9話「黒竜」
天蓋柱――
標高、約15,000メートル。
敵秘匿航空基地まで、残り約4,000メートル。
空気は薄く、冷たく、乾いている。
吹き上げた風が枝葉を揺らし、多層外殻装甲を叩いた。
造伝播音センサーはノイズを除去し、正確に周囲の状況を捉えている。
それでも風は――
(うっとーしいわ……)
遮熱シートで包まれた黒竜に動きはない。
背中から降りた竜騎士が、相棒の頬をさすりながら何かを言った。
竜は牙の間から白い吐息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
いくら竜人族が魔法に長けていると言っても、いくら飛竜が堅牢堅固だと言っても、生物にとっては過酷すぎる環境。
加えて、ここには魔力もない。
(空の支配者さまも……魔力がねーとこんなモンか)
空間歪知レーダーは、竜を第一追跡視野で捉えている。
しかし、色も形もそこまで鮮明ではない。
脅威は、低い。
(こうなったら、陸生巨竜と変わんねーよな……)
誘導灯を振る兵士の後に、竜と竜騎士が続く。
全員が格納庫へ入ると、重い音を響かせながら扉が閉まった。
やがて、うなるような低い音が地面ごしに伝わってくる。
ガコン――
格納庫が上昇しはじめる。
(あ……やば……)
管制塔へ戻っていく兵士たち。
その最後尾、ひとりの兵士が立ち止まり、格納庫のあった窪みへ向かって歩き出した。
(今だ!)
和澄がテンプルアンテナは兵士を指すより、ほんのわずかに早く――仲間たちは動きはじめていた。
枝を蹴り、砂が舞う。
風を切り裂きながら、黒い影が走り出す。
指揮機権限にて、無線封鎖を解除。
短い戦術宣言束を飛ばす。
《アルファ1より全機。予定変更》
電磁波ノイズと変わらないほどの弱い出力。
それでも、この部隊になら声は届く。
《本施設の無力化、及び敵大型飛行生物を排除。その後、本来任務へ復帰する》
部隊から一機が離脱。
アルファ3――「SON-079」別方向に走り出す。
(孫! そっちは頼んだ!)
残りの五機が昇降格納庫に向かってアンカーを打ち込むと、ワイヤーは風に煽られ大きく流された。
(クソッ、風が強すぎる!)
格納庫が徐々に加速しはじめ、レールから飛び散る火花が遠ざかっていく。
和澄は小さくため息をついた。
(あんま気乗りしねーけど……しゃーない)
パケットを飛ばす。
《アルファ1より全機。回復キー入力》
そして。
《復元ポイント――“六脚移動形態”》
身体を構成する部品素材が、瞬時に結合を変えていく。
骨格が沈み、脊柱拘束基幹が横向きに再配置され、多層外殻装甲が黒く膨れ上がる。
手脚が別れ、増殖する。
一本、
二本、
三本――
鋭い棘を持つ、六本脚。
人型の面影を残したまま、それは“何か別の生物”へ変わっていった。
鈍く光る黒い扁平紡錘形の身体。
前部に向かって、長く伸びた二本のアンテナ。
動くたび、カサカサという摩擦音が響く。
(この形態……移動にはいいけど、なんか違和感ありすぎるんだよなぁ……なんでだろ……)
五機の巨大な“ゴキカブリ”が、天蓋柱を這い上がっていく。
猛烈な速度で、重力を無視するように。
下方では――
離脱したアルファ3、「SON-079」――孫が、機体半身を奇妙な構造物へと変換していた。
まるで、生物兵器工場を有機的に圧縮したような異形。
「VZガス」生成形態。
(っぱ、生物駆除にはこれよ)
無色、無臭。ひと呼吸で激しい痙攣、弛緩性麻痺、および呼吸筋の麻痺による呼吸不全を起こし、一瞬で生物を死に至らしめる即効性ガス。
生成された神経ガスが、格納庫に流し込まれていく。
飛び出してきた兵士を、孫が一射。
(あっちはラクショーだな)
風がさらに強くなる。
空は暗い。
その向こうには、宇宙にも似た黒が広がっていた。
◇◆◇◆◇◆◇
標高、約16,000メートル。
ときおり激しく揺れながら、格納庫がレールを登っていく。不快な振動音が、構造伝播音センサーの奥で唸る。
金属外板を叩く強烈な風。吹き付ける風は低温というより、“欠落”に近かった。
空は、もはや“空”ではない。
熱も、音も、命さえも、削り取っていく。
その中で、五機のカカシは格納庫に張り付いていた。
構造同化迷彩により、遠目にはただの金属の歪みや凹凸にしか見えない。
(今んとこバレてねーと思うけど……)
和澄は外板越しに内部構造を探る。
竜、
竜騎士、
他に兵士が一人。
格納庫内部には、二つの生体反応がある。
そのどれもが極端に弱い。
まるで、長時間水中に沈められた生物のようだった。
(魔法の世界で“生きる”って、大変なんだなぁ……)
左側方。
アルファ4――「VIC-422」比丘が動く。
機体半身を変換した、異様な構造体。
無数の細管、
脈動するタンク、
絡み合う冷却管。
VZガス生成形態となっていた比丘が、排気口から退く。
和澄は小さくアンテナを上下させ、彼女を労った。
(おつかれー。後はまかせてくれ)
比丘の身体が崩れ、再構築されていく。
不要になった合成装置が圧縮され、代わりに膨張していく。
異様な筋束。
四肢が肥大化し、多層外殻装甲が裏返ると、その隙間から機筋原繊維が露出。
関節部から、刺突専用の補助骨格が生えてくる。
増殖し、四つに分割されていく身体。
彼女は、これから“使い捨て”される。
敏捷性を犠牲に、対大型生物への瞬間火力だけを追求した、使い捨ての装備。
――「対竜戦用特殊装備」
最後に残った頭部でアンテナが「どう?」と揺れた。
(いいじゃん! めっちゃかわいいぜ!)
