生きていると言っても過言ではないのだよ。……まあ、その中で遠藤を使ってお前を殺そうとしたのは、ただの私の気まぐれだがね。一種のゲームのようなものだ。私のお遊びでお前が死ねば、それはそれで滑稽なオチじゃないか。ふふふっ……!」
気が狂ったように吐き出される神川の言葉の銃弾は、僕の精神を肉ごと撃ち抜いた。
まさか……僕の選択が、周りの人間を不幸に陥れていた……?
その恐ろしい事実の前に、僕は膝から崩れ落ち、冷たいコンクリートに手をついた。
(すべての元凶は……僕自身だったのか……?)
過去なんて、変えるべきじゃなかったんだ。
運命は、改変された事象を狂暴な手つきで修正する。たとえそれが、別の人間の命を奪うことになろうとも。
――だが。それでもなお、僕の胸の中に拭いきれない違和感が渦巻いていた。
松木の事件の時に配置されていた意味ありげなぬいぐるみ。残数の少ないテレホンカード。そして、この平成初期の世界でわざわざロッカーに用意されていた、通信できる携帯電話。さらに一貫して時空の歪みのキーとなっているポケベル。
……これらを配置したのは、一体誰だ?
神川の反応を見る限り、彼もまたその『仕掛け』については何も知らないようだった。
まだ……すべてが明かされたわけじゃない!
「おいっ! 先公よぉ! だからって、遠藤を道具みたいに苦しめていい理由にはならねぇだろ!!」
井下が神川の前に足を踏み出し、手に持っていたメスを後方へと放り投げた。
カチャリと乾いた金属音が、深夜の屋上に反響する。
「……井下ぁ。説明しても理解できないお前のような出来損ないは、退学処分だ!」
「上等だよ! その代わり、てめぇを今ここで叩きのめす!!」
「――井下、待つんだ! まだすべてを聞き出したわけじゃない!」
「ウダウダやってる暇はねぇ! ぶん殴るのが一番手っ取り早いんだよ!」
怒号が夜の闇を切り裂く。
井下は神川の胸ぐらを掴み上げ、背後の貯水タンクへと力任せに叩きつけると、その顔面へ容赦なく拳を叩き込んだ!
ドカッ、という鈍い音。血反吐を吐いてうずくまる神川に、井下はさらに追撃の拳を振り上げる。
「井下! いい加減にしろ! これ以上やったら本当に死んじまう!」
僕の中で、冷や汗が吹き出した。
このまま井下が神川を殺してしまえば、今度は『井下が牢獄に囚われる世界線』が確定してしまう!
僕は必死で、神川の上に馬乗りになっている井下の身体を引き剥がした。神川の顔面は酷く変形し、ピクリとも動かず倒れている。
「まずい……これじゃあ、また誰かが不幸になる未来へ上書きされてしまう……!」
――その瞬間だった。
静寂を破り、パンッ、という、乾いた乾破音が夜空に響き渡った。
次の瞬間――井下の体躯が、まるで糸を弾き切られたマリオネットのように、力無くその場に崩れ落ちた。
「な……んだ……!? 何が起きた……!?」
咄嗟に周囲へ視線を走らせる。
屋上の扉の影から、僕たち以外の『第四の影』が、ゆらりと姿を現した。
月光がその顔を照らし出す。
「……お、……お前……! なぜ……何をしているんだ……!?」
「いやー、そこの神川に呼ばれて来てみれば……どうなってんだよ。まさかこんな大惨事になってるとはな。おいっ! これで良かったのか?」
冷笑を浮かべた男の視線の先で、顔を腫らした神川が苦しげに体を起こした。
「……ああ、助かったよ……熊谷。ただ、もう少し早く来てくれると助かったんだがね」
「あぁ? こっちは拳銃を手に入れるだけで死ぬほど苦労したんだぞ!」
拳銃……!? 今、井下に放たれたのは、本物の弾丸だったのか……!?
僕は血の気が引くのを感じながら井下に駆け寄り、その身体を抱き起した。
「――っ!? 頭を……撃ち抜かれている……!」
見るまでもなかった。即死だ。
「お前たち……! 自分が何をしているのか、分かっているのかっ!!」
「武沢ぁ――言ったよな? 廃神社で『女共には関わるな』ってさ。なのに結局、首を突っ込んでやがる。俺は前々から、お前のそういう気取った面がムカついてたんだよ。この際だ、お前もここで死ね!」
黒ぐろとした銃口が、真っ直ぐに僕の眉間へと向けられた。
「――おい! 熊谷! 武沢は生かして連れて行く手筈だ!」
神川が叫ぶ。
「知るかよ! 一人殺すのも二人殺すも、もう大差ねぇだろ!」
熊谷の指が、トリガーへと力任せに引き絞られる――!
