【第二部】第四章 リベールは黒幕を暴き出す
いつも『殺意のバタフライ・エフェクト』を読んでいただき、本当にありがとうございます。
第二部第四章です。
前回、武沢は新たなタイムリープによって、病院での惨劇をやり直す機会を手にしました。
同じ未来を繰り返さないために、今回は”未来を知る者”だからこそ打てる一手を選びます。
これまで敵だと思っていた人物。
そして、これまで気づかなかった違和感。
少しずつ散らばっていたピースが繋がり始める章になっています。
ぜひ最後までお付き合いください。
「――はっ!」
僕は勢いよく上半身を起こした。
荒い呼吸と共に周囲を見回すと、そこはまたしても見慣れた病室のベッドの上だった。
だが、さっきまでの世界線とは違う。傍らで泣いていた母親もいなければ、取り調べの機会を窺っていた二人の刑事の姿もない。時間軸が、わずかにズレているんだ。
背中には相変わらず、灼けるような痛みが残っている。けれど、その痛みを麻痺させる点滴のチューブのおかげで、思考を回す余裕くらいはあった。
(このあと……数時間後に、遠藤が僕を刺しにやって来る。これを何としても阻止しなければ……!)
ベッドの上で必死に思考を巡らせる。……っ! 一か八か、賭けてみるか!
僕は前世界線から持ち込んだ、あのアナログ式の携帯電話という前時代的な貴重品を握りしめ、ある人物のポケベルへ向けて数字のコードを打ち込んだ。
だが、本当に来てくれるかどうかの確信はない。まさに捨て身の博打だった。
その後、病院にやってきた母親や二人の刑事とのやり取りは、あえて前の世界線と同じように無難にやり過ごした。ここで「これから襲撃者が来る」などと訴えたところで、彼らを混乱させるだけだし、下手をすれば余計な人間を巻き込んで巻き添えの死者を増やすだけだからだ。
そして――夜の帳が静かに降り切る頃、僕はベッドの上で深く息を殺し、眠ったふりを決め込んだ。
……しばしの静寂が流れたのち。
病室のドアが、滑るような音を立てて開いた。
足音は迷いなく、まっすぐに僕のベッドへと近づいてくる。
相手が凶器を振りかぶる、その瞬間の気配を察知し、僕は跳ね起きるように布団を蹴飛ばした!
「お前――遠藤だな! こんな真似はもうやめるんだ!」
「――っ!?」
予期せぬ反撃に相手は大きくたじろぎ、後ろのドアにその背中を強打した。
完全に見破られたと悟ったのか、彼女は観念したように深々と被っていた帽子とマスクをゆっくりと外した。
「……なんで、わかったんだよ」
遠藤美佳は、僕と視線を合わせようとしない。
「ご存知だろう? 僕は過去をやり直しにきた(タイムリープした)のさ。……お前を完全に止めるために」
「……どちらにせよ、あいつに命じられた以上、武沢――あんたにはここで死んでもらうしかないんだよ!」
「相変わらず黒幕の言いなりになって、自分の人生をドブに捨てるつもりか!? 弱みでも握られているのか!? 頼む、僕に協力してくれ! 必ずその黒幕には相応の報いを受けさせてやる……約束するから!」
「……武沢――でもあたしは、もう引き返せないんだよ!」
叫ぶと同時に、遠藤は一瞬で間合いを詰めてきた。
月光を反射して白々と光る包丁が振り下ろされた――その刹那。
彼女の華奢な腕は、空中でピタリと動きを止めた。その手首が、背後から伸びた見知らぬ太い腕に力強く掴まれていたのだ。
「なるほどね……マジで笑えない状況だったわけだ」
「あんたは――井下!? なんで……ここに……!?」
「僕が呼んだんだよ。こうなる未来を知っていなきゃ、こんな策は打てなかった」
僕の手には、あの携帯電話が握られていた。
「なっ……! そんな代物を隠し持っていたの……!?」
「……遠藤」
井下は握りしめた彼女の手首にさらに力を込める。その痛みに歪む彼女の顔を見て僕は言った。
「僕に、全部を打ち明けてくれないか。必ずお前を守ってみせるから」
やがて、彼女の手から包丁が力なく抜け落ち、床のタイルの上に金属音を立てて転がった。
もう抗う術がないことを、彼女は悟ったのだろう。
「井下、助かったよ……。お前が来なかったら、僕は今度こそ死んでいた」
「気にすんな。……俺たち、友達だろ?」
「あぁ……本当に頼りになるよ、お前は」
しばらくの間、遠藤の呼吸が整うのを待ってから、僕は尋問を始めた。
あらかじめ、病院に駆けつけてくれた井下には、タイムリープのことやこれまでの惨劇の顛末を隠さずすべて話しておいた。あまりにも荒唐無稽な話のはずなのに、彼は僕を一度も疑うことなく、言葉のすべてを信じてくれた。
「世の中ってのは、ちっぽけな人間の物差しなんかじゃ測りきれねぇもんなんだな」
意外にも、井下は達観したような顔でそう呟いた。そして、ふと僕の顔を覗き込んできた。
「……でもよ、何度もタイムリープを繰り返してるっていう――武沢。お前はさ、本当に『武沢』なのか?」
「……え?」
喧嘩にしか興味がなく、学年でも最下位を争うような井下。その彼から放たれた、あまりにも物事の革新を突いた問いに、僕の思考は一瞬で氷結した。
今まで、そんな考えに至ったことすらなかった。
繰り返される過去改変。上書きされる精神。……僕は、本当に「僕」のままなのか?