崩れた頭部が刺突ブレードへ変化していく。
《アルファ1より全機。特殊装備を装着》
格納庫はなおも上昇。
風速が増す。
比丘の皮で身を包んだ、四機のカカシ。
アルファ1、WSM-503――「和澄」
アルファ2、URA-226――「由良」
アルファ5、WRI-733――「瓜」
アルファ6、XSK-733――「草佳」
もはや、合図など不要だった。
(じゃ、行くとしますか)
突入。
格納庫側面が、赤く、小さく膨らむ。
次の瞬間、鈍く小さな破裂音が鳴った。
爆薬量は最小限。
振動のほとんどは制震サスペンションに吸収され、音も風に呑まれた。
開いた穴から噴き出した空気が一瞬で凍結し白い霧となり、それと入れ替わるように、四機が順に突入。
先頭の瓜が低く入り、銃口を左へ振った。
《アルファ5、クリア》
草佳が近接として、先頭の死角を補完。
《アルファ5、クリア》
指揮の和澄が突入。
《アルファ1、クリア》
最後に由良が即座に突入口を閉鎖。
《アルファ2、クリア》
すでに把握済みだったが、格納庫内は静まり返っていた。
(ちゃんと効いてるな……)
HUD中央。
ふたつの、敵性識別。
床に倒れ込んだ竜騎士。
片手で口を押さえ、壁に向かって手を伸ばしている。
その先にあるのは警報装置。
ログが流れる。
……
―― 生体反応|BIO SIGNAL
対象状態=CRITICAL
神経系=COLLAPSE
呼吸機能=FAILED
―― 任務評価|MISSION EVAL
対象脅威度=LOW
……
(まだ生きてんのかよ……)
竜騎士と目が合った。
(フツーの竜人と比べると、やっぱ竜騎士は頑丈だな……)
銃を下ろし、刺突ブレードを伸ばし――
首元を一閃。
転がった首が口を動かしたものの、ダイイングメッセージに興味はない。
今の和澄たちにとって重要なのは、ただひとつ。
格納庫中央。
横たわる、“巨大な影”。
浅く、短い呼吸。
ゆっくりと上下する黒い胸郭。
空間歪知レーダーが捉える黒竜は、色も形も単純化され、出会った頃のような鮮やかさを感じることはできない。
それでもまだ「敵意」や「脅威」は残っている。
召喚初日。
一つ目だった頃、空から降ってきた災難。
装甲ごと噛み砕かれ、暗闇の中で意識が途切れた記憶。
その相手が、今――目の前にいる。
恐怖はない。
怒りも、復讐心も、達成感すらも存在しない。
目の前にいるのは、ただの「目標」
それだけ。
(よぉ、久しぶり……)
黒竜がゆっくりと目を開く。
濁った金色の瞳。
開いていた瞳孔が、収縮する。
黒竜の喉が低く震えた。
威嚇。
あるいは、恐怖。
(お、まだ動けんのか。さすがだな)
竜が前脚に力を込める。
筋肉が軋み、
爪が床を削り、
巨大な身体が持ち上げようとする。
(そうはいかねーよなぁ!)
その瞬間、カカシが四散した。
床を蹴り、黒い影が一斉に竜へ殺到する。
対竜戦用特殊装備。
膂力と刺突能力だけを極限まで高めた、使い捨て外骨格。
両椀の刺突ブレードを螺旋状にねじったような、巨大な「釘」が黒竜へ突き立てられる。
ズンッ――!!
鈍い衝撃。
鱗が砕け、
肉が裂け、
分厚い筋肉を貫通する。
竜が唸る。
(おー、まだ元気あんの? すげーな?)
