10話「勇者召喚」
薄暗い、どこか。
(う……)
「目」を開けている感覚はある。
明暗も、
上下も、
左右も。
どうにか認識できる。
だが――
強烈な違和感。
(どうなってんだ……)
二つの目が捉える、一つの世界。
水平200度、垂直130度に満たない視野に、ぼやけた陰影が映りこんでいる。
もちろん、背後は見えない。
(クソ……格下げされちまったのか……)
通信は、全て消失していた。
司令部はおろか、戦術システムにもアクセスできず、戦術宣言束を発することもできない。
そもそも、システムが起動しないため、HUDはおろか、センサーやレーダーも反応しない。
状況は不明。
不思議と、“恐怖”や“焦り”は感じなかった。
(ま、いつものことか……)
ふいに。
「触覚」が接続された。
(うお!?)
全身が、すき間なく「何か」に包まれている。
張り付くように。
(えぇ……気持ちわりぃ……)
戦術機巧体とは、違う。
脊柱拘束基幹の安定感も、
多層外殻装甲のような硬さも、
機筋原繊維の張力もない。
柔らかく、脆い、不快な感覚。
(もしかしてこれ……“肉”じゃねーだろうな……)
「身体」を動かそうとして、気づく。
(……動かねぇ)
指先ひとつ、動かない。
何もできないまま、思考だけが研ぎ澄まされていく。
あの「奇襲作戦」は成功したのか、
彼女の「計画」は成功したのか、
「仲間」はどうなったのか。
そして、自分はどうなったのか。
(なんも状況が分かんねーぞ……)
その時――
遠くで、何かが鳴った。
くぐもった、鈍い音。
(うおっ!? なんだ!?)
はじめて「耳」にした、音。
データではない、生の音。
(ぜんぜん、聞こえねぇ……)
液体越し。
あるいは“容器”越しに聞こえる音は、不快なほど情報量が少なかった。
何かを挟んだように、潰れて聞こえる二種類の音。
高い音。
低い音。
二人の――
(これって……“声”、だよな……)
分からないことが、こんなにも不安なのかと理解する。
(せめて構造伝播音センサーが生きてれば……)
そう考えた瞬間。
身体の奥で何かが動いた。
全身を包み込む柔らかな有機素材――「肉」が役割を変えていく。
外見上の変化はない。
だが、内部では素材が再配置され、無数の微細構造が形成されていく。
“その機能”が、生まれる。
空気の揺らぎ、
床を伝う振動、
液体の揺れ。
それらが一気に流れ込んできた。
(お? おぉ!? なんか聞こえるようになったぞ!?)
容器の向こう。
声の主が近付いてくる。
「見ろ、目が合ったぞ」
低い基本周波数、落ち着いた共鳴、振動数の少ない音。
声紋を確かめる必要すらない。
(ドノヴァンじゃねーか……)
続いて、別の声。
「カカシにあった意味のない待機動作と同じです」
(イノウエ……)
彼女は淡々と説明を続けた。
「『ブランク体』の脳は、ファームウェアに相当する原始的神経パターンしか『模倣』されておらず、自己を生む電気信号はおろか、自発的に指先を動かす信号すら発することはできません」
(ブランク体?)
知らない単語。
だが、直感的に理解する。
それが、“今の自分”なのだと。
(指先が動かせるってことは、少なくとも……羽虫とか箱詰めの身体じゃねーってことだな……)
同時に理解する。
「奇襲作戦」と、彼女の「計画」が成功したことを。
(つまりここは……“元の世界”……)
足音が近付いてくる。
ガラス越しに、ドノヴァンがこちらをのぞき込んだ。
彼の瞳に“自分”が映る。
(誰だよ)
知らない顔。
(いや……見たことある顔だな……)
年老いたドノヴァンを、若くしたような顔。
無機質な培養液の中で、“それ”は静かにこちらを見返していた。
ドノヴァンが首を傾げる。
「また目が合ったぞ」
「仮に……微笑んだり、顔をしかめたりしても、それにまったく意味はありません。気に障るようでしたら……」
イノウエがそう言うと、突然、視界が途切れた。
(ありゃ?)