「……あたしもね、なんだか分からないけど、ここ最近ずっと奇怪な違和感に苛まれているんだ」
遠藤がぽつりと、掠れた声で漏らした。
「自分が、どこか全く知らない場所にいるような……自分の身体じゃないような気がしてならないんだよ」
バタフライ・エフェクト。
一頭の蝶が羽ばたいた小さな風が、回り回って地球の裏側で竜巻を引き起こすように。
たった一つの選択肢を変えたことで生じた小さな波紋が、世界を、歴史を、そして人間そのものを歪めて書き換えていく。僕の焦燥が引き起こしてしまった、取り返しのつかない過去の崩壊。
「……とにかく遠藤。お前の知っていること――お前を裏で操っている黒幕が誰なのか、教えてほしい」
その問いを投げかけた瞬間、彼女の顔つきが劇的に変貌した。
怯え、怒り、絶望、そして深い悲しみ。それらがグチャグチャに混ざり合った、例えようのない表情。
唇は激しく戦慄き、歯はカタカタと不気味な音を立てて鳴り響く。
その者の存在を口にすることが、どれほど致命的な恐怖を伴うのかが、言葉以上に痛いほど伝わってきた。
「おい……遠藤、大丈夫かよ? なんて顔してやがんだ」
井下の愚直な声が飛ぶ。
「う……うるさい……! 話そうと……すると……言葉が……喉に詰まるんだよ……っ!」
(相当なマインドコントロール下にあるのか……? はたまた、名前を口にしようとした瞬間に『死』が強制実行されるような制約があるのか……?)
彼女をそこまで追い詰めてまで吐かせることに、僕は激しい罪悪感を覚え始めていた。
だが――僕を殺そうとした世界線があった。関係のない看護婦が犠牲になった事実があった。それは絶対に容認できることじゃない。
……待てよ?
(今の遠藤は……「病院の途中で看護婦には会っていない」と言っていたな……?)
先程、彼女の息が整うのを待つ間に聞いた話だ。
会わずに、僕の病室まで来られたのか?
おかしい。この深夜の病院でも、警備員が巡回しているし、誰にも遭遇せずに五階の病室まで来られるはずがない。
――だとしたら。遠藤が僕の元へ到着するより『前』に、すでにあの看護婦は殺されていたということか?
だとしたら、誰が?
……黒幕だ。遠藤に後始末をさせるために、先回りして障害を排除していた黒幕以外に考えられない!
どこまで人の命をゴミ屑のように扱えば気が済むんだ。外道畜生にも劣る悪魔め。
「……遠藤から直接聞き出すには、時間がかかりそうだ」
僕と井下は遠藤を一旦落ち着かせ、手足をシーツでベッドに固く縛りつけた。
「悪いな。念の為の処置だ。ここで少し待っていてくれ。僕と井下で、その黒幕を直接突き止めてくる。幸い、奴は近くにいるはずだ。僕たちの焦る姿を高みの見物でもしているに違いない」
「へっ、会ったらとりあえず顔面が歪むまでぶちのめせばいいんだな?」
井下は指の関節をポキポキと鳴らし、戦意を剥き出しにする。
「手荒でも構わないが、動けなくなる程度にしておいてくれ。問題は『誰が』黒幕かだ。確証もないのに襲いかかれば、僕たちがただの犯罪者になってしまう」
「だがな、こんな深夜の病院をウロウロ徘徊してる奴なんて、怪しい以外の何物でもねぇだろ」
「まあ、確かに一理あるね」
その会話の直後だった。
――ダンッ……と、頭上の天井の奥から、不自然な低音が響いた。
「……上だ! 黒幕は屋上にいる!」
僕と井下は病室を飛び出し、階段を駆け上がった。
重い鉄の扉を押し開けた先は、冷たい夜風が吹き荒れる病院の屋上。
巨大な給水塔や、縦横無尽に這う太い排水管。足元には金属のパイプが蔓のように網の目状に巡らされ、非常に歩きにくい構造になっている。
「シチュエーションとしては、上等すぎるな」
井下は両手を合わせ、不敵に笑う。
僕は周囲の暗闇に神経を研ぎ澄まし、細心の注意を払いながら足を進めた。
(今度こそ……今度こそ黒幕の正体を掴む! そして、この終わりのない呪いのタイムリープを終わらせてやるんだ!)