尾てい部。
腹。
翼基部。
首。
四本の釘が、黒竜を格納庫床へ縫い付けた。
黒竜が激しく暴れると、制震サスペンションが底付きし、格納庫全体が大きく揺れた。
(こらこら、大人しくしとけって――)
すでに警報灯は無効化してある。
ワイヤー射出。
複数のアンカーが庫内へ撃ち込まれる。
黒竜の身体が、さらに拘束されていく。
金属ワイヤーが軋み、床材が悲鳴を上げる。
まだ竜は止まらない。
残された片目には、怒りの炎がまだ灯っている。
(……しぶとすぎるだろ)
由良が前脚付近へ回り込み、さらに追加の拘束ワイヤーを打ち込む。
瓜と草佳は、傷口にアンダーバレルを押し当て神経ガス弾を連射。
射出された注射弾が、むき出しとなった肉へ突き刺さる。
ガシュッ――
薬液注入。
薬液は細胞外基質を押し広げながら毛細血管や組織隙を浸潤し、標的となる神経線維の周囲を瞬く間に侵食していった。
神経遮断。
“痛み”と“苦しみ”がかき消されていく。
筋弛緩。
身体を動かすことができなくなる。
だが――
竜はまだ和澄を睨んでいた。
(……)
その目を見て、和澄は理解する。
これこそが「支配者」の――「殺戮者」あるべき姿なのだと。
魔力が尽きても、
空を飛べなくても、
身体が動かなくても。
ただ、目の前の者を殺すために生きている。
それは、少しだけカカシに似ていた。
(ま、だからなんだよって話だけどな)
和澄は突撃銃を構える。
HUDの補正はいらない。
機筋原繊維を固定。
(今日はちょっと、“運”悪かったな)
銃口を、眼球と鱗の隙間へねじ込む。
黒竜の瞳が、大きく見開かれた。
(ま、“次”に活かそうぜ)
引き金に触れる。
バァンッ――!!
重く、鋭い音。
SAR-10突撃銃が、殴られたように跳ねる。
発射された6.8×51mm弾は、硬瞬膜と眼球を貫き、視神経をねじ切りながら、頭蓋中心へと突き進む。
血液、硝子体、体液。
すべてを撒き散らしながら、弾丸が頭蓋内部へ侵入する。
黒竜が無言のまま絶叫した。
格納庫全体が震える。
だが、和澄は止めない。
銃声が連続する。
0.067秒ごとに1発。
毎秒約15発、約900RPM。
反動が断続的な波となって腕部装甲へ叩き返される。
銃声が積み重なっていく。
肉が裂ける音。
骨が砕ける音。
脳核を削る音。
黒竜の身体が痙攣する。
巨大な尾が床を叩き、拘束ワイヤーが悲鳴を上げ、格納庫の照明が明滅した。
それでも。
和澄は撃ち続けた。
まるで。
故障した工作機械のように。
感情もなく、躊躇もなく、ただ、確実に。
黒竜の生命機能を削り取っていく。
やがて。
竜の動きが止まった。
……
―― 脅威評価|THREAT EVAL
対象=黒竜
状態=KIA
―― 任務評価|MISSION EVAL
排除成功率=100%
……
HUD上。
敵性識別が消える。
外板を風が叩く音が鳴っている。
格納庫の床には、大量の血と砕けた黒い鱗。
そして――
“空の支配者”だったもの。
和澄は、銃口から立ち昇る硝煙を見つめた。
◇◆◇◆◇◆◇
昇降機は金属製レールを掴みながら、なおも敵秘匿航空基地へ向かって上昇を続けていた。
標高約18,000メートル。
格納庫内部。
黒竜の死骸は、すでに原形を留めていなかった。
目の間に転がる、「希少素材」
(我ながら完璧な解体……)
鎧にも、盾にも使えるよう、大きく剥がされた皮。
部位ごとに、仔牛ほどの大きさに捌かれた四肢と胴体。
収納式天幕のように、美しく折りたたまれた翼。
一本づつ丁寧に抜かれた爪。
抜かれた角。
頭。
床一面に広がるそれらを、和澄は無感情に踏み越えていく。
《アルファ1より全機。投下用意》
《アルファ2、了解》
《アルファ5、了解》
《アルファ6、了解》
格納庫の扉が、ゆっくりと開いていく。
召喚初日、大ツグミが運搬する箱から投下された光景が脳裏をよぎった。
(そういや……そんなこともあったなぁ)
次の瞬間。
格納庫から“何か”が、外へ落ちた。
風に巻かれながら、 暗闇の向こうへ消えていく。
皮。
腕。
脚。
続いて、翼。
爪。
角。
眼球。
そして――
真っ二つに切断された顔。
(おー、ちょっと散らばったか……)
空の支配者、黒竜。
その死骸を、和澄たちは外へ撒いた。
「素材」として。
まるで、戦果報告をばら撒くように。
あるいは、「死」を宣伝するように。
遥か下方、雲海のさらに下にある街は大騒ぎになるだろう。
(知らんけど)
黒竜の破片が落ちていく。
その後ろから、別の瓦礫が落ち始めた。
使い捨て外骨格。対竜戦用特殊装備。
あるいは、「VIC-422」
あるいは、比丘だったもの。
扉のすき間から、欠片が落ちていく。
崩れ、砕け、粒子になりながら、下へ。
(またなー)
扉が閉まると、格納庫に静けさが戻った。
ここにもう生物はいない。