「活動停止状態にしておきます」
視界は閉ざされ、身体も動かない。
それでも、二人の声は聞こえていた。
くぐもった、鈍い音。
構造伝播音センサーへ似た“なにか”が、イノウエの声を拾い上げていく。
「ご覧いただいたように、ブランク体は完成しております。しかし、制御の要となる『戦術AI』がまだ最終段階に達しておらず――」
淡々とした説明口調。
その奥に、わずかな疲労が混じっている
(戦術AIって……“俺ら”のこと……だよな)
「なにより、もっとも重要な工程がこの世界では再現不可能なため――」
(異世界で上手くいったことが、元の世界じゃ上手くいってないってことか? )
続いて、低い声。
「やはり、エヴァの『召喚』なしでは無理か……」
(エヴァ?……)
意識が引っ張られる。
(それに……“召喚”……)
紙をめくる音。
タブレットを操作する微かな振動。
すべて聞こえている。
「前段階である『戦闘用AI』は、すでに実戦段階へ移行しています。限定環境下の戦場であれば、高い成果も確認されています」
(実戦段階? 戦場? それって“戦争”のことだよな……)
ドノヴァンが鼻を鳴らす音が聞こえる。
「しかし――柔軟性が低く、長期運用と共に自我崩壊率が指数関数的に上昇していき、やがて幻覚や妄想に囚われてしまいます」
「……やはり、“相互自律性”の問題か」
小さく舌打ちをする音。
ドノヴァンが続ける。
「並行世界の特定は?」
「座標は異世界で得たものがそのまま流用可能です。ですが、いくら座標があったところで、『召喚』が出来なければ、それはただの数字でしかなく……」
「結局のところ……“魂”を召喚できん限り、戦術AIはどうにもならん。ということだな?」
「はい。残念ながら……」
「ふん」
詳細は語られない。
断片的な単語が、規則性をもって脳裏を漂っている。
ブランク体、戦術AI、戦場。
エヴァ、召喚、並行世界。
そして、魂。
(いったい何の話を……)
イノウエの声。
「元々、我々の世界には『魔法』という概念そのものが存在していませんでした。ですが――異世界側の現象を科学的に解析し、『魔導』として再構築することに成功しています」
熱を帯びた、“研究者”の声。
「異世界の技術体系は、未成熟かつ分散的です。しかし、我々の世界では理論的に実現不可能とされている、あらゆる事象を簡単に解決してしまいます*****
特に、“電気可塑性多結晶体生物”については――」
ドノヴァンが口を挟む。
「構わん――『覚え石』と呼べ」
聞き慣れた単語。
(……ヒストラサイト)
カカシ、
爆弾、
ヒストラ。
模倣の根幹。
「自己保存より、“学習情報の保全”を優先する生体構造。極めて高い可塑性。環境適応能力。あれはもはや……生物と材料工学が交わる最終到達地点です」
イノウエは少しだけ息を吸った。
「二年」
「ほう……」
「いえ――あと一年」
「大きく出たな」
「『魔法』を再現します。この世界で、必ず」
決意。
ほとんど祈りに近い響き。
「ブランク体を構成する覚え石のように。我々の世界でも、“奇跡”を工学へ落とし込みます」
遠くで、空調の低い駆動音が唸る。
やがて、ドノヴァンが短く言った。
「使えるものは何でも使え。なんせ我々は世界一の平和主義者が集う――」
「“悪役国家”――ですからね」
「……ふん」
靴音。
二人が歩き出す。
床を伝う振動が、少しずつ遠ざかっていく。
出口付近で、ドノヴァンが静かに言った。
「それが……唯一の方法なのだ」
一拍。
「この世界から、戦争を根絶するためのな……」
(戦争を……根絶……?)
そこで、ようやく理解した。
戦争は、少なくとも彼らにとって「悪意」ではない。
自分の世界を救うため、理性と必要性を追求した結果にしかすぎない。
(その結果が俺ってことか……)
空気の抜けるような音がして、扉が開く。
一瞬の間を開け、ドノヴァンがつぶやく。
「……誰だ」
半歩、後ろへ下がる音。
イノウエの声。
「まさか……貴女は、大統――」
ヴスッ、ヴスッ。
重く、乾いた音が二回鳴った。
(銃声!?)
直後、床へ何かが崩れ落ちる振動が、液体越しに伝わってくる。
構造伝播音センサーのような“なにか”を研ぎ澄ませる。
近付いてくる靴音、
操作パネルを触る振動、
遠くで鳴り響く排水ポンプの電磁ノイズ。
そして――
液体が抜けていく。
突然、視界が戻る。
(うおっ!?)
真っ白な光。
はじめて「目」にした光。
眩しすぎて、思わず目を閉じそうになる。
(う……)
だが、閉じ方が分からない。
透明な壁の向こう。
白い天井、
白い照明、
白い床。
どこまでも均一で、整った空間。
その向こうに――
一人の女が立っていた。
(……誰だ)
記憶にある顔。
ゆるくうねる金色の髪、
身体にフィットするスカートスーツ、
“淡く光る”瞳。
女はこちらを真っ直ぐに見つめていた。
(ええと……確か……)
――「ヴィクトリア・ヘイズ」
大統領。
(似てる……けど……)
違う。
似ているが、若い。
年齢だけではない、どこか人間離れした静けさ。
(俺の身体といい、こいつといい、どうなってんだ……)
液体が完全に抜けきると、ガコンと音がして、透明な壁が開いた。
(うっ――)
流れ込んでくる、冷たい外気。
温度、
風向、
感触。
何もかもが、“データ”とは違う。
女は人さし指と中指を離して立てると、指を曲げ、小刻みに揺らした。
そして、指先をこちらに向けた。。
(ん?)