僕の瞳は、夜空に浮かぶ月に照らされ、暗闇の中で怪しく冴え渡っていた。
「井下は左から回り込んでくれ。僕は右から行く。挟み撃ちだ」
「了解! ドジ踏むなよ、武沢!」
「ああ、そっちこそ」
左右に分かれ、挟み撃ちの陣形をとる。
五感を限界まで研ぎ澄ます。
――いる。僕たち二人以外に、もう一人の『異物』がこの屋上に潜んでいる。
微かな衣擦れの音。死角から伝わる、僕たちの誰でもない冷酷な気配。確実に、そこにいる!
やがて、その気配が急速に近づいてきていることに気づいた。
井下の方じゃない。――僕のいる右側へと、一直線にアプローチしてきている!
僕は意を決し、病院の廊下から持ってきていた松葉杖の先端を強く握り締めた。心許ない武器だが、遠藤を転倒させた実績はある。
「……さあ、来い! ここで決着をつけてやる!」
「――そうか。お前は自分が何をしているのか、まるで分かっていないらしいな」
低く、耳の裏にへばりつくような、くぐもった声。
それが暗闇から直接、僕の鼓膜へと滑り込んできた。
(背後……!?)
取り回しの効かない松葉杖は、障害物の多い狭い屋上では命取りだった。振り回そうとした瞬間、松葉杖の先端が給水タンクのパイプにガツンと激突し、体勢が大きく崩れる。
月光を背にして立つ相手の姿は、漆黒のシルエットとしてしか判別できない。
「だ……誰だっ!?」
影は迷いのない足取りで僕の間合いへと踏み込み、その手に握られた『鋭利な物』を、僕の首元へと突きつけてきた。
「――っ!? これは……メス……!?」
小さく短いが、人の皮膚など紙切れ同然に切り裂く外科用の極小の刃。
それが、僕の頸動脈の皮一重の場所に突き立てられていた。
「もう……泳がせるのはやめよう。武沢――お前には、ここで死んでもらう」
くそっ……! 万事休すか……!?
だが――僕の脳内で、強烈な違和感が弾けた。
声だ。
この低く、冷淡で、どこか無機質な声。
僕は確かに、この声をどこかで聴いたことがある。それも――つい最近であり、毎日のように聞いたあの声だ。
巡る思考の果てに、一つの絶対にあり得ない人物の顔が脳裏に浮かび上がった。
「まさ……か。そんな……! どうして……どうしてなんだ……!? あなたには、何の関わりもないはずじゃないか……!?」
僕の絞り出した声は、小さく、そして恐怖と衝撃で小刻みに震えていた――。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、これまでとは少し違う意味で大きな一歩を踏み出した回でした。
武沢は初めて未来を利用して悲劇を回避し、遠藤を止めることに成功します。
そして、井下という頼れる協力者を得たことで、これまで一人で抱え込んでいた戦いが、少しずつ”共闘”へと変わっていきます。
一方で、新たな違和感も生まれました。
タイムリープを繰り返している武沢は、本当に最初の武沢のままなのか。
世界を書き換え続けた代償は、人の記憶や人格にまで及んでいるのではないか。
そして何より、看護婦を殺害した人物の存在によって、「遠藤は実行犯ではあっても黒幕ではない」という事実が、より明確になりました。
物語はいよいよ核心へ近づいていきます。
最後に現れた”あの声”。
武沢が思い浮かべた人物は、本当に読者の皆さんが予想している人物なのか、それともさらにその先があるのか。
次章では、その答えが少しずつ明らかになっていきます。
ここから第二部は、さらに加速していきます。
引き続き『殺意のバタフライ・エフェクト』をよろしくお願いいたします。