――刹那。
ポケットの中で、あのポケベルが激しく脈打つように振動した。
画面を見なくても分かった。《061102710(やり直せ)》だ!
僕は反射的に身体を捻り、貯水タンクの死角へと滑り込んだ。
「なっ……! 武沢! てめぇ、逃げやがったな!」
神川は井下の激しい暴行を受け、その場から動けずに呻いている。
僕は背中の激痛を耐えながら携帯電話を取り出し、ダイヤルキーへ指を伸ばした。
発信コード『4649』を打ち込もうとした、まさにその時――視界がグラリと大きく揺れた。
めまい……? いや、違う。
次の瞬間、僕の視界から「僕自身の左手」が消え去っていた。
手首から先が、肉煙と共に吹き飛んでいたのだ。
痛みが追いつかない。あまりの衝撃に、神経が麻痺している。
「……な……んだよ……これ……どうなって……」
「残念だったな。危うくタイムリープ(逃げ)させるところだったぜ」
音もなく背後に回り込んでいた熊谷が、煙を噴く銃口を掲げて冷笑していた。
――速い! 障害物の多いこの屋上で、僕の逃げ道を完全に先回りしていたというのか……!
「くそっ……!!」
僕は残された右腕一本で地を這い、再びタンクの逆側へと身体を滑り込ませた。
「武沢ぁ! もう観念しろよ! お前は今、ここで死ぬんだよ!」
「……クソ野郎が……ッ!」
途絶えかける意識の中で、激痛が遅れてやってきた。左手首からドクドクと赤黒い血流が噴き出していく。このままでは熊谷に撃たれる前に、出血多量で命が尽きる!
その時、月明かりの先に一筋の暗闇の光が見えた。
――携帯電話だ!
吹き飛ばされた衝撃で三メートルほど離れた床に転がっていたが、液晶の明かりはまだ生きている!
おそらく、最後の発信ボタンを押す直前の状態で止まっているはずだ!
「武沢〜、もう無理だろ? 手は吹き飛んでるし、血はドバドバ出てさぁ。勝手に死ぬ前に、俺に殺させてくれよ!」
狂気に満ちた声をあげながら、熊谷がタンクの裏へと身を乗り出してきた。
だが――そこに僕の姿はない。
「どこへ行きやがった! あの野郎……っ!」
直後――カツンッ、と熊谷の背後で金属音が響いた。
「そこかァ!」
熊谷が銃口を向け、音のした方角へ駆け出していく。
(今だ……ッ!)
転がっていた瓦礫を反対側に投げつけ、一瞬だけ熊谷の意識を逸らすことに成功していた。
僕は隠れ場所から飛び出し、床に転がる携帯電話へ向けて、残された右手を全力で伸ばした!
「――っ!? 武沢ぁアッ!」
騙されたことに気づいた熊谷が、振り向きざまに銃口を僕の頭部へと向ける。
バァンッ!! という、鼓膜を裂く咆哮。
放たれた鉛の弾丸が僕の頭殻を撃ち抜いた――そう確信した瞬間、僕の視界はすべてを呑み込む純白のホワイトアウトへと染め上げられていった――。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
今回は、今まで散りばめてきた伏線を少しずつ回収する章になりました。
神川が拾ったポケベル。
パラレルワールドという仮説。
そして、「過去を変えれば、その代償は誰かが背負う」という恐ろしい因果。
もちろん、神川の語る内容がすべて真実なのか、それとも彼自身の思い込みなのかは、まだ断言できません。
さらに今回は熊谷が拳銃を持って登場し、井下という頼れる仲間まで失われるという、武沢にとって最悪の展開となりました。
ですが、この絶望こそが物語の終わりではありません。
ここから先、すべての謎が一本の線として繋がり始めます。
ポケベル、ぬいぐるみ、テレホンカード、聖書、ロッカー、携帯電話――これらがなぜ存在したのか、その答えも少しずつ見えてきます。
引き続き、『殺意のバタフライ・エフェクト』をよろしくお願いします!




