5.平和な怠惰生活のために
――それから八年。
俺は十四歳になっていた。
結論から言うと、オズワルドとの秘密の師弟関係は、俺の人生にとってきわめて有益だった。
表向き、俺はまさに理想とする、「平凡な第五王子」に落ち着いたのだ。
兄たちほどではないが、無能でもない。
勉強も礼儀も剣も、やればできるが別に熱心ではない。
魔法も、そこそこ悪くないが、飛び抜けてもいない。
実に理想的な立ち位置である。
ーーその裏で、俺は着実に怠惰の技術を磨き続けた。
寝台の周囲には薄い快眠結界。夏は涼しく、冬は暖かい。
耳障りな物音だけを遠ざけ、朝日は入る光の量を調整することで、遅くまで眠っていられる。
菓子は保存結界つきの隠し箱へ入れておけば、湿気ることはない。
読みかけの本は、指を動かすだけで手元に届き、風呂の温度は三十八度と一定に保つ。
なお、オズワルドは「それは魔法の正しい使い方ではありませんな」と口では言いながら、毎回きっちり改良案を出してくるので、おかしなものである。
王宮での俺の評判も、悪くなかった。
第一王子は文武両道、正統派の優等生。
第二王子は武芸に優れ、第三王子は社交性に長け(※社交性と言っても、褒められたものはない)、
第四王子は頭脳に恵まれている。
その下にいる第五王子の俺は、全てにおいて中の中という、ちょうどいい平凡さだった。
平凡だからこそ、俺は自由で、完璧だった。
少なくとも、そう思っていたーー。
***
「アルト殿下。陛下がお呼びです」
その日、俺の昼寝は、一人の侍従によって無慈悲に中断された。
俺は寝台の上で毛布にくるまりながら、心から嫌そうな顔をした。
「急用なの?」
「アルト殿下、陛下がお呼びなのですよ?」
「はいはい……」
つまり断れないということだ。
ーーうん、知ってた。
俺は深いため息をつき、のろのろと起き上がった。
せっかく快適な昼寝環境を整えたというのに、王宮という場所はどうしてこう、人の眠りに無頓着なのか。
身支度を整えながら、俺は頭の中で最悪の想像をいくつか並べてみた。
王族行事への参加命令?
面倒な式典?
あるいは、どこぞの令嬢との婚約とかーー?
どれでも嫌だーーいや、婚約なら別にアリかもしれないな。
社畜すぎて、前世の俺は五年以上恋愛とは無縁だった。
だが、実際に父王の私室へ通され、そこにいる顔ぶれを見た瞬間、俺は内心で悟った。
(あ、これ、なんかやばいやつだ)
父王の傍らには、宰相と、見覚えのない中年の文官が一人。
机の上には巻物がいくつも積まれている。
書類の山ーーこの時点で、ろくでもない。
思い出すだけで頭が痛くなってきた。
「アルト」
「……はい、父上」
俺は礼を取り、従順な息子の顔を作った。
父王は俺を見下ろし、いつも通り感情の薄い声で言った。
「お前も今年で十四だろう」
「はい」
「お前にも、そろそろ、王族としての役目を与えようと思う」
ーー来た。
俺は表情を変えなかった。
変えなかったが、心の中では盛大に机をひっくり返していた。
”役目”
俺が思う、最悪の単語ランキングでかなり上位に入る言葉だ。
「……どのような、お役目でしょうか」
慎重に尋ねると、父王は机上の巻物の一つを手に取った。
「北方、フェルミアの領地を再建させるのだ」
聞いた瞬間、記憶が蘇る。
ーーフェルミア。
冬は厳しく、土地は痩せ、魔物の出没も多い北の外れ。
税収は低く、物流は滞り、歴代の領主が匙を投げて何度も逃げ出している、王都では有名な“左遷先”だ。
「前の領主が病に倒れてから、長い間、領主が不在の状態だったのだ。だが、放置もできぬ。ゆえに、お前を派遣することにしたのだ」
俺は死んだ魚のような目になりかけたのを、ぎりぎりでこらえていた。
「……僕を、ですか?」
「不満か?」
「……いいえ」
本音は「大いに不満です」だが、そんなことを言ったところで事態は好転しない。
宰相が穏やかそうな顔で口を挟む。
「名目上はアルト殿下の直轄領となりますが、実務は現地の者に補わせます。殿下には新領主として、王家の威信を示し、状況を立て直していただければ十分です」
ーーおいおい、十分荷が重いぞ。
「出立はひと月後だ」
父王の一言で、話は決まった。
反論の余地など、最初からなかったのだろう。
俺は礼を取り、退出の許しを得て部屋を下がった。
廊下へ出た瞬間、貼りつけていた笑顔がぺりっと剥がれる。
「……最悪だ」
思わず漏れた声に、後ろから落ち着いた声が返った。
「ええ。なかなかに最悪な状況ですな」
振り向くと、いつの間にいたのか、オズワルドが壁際に立っていた。
「盗み聞きですか、師匠」
「盗み聞きとは聞こえが悪いですな。私はただ通りがかっただけですよ」
この老人、最近ずいぶん俺への遠慮がない。
「聞いていたなら分かるでしょう。最悪です」
「ですが、殿下向きでもあります」
「……どこがですか」
「何も整っていない土地は、快適にしがいがあるでしょう」
俺は無言でオズワルドを見た。
「……僕は、快適にしたいわけじゃありません。王都で、静かに、だらだら暮らしたいだけなんです」
「ええ、ええ。よく、存じておりますとも」
「寒いのも嫌です」
「ええ、ええ」
「魔物も嫌です」
「ええ、ええ。賑やかそうですな」
「人間関係も面倒です」
「殿下、それは王都も同じでは?」
「……うん、それはそう」
思わず頷いてしまって、少し悔しい。
オズワルドは、いつもの白髭を撫でながら、どこか楽しそうに目を細めた。
「まあまあ、殿下」
「なんです」
「快適に暮らしたいのでしょう?」
「そりゃそうです」
「ならば、向こうでもそうなさるとよろしいではないですか?」
簡単に言う。
だが、俺はその言葉に、ほんの少しだけ黙った。
向こうでも?
そうかーー発想が逆だったのかもしれない。
俺はずっと、「嫌な場所に飛ばされる」と思っていた。
もちろん嫌だ。
嫌だが、もし行くこと自体は避けられないのなら、その場所を自分仕様に作り替えてしまえばいい。
ーーつまり、今まで自室でやってきたことを、もう少し大きい規模でやればいいだけではないか。