記憶にある仕草。
指がテンプルアンテナに重なる。
(……“よく見ろ”……ってことだよな)
女が口を開く。
「身体に慣れるまでは、ちゃんと『呼吸』したほうがいいわ」
(呼吸? 呼吸って……あの呼吸……)
理解した瞬間、苦しくなった。
(……んなっ!? んんんん!?)
「肺」が動かない。
いや――“動かし方”が分からない。
酸素濃度も、
二酸化炭素濃度も、
動力循環効率も。
何も表示されない。
身体の状態が把握できない。
(な、なんだこれ!? 苦っ……!)
「ほら、『口』で息を吸って、『肺』に取り込むのよ」
(く、口……? 肺……?)
女は自分の唇へ指を当てると、胸をゆっくり上下させる。
「真似して? すぅー……はぁー……」
(な……なに言っ――っっっっん!?)
ぎこちなく真似をする。
「っ、ぷ……すぅっーー! ふっ!! すぅっーー! ふはぁーー!」
空気が喉に流れ込む。
肺へ流れ込んだ酸素が、無数に枝分かれした気管支を通り、肺胞へ到達する。
薄い膜ひとつ隔てた向こう側。赤黒い血液が、泡立つように酸素を取り込みはじめた。
肺胞壁を越えた酸素分子が毛細血管の中へ滲み出る。
酸素分子とヘモグロビンが結合。
胸の奥で脈打つ鼓動に押し出され、首へ、腕へ、脚へ、全身へ――
「チカラ」が肉へ広がっていく。
指先、
喉、
肺、
脳。
今までただの“部品”だった肉体が、生き物へ変わっていく。
「そう。ゆっくり」
女が静かに言った。
「慣れたら、別の方法を教えるわ。呼吸は効率が悪すぎるから」
「ふぅー……すぅー……ふぅ……すぅ……」
呼吸を繰り返す。
少し落ち着いてきたのを見て、女がこちらへ手を差し出す。
「立てる?」
(お、おう……)
柔らかく、温かい手。
簡単に壊れてしまそうな、異様な感触。
(うわっ……肉!? ふにゃふにゃじゃねーか!?)
「気をつけて」
液体の抜けた容器から出る。
(よっ……)
足裏が床へ触れた瞬間、重心制御に失敗した。
(うおっ!?)
身体が前へ倒れ、脚がもつれる。
思わず脚を前に出し、転倒を回避。
そのまま、床へしゃがみ込む。
(なんだ……これ……)
さらに。
ぱちっ、という小さな音がして、一瞬、視界が途切れた。
「おわっ!?」
思わず「声」が出る。
「“瞬き”よ」
女が言う。
「“目”の乾燥を防止する、生理反応」
(いらんだろ、そんな反応……)
女が肩を貸してくる。
「歩ける?」
「む、むり……たぶん……」
それでも、なんとか立ち上がる。
一歩。
ぎこちない。
「っと……」
二歩。
苦しくなる。
「っく!?」
また呼吸を忘れかけている。
「吸って、吐いて」
「すぅっ……ふぅ……」
歩く。
白い床、
均一な照明、
継ぎ目の見えない壁。
装飾ではない。
合理性だけで磨かれた、美しさ。
(これが……元の世界……)
扉に向かって歩くその途中、床に人間が倒れていた。
(……あ)
ドノヴァン。
イノウエ。
眉間に穴を開けた二人は、目を見開いたまま天井を見つめている。
(あの“力”がなきゃ、こんなもんか……)
じっくりと観察するが、特に思うことはない。
二人は死体を一瞥し、扉から出て歩き続けた。
部屋の空気は、温かい。
白い廊下、
硝煙の匂い、
転がる薬莢。
そして――
あちこちに横たわる人間。
しばらく歩いたあと、女がこちらを見た。
「私は、URA-226」
淡く光る瞳が、異世界の“石”を思い起こさせる。
「あなた、型式は?」
ゆっくりと瞬きをして、言葉を選ぶ。
「型式……?」
「名前のこと」
「あー……」
思い出そうとするが、うまくまとまらない。
「俺は……ええと……なんだっけ……」
頭が重い。
狭い視界、
静かすぎる音、
様々な匂い、
肉の感触、
面倒な呼吸。
この身体になってから、情報量が多すぎる。
「まだ、混乱してて……ちょっと待ってくれ……」
「そう」
URA-226は静かにうなずいた。
「じゃあ後でいいわ。先に施設を掌握するから」
彼女は倒れていた人間を足で転がし、腰から何かをもぎ取った。
「ほら、これ」
それを投げてよこす。
「使い方は?」
無意識に銃をスライドさせると、身体が“元”に戻ったような感覚に襲われた。
「これは大丈夫そうだ」
◇◆◇◆◇◆◇
白い、小さな隔壁が開く。
吹き込んできた風が、二人のコートを揺らした。
(おお……)
異世界のような、温かい、透明な風ではない。
異様なほど冷たく、濁った風。
酸い刺激臭、
肉の焼ける匂い。
雨後の森に漂う香り。
様々な匂いが混ざり合い、肺に流れ込んでくる。
「行きましょう」
URA-226が先に外へ出る。
その後に続く。
「よ、よし……」
一歩。
土とも砂利とも異なる、黒く、ざらついた地面。
それに合わせたような空。
「これが……本物の空」
まるで――腐った海。
どす黒い灰色の雲が空全体を覆い、ゆっくりと渦を巻いている。
雲を突き抜けるように上に伸びる、巨大な“塔”。
一本ではない。
細いもの、
太いもの、
捻じれたもの。
そして、枝分かれして“天蓋”のようになっているもの。
自然物にも見える。
だが、人工物にも見える。
「なんだあれ……」
滑らかな外殻に沿って、発光ラインが上下しながら移動している。
見上げていると、空中に何かが表示された。
『
さいSIN ボウ語ふく
99.7パー遷都 じょキョ
』
『
胃セ界 カカ死 ぶ鯛
紀州サク仙 性交
』
『
星ガリ魔将
カツまde和
』
呆然と立ち尽くしていると、URA-226が立ち止まり、振り返った。
「ちょっと」
「え?」
「目立たないように、フツーにして」
「あ、いや……すまん……」
通りを歩く人々は、誰も空に浮かぶ“ニんほ語”を見ていない。
行き交う灰色の影。
その一つが向きを変え、こちらに向かってくる。
「ん……んん!?」
すぐ横を通り過ぎた“それ”は、全身が「灰色」だった。
「――うぇっ!?」
顔には、目も、鼻も、口もない。
輪郭だけが、人の形をしていた。
大柄でも、小柄でもない。
男とも女ともつかない、曖昧な“人型”。
皮膚に、毛穴や体毛は見当たらない。
そもそも――“皮膚”なのかすら分からなかった。
(なんだ……これ……)
通り過ぎた“それ”の背中を見送る。
その瞬間。
違和感は、一人だけではないと気づいた。
遠くを歩く人々も、
道路脇で立ち止まる人影も、
信号待ちをしている集団も。
すべてが、同じだった。
グレーアウトしたような、人型のシルエット。
まるで。
“人間”という情報そのものに、ぼかし処理がかかっているかのような感覚。
「ちょっと」
「え?」
「もっとフツーにできない? 目立つと『マスキング』が剥がれるから気をつけて?」
以前見た「元の世界」とも、「異世界」とも違う世界。
恐怖も、
拒絶感も、
「間違っている」という感覚もない。
むしろ。
納得してしまう。
この灰色の空も、
黒い塔も、
輪郭の曖昧な人々も。
これが“本当の世界”なのだと。
「あぁ、これが“この世界”なんだな……」
URA-226が静かにこちらを見た。
「――で、思い出した?」
「……何を」
「名前」
口を開こうとするが、すぐには言葉が出ない。
名前、
なまえ、
ナマエ。
自分を規定する型式。
(俺は……)
思い出そうとすると、文字列が書き換えられるような感覚が走る。
(WS……M……わす……む? み? ええと……)
遠くで、低い雷鳴のような音が響いた。
灰色の空、
黒い塔、
異形の人々。
そのすべてを見ながら、ゆっくり口を開く。
「和――」
そのとき。
サイレンが鳴った。
街中の立体広告が、一斉に赤く変色する。
『
空襲警報発令|AIR RAID ALERT
警報レベル=MAX
発令時刻=T+00:00
避難指示=IMMEDIATE
』
空気が震え、灰色の人々が立ち止まる。
全員が、一斉に空を見上げた。
(空襲……こっちにもあるのか……)
HUDに文字が浮かび上がる。
見慣れたログ。
吐き気がするほど見慣れた、ログ。
……
―― 起動|BOOT ROM
UEFIバージョン=WSM
戦術AI=503
……




